第42話  油断禁物






「──────え?4、5本ガノックに向けてってほしい?」


「おう。ちょっと確認したくてよ」


「何か思いついたの?」


「その為の確認だ。頼んだぜ」




 赤い線が入った特殊な個体のガノック。動きが凄まじいほど速く、矢で狙い当てるどころか目で動きを捉えるのも難しい。普通のガノックよりも一線を画した速度を出して突進してくるので、正面から受け止めれば体に穴が開いてもおかしくはない。事実、夏奈は少し当たった程度で腕が折れている。


 今生きているのは、妃伽達のことをガノックが観察しているからだ。昆虫系のモンスターなのに、慎重な性格なのが幸いした。これで血の気の多いタイプだったら今頃、彼女達は全滅していてもおかしくない。それだけの個体であった。


 椎名は妃伽に、あのガノックに向かって矢を数本射ってくれと言われている。理由は分からないが、殺虫効果のある爆煙が出る矢ではなく、普通の矢でいいとのこと。リーダーなのに特殊個体のガノックを狩猟する手立てが思い浮かばない事に罪悪感を感じながら、心のどこかでは黒い死神の弟子である妃伽の考えに期待をしていた。


 年下で、それも狩人になったばかりの新人だというのに、期待を寄せてこの現状をどうにかして欲しいと寄り掛かってしまっている。情けないと思う。不甲斐ないと思う。だからこそ、自身にできることは十分以上に熟したいと思った。


 弓に番われた普通の矢は、飛んでいるガノックに向けて放たれる。1本。2本と立て続けに向けられるが、そのどれもを左右に最小限の動きで避けていく。当たることはなく、ただ矢の残り本数を消費しただけ。これでいいのかと妃伽の方を見ると、彼女は満足げな表情をしてからニヒルな笑みを浮かべた。




「おっしゃ。完璧だぜ。あとは……おいバーバラ!」


「どうした!」


「ちょっとさァ……土遊びしてくれよ」


「土遊びィ?」


「そうそう。あの虫の注意は私と椎名で引いておくからよ、ヘレンと一緒に頼むぜ」


「私にも土遊びをしろっていうのかしら」


「掘れそうな武器持って動けんのバーバラとヘレンしか居ねェからな。頼んだ。あー、こんな感じに掘ってくれよ。できるだけ早くな」


「もう、狩人使いが荒い新人ね。けどいいわ。巌斎さんの案だもの。しっかりやり遂げてみせるわ」


「アタシも構わねぇよ!」


「じゃあ、作戦開始ってことで」




 バーバラとヘレンが瓦礫の山の方へ姿を消し、夏奈は大きな瓦礫の後ろに寝かせて待機させている。ガノックを相手にするのは椎名と妃伽のみ。彼女達だけで突進をどうにか躱しながら、バーバラ達の方へヘイトが向かないようにしなければならない。


 妃伽はしゃがんで石を手に取ると、上で飛んでいるガノックに向けて投げつけた。近くには飛んで行ったが当たらず、だが注意を引くことはできた。バーバラ達の方を見ようとして体の方向を変えようとしていたガノックは、妃伽と椎名の方へ向き直った。


 いつでも撃てるのだという姿勢を見せるために、弓に矢を番えてガノックに向ける椎名と、石を拾って全力で投げつける妃伽に、ガノックは体を向けて観察しながら沈黙する。動き出したと思った時には避けないと、頭頂部の鋭い先端に串刺しにされる。そしてそれを、バーバラとヘレンが作戦通りの事をし終えるまで継続しないといけない。




「──────ッく……ッ!!」


「妃伽ちゃん!」


「掠っただけだ!問題ねェ!」




 突然の突進に妃伽が反応した。狙われ、突っ込んでくるガノックに大袈裟なくらい横へ回避行動をとる。真面に受けることは避けたものの、ガノックの鋭い頭頂部が脇腹を掠ってしまい服が裂けて血が流れ出る。服が赤黒い染みを作っていくのを見て、椎名が叫ぶように安否を確認するのに、妃伽は問題ないと答えた。


 次に狙われたのは椎名だった。妃伽と同様転がって横に回避行動を取るが、足に掠ってしまう。脹ら脛の外側に切り傷ができて血が流れた。流石に速い。まるで弾丸のような速度で迫ってくる。今はなんとか避けられているが、回避にも体力は使う。ましてやバーバラ達の方へ向かないように石を投げたりしているので、ヘイト管理と合わせて余計に神経を磨り減らす。


 突進の頻度はそう高くない。だが確実に傷が増えていく。妃伽と椎名は腕や脚、脇腹に切り傷が作られていき、血が流れる。これ以上無駄に血を流すと出血多量で気絶してしまう。目眩が起きたらこのあとに支障が出る。早く、早く終わってくれと必死に避け続ける中で、妃伽と椎名が待ち望んだ声が聞こえた。




「悪ぃ!遅くなった!完成したぜ!」


「バーバラが控えてるわ!椎名と巌斎さんは所定の位置に!」


「はぁ……はぁ……おう……っ!頼んだぜバーバラ!」


「ごめんねバーバラ!」


「なァに。アタシにこそ相応しい役目じゃねぇか!」




 妃伽と椎名はバーバラ達の“完成した”という報せを聞いて行動に出た。向かうのは2人が消えていった瓦礫の山。そこには逆Vの字に彫られた数メートルの溝がある。端には妃伽と椎名が配置される。バーバラは溝の中間ほどの位置で大剣を構えている。


 姿勢を低くして程良い大きさの岩の後ろに隠れながら妃伽達はその場で待機し、バーバラは大きな声を張り上げてガノックを誘き寄せる。ヘレンも夏奈や妃伽達同様に身を隠せるだけの大きさをした瓦礫の後ろに隠れ、成り行きを見守っている。誘き寄せるバーバラだけがガノックの目に止まり、標的になる。


 暫く見ていただけのガノックだが、あの弾丸のような速度で動き出した。赤い軌跡を描いて飛び、バーバラへ向かって突進する。彼女は来たと確信した瞬間に、構えていた大剣を盾に使うよう腹の部分を向けた。数瞬後には金属同士をぶつけたような音が響き、バーバラの体は後方へ吹き飛ばされ、大剣が宙を舞う。そしてその瞬間、椎名が体を岩の陰から出して矢を放った。


 矢は白い煙を放ちながら、バーバラを吹き飛ばすことに成功したがその場で止ざるを得なくなったガノックの頭上を通り、殺虫効果のある煙の天井を作り上げた。ガノックが居るのは逆V字の溝。そして上には殺虫効果のある煙。進めるのは一直線のみ。そこから椎名と妃伽が交代した。


 対峙するガノックと妃伽。素早い動きで動かれるならば、動けなくすればいい。単純な話だ。しかし懸念があるはずだ。あれだけ早く動けるガノックが、殺虫効果のある煙で蓋をされる前に飛んで逃げるという手段を取るという懸念材料が。だが妃伽はその線を考えなかった。何故なら、気づいたからだ。




「お前、動き始めるとき──────平行方向にしか動けねェんだろ。椎名の矢を避けるとき、上と下もあるのに1回も避けなかったもんなァ?上昇と下降は苦手ってか?大助かりだッ!」




 椎名に余計に矢を射ってもらったのは、どの方向に向かって避けるかを見定めたかったからだ。それと確認。地面と平行する方向にしか避けないのは、ただ避けないのか避けられないのかを知りたかったからだ。虫の羽で、1秒間に数十回羽ばたいて飛んでいるガノックにとって、その場での上昇と下降を瞬時に行うのが難しかった。


 上下に動くことができるのは、飛行中のみ。進行方向に向かって飛びながら上や下に方向を変える。それ以外で上下に飛ぶのは難しかった。それを妃伽は見抜き、この陣形を提案した。誘き寄せるためにバーバラには殿をしてもらう必要があったが、彼女の身につけた鎧と大剣があれば、受け止められると言ってくれたからこその作戦だった。


 バーバラはガノックをその場に固定させるために、できるだけ衝撃を受け止めて後方に吹き飛ばされ、距離を取ったら溝から脱出する。残るは妃伽とガノックの一騎討ち。殺虫効果のある煙が晴れてしまわない内に勝負を決める。睨み合う両者。固唾を呑む椎名達。これで仕留められなければ学習されて同じ手が通じない。一瞬静寂が訪れ……妃伽の咆哮が静寂を破った。




「来いよ虫ケラッ!私と勝負だッ!命を賭けたなァッ!!」


「……──────ッ!!」


「──────ッしゃオラァッ!!!!」




 3回分の爆発。周囲の大気を震動させるだけの爆発が起こる。ガノックが動き出したと感じた瞬間に妃伽は……隠れていた岩に向かってメリケンを嵌めた拳を叩きつけた。3回分の爆発は、彼女が勘で設定した威力だ。粉々になりすぎず、岩を破壊できて尚且つ、破片を前方に飛ばせるだけの威力。


 勘は見事的中し、メリケンを叩きつけた岩は爆発の威力により破壊され、破片を衝撃で撒き散らす。それはさながら散弾のようで、妃伽に向かって突進したガノックの体に叩きつけられた。破片がめり込み、羽を貫き、突進した速度のまま落ちて地面に頭頂部の尖端を突き刺してしまい、藻掻く。


 身動きが取れなくなったガノックはまさに隙だらけの状態。ヘレンは隠れていた物陰より現れて槍を構え、上から勢い良く体に突き刺した。鋭い槍は体を貫通させて地面に縫い付ける。ガノックの体液が流れ甲高い絶叫を上げた時、ガノックに影が落ちる。正体は、吹き飛ばされた大剣を回収してきたバーバラだった。彼女は跳び上がり、重量のある大剣を力の限り振り下ろした。




「これで終わりだガノックッ!!」


「やってバーバラっ!!」


「──────うおォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」




 雄叫びを上げて落下しながらの、重量ある大剣の振り下ろしは槍に貫かれて地面に縫い付けられたガノックの頭の付け根に当たる部分を捉えた。体を泣き別れさせる渾身の一撃。それはさながらギロチンのように叩き込まれ、ガノックの頭は体から斬り離された。大剣は勢い余って地面にめり込み、その威力で頭は転がっていった。


 ごろりと転がってから止まり、体液を噴き出す体。虫系は死後にも動く可能性があるため、ヘレンは槍を体に突き刺したままにしておき、バーバラは二撃目をその体に叩きつけた。縦から無理矢理両断された体は脚を痙攣させるだけ。羽は岩の破片の散弾により穴が開いて飛べない。いや、そもそも体が真っ二つなのだから飛ぶことなど不可能だ。この瞬間、妃伽達は特殊個体ガノックの狩猟に成功した。




「はは……やったぜ……上手くいったッ!!っしゃーッ!!よしよしっ!よっしっ!!」


「すごいよ妃伽ちゃん!」


「ぇぐふっ……っ!?」


「やったわね巌斎さん。あなたのお陰で特殊個体のガノックを狩猟できたわ。ありがとう」


「だははははははッ!やったな妃伽ッ!お手柄だッ!来い、アタシが抱き締めてやるよッ!」


「おい……っ!椎名とヘレンごと抱き締めんなっ!暑ぃだろうがっ!……っぷ。はははっ!」


「ふふふ。あははははははっ!」


「ふふ。もう、バーバラったら」




 感極まった椎名が妃伽に抱きつき、ヘレンが穏やかに笑いながら2人の傍に近づき、やって来たバーバラが3人ごと大きな体を使って強く抱き締めた。緊張から掻いた汗や流した血、吹き飛ばされて転がった際についた瓦礫や土の匂いに、爆発の時の硝煙の香りが混じり何とも言えない臭いが4人を包むが、彼女達は気にした様子もなく抱き締め合って喜びを分かち合い、笑った。


 力が強いバーバラに痛いと訴えて離してもらい、妃伽は勇気と作戦立案を讃えられて、バーバラに背中を良くやったと言いながらばしりと叩かれ、椎名にはお礼を言われ、ヘレンは握手を求めてきたので応じた。一時は死ぬかもと思ったが、冷静になれという師匠である龍已の言葉が頭によぎり、慌てることなく行動に移せた。


 狩人となって初めての狩猟は、始めこそ順調に進み終わりかと思われたが、途中からガノックに襲われ、中にはあまり見ない特殊個体が混ざっていた。激しい戦いであり、1名大きく負傷したが命に別状は無い。この戦いは狩人である妃伽達の勝利だ。




 ──────その油断は、バーバラが横合いから吹き飛ばされたことで自覚することとなる。




「……え?」


「バーバラ……?」


「──────ッ!?みんな構えてッ!特殊個体のガノックは……もう1体居たッ!!」




 バーバラが身につけていた鎧が砕け散り、破片が宙を舞う。少なくない血と共に。特殊個体のガノックの速度で、無防備な状態を横から突っ込まれた。上半身と下半身に別れていないのが救いなのか、吹き飛ばされてしまい生死が判らないことに嘆くべきなのか。妃伽は呆然としたが、椎名の鋭い声にハッとして拳を構える。


 1番重量があるバーバラを簡単に吹っ飛ばしておきながら速度は殆ど止まらず、現れた同じ赤い線の入ったガノックは空中にて止まり妃伽達を見下ろす。狩猟したガノックとほぼ同じ大きさだが、速度は現れた方が速い。溝を使った攻撃は、恐らくこのガノックに見られていた。つまりもう同じ手には掛からない。


 夏奈は気絶したまま。バーバラは血を流して動かない。残るは妃伽とヘレン。椎名だけだった。3人で、また特殊個体のガノックを狩猟しなければならない。しかも、妃伽と椎名は傷だらけで血もそれなりに流している。激しく動いたら余計に血が流れて出血多量になる。ヘレンだけでは武器の相性的に不利だ。どうすればいいのか、そう考える暇もなく特殊個体ガノックは凄まじい速度で動き出した。


 進行方向が出鱈目の動きで空中を飛び回り速度を上げる。見えるのは赤い線から出る軌跡のみ。あの速度で突っ込まれたら確実に死ぬと悟れる速度で、避けるのは絶望的と言える。冷や汗が3人の額に流れ、ぽたりと地面に落ちる。これは絶体絶命だ。そう3人の頭の中で意見が一致した瞬間……ガノックが3人に向かって来た。


 突然の襲来。身構えて、避けるために意識していたにも拘わらず、3人の反射よりもガノックの速度が凌駕した。もうガノックは突っ込んでくる。回避行動は間に合わない。3人諸共か、1人が即死か。2人が重傷か。その選択肢が頭に過り、走馬灯が走ろうとした瞬間……妃伽達に到達する寸前でガノックは横からの攻撃に進行方向がずれ、締めに向かって叩き落とされた。


 え?と思う暇もなく、訪れるのは爆発のような銃声。耳を劈く爆音に、椎名とヘレンはびくりと体を震わせた。しかし妃伽だけは目を瞠目させ、勢い良く振り返る。そこには自分達より高い瓦礫の山の上から、煙が銃口から出ている大口径狙撃銃を肩に掛けてこちらを見ている黒いフード付きローブを身に纏った存在が居た。




「──────師匠ッ!」


「ぁ……く、黒い死神……?」


「助……かったの……?」




「──────帰還するまで油断するなと何度も言った筈だ。特殊個体は珍しいが、1体居れば他にも居る可能性があると考えろ。外は常に命を脅かす死地。狩人を続けるならば忘れるな」




 最強の狩人。黒い死神。モンスターを必ず狩り殺す黒き殲滅者。妃伽の師匠でもある龍已は、瓦礫の山から降りてきて彼女達の前まで来ると、そう告げた。声色は冷たく、纏う雰囲気は冷徹で圧倒される。どこまでも黒いその姿に、椎名とヘレンは体に力が入ってしまい俯いてしまう。




「あのガノックの速度を横から狙撃とか、流石は黒い死神!取り敢えず助かったわ!サンキューマジで!」


「はぁ……」




 そういう反応はもう慣れてしまい、一切気にしていない龍已は、キラキラとした目を向けながらお礼を言ってくる妃伽に溜め息を吐きながら、危ないところだったことを自覚しろという意味を込めて、頭に手刀を落としたのだった。








 ──────────────────



 バーバラ・モリス、ヘレン・パイル


 2人は瓦礫を掘って逆Vの字を作るのが仕事だった。バーバラが大剣で堀り、邪魔な岩などがあればヘレンの槍で砕くといった具合に溝を作っていった。


 バーバラは横から特殊個体ガノックに突進されて重傷。意識を手放しているものの生きてはいる。だがこのまま時間が経つと死ぬ危険があり。





 澁谷夏奈


 まだ気絶している。腕は完全に折れてしまい、完全に治るまでは狩人の仕事を休むことは確定している。





 奏椎名


 まさか特殊個体ガノックがもう1体居るとは思わなかった。割と本気でここで死ぬかも知れないと思っていた。黒い死神に助けられたが、雰囲気と覇気に当てられて怯えている。





 巌斎妃伽


 ガノックを狩猟するための作戦を思いついたMVP。初動は平行移動しかできないことを察して、溝を作り、上に逃げようとしても殺虫効果の煙で逃げられないようにした。真っ直ぐにしか進ませないようにし、岩の散弾で仕留めるというのが作戦。


 龍已が来なければかなり危なかったことを自覚しているが、助けに来てくれたことに感激している。頭に落とされた手刀は痛くて涙目になった。





 黒圓龍已


 凄まじい速度で動くガノックが最高速度に到達しているのを横から狙撃できる存在。大口径狙撃銃の威力で、ガノックには大きな風穴が開いているため一撃で仕留めた。


 なんとなく嫌な予感がした後に、特殊個体のガノックを見たので狩猟して欲しいという依頼が出たことを知り、現場に向かったところ襲われているところなので助けに入った。



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