第43話  教えられていないこと






「──────ふんごォおぉ……ッ!?頭痛ェ……ッ!割れてないだろーな……?つか、なんでチョップした!?」


「油断するなと言っている。聞いているのか?」


「聞いてたって!だからサンキューって言ったじゃねェかっ!」


「話が繋がっていない」


「やめっ……ゲンコツ落とそうとすんなッ!?」




 必死に龍已の腕を掴んで拳を頭に落とされないように足掻いている妃伽を尻目に、椎名とヘレンは顔を俯かせていた。かなり危ない場面だった。危なく本当に全滅するかも知れないと思われる時に、思いがけないほど強い助けが入った。彼の助けの手がなければ、想像したくない光景が広がっていたことだろう。


 弟子とはいえ、あの黒い死神に軽口を叩いている妃伽にヒヤヒヤしながら、恐る恐る椎名が手を上げながら彼に近づいた。まずは助けてくれたことに感謝の言葉を送らなくてはならない。しかし上げた手が震える。命の恩人を前にして、何て失礼なことかと自覚しているが、強すぎるという理由だけで恐怖を抱かせる彼の前に隠し事など無意味だった。


 妃伽へ拳を落とそうとすることはやめて、龍已は感謝の言葉を口にしようとした椎名に黒い手袋をつけた手を見せて遮った。まるで、お前からの感謝の言葉など要らないと言われているようで、喉元まで出かかった言葉は、詰まりかけながら呑み込むしかなかった。出鼻を挫かれている椎名の前を通り過ぎ、龍已は吹き飛ばされてから動かなくなったバーバラの元へ向かった。


 その場でジッとしているのも違うと思い、椎名とヘレンは龍已のあとをついていく妃伽を追いかけた。彼は、倒れ込んで脇腹から血を大量に流しているバーバラの傍で膝をつくと、彼女が身につけている鎧に手を伸ばした。普通のガノックの突進にも耐えると言っていただけあって頑丈さはあるが、特殊個体のガノックの突進は受け止めきれていなかった。


 脇腹に穴が開いている。特殊個体のガノックの突進によるものだ。龍已は開いた穴の部分に手を掛けると、まるで紙を千切るように金属製のそれなりの分厚さがある鎧を引き千切り、傷の部分を露出させた。血が止めどなく流れ出ている。彼は懐から小さなバーナーを取り出すと点火し、傷口を焼き始めた。




「ふ……ゔッ……ぁ゙あ゙……ッ!」


「く、黒い死神……」


「傷口を焼いて応急処置をしている。黙っていろ。それよりも清潔な布を持っているならば出せ」


「あ、私が持ってるわ……これ使ってください」




 腰につけた小さなバッグから白い布を何枚か取り出して龍已に渡したヘレン。それを受け取ると指の力だけで布を易々と裂き、傷口を押さえるように巻いていった。ひしゃげた鎧の一部が傍に転がり、肉を焼いた臭いが鼻につく。バーバラの下着に気にも留めず、彼は応急処置をものの数秒で終わらせた。素早く適切な応急処置だった。


 残った鎧の一部と、筋肉質なことを加味しても100㎏近いバーバラを米俵を担ぐように抱き上げた。トレードマークの1つでもある大口径狙撃銃は背中に背負い、少し歩いて無雑作に突き刺さっているバーバラの大剣の柄を握り、凄まじい腕力で持ち上げた。あの怪力のバーバラでさえ、持ち上げるときは両手で握る得物を片腕のみで簡単に持ち上げる姿に、椎名達は唖然とした。




「この先に倉持がトラックを待機させている。他にも気絶した仲間が居るのだろう。連れて来い」


「は、はい!」


「そうだ、夏奈……っ!」




 負傷し、気絶してしまっている澁谷夏奈のことを思い出して、慌てて椎名とヘレンが駆け足で彼女の方へ向かっていった。それを一瞥することもなく、龍已は歩みを進めて待機させている倉持のトラックの元へ向かった。妃伽は夏奈を運ぶのを手伝い、遅れて彼の後に追いついた。


 倉持はまるで負傷者が居ることを知っていたように、トラックの後部の入口を開けて中に入れるようにしてくれていた。きっと龍已がタブレットで前もって連絡していたのだろう。ガノックの死体は後ほど回収するとして、今はバーバラの本格的な手当を必要としている。急いで街へ帰った方が良いだろう。


 トラックにバーバラを乗せて大剣を一緒に入れると、龍已はトラックから離れた。遅れて椎名達が気絶した夏奈を連れて来ながら乗り込み、トラックの入口が閉まり走り出す。妃伽も一緒に乗り込んでおり、仲間を心配そうにして見ている椎名達を眺め、良いチームだなとぼんやりと考えた。


 事の顛末として、椎名のチームはエルメストに到着した後、診療所の世話になった。夏奈は頭を強打したことによる脳震盪の気絶。及び左腕の完全骨折。バーバラは脇腹に深い穴が開いているため手術をした。命に別状はなく、応急処置がなければ危なかったとのこと。椎名は妃伽とガノックの攻撃を避けるときについた傷を手当てし、ヘレンは殆ど診てもらって傷薬を貰う程度だった。


 妃伽も診療所の先生から傷薬を塗ってもらい、ガーゼを当てて包帯を巻いてもらった。大した傷は負っていないので日常にも修業にも影響はなく、帰ったら予想以上の怪我に虎徹が驚いたものの、無事帰ってきたことを喜ばれた。そして、妃伽は後日である今、バーバラが入院する診療所にやって来ていた。




「おーっす。来たぜ」


「悪いな妃伽。アタシの方から行くってのが筋なんだろうが、先生が動くなってうるさくてよ」


「バーバラがどうしても妃伽ちゃんにお礼を言いたいって聞かないから、呼ばせてもらったんだ。ごめんね」


「いいってことよ。そんな気にすんな。私もバーバラの様態とか気になってたんだ。んま、バーバラだったら死なねーって思ってたけどな」


「おいおい。それは褒めてんのか?」


「大丈夫よ。心配はしてたけれど、私もバーバラが死ぬとは露程も思っていなかったもの」


「そりゃねーぜ」




 病室の皆が笑いあう。命あってこそのもの。本来なら全滅していたかも知れない危機だった。運が良いと言えば良いのか、椎名達は生き残った。重傷にこそなれど、これから狩人を続けていくことは可能だ。今はまだ活動は再開できないが、傷が治ればまたすぐに復帰することだろう。


 皆が笑顔で話して、温かい雰囲気から真面目なものに変わり、診療所のベッドの上で、バーバラは妃伽に頭を下げた。隣に居る、布で首から腕を吊っている夏奈も同じく頭を下げた。改まった行為に、妃伽は擽ったさを覚えて頭を上げてくれと言うが、彼女達がその言葉に従うことはなかった。




「これくらいはさせてくれ。……すまねぇ。上位狩人やってるクセに、モンスター斃しただけで油断しちまった。その油断がなけりゃ、もしかしたら防げたかも知れねぇってのによ。妃伽には迷惑を掛けた。だから、悪かった!」


「私もごめんっす!ほとんど気絶して、皆に迷惑を掛けて……妃さんにもめっちゃ大変な思いをさせたっす!」


「だーから、いいっつってんだろ。てか、私1人じゃどうしようもなかったし、最後に関しちゃ私じゃなくて師匠だろ。礼なら師匠に言ってくれよ。私はもういいって」


「あー……黒い死神には……ちょっとね?」


「恐いってか?恐いことなんてねーぞ?みんな勘違いしてんだよ」


「いやでも恐いものは恐いし……特にお礼とか全く受け取らないことで有名だもん。受け取るのは報酬だけ……ていうか、お礼言おうとしても相手にしてくれないよ。私達みたいなのは」


「はぁ?無視してんのかよ。おーし分かった。今呼びつけてやる」


「ごめんそれはやめて??」




 タブレットを取り出して呼びつけようとする妃伽に、椎名は冷や汗を流した笑顔で必死に止める。あの黒い死神を、お礼を言いたいからという理由で呼ぶなんて畏れ多すぎて胃に穴が開いてしまう。そんなことをされたら最後、椎名はバーバラよりも重傷になることだろう。


 必死な様子に、そこまで言うなら……と引き下がった妃伽。ホッとした様子で安堵する様子に、何とも言えない複雑な気持ちになった。自分を含めて彼女達を救ったのは、黒い死神の彼だ。彼は別の依頼で来ていたようだが、それでも助けられたものは助けられた。居なかったら危なかったのも事実。


 何も恐いことはしていない。目前まで迫ったガノックを撃ち殺し、1番重傷のバーバラの応急処置を行い、重い彼女を率先してトラックのところまで運んでくれた。そもそも、そのトラックだって予め呼んでおいてくれたのだ。帰路の途中でも、彼は護衛をして安全を保ってくれていた。何から何まで無言でやってくれた。だからお礼は是非とも本人に言って欲しかったのだが、そうもいかないらしい。


 弟子だからなのか、基本毎日のように顔を合わせているからか、はたまた彼の素顔を知っているからなのか、妃伽は彼を恐いとは思わない。むしろ優しい大人の男といった印象だ。しかし長年最強に君臨しているからなのか、同じ人間である狩人や一般人からも恐れられている彼。妃伽はそれが嫌だった。


 だが、今ここで優しいから恐くないと言ったところで、恐いと思っている彼女達の心を改めさせることはできないだろう。これから、これから彼の良さを自分が教えて恐怖心を拭ってやろう。そしていつか、彼の良さを分かってもらおうと画策した。




「はぁ……にしても、私達の所為で今回の“あれ”は見送りかァ?」


「当然っすよ。行ってできることなんて壁かエサくらいっす」


「まあ、仕方ないわよ。諦めましょ。前回はお呼ばれしたのだから、次回はきっと呼んでもらえるわ」


「そうそう。命あってこそなんだから」


「なー。“あれ”ってなんだ?何かあんのか?」


「妃伽ちゃん『大侵攻だいしんこう』を知らないの?」


「何だそりゃ」




 首を傾げている妃伽に、驚きを露わにする椎名一行。黒い死神の弟子なのだから、そのくらいのことは教えられているものだと思っていた。知っていて当然という訳ではない。新人狩人であれば、“時期”が来れば集会場に招集を掛けられて、事のことを教えられる筈なのだから。つまり、その“時期”が来ていないことが理由で知らない狩人も居る。


 椎名達が驚いているのは、何も教えられていない妃伽に対してであり、教えている様子の無い黒い死神についてでもある。椎名は分かりやすいように、『大侵攻』とは何かを彼女に教える。少しずつ瞠目させていく妃伽に、やはり何も教えていないのだと察した。


















「──────うおォい師匠ッ!!」


「……何だ。騒がしい」


「どうしたの?妃伽ちゃん」




 昼間の開店していない虎徹の店に、妃伽は駆け込んできた。今日は虎徹と何やら話があるからと、朝から普通の龍已として店に来ていた彼に、妃伽は詰め寄る。躙り寄る彼女に、手を前に出して制止する。何の話か判らないが、取り敢えず落ち着けと言われて深呼吸をする。


 それから、妃伽は行儀悪くも龍已を指差した。大事なことを何も言ってくれていないことを責めているのか、彼女の目つきはいつもより鋭く、気配からして起こっていることは明らかだった。龍已は虎徹との話を区切り、はぁ……と溜め息を吐きながら椅子を回して体の向きを変える。正面から対峙する龍已に、妃伽は叫ぶように糾弾した。




「椎名から聞いたぞッ!なんで『大侵攻』なんて大事なこと教えねェッ!」


「あぁ……他の人から聞いたんだね」


「虎徹さんも知ってただろ!なんで教えてくんねーンだよ!」


「内容は理解しているだろうが、言ったところでお前に関係のある事だとでも?」


「そ、それは……」




 椎名から聞かされた『大侵攻』とは、ある都市に対して2年に1度夥しい数のモンスターが襲い掛かることを言う。何故、その都市を狙うのかは解っておらず、2年に1度という頻度についても不明。解っていることは、その大侵攻では、数多くの狩人が狩人協会からの招集により集められるということだ。


 誰でも行ける訳ではない。確かに都市に対するモンスターの侵攻は恐ろしいが、そちらにばかり気を取られていると今各々が居る場所に狩人が居なくなり、守りが手薄になる。大侵攻だからとモンスターが全て集結する訳でもなく、不定期に町や村は襲われる。全員が行ってはならないのだ。


 そこで、狩人協会が独自に大侵攻が起こる都市へ招集する狩人を選別し、声を掛けるのだ。その招集する基準の中に、ここ最近で狩人になったばかりのものは招集されないとされている。それは、大侵攻が人間側に大きな損失を生むからだ。つまり、人が大勢死ぬことになる。最上位狩人でも容易く死ぬ大侵攻に、新人は連れて行けない。故に妃伽には関係無いことだった。


 だが、ここまでは椎名から説明された内容だ。妃伽は龍已に教えてくれていないことに対する文句を言うために飛びだしてきたため、という部分を聞いていない。龍已に言われて、自分は今回の大侵攻に一切関与しないものと思い込んでいるが、実際は違う。




狩人になったばかりのお前には関係無い話だった。が、お前は俺の弟子だ。関係無い訳がない」


「えぇっ……と、つまり?」


「『大侵攻』はお前も参加する。俺の弟子として。一月後、この街を発ち1週間以上掛け──────中央大都市メディウムへ向かう」


「マジかよ……」


「龍已の武器のメンテナンス要員として、僕も一緒に行くからよろしくね?」


「マジかよ……」


生き残れるだろう。精々頑張るといい」


「マジかよ……」


「ふふ。すごいんだよ?なんたって、世界でたった4人しか居ない“特上位狩人”が同じ場所に集まるんだから」


「マジかよッ!?」




 謎だった特上位狩人。言わなかっただけで、なんとなく龍已が特上位狩人であることは知っていた妃伽。しかし、残る3人がどんな者達なのか全く知らない。狩人の中でも最強のくらいである特上位に君臨する者達の、龍已を除いた3人。特徴も何も不明な彼女にとって、実際に目にできるという機会は願ってもないことだった。


 出発は一月後。夥しいモンスターから大都市を守るという目的のため、多くの狩人が集められる大侵攻。妃伽はその戦いに身を投じる事となる。となれば、死ぬ確率は今までの比ではない。最上位ですら容易く死ぬような戦いだ。それならばと、妃伽はこれまでより気合いを入れて残りの期間修業をしなければならない。


 そして彼女は知らない。特上位狩人という者達がどれだけ強いのか。人類をモンスターから守る最終防壁。殲滅者。モンスターに対するモンスター。怪物。超越者。四天王。呼び方は幾らでもある。だが共通する呼び方があった。







 人は彼等を──────人類の守護者と呼ぶ。







 ──────────────────



 大侵攻


 モンスターが2年に1度という頻度で夥しい数が押し寄せる現象のこと。何故大都市を狙うのか。何故2年に1度なのかは判明していない。


 狩人協会は他の守りが手薄にならないよう、誰が大都市に向かいモンスターと戦うか選んでいる。狩人カードに通知が来るため、狩人の中では死の宣告とも言われている。





 中央大都市メディウム


 龍已達狩人が特に守っている街や都市の中央に位置しており、最も面積が広い。モンスターが襲ってくることは殆ど無く平和な大都市ではあるが、2年に1度大侵攻に見舞われる。


 この大侵攻時に、4人しか居ない特上位狩人が集まるということで、それを一目でも見ようと観光客が集まるという現象がある。モンスターから守る人が増えるという矛盾が発生するが、これまで大侵攻で大都市に被害があったことはない。





 人類の守護者


 世界に4人しか居ないという最強の狩人達のこと。その強さは人類でも最高レベルであり、4人それぞれが単独での特上位モンスターの狩猟を経験している。


 一騎当千。1人でモンスター1万体は狩猟すると言われているが、それが真実かは定かではない。





 巌斎妃伽


 黒い死神にお礼を言おうとしても相手にしてもらえないからという理由で、椎名達からお礼を言われた。戦い、作戦を立案してくれたことにも感謝されていて擽ったさを感じたが、龍已のことは恐がらないで欲しいと思った。


 狩人登録を済ませたばかりなので大侵攻には本来参加できない立場なのだが、黒い死神の弟子ということで特別参加を許される。後日、狩人カードの方に通知が来た。





 黒圓龍已


 寸前になったら大侵攻について教えようと思っていた。それまでは普通に修業をさせるつもりだった。大侵攻の事を教えて変な修業の身の入り方をされたら困るため。だが、修業を無理のないよう全力で取り組むのを見て、教えても良かったのかと考え直した。


 助けられる範囲ならば狩人を助けるが、お礼は受け取らない。怯えられていることも恐れられていることも理解しているので、そんな相手にお礼を言われても嬉しくもなんともないため。怯えていないとしても、別に改まった礼は受け取らない。




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