第49話  信じてもらえなかったのか





「──────わたくしは戦いながら踊るのです。優雅に、華麗に、そしてより強く美しく。単なる鞭だと思ってはいけませんわ。鞭は鞭でも鞭ですわ」


「……普通の鞭じゃねェだァ?そりゃそうだろうよ。じゃなきゃ──────叩きつけただけで地面に亀裂ができるかよ」




 エルグリットとの決闘が開始され、妃伽は彼女の強さの片鱗を目の当たりにした。完全ランダムで飛来する石礫を、どうやってか鞭で全て破壊し、地面に叩きつけただけで亀裂を作った。向こう10メートル近くに渡り、大人も体が易々と入ってしまうような亀裂が生まれている。


 普通に鞭を使っただけでは、こうはなるまい。特上位狩人として名を上げているのだから弱いはずがないのだが、どういう振り方をすれば鞭で地面を抉ることができるのか。


 最強と謳われる黒い死神の弟子となり、彼の規格外さを何度も見てきた妃伽は、額に掻いた汗を袖で雑に拭うと気を落ち着かせた。焦りを抱く心を静めるために、エルグリットが動き出さないか警戒しながら見つめ、大きく息を吸って吐き出した。




「……なんかカラクリがある筈だ。普通に考えて、鞭でこんな亀裂は作れねェ。見た目より怪力とかなら解らなくもねーけど、それでも鞭だ。限界がある。龍已の銃は虎徹さんが調合した特殊な火薬使って威力が爆発的に上がってる。多分、そんな感じで何かしら鞭に細工してやがんだ。だけど忘れんなよ巌斎妃伽。鞭に細工してようが、あの女の鞭捌きはホンモノだ。ありゃァ……マジで強ェ」


「分析は終わりましたか?睨み合っているだけでは決着はつきませんわ。どうぞ、妃伽さんの思うように来てくださいまし」


「……ちったァ考えた。でも解んねェ。ならッ!ぶん殴った方が早ェよなァッ!?」




 妃伽は駆け出した。ウジウジと悩むのは性に合ってないと自覚しているから。ある程度ものは考えた。鞭に何かしらの細工が施されている可能性が最も濃厚であることは解っている。でなければ叩いただけで地面に亀裂が入る訳がない。


 鞭に細工がされているなら、妃伽にはどうしようもない。メリケンという防御が殆どできない武器ということもあり、受け止める事なんてできやしない。妃伽にできるのは攻めることだけ。つまり少し考えながら全力で前進するしかないのだ。


 右と左のメリケンの起爆スイッチをそれぞれ1回ずつ押しておく。打面を打ちつければ即座に爆発する。できるならば、飛んでくる鞭に一撃見舞ってやり、撓んでしまった鞭を抜けて懐に入り込んでやりたいものの、振るわれる鞭の先端は音を超える。今の妃伽にそれを避けるだけの経験が足りない。


 飛んでくる鞭は恐らく避けられない。が、飛んでくるだろう場所から避けることはできる。全速力で接近してくる妃伽に、エルグリットが鞭を振った。右手に持ち、水平方向に腕を振って勢いをつける。腕の動きをずっと見ていた妃伽は、直感によるタイミングでスライディングの姿勢に入った。


 先程まで妃伽の胴があった場所に鞭が通り、虚空を叩いてバシンと大きな音が響いた。水平方向に鞭を飛ばすと腕の動きから察した妃伽が体の位置を低くすることで回避した。スライディングの姿勢から素早く立ち上がり、勢いはそのままに駆けていく。エルグリットまであと少し。あと少し走れば、彼女に手が届く。


 だがそんな、勝てるかも知れないという期待を、エルグリットは打ち砕いた。




「鞭の間合いより内側に入れば安全なのは当然ですわ。ですけれどそれは──────入れたらのお話ですわ」


「──────ッ!!くッ……っぶね……ッ!」




 一撃目は防げた。だが二撃目はどうしようもなかった。直接妃伽を狙ったものではない。エルグリットが自身の周りに鞭を振って鞭の結界を作り出している。鞭の先端が全く見えない。エルグリットは腕を緩やかに振っているのに、振られている鞭は鋭い音を出しているだけで目に見えない速度で飛び回っている。


 妃伽が寸前のところで止まらなければ、鞭の結界の中に飛び込んで全身鞭打ちに遭っていたことだろう。前髪が少し触れて、はらりと何本か宙を舞う。やはり何か細工されている。ほんの少し触れただけで名刀にでも斬られたように切断された。


 鞭の先端が地面を刻み、エルグリットの周りに円形の形を作っている。これが結界の間合いだ。ここに足を踏み入れようとするとたちまち全身に鞭を打ちつけられる。重傷の自分が目に浮かぶ妃伽はごくりと喉が鳴ったが、1発殴らないと気が済まない。


 妃伽は鞭の結界を前にすぅ……と息を静かに吸って集中した。エルグリットの腕の動きと鞭の動きはバラバラだ。もう彼女の腕を見て鞭の先端が通る場所の予測はできない。となれば、こちらのタイミングで結界に入り込むしかない。少しでもタイミングを間違えばやられる。


 目を閉じて、敢えて視覚情報を断つ。音を拾う聴覚と感覚を研ぎ澄まして集中すれば、一瞬だが隙があることが解った。何秒かに1回生まれる、針の穴のような隙間。妃伽はタイミングを計り、その時を待つ。疾走するつもりの妃伽のことをエルグリットは、興味深そうに見ていた。


 この結界をすり抜けられるのは極一部の者のみ。間違えれば軽傷じゃ済まない。それを解っていながら突っ込もうという妃伽に、思い切りの良さを感じた。そうして妃伽は、結界に向かって駆け出した。抜けるのか、抜けられるのか。それともダメなのか。エルグリットの鞭の結界に妃伽が到達する寸前、彼女の前に黒い塊が躍り出た。




「なっ!?師匠っ!?」


「…………………。」


「つか……は?なんで火花……?」




 黒い塊は龍已だった。彼が鞭の結界に飛び込もうとした妃伽の前に躍り出てきたため、妃伽は彼の背中に突撃して止まった。そして、龍已は代わりにエルグリットの鞭を黒い手袋をつけた手で鷲掴んで止めていた。だがその時に、妃伽は不思議なものを見た。


 鞭を掴んだ龍已の手から火花が散っていた。鉄の塊に回転する丸鋸の刃を当てているように勢い良く火花が撒き散らされていたのだ。片や鞭で、片や手袋をつけているだけの手である。何がどうなって……と思っている妃伽に背を向けたまま、龍已はエルグリットをフードの中から見ていた。


 表情が変わらないだけで、もしかしたら睨んでいたのかも知れない。取り敢えず彼から好意的な雰囲気はしていなかった。妃伽は確かに感じる龍已からの怒気に身を縮こませ、彼のローブの端を握っていた。それを感じ取ってか、彼は1度溜め息を溢してから、エルグリットにどういうつもりだ?と問いかけた。




「あら、何のことかわからないですわ」


「白々しいことを。何故使いる?」


「うふふ。クロ様が間に入るとわかっていましたから。どちらにせよお弟子さんではクロ様のように鞭を掴むことは無理でしたわ。思い切りの良さは認めますが、頃合いだと思ったのですわ。クロ様もそれはわかっていたはず。わかってて止めに入らないのですもの、いじらしい人」


「……………………。」


「な、なァ師匠。無理だったのがわかってたってどういうことだ?私じゃエルグリットさんに勝てねぇってもう察してたってことかよ……?」


「……お前ではあの鞭の結界は突破できん。触れた瞬間から終わりだった。そして、通り抜けられるだけの速度も出せていない。経験不足であり、エルグリットの強さを計りきれていない。この戦い、お前の負けだ」


「……そうかよ。……わかった。私の負けだな。師匠が言うなら仕方ねーよな。……チクショウがよ……ッ」




 少し不満げに負けを認めた妃伽だった。確かにエルグリットは強い。師匠である龍已と同じ領域に居る傑物なだけあり、実力の一端しか見せていない。なのに妃伽は勝てるビジョンが浮かんでこなかった。そこが実力差によるものだと理解していたのだ。だから全力でやった。勝つつもりでもちろん立ち向かった。


 しかし、妃伽は龍已から負けだと言われたのが1番悔しかった。もう負けだと思えれば、負けたと潔く認めるつもりだった。なのに、自分が負けを認めるよりも早く間に入ってきて、負けだと言われてしまったのが悔しかった。まだ戦えるのだと思ってて欲しかった。勝てずとも、もう少しいい戦いができるのだと信じて欲しかったのだ。


 落ち込んでいる妃伽のことを龍已は見つめた。気分が沈んでいることは気配で察知している。しかし言葉は掛けなかった。これでエルグリットと妃伽の戦いは終わりなのだと、締めくくった。スレッドとオーガスは、妃伽に何故龍已が負けを認めさせたのか教えようと思ったが、他でもない龍已に余計なことはするなと言わんばかりの目で見られたので口を噤んだ。


 妃伽は相手がエルグリットでなければ、彼女の鞭が使われていなければ上位の狩人にすら勝っていただろう。それだけの戦闘力をもう既に持っている。ただ、彼女は知らなすぎたのだ。特上位狩人が、他と一線を画した強さを持つ、。それに気づかずに決闘をした時点で、妃伽は負けていたのだった。




「……今日は疲れたからモンスターの狩猟はやめとく。もうホテルに帰るわ」


「そうか」




 エルグリットに負け、龍已に戦えると信じてもらえなかったショックで、妃伽はモンスターを狩猟しに行く気がなくなってしまった。こんな精神状態でモンスターと命を賭けて戦ったら、何かしらのミスを犯して危険だと自身で判断した。


 いつの間にか、狩人として必要な考え方が身についていることに気がつかず、妃伽はすごすごとメディウムの方へ帰って行った。そんな彼女の後ろ姿を眺めていた龍已の元へ、スレッドとオーガスがやって来る。2人は感心と言えばいいのか、感嘆と言えばいいのか、妃伽の気分の下がり具合に反して2人はいい印象を抱いていた。




「クロよ!弟子を随分と仕込んでいるんだな!あれは既に上位狩人としてもやっていけるレベルだろうな!」


「いやぁ、あそこまでやれるとは思いませんでしたよ。妃伽ちゃんめっちゃ強いじゃないすか。肉体的な強さならオレより全然上っすよ。んまあ、オレこの中で1番ザコですけど」


「思い切りの良さもありましたが、まだまだ知らないことが多そうですわ。それとも、教えられていないのか。あぁ、クロ様ならわざと教えていないのかも知れませんわね?」


「……その内知れることだ。口で教えるより実際に目にした方が早い」


「相変わらずだな!」


「クロさんらしいっすけどね。いやけどまさか、本当にあそこまで戦えるとは思いませんでしたよ。弟子になってからこの期間であの強さなら、元から才能があったのか師匠がいいのか、それともどっちもか。とにもかくにも、妃伽ちゃんは恵まれてるなぁ」




 エルグリットに全然歯が立たなかったという印象を抱きやすいが、そもそもとして相手との実力差が広すぎただけだ。妃伽はしっかりと狩人として強い。流石は最強の狩人にマンツーマンで鍛えられているだけあるということだ。


 スレッドとオーガスも特上位狩人として他には無い強さを持つからこそ、妃伽が他とは才能が違うことに気がついている。彼女は彼女が思っているよりも強くなっている。


















「──────がぁあああああああああああクソッ!!負けた負けた負けたァッ!!あのツラぶん殴りたかったァッ!!あ゙ークソがッ!!」


「僕の部屋に来て一番最初に言うのがそれなの?妃伽ちゃんらしいね。まあエルグリットさんに負けたのは仕方ないよ。年期が違うもの」


「……わかってっけどよぉ……鞭に当たりそうになっただけで負けを認めろとか、納得できるかっつーの!あーイライラするッ!」


「……エルグリットさんに鞭を使わせたの?」


「……?おう。使わせたってか、普通に使ってたけど。何でだ?」




 最高級ホテル『黒山羊』に帰ってきた妃伽は、自身に宛がわれた部屋に戻るでもなく、部屋で何かの書き物をしていた虎徹の部屋に直行し、ベッドにダイブしながら不満そうに叫んでいた。遠慮が無いのは今に始まったことではない。それだけ信頼されているということ。


 虎徹は仕方ないなぁと言いたげに、美しい貌に苦笑いを浮かべて書き物を終わらせ、椅子に座りながら妃伽と話をすることにした。詳しい話は知らないが想像はつく。妃伽がエルグリットと決闘紛いのことをしたのだろうと。そして負けた。今はその時の不満を発散中なのだ。


 しかし虎徹は驚いていた。エルグリットに鞭を使わせた妃伽に。エルグリットは美しいだけでなく特上位狩人。何度も言うが他の狩人とは比較にならない実力を持つ。その内の1つが、あの純白の鞭である。普通の狩人ならば鞭に手を伸ばさせる事すらできないというのに、妃伽は使わせている。虎徹は、妃伽が想像以上に強くなっていることに驚いたのだ。




「妃伽ちゃんも強くなったんだねぇ」


「はー?負けたンだが?皮肉かよ!」


「違うよ。本当に、強くなったよ。だってエルグリットさんに鞭を使わせたんだから、それは誇っていいよ」


「……確かにやべー鞭使いだけどよ。本当にあれでモンスター殺せンのか?」


「──────殺せるよ。エルグリットさんは正真正銘、あの鞭でモンスターを狩るんだ。今に解るよ。特上位がどういう狩人なのか」


「……っ」




 虎徹の言葉が重く感じる。見てきたからこそ特徴として現れる、言葉の重さ。妃伽は知らず知らずの内に喉を鳴らした。彼女はもしかしたらと思う。自分が思っている以上に、特上位狩人というのは“違う”のではないか?と。







 巌斎妃伽がエルグリットとの戦いに敗北してから翌日、『大侵攻』の前触れとしてモンスターが一様に姿を消した。メディウムへのモンスターの侵攻は……近い。








 ──────────────────



 巌斎妃伽


 まだ特上位狩人には勝てない。だが、特上位狩人が愛用している武器を使わせた。自覚していないが、これは普通の狩人には無理に近い。何故なら、エルグリットは体術も相当な腕を持っているから。


 特上位が上位でもやっていけると言えるだけの実力が身についており、それを本人は知らない。





 黒圓龍已


 敢えて妃伽に教えないことがある。例えば、特上位狩人が、他とは具体的にどう違うのか?など。別にイジワルで教えていない訳ではない。教えなくても近い内に知ることができるのだから、教えなくてもいいだろうという考え。


 教えられてばかりではなく、自分から知ることも大切だということを教えるため。





 エルグリット・ディ・アクセルロッド


 彼女に鞭を抜かせるということは、その場の命の悉くが殲滅され、葬られることを意味する。




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