第36話 贈り物
「さてと……今日の仕込みは終わりっ。後はどうしようかな……」
天切虎徹。絶世の美女のような見た目をした成人男性であり、1つのBarを持つ。会員制で隠れた名店。黒い死神が好んで利用すると噂されている。彼の作る料理を求めて来たり、落ち着いた雰囲気のある店に訪れたくて来る者達。しかしそんな彼等でも知らない。彼の裏の顔を。
狩戦街エルメスト。数多くの狩人が集まる街であり、それに比例して多くのモンスターが周囲に棲み着いている。この街で最強の狩人、黒い死神を知らぬ者は居ない。居たとしたら、相当な世間知らずだろう。そんな狩人の武器を1から手掛けて造っているのが天切虎徹という人物だ。他にも個人で所有する山から採れる鉱石の売買などをしている。
スプーン1杯分の量で村1つならば跡形も無く消し飛ばせる破壊力を持つ爆発物を、死後に於いても生成し続けるモンスターから粉の部分を採取し、新たな爆薬を作り出すという、物作りについて天才的な才能を持つ。その腕前は黒い死神が全幅の信頼を寄せている時点でお察しだろう。
こんな彼は、明るい内から夜に開店する店の仕込みを終わらせる。早めにやったので夕方少し前頃には終わり、手持ち無沙汰になった。タブレットを取り出して時間を確認し、アプリをタッチしてグラフを表示する。店の売り上げや山から採れる鉱石の売買での売り上げなどが一目で解るように、自分用に作ったアプリだ。
特に何も無く、いつも通り故に特に決まった事はしない。やることが無いというのもあれなので、地下に行って龍已と妃伽の武器の弾やアタッチメントのストックでも造ろうかなと思い、カウンターの裏の床にある隠し扉に触れて生体認証をしようとするタイミングその時に店の扉が開いてベルが鳴った。この時間は閉まっていてClauseの看板が出ている。なのに入ってくる者と言ったら限られる。
「帰ったぜ天切さん!」
「おかえり巌斎さん。思ったよりも早かったね?」
「まあな!夜まで椎名と遊んでも良いんだけどよ、明日依頼あるって言うから切り上げた!」
「そっか。まだ晩ご飯には早いね……どうする?ケーキでも作ろうか?」
「それは食いてーけど、その前にコレだ!ほれ!」
「うん?」
出掛けていた妃伽が帰ってきた。思ったよりも早い帰宅に、虎徹は内心首を傾げていた。椎名という女狩人が友達になったと話してくれているので存在は知っている。同じ女同士だからこそ盛り上がる話などがあるだろう。女の買い物は長いと言うし、てっきり暗くなるまでは遊んでいるものだと思い込んでいた。
聞いてみれば、明日は椎名に依頼があるのだという。恐らくチームで行くと決めているのだろう。それなら早めに帰って明日に備えるのも基本だ。妃伽は休むことも大切であることを教えられているから、早めに切り上げることを勧めたのだろう。優しい子だなと思っていると、妃伽が何かを差し出してきた。
反射的に受け取ったそれは、プレゼント用の包装がされた箱だった。ご丁寧にリボンまで付けられている。このタイミングで渡されたのに自身宛ではないなんて有り得ない。なので虎徹は妃伽の方を見て開けてみても?と許可を求めた。彼女は頷いた。早く開けてくれと。リボンを外して包装を破かないように丁寧に広げてみると、有名な化粧品メーカーのロゴが見えた。
薄ピンク色の箱に金色の文字が書かれている。読んでみるとハンドクリームと買いてあった。リボンと包装はカウンターに置いて、箱を掴んで開けてみる。クリームが入ったチューブが2つ入っている。開けたときに香る匂いはとても良いものだ。一嗅ぎで高級だと分かる。
箱を置いて、チューブを1つ手に取る。蓋を捻って開けて中身を掌に押し出して、両手に塗り込む。さらりとした肌触りで、触れると
「すぅーっ……はぁ……すっごい良い香り。どうしたの?これ。有名ブランドだし、高かったでしょう?」
「値段はいいんだよ。これは……その、いつも世話になってるから、その感謝の気持ちっつーか、ありがと……みたいな?ほら、天切さん料理とかしてるし、洗い物もやってて水触るだろ?偶に手を擦ってたりするからさ、ハンドクリームが良いんじゃねェかって。天切さんの綺麗な手、私好きだから」
「……はは。よく見てるね。ありがとう。本当に嬉しいよ。……あーもうダメだなぁ。歳をとると涙脆くなっちゃって。ふふ……っ」
「なっ!?泣くほどかっ!?」
「いきなりだったからね。何の心構えも無しにされたら、涙の1つや2つ溢しちゃうよ。ホント、良い子だね」
「うっ……ま、まあ喜んでくれたならいいんだよ。うん」
「ふふっ。大事に使わせてもらうね、
「……っ!おう!これからもよろしくな、虎徹さん!」
両手を胸の前で握り込みながら、目の端よりきらりとした涙の粒を溢す虎徹。喜んでくれるだろうとは思っていたが、まさか涙を流すほど感動してくれるとは思いもしなかった妃伽は面を食らった。涙を指で軽く拭いながら、嬉しそうに微笑む虎徹は美しく、面と向かってそこまで嬉しそうにされながらお礼を言われると照れてしまう妃伽。
顔を逸らしつつ頬を掻く妃伽は少し赤い。照れているのだろう。虎徹は1本のチューブは箱に入れたまま蓋を閉め、使ったチューブはポケットの中に大切そうに入れた。使うのがもったいなく感じてしまうが、折角の贈り物なので使わせてもらおう。虎徹はポケットの上からハンドクリームを撫でて、胸に広がるじんわりとした温かさを享受した。
「あ、それとさ。私新しく
「そうなんだ。これで連絡取れるね……あれ?それ、龍已が使ってるやつだよね?しかも最新機種の」
「あー……まあ、その内私も狩人になるし、最強の狩人が使ってるやつなら確実だろうと思ってよ」
「クスクス。えー?本当かなー?僕的にはそれだけが理由じゃない気がするなー?」
「……なんでだよ」
「ん?だって妃伽ちゃん、龍已のこと大好きだもん。そりゃあ、お揃いのやつ欲しいよねって」
「ばっ!?違ーよっ!そういう理由なんてこれっぽっちも……っ!おいニヤニヤすんなっ!やめろっ!あ゙ーもうっ!虎徹さんなんて嫌いだっ!ハンドクリーム返せっ!」
「ふふふっ……だーめ。いくら妃伽ちゃんでもこれは渡せないな。僕の大切な宝物だからね」
「……っ」
「顔真っ赤だよ?その可愛い反応は本命にとっておかないと」
「~~~~~~~~~ッ!!!!虎徹さんのバーカッ!!」
顔を赤くした妃伽が、堪えきれなくなって吹き出して笑う虎徹を追い掛ける。互いに本気ではないじゃれ合いだからこそ、2人は少しの間そうやって鬼ごっこをして笑いあった。2人の距離は縮まった。より仲を深められたことに、妃伽は人知れずガッツポーズをして喜びを露わにした。
「──────じゃあお疲れ様っした!黒の旦那!」
「あぁ。また頼む」
「お安い御用ですって!何かあったら何でも言ってくださいよ!」
「その時は連絡する」
「了解っす!」
龍已の専属サポーターである倉持に乗ってきたバイクを預けて街の中へ入る。帰ってきた彼に目を向けると、そそくさとその場から去る住人や、目を背ける狩人。待ちを守る1番の功労者ではあるものの、黒い死神というのは触れるべからず……というアンタッチャブルな存在と言える。
こんな反応はもう慣れた。今では気にしてすらいない。いちいち反応していたら切りがないのだ。龍已はタブレットを取り出して着ていたメッセージを見る。差出人は天切虎徹からだった。メールで、帰ってきたら早めに見せに来て欲しいという胸が綴られていた。何かあったのかと思いながら駆け出し、まだClauseになっている彼の店へと入った。
鍵は掛けられておらず、引けば簡単に開く。いつものベルが来訪を報せる。音を聞いて、カウンター裏でグラスを磨いていた虎徹が顔を上げ、ニッコリと笑みを浮かべて出迎えた。虎徹の気配と雰囲気から、特に危険性のある内容ではないことを察した。そこまで急いで来る必要もなかったかと思いながら、龍已はカウンターに座りつつフードを後ろにやって顔を晒した。
「おかえり。今回の依頼はどうだった?」
「違った」
「だよね」
「それより、用件はなんだ。依頼か?」
「あ、ごめんね。ちょっと言葉足らずで急がせちゃったかな?依頼でもないし危険性のあるものでもないないから大丈夫だよ。ゆっくりしてて。用件は僕じゃなくて妃伽ちゃんの方だから」
「巌斎が……?」
「内容は秘密だよ。お楽しみにってね。妃伽ちゃーん!龍已帰ってきたよー!」
「──────おー!今行く!」
「……?」
危険性がなく、依頼でもないならば良いかと、出された珈琲を飲みながらリラックスする。龍已は先程、上位の依頼を2つ。最上位の依頼を1つ立て続けに終わらせてきたところだ。普通の狩人ならば満を持して依頼に臨むため、1日に複数の依頼は受けない。疲労が溜まって動きが鈍り、隙を突かれて殉職など笑い話にもならないからだ。
決して簡単にはいかない上位と、更に上のランクで常に死と隣り合わせである最上位を1日に受けてくるなど、黒い死神だからこその話だ。それも1人で熟してしまい、挙げ句に無傷というのだから恐ろしい限りである。熱い珈琲を飲んで用があるという妃伽を待っていると、外行きの格好をしている彼女がやって来た。
1日休みにしていたので、何処かへ出掛けていたというのはさっせられる。だが、何故態々呼び出したのかはまだ分からない。気配から緊張しているのが伝わってくる。椅子の向きを変えて正面から向き合う妃伽と龍已。手を後ろにやっている彼女は、おずおずと手に持っているものを彼に差し出した。
「……それは?」
「私からの、龍已への感謝の気持ち……のつもり。何贈れば良いのか、椎名と相談しながら決めた。虎徹さんにはハンドクリームだなってすぐに思いついたんだけどよ、最強の狩人の龍已には何を贈ればいいのか見当がつかねーから、ちょっと悩んだがコイツにした」
「開けても構わないか?」
「……おう。気に入らなかったら……返してくれていいからな」
「これは……ゴーグルか」
虎徹と同様にプレゼント用にラッピンされて包装されていた箱の中に入っていたのは、目を守るための黒縁のバイク用ゴーグルだった。指で透明のレンズ部分を叩いてみると頑丈だった。大きすぎず小さすぎない、ちょうど良い大きさだった。試しに付けてみると、サイズはぴったりで使い心地が良かった。伸縮する素材なのでサイズを合わせるのは簡単だ。
造りも頑丈で、素材が良いのか軽い。黒色というのが自身に対して贈るつもりだったのがよく解る。一応妃伽が使っているようなフルフェイスのヘルメットは持っているが、モンスターに襲われた場合に対処できるように、視界が狭くなったり耳を塞がれて聞こえなくなることを防ぐために付けていない。ゴーグルも何だかんだ使っていなかった。
これならば視界を遮られる事もなく、耳を塞がれる事もない。龍已としては実に満足する代物だった。感謝……と言っていたので、きっと日頃世話になっていることを指していると考える。虎徹は既に貰っていて、雰囲気と気配から上機嫌なのが分かる。龍已はゴーグルを首まで通してから、妃伽に向き直る。
「良い物だ。ありがとう。これから使わせてもらう」
「お、おう!気に入ったなら良かったってもんだ!」
「ほら妃伽ちゃん。あれ教えてもらわないと」
「わ、分かってるっつーの!……そのよ、龍已」
「何だ」
「私、新しくタブレット買ったんだよ。だから番号……教えろよ」
「構わん。……それは俺と同じものか」
「か、狩人向けのタブレットめっちゃあってよ!その中でも龍已が使ってるなら間違いねーだろ!?他の理由で買ったわけじゃねーからな!変な想像すんじゃねェッ!」
「意味が分からん」
顔を真っ赤にしながら捲し立てて、何かを必死に否定している妃伽に首を傾げる。よく解らないが、取り敢えずタブレットの番号を交換した。それぞれに巌斎妃伽と黒圓龍已と名前を入れて登録は完了される。これで離れても連絡が取れるようになった。妃伽は登録者一覧にある名前を見て、嬉しそうにしている。
虎徹はグラスを磨きながら、そんな妃伽を眺め、内心で良かったねと言葉を贈った。尊敬している人の番号を知ることができて純粋に嬉しいのだろう。彼が付けているレッグホルスターを真似てレッグポーチを造ってもらったり、高額だというのに最新機種の同じタブレットを買ってみたりと、何とも微笑ましいものだろうか。
嬉しい気持ちを誤魔化すために、チャットアプリを開いて龍已に意味の無いスタンプを連続投下して、龍已にチョップされて怒られている妃伽に、虎徹はクスリと笑う。最強故に孤高な寡黙の男と、そんな彼の弟子である勝ち気な少女。一見波長が合わなそうな組み合わせに見えて、その実良い組み合わせなのかも知れない。
「ゴーグルの性能を実際に確かめたい。試しに外を走ってくるが、お前はどうする」
「なら私も行きてェ!」
「気をつけてね。今日は豪勢にステーキにしてあげるから遅くなりすぎないように。龍已の分も作って待ってるから」
「マジッ!?虎徹さん愛してるぅッ!」
「クスッ。はいはい」
「ほら龍已!早く行こうぜ!」
「そう急かすな。倉持に連絡しなければならんから少し待て」
手を取って早く行こうと急かしてくる妃伽を窘めながら、フードを被り直す龍已。首に下げられたゴーグルは、フードの中に隠されて見えなくなってしまっているが、彼に似合う形に色だった。付けた時の似合う姿に、妃伽は満足げにしていた。慌ただしく出ていった2人の後ろ姿に微笑みながら、虎徹は店のClauseの看板をOpenに変えた。
いつ頃に帰ってくるかな。きっとテンションが上がった妃伽が乗り回すだろうから、少し遅くなるかなと当たりをつけながら、早速入った客に笑みを浮かべたのだった。
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天切虎徹
妃伽ちゃんは良い子だなぁ……と思っていたら涙が溢れてしまった。お礼とは言えないけれど、ありがとうの気持ちで夕飯は厚切りのステーキにしてあげた。肉が好きな妃伽は大層喜んでいて、頬張る彼女にニッコリした。
妃伽との仲は深まり、互いに名前で呼び合うようになった。別にさん付けしなくていいのに……と思うので、次はさん付けを外させてみようかなと思っている。
巌斎妃伽
日頃からお世話になっている2人へプレゼントを贈ろうと考えて、椎名と一緒に悩みながら買った。喜んでもらえたのが1番嬉しい。同じタブレットにしたことを指摘されたのは恥ずかしかった。
実は自分用のゴーグルも買ってある。フルフェイスでも良いが、それだとやはり視界が狭くなってしまうので違うのが良いと考えていた。龍已は慣れているのでフルフェイスじゃなくても大丈夫だから、彼女はまだバイク歴が短いので当分はフルフェイスのまま。慣れたら使うつもり。
黒圓龍已
視界を遮られるのが嫌だからという理由から、バイクに乗るときには何も付けない人。今回妃伽からのプレゼントであるゴーグルを付けてバイクに乗ったところ、視界は良好で付け心地も良かったので気に入った。これからも使っていくつもり。
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