第32話 任された
「師匠ー。あとどんくらいで着くんだよー」
「1時間程度だ」
「ふっか……っ!?つか、ここってモンスター出ねェの?」
「出ない。入口や通路がそれ程大きくない此処は、図体が大きいモンスターは入り込めない。ラプノス等といったモンスターは入れるが、獲物が居ない此処には来ない」
「じゃあ問題になってるヤツを調べたら終わりなんか?」
「そうだ」
懐中電灯の灯りだけを頼りに奥へ進んで行き、下へと降りていく。光が射す場所ではないので、照らさないと足元の凹凸にすら気がつかない。偶に出っ張り等に足を取られて転びそうになりながら、妃伽は先を歩く龍已が、舗装された道を歩くが如く普通に歩行していることに首を傾げる。
こんな歩きづらい場所なのに、何でこうも違うのか。前方を照らして、時には灯りを壁に向けたりして見ているので足元を何度も確認している様子は無い。なのに何で足を取られたりしないのか。妃伽はまた転びそうになって地面に手を付く。その時に丁度良い大きさの小石が掌の下にあった。
ちょっとしたイタズラをしてやろうと、手の中に小石を忍ばせる。本気では投げない。軽く投げて驚かせてやろうと思っただけだ。妃伽は右手に持っていた懐中電灯と、左手の中にある小石の位置を逆にして振りかぶった。少し弧を描いて投げられた小石は、龍已の後頭部に向かっていった。思ったよりもあからさまな場所に飛んだことにサッと蒼くなったが、小石は掴み取られた。
頭を横にずらして避けると、見もしないで手で受け止めた。ばしりと手に取った龍已は飛んできたのが小石だと分かると、足を止めて振り返る。フードを被っていて見えない顔が、尚更怖く感じる。灯りが懐中電灯だけというのも恐怖を煽る材料の1つとなっていた。目線を微妙に逸らして、できていない口笛を吹いていると、親指で弾かれた小石が妃伽の額に直撃した。
「い゙っ……っ!?」
「遊ぶな」
「~~~~~~っ!!ッたァっ!?何で指で弾いただけでこんな痛ーンだよ!?つかどうやって避けた!?見てねーだろ!?」
「見えてはいないが、判ってはいたからな」
「何で!?」
「懐中電灯と小石を持ち変えた事も知っている」
「いやだから何で!?」
「さぁな。自分の頭で考えろ」
自分で考えろと言われても、全く分からない。何をどうしたら見ていないことが事細かに分かるというのか。龍已は教える気が無いようで、歩くのを再開した。後ろから追いかける妃伽は、小石が当たって赤くなった額を擦る。親指で弾いたにしては音が違う。バチンという音が出た。
何をするにしても、人にはできないようなことをする黒い死神の龍已に、妃伽は時々同じ人間なのか疑わしくなる。銃弾の軌道を歪曲させるなんて聞いたことも無いし、モンスターの強靭な顎を蹴りだけで吹き飛ばすなどどういうことだと思った。しっかりと録画された映像なので嘘ではないが、見ないと信じられないだろう。
そんな彼がやっていることは、妃伽には想像がつかない。しかし、考えてみろと言うだけあって、何かしらの技術を使っているのでは?と考える。この閉鎖的な空間でできることは限られる。気配で察知したならば答えとして簡単すぎる。鏡を使った形跡はない。なら何だろうか。
──────全然分かんねぇ……何やれば私が石投げるって分かるんだ?気配だと簡単すぎるし、後ろは見てない……他に分かるとすれば……音?
「音……とか?」
「……ほう」
「え、なに。アタリ?」
「音か。詳しく言うと?」
「詳しく!?えっ……と……こう……服が擦れる音を聞いてた……とか?」
「ふむ……巌斎。俺の後ろで適当な指を立ててみろ」
「は?……あー、やったぞ」
「親指と小指を立てているだろう」
「…………………………………は?」
影でバレないように懐中電灯の灯りは横に向け、持っていない方の手で言われたとおり適当な指を立てた。すると、龍已が立てていると思われる指を答える。妃伽は
妃伽が呆然としているのに対して、龍已は淡々と足を進めるだけ。何だかよく解らないが、不気味に感じてきた。それを感じ取ったのか、失礼だぞと言われた。まさかこれも……?と警戒した妃伽に、気配で何となく感じ取ったと答える彼。気配でそんなことも判るのかよとゲンナリする。
何で分かったのか、そのカラクリが分からない。どうやってやっているのか知りたくて、答えを求める。もうこれ以上の答えは出ないから教えてくれと頼み込むと、はぁ……と溜め息を1つ。これは仕方ないなという合図であるので、妃伽は背後でニンマリと嬉しそうに笑った。
「お前は音で察知していると言ったな」
「おう。でも、違うんだろ?私はゆっくり指を立てた。音が立たないくらいゆっくりだ。でもアンタにはバレた」
「音というのは良い線の答えだ。しかし満点ではない。正確には音波を聴いて物の位置、形、距離を把握している」
「うん?どういう意味だ?」
「指を鳴らす。舌を鳴らす。手を叩く。音は何でも良い。発生した音波は大気を進み、物体に当たると反射され反射音として返ってくる。その時間差から物の位置、形、距離を導き出す」
「師匠音出してたか?」
「歩いているだろう。足音だ。お前も歩いているため音波は十分伝わる。壁も近く閉鎖的だ。判別しやすい。だからお前が石を投げるのに振りかぶったのも事前に判っていた。立てた指も把握できた」
「師匠ってさ、人間じゃねぇって言われたことねーか?あるならやっぱり人間じゃねェと思う」
「大概に失礼だぞ」
「いやだって、普通無理だろ!?何したらそんなことできるようになるんだ!?」
「何事も経験と慣れだ。必要に迫られれば、人間は何でもできるようになる。俺はできることをやっているだけに過ぎない。お前達はやろうとしないからできないままで、思いつきすらしない」
「つまり普通じゃない考え方してるってことだろ?……黒圓龍已モンスター説……」
「殴られたいのか」
そのくらい考えないと釣り合いが取れないだろと答えると、呆れたような溜め息を吐かれた。フードの中は絶対に無表情のクセにと思いながら、妃伽は試しに歩きながら耳を澄ませてみる。しかし足音が聞こえてくるだけで、人の形だとか、足元の凹凸だとかは一切判らない。カラクリは分かっても、真似できない芸当では知っても無意味だ。精々そういう技術があるのだと頭に入れておけるだけ。
どういう練習をすれば、こんな超人染みた事ができるのだと声を大にして言いたいが、できるようになるまで続けることだとしか言われないと察して呑み込んだ。今やってみてできることではないので諦めた。だができるようになったらかなり便利だ。
自分にも、どうやってやっているのかと聞かれるような事ができるようになりたいと思ってしまう。何だか必殺技っぽいもので、狩人としての強みを生かしたというか、巌斎妃伽の得意技というものが欲しかった。師匠の龍已は強靭で超人染みた肉体と、狙撃技術。今明かされた
自分には何があるだろう……と考えてみても、自分のことを考えるのは意外と難しい。うんうんと唸りながら顎を擦って考えていると、足を止めた龍已の背中に顔からぶつかった。硬い感触を鼻に感じて、軽い痛み鼻を擦りながら何で止まったのか問うと、見てみろと言われて体を横にずらされる。何だよと言いながら龍已の前に出て懐中電灯の光を向けた。
「こりゃあ……ひでーな」
「モンスターの仕業で間違いないようだな」
「だろうよ……こんな有様だし」
通ってきた通路のような場所とは違い、広めの空間になっている場所。そこには黒爆粉を採取するための業者と思われる者達の死体が転がっていた。死体はバラバラにされている。肩から脇腹に掛けて袈裟に両断されて転がっているもの。腹を裂かれ、臓物を撒き散らしている者。頭だけがどこかに飛ばされてしまって倒れている者。逆に体が無くなり、苦痛の表情を浮かべ光のない瞳を向ける者。
手が、足が、肉片が、臓物が、そこら辺に散らばっている。胴体もあれば頭がある。地面に吸われた血が赤黒い染みとなり、この空間には人の肉が腐った、
吐き気を催す光景と臭いに足を止めてしまっている妃伽を置いて、横を通り過ぎながら龍已は前に進んだ。もう、人間が死んで放置され、腐っている臭いには慣れてしまってるのだろう。強く、長年生き残って狩人をやっているということは、それだけ人の死を見てきたということだ。きっと彼の中での死の概念は捻じ曲がってしまっていることだろう。
まだ腐食の速度が遅い死体に近づいて、傷口を見る。病原菌を持っている可能性を考えて触れはせず見るだけ。傷口は鋭利なものではない。どちらかというと、少し切れ味が良いだけで、あとは力によって無理矢理切られたという感じだろうか。何れにせよ、犯人は人ではない。モンスターである。
「やっぱモンスターだったか。チッ……バラバラ殺人かっつーの。胸クソ悪ィ」
「……此処には居ない。行くぞ。恐らく此処よりも下に居る。急ぐぞ」
「急ぐのか?」
「もう少し先には黒爆粉を生成するモンスターの死骸がある。今のところそのモンスターは此処にある個体だけだ。もしこの猟奇現場を作り出したモンスターが死体を襲って黒爆粉の生成を断ち切ってしまった場合、俺達にとってかなりの痛手になる。それを防ぐため、モンスターは早急に狩猟する」
「了解!」
「いいか、これは訓練でも修業でもない。狩人としての狩猟だ。場合によってはお前のフォローができないかも知れん。そうなった場合、頼れるのは自分自身だ。命を賭し、モンスターを狩れ」
「……っ!すぅーっ!……オスッ!!」
龍已が狩人、黒い死神として使う武器の威力は黒爆粉があってこそのもの。流石の虎徹も原料が無ければ強力な爆薬は造れない。虎徹オリジナルの爆薬だからこそ、数キロ先の獲物を仕留められる長距離射撃ができるのだ。硬く厚いモンスターの外殻を易々と吹き飛ばす威力は、黒爆粉が無いと実現しない。
広くなった空間を進み、次の道を目指す。この広々とした空間に開いている穴は全部で7つ。その内の1つが次に通じる正解の穴だ。場所が分かっている龍已には迷う理由が無く、一瞬の思考もなく真っ直ぐにある穴へと向かった。妃伽は懐中電灯を前方に向けながら彼の後を追う。
走りながら、レッグポーチに手を伸ばしてメリケンを2つ手に取り、それぞれの手に嵌めていく。爆発するアタッチメントは既に装着済み。握り込んで感触を確かめると、何時でも戦闘に入れるように頭を戦いの方向へ切り替える。狩人としてとまで言われれば、警戒せざるを得ない。まだ修業の身で狩人ではない妃伽を、狩人の立場にしている彼の期待に応えないといけないのだ。
走って穴を進んでいくこと数分。またしても広い空間に出た。そこに死体はなく、ただ広い空間が広がっている。他に通じる穴は4つ。龍已はこの広い空間に入った途端に足を止めた。背中へ突っ込みそうになるのを耐えて静かにどうしたと問う妃伽に、掌を差し出して待つように指示を出す。
足を持ち上げて、爪先で地面を叩く。強いものではない。軽いもの、それこそ靴を履いて感触を確かめるのに爪先で地面を叩くようなものだ。しかしその叩いた時の音波が広がり、龍已の頭の中には見えない部分を補う精密な地図が作り上げられていく。そして、正面の穴と、右隣の穴にそれぞれ注意が行った。
「巌斎、お前は正面の穴と隣接する右の穴の先へ行け。奥には此処と同じような空間が広がり、生きて逃げ遅れた男が居る。恐らく業者の1人だ。だが同時にモンスターも居る」
「……ッ!」
「正面の穴の奥には黒爆粉を生成するモンスターの死骸と、そこの近くに同じ姿形のモンスターが1体居る。俺はそっちを狩猟する。お前は右の方のモンスターをやれ」
「け、けどよ……ッ!私1人でできんのかッ!?またミスするかも知れねェ……ッ!この前だってアンタにサポートされてやっとだったんだぞッ!」
「確かにな。だがお前ならできる。お前は俺の弟子だ。モンスターを狩猟し、殺すための力は与えている。お前は自覚していないだけで、十分に戦えている。いつも俺が居ると考えるな」
「……おう」
「──────任せたぞ」
「──────
2人は同時に駆け出した。龍已は正面の穴へ。妃伽はその隣へ。ここから先は1人で戦う。今先ほど戦う方へ思考を切り替えたが、龍已が傍に居る前提だった。しかし今は違う。あと少しで未知数の力を持ったモンスターと命を賭けた戦いになる。最強の狩人に任せるとまで言われたのだ、やる気が起きない方がおかしい。
先へ進み、走りながら龍已と二手に別れる寸前で言われたことを思い出す。戦闘経験で言えば、最強と言われるだけどの狩人よりも豊富な龍已だ。当然狩猟対象であるモンスターの情報など頭の中に入っている。だが、そんな彼から驚くような言葉を聞かされた。
『俺達が今から狩猟するモンスターを、俺は知らない。初めて感じる姿形だ。つまりどんな攻撃、身体能力、特性を持っているか判らない。用心しろ』
「最後の最後でとんでもねー爆弾寄越すなっつーの!」
今こうして走っている自分を、後ろから襲ってくるかも知れないという恐怖。灯りは懐中電灯のみ。これが無ければ何も見えない。そうなれば最後はモンスターに嬲られて死ぬだけだ。狩人は惨い死に方しかなく、死に方を選べない。もしかしたら此処で死ぬかも知れないという考えを振り払い、足を動かして広場に出た。
軽く息を整えて懐中電灯を周りに向けていると、壁に縮こまるようにして小さくなり震えている男が居た。傍に駆け寄ると、頭を抱えて何かをブツブツと言っている。相当近くに行かないと聞こえない声量に、取り敢えず妃伽は周りを警戒しながら、男を別の場所へ移動させようとする。そんな彼女に、男は叫んだ。
「来る……来るッ!何かが来るッ!!分からない何かが来るんだァッ!!」
「は?分からない何かってなん──────」
モンスターは居る。2人の近くに。妃伽は頭の中に何かが駆け抜けた。電撃を与えられたような衝撃に、体が勝手に動く。振り返り、虚空へ向けてメリケンを嵌めた拳を突き出した。
──────────────────
巌斎妃伽
戦いは龍已が傍に居る前提で考えていた。今回どんなモンスターなのかも分からないので、まさに未知の戦い。サポートは期待できず、視界は懐中電灯の灯りのみが頼り。傍には救助を待つ業者の生き残り。その中で戦わなければならないので、心臓が激しく鼓動を刻んでいる。
黒圓龍已
弟子である妃伽のことは認めている。今回相手にするモンスターの姿形は初めてのものなので、新種の可能性が高いと思っている。黒爆粉が無くなると困るので、速攻で決めるために先へ急ぐ。妃伽ならばきっと狩猟できると思い、救助待ちの人間を任せた。
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