第48話  美しいとは






「──────本当にやるの?妃伽ちゃん」


「おう。どんくれェなのか知るいい機会だし、ついでに泣かす」


「ハッハッハッハッハッ!いい心意気だ!そのくらいの負けん気がなければクロの弟子は務まらんだろう!クロも一声掛けてやれ!」


「……頃合いになったら止めてやる。エルグリットの胸を借りるといい」


「まあ、胸だなんて。そんなものいくらでもお貸しいたしますわ。もちろんクロ様にも……うふふ」


「舐めやがって──────ゼッテー泣かすッ!!!!」




 中央大都市メディウムの壁外。少し離れた場所にて、特上位メンバー全員と妃伽が居た。スレッドとオーガス、そして龍已が観戦するように対峙するエルグリットと妃伽のことを眺めている。


 専用の武器であるメリケンを拳に嵌めた妃伽と、腰に括り付けていた純白の鞭を手にしているエルグリットが対峙しているのは、決闘のためだ。そもそも相手がモンスターでなく、何故人間なのか。それも何があってこの2人なのか。それはほんの少し前に遡る。


















「なあ師匠ー。まだ『大侵攻』は起きねーのか?」


「周囲のモンスターの姿が減ったら『大侵攻』の兆候だ。つまりまだだろう。何故だ?」


「いや、単純にあとどんくらいで始まんのかと思ってよ。あとさ、まだ大丈夫なら一緒にモンスター狩りに行かねー?ずっと何もしてなかったらいざ『大侵攻』の時にヘマしちまうよ」


「……そうだな。ではモンスターの狩猟に向かうとしよう」


「やっりぃ!」




 その日、妃伽は龍已と共に大通りを歩いていた。大通りを歩けば人が左右に避けていくのは最早ご愛嬌だろう。歩きやすくなる反面、ジロジロと見られてしまうという欠点はあるものの、妃伽はもう慣れた様子で気にする素振りもなかった。


『大侵攻』はモンスターは恐ろしいほどやって来る。大群という言葉では表せないくらいの数だ。そのため狩人協会から選出されて大人数が中央大都市メディウムに集まるのだ。そんな普通の依頼を受けるよりも死ぬ確率が格段に高い『大侵攻』を生き抜くためにも、体を鈍らせない努力が必要だ。


 妃伽は『大侵攻』が始まるのを悠長に待っているのが嫌で、修業がてらモンスターの狩猟に行きたいと進言した。もちろん龍已が断るはずもなく、二つ返事で了承を得てメディウムの正面出入口へと向かっていった。




「──────クロ様ー!」




「げっ……エルグリットさんだっけ?……が、来やがった」


「はぁ……」


「ふふふっ。クロ様、今日はどちらへ向かわれるのです?壁外ですか?それなら是非わたくしもご一緒いたしますわ」




 2人で出入口へ向かう途中、背後より耳触りの良い美しい声が聞こえてきた。つい先日聞いたばかりなので妃伽は覚えており、うんざりした様子で肩を落としながら振り返った。そこには太陽の光を浴びてなお白く煌めく純白のバトルドレスを身に纏ったエルグリットが、小走りで向かって来ていた。


 溜め息を吐きながら妃伽同様振り返った龍已の傍まで来ると、遠慮なしに正面から抱きついた。鍛え上げられた胸板に頬を擦り付けて幸せそうにしている。


 もう一つ溜め息を溢した龍已だが、無理矢理剥がそうとはしない。これが見知らぬ相手ならば抱き留めることすらしなかっただろう。それだけ許されているということ。それだけの間柄であるということ。むざむざ見せつけられているようで、妃伽はムッと口を尖らせながらエルグリットの肩を掴んでベリッと剥がした。




「あら……クロ様のお弟子の巌斎さんですわよね?いえ、ここは親睦を深めるためにも妃伽さんと呼ばせていただきますわ。先日も言いましたが、わたくしのことはどうぞ、気軽にエルとお呼びくださいまし」


「……おう。じゃあエルさんよ。私とりゅ……師匠は今からモンスターの狩猟に行くんだよ。邪魔すんな」


「邪魔だなんてそんな。それならわたくしもついて行ってもよろしいのではなくて?いざという時、わたくしが妃伽さんを守ってさしあげますわ」


「だーれもそんなこと頼んでねェんだよなァ~。つか、別に私そこら辺のモンスターにやられる程弱かねーし」


「うふふっ。それはわかりませんわよ?妃伽さんはまだまだですもの。それでは下位のモンスターにも遅れを取ってしまいます」


「──────あ゙ぁ゙?」




 ビキッ……と、妃伽の額に青筋が浮かんだ。確かに自分は最近狩人の仲間入りをした。それまでどこにでも居る一般人で、虎徹に武器を造ってもらわないと下位のモンスターも碌に倒せなかった。しかし今は、師となった黒い死神の下で修業を積み、今では単独で上位のモンスターを狩れるようになった。


 初めての場所。狭い空間。不利な視界。極度の緊張状態。庇わねばならない者。それらがある状況で上位のモンスターを狩猟したあの戦いは、妃伽を次のステップに進ませるには十分すぎる出来事だった。


 慢心はしていない。したら龍已から痛いお仕置きという名の修業が追加される。モンスターを相手にするのに慢心は許されないと、厳しく教えられているからそれはない。しかし、自分は確かに戦えるのだと。戦えない自分ではないのだと実感している。元より地元で喧嘩三昧だった妃伽は短気だ。気が短い。そこには注がれた、暗に弱いという言葉のガソリンに、見事着火した。




「ははッ……おいおい。特上位狩人だからって他人のこと雑魚呼ばわりして黙って許されると思ってンのかよ?私は誰が相手だろうが噛みついてやんぞオイ。誰が下位にも勝てねーってェ?」


「雑魚だなんて言っておりませんわ。ただ、あなたはまだ未熟だと言ったのです」


「それを雑魚と言わずになんつーンだよ?えェ?つーか、会ってすぐのお前に何がわかんだよ」


「それはもちろん、あなたの未熟さですわ。わたくしから言わせてもらえば──────妃伽さんは今、全く美しくない」


「はァ??」




 面と向かって噛みつく妃伽に、正面から堂々と対峙するエルグリット。会って少しの間柄。それも話したのは自己紹介くらいのものだ。そんな彼女に下位にも勝てないほど弱いと言われているようで、妃伽の怒りのメーターはぐんぐん上がっていく。その果てに言われたのが、美しくない。


 確かに、エルグリットは美しい。風に靡く真っ白な髪も、日焼け知らずの瑞々しい肌も、誰がどこから見ても美しいと答える非常に整った顔立ちも、一つ一つの所作に含まれる多大な気品も、何もかもが美しい。妃伽ももちろん美人だが、彼女からしてみればエルグリットの美しさには勝てないと思う。だがそれを今、このタイミングで言うだろうか。


 なんとなく察した。喧嘩に明け暮れていたので学校には殆ど行っておらず、頭はそこまで良くない。しかし、エルグリットが言う『美しくない』は、容姿の美しさではないことぐらいは解った。だから言った。なにがどう美しくないんだ?……と。




「モンスター蔓延るこの世界で、強さは最も重視される要素。狩人にもなればより顕著になりますわ。ならば、強い者こそが美しいというのはごく自然なこと。戦い、傷つき、それでも勝ち、何かを為し遂げる者は総じて美しいのですわ。故にわたくしは美しく、このクロ様……黒い死神は最も美しい。ですが残念なことに、妃伽さん……あなたはまだ全く美しくありませんわ」


「よーしわかった。つまり喧嘩売ってンだな?雑魚の次は弱いってか。ならお前の美しさを私に教えて、見せてくれよ。その上で私はお前の美しさに泥ぶちまけてやっからよォ……ッ!」


「クロ様、お弟子さんをお借りしてもよろしくて?」


「はぁ……構わん」


「表出ろやエルグリット・ディ・アクセルロッド。決闘だ。そのお綺麗な顔にメリケン捻じ込んでやる」


「上には最上位の上が居るということ、僭越ながらわたくしがお教えいたしますわ。これも先達者としての務め……うふふ」




 エルグリットは微笑む。まるで鎖に繋がれた小型犬が余所者に懸命に吠えているのを眺めているが如く、微笑ましそうにしながら。こうして、彼女と妃伽の決闘が開始されたのである。


 ちなみに、スレッドとオーガスはどこから聞きつけたのか面白そうだという理由で観戦しに来た野次馬である。





















「──────あまりやり過ぎるな。度を超えた場合は、俺が止めに入る。いいな」


「わかりましたわ」


「おう」


「では──────始めろ」




「先手必勝でぶん殴って泣かすッ!!!!」




 妃伽は龍已の開始の合図がされた瞬間に駆け出した。姿勢を低くしてから脚の筋肉を存分に使い、ロケットスタートを成功させる。エルグリットは目を細め、妃伽の足の速さに驚いていた。元より抜群の身体能力を持つ妃伽は素の足の速さで100メートル10秒を切る。龍已との修業の成果により、今では6秒を切った。凄まじい俊足である。


 10メートルも離れていない両者の距離は一瞬にして詰められた。手に嵌めたメリケンのボタンは押さない。押せば打面がどこかを捉えた瞬間に爆発を起こしてしまうからだ。流石の特上位狩人でも人間だ。モンスターの硬い外皮を根刮ぎ吹き飛ばす爆発を受けて無事に済むことはないだろう。


 懐に入り込み、硬いメリケンを嵌めた拳を見舞う。やるからには全力だ。全力で拳を捻じ込んでやろうと遠慮なく振るった。しかしその拳は虚空を突いた。後ろに下がることで右ストレートを躱された。一撃目から当たるとは思っていない。当てるつもりはあるが当たるとは思っていないから、二撃目を打ち込んだ。しかしこれも当たらない。


 驚異的な身体能力を生かした、最初からのトップギア。両の拳による嵐は、エルグリットの微笑みと共に緩やかに躱される。素早い動きでもないのに、ゆったりと優雅に躱される。バトルドレスなこともあり、まるで踊っているようにも見える。ひらり、ひらりと風に吹かれる紙を殴ろうとしているような感覚、妃伽は殴打をやめて蹴りを脇腹に打ち込んでやろうと中断蹴りをしたが、それすらも躱された。




「避けてばっかでよォ……やり返してこいよッ!」


「うふふ。それではすぐに終わってしまいますわ」


「コイツ……ッ!!だったら──────こっちが終わらせてやるよオラァッ!!」




 2回、ボタンを押した。カートリッジに爆薬がセットされ、妃伽は真下の地面に向かって拳を叩きつけた。瞬間、爆発が起きて砂塵が巻き上がる。砂埃が煙幕の役割を果たし、視界状況が悪くなる。妃伽の姿も、エルグリットの姿もどちらも消えて、どちらからも見えない。


 エルグリットは腰に括り付けていた純白の鞭に手を当てているが、抜くことはない。頭の中は実に冷静に、鞭に触れていない方の手で真っ白なハンカチを手にして口元を覆う。さて何処に居るのか。耳を澄ませてみても音は聞こえない。必ず忍び寄ってくると思ったが、そうでもないらしい。


 どこから来るのか。そう思っていれば、また爆発が起きた。最初の爆発よりも弱い。つまりカートリッジの爆発1個分ということだ。それが連続で3回続いた。場所は別の場所3箇所で、エルグリットを囲うような形だ。煙幕を増やしたのか?そう考えるのが普通だ。そこを妃伽は突いた。




「全身血塗れになっても知らねーからなッ!!」


「まあ……そういうことでしたの」




 煙幕で近づくと思わせて、妃伽は砂塵の煙の中から遠距離で攻撃するつもりだった。爆発が3回起きたのは、いい感じの弾を作るため。背丈ほどの形に地面を捲り上げ、そこに向かって拳を叩きつける。すると爆発で石の礫が弾き飛ばされるのだ。直接殴りたいが、まずは動けなくさせるところから。直情的で大雑把に見えて、しっかりと考えている。


 エルグリットのバトルドレスは純白で、光を浴びると輝く。砂塵の中でも僅かな光を浴びることで位置を示していた。妃伽は僅かな光を頼りに彼女の居る位置を把握し、捲れ上がった地面の殴る角度を正確に測っていたのだ。そして、無数の石礫が彼女の元へ向かう。当たれば無傷では済まない。






 ランダムに飛来する無数の石礫を前に、エルグリットは特上位狩人としての力の片鱗を見せつけた。






 砂塵が晴れる。いや、。風に流れるだけの砂塵の煙幕が、何らかの方法で斬り裂かれて掻き消えた。砂塵が晴れると無傷のエルグリットが見える。石礫の1つでも当たった様子が無い。本人は口に当てていたハンカチを使って全身に付着した砂を叩いて落としている。


 そしてもう1つの手には、腰に付けられていた鞭が握られていた。純白のそれが使われたのは確か。しかしどうやって、広範囲を覆う砂塵を吹き飛ばしたのか。どうやってあの石礫の弾幕を凌いだのか。いや、疑問に思う必要は無いと妃伽は自己完結する。鞭を持っていて、無傷。ならば鞭を振って石礫を1つ残らず破壊し、砂塵も掻き消した。それだけで十分な情報だ。


 恐らく、鞭を使う手元は視認できるが、先端は無理だ。達人が使えば音速をも超えるとされる鞭の先端を見切るのはほぼ無理。妃伽はそれができる自信がなかった。だから、腕の振りから狙っている箇所を逆算して避ける。それでいくしかない。そう思った時には、妃伽の隣からバチンという叩きつける音が響いていた。




「……は?」


「わたくしは戦いながら踊るのです。優雅に、華麗に、そしてより強く美しく。単なる鞭だと思ってはいけませんわ。鞭は鞭でも鞭ですわ」


「……普通の鞭じゃねェだァ?そりゃそうだろうよ。じゃなきゃ──────叩きつけただけで地面に亀裂ができるかよ」




 チラリと隣下を見た妃伽は、ごくりと唾を飲み込んだ。全く見えなかった鞭の先端は地面に叩きつけられ、妃伽の位置から始まり向こう10メートル近くまで深い亀裂が入っていた。子供が足を滑らせて落ちれば大人の手を借りないと出て来れなくなるだろう深さに、何をどう使えば鞭でこんな芸当ができるのかと声を大にして言いたい。






 特上位狩人。4人しか居ない最強の狩人。その中でも唯一の女性であるエルグリット・ディ・アクセルロッドは、妃伽に実力差の現実を打ちつける。








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 エルグリット・ディ・アクセルロッド


 優雅に、踊るように戦うことで知られる狩人。全身の純白なバトルドレスには返り血すら浴びず、常に美しさを保ちモンスターを屠る。強い者ほど美しいという独自の思想があり、最も美しいのは黒い死神だというのが彼女の中での確定事項。


 モンスターとの戦いで鞭を使うのは世界広しと言えど彼女のみ。彼女の鞭捌きを前には、どんな宝石も霞むとされている。





 巌斎妃伽


 確かに自分はまだまだだが、下位のモンスターにやられる程弱くはないと思っている。自分ではそれに腹を立てていると思っているが、心の奥底では龍已に鍛えられているのにその程度の実力じゃないだろ!と、龍已の教えを軽く見られているような感覚に腹を立てている。




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