第18話  あの日の映像






「──────オラァッ!!」


「威勢が良いのは声だけか。怖じ気づかずに来い」


「いっ……てェ……ッ!!」




 メリケンの起爆スイッチを1度だけ、親指で押す。打面に衝撃を与えれば爆発と熱によるダメージが与えられるのだが、黒い死神にはそもそも触れることさえできていない。勢い良く突っ込んで行ったは良いものの、突き出した右拳は軽く避けられた。


 左手で右手首を取られ、襟を右手で掴み背負い投げ。加減はしてくれているが、それでも背中から行けば呼吸困難になるくらいの衝撃がくる。ゲホゲホと咳き込んでいると、受け身が下手なのと、形振り構わず殴り掛かるから次に起こす行動までが遅くなり、結果的にしっかりとした受け身も取れないのだとダメ出しを受けた。


 深呼吸して息を整え立ち上がる。黒い死神を相手とした戦闘訓練が始まって3日が経っている。今日は既に4時間は休憩も無しにやっていた。息が上がりやすくなっている。走るだけなら1時間や2時間で終わり、途中休憩を挟むのだが、この戦闘訓練は休憩を挟まず最低でも5時間はやり続ける。


 虎徹の地下にあるトレーニング場でやっているので、外敵のモンスターが襲い掛かってくる心配は無いし、天候に左右されることも無い。しっかりと5時間戦闘訓練を施すことが出来る。武器を使って良いと言われたときは血迷ってんのかと思った妃伽だったが、いざ修業を開始すると当たらない当たらない。面白いくらいに拳が当たらないのだ。




「足元を見ろ。何度言えば分かる」


「ふぐぇ……っ!?」


「外ならば足場が悪いところもある。平坦な此処でそんな動きをしていれば、忽ち足を取られるぞ」


「クッソォ……ッ!」


「狙いが判りやすい」


「いづ……ッ!?」




 擦れ違い様に脚を蹴られて引っ掛けられた。前から転倒しそうになるのを片手だけで受け、体を跳ね上げて着地して即行を掛けた。左腕を構えたのを見て、攻撃しようとしているのが丸分かりだと言われて拳の側面を外側に向かって弾かれる。途端に無防備になった妃伽の体にショルダータックルを入れた。


 走って接近した妃伽の速度が、その場に留まっていた黒い死神の体当たりに乗ってしまう。体勢を低くしていたことで、肩が胸部を強く打った。途端に息が出来なくなって顔を顰める。よろりと蹌踉めいて後ろへ数歩下がったところで、蹴りの足払いを掛けられて為す術も無く転がされた。


 咳き込んで上を見上げると、黒い死神が見下ろしている。顔は見えないが呆れているように感じるのは、向けられる視線を判別できるようになったからだろうか。全然歯が立たないことに悔しさが込み上げてきて唇を噛む。歯が皮膚を破いて血を流しそうになるのを、黒い死神が頬に手を当ててきたことに驚いて口の力を緩めた。




「唇を噛むな。切れて血が出るぞ」


「……おう」


「5時間経った。休憩だ……と言いたいが、依頼に行ってくる。この後は自習とする。武器を試すも勉学に励むも好きにしていい」


「……了解」




 さらりと撫でられた頬が、黒い死神のつけている黒い手袋の感触を感じ取る。人肌で温かくなっていて、肌触りが良い。今先程やっていた修業では痛みを与えてきた手が、別人のような優しさを持って接してくる。それがくすぐったくて目線を逸らす。


 触れたのは一瞬だけ。注意するために少しだけしか触れていないが、妃伽には触れられてから離れるまでが長く感じた。用件だけを言い渡してさっさとトレーニング場から出て行った黒い死神の背を眺めた。居なくなると1度だけ息を大きく吐き出して立ち上がる。ジャージについた汚れを払い、装着しているメリケンを握ったままシャトーボクシングをした。


 黒い死神に言われたことを頭の中で反芻させ、動きを改善する。相手に悟られないようにフェイントを混ぜて、無作為な大振りは控える。武器の爆発を使ったならば残り回数を頭に入れておき、回避や後退がすぐに出来るように足元にも気を配る。頭を使うのが苦手だと自覚している妃伽は、考えるより無意識に出来るように反復して自主練を繰り返した。


 3日間で目に焼き付けた黒い死神の動き。それを頭の中でトレースして想像の中で動きを作る。拳を出して殴打を狙うが、避けられる。当たるわけがない。実際に掠りすらしないのだから、想像上で当てれば黒い死神を軽く見ていることになる。出来るだけ本人に近い空想の黒い死神を作り出して戦うが、一向に一撃は入れられない。


 やってもやっても黒い死神には触れることすら出来ず、妃伽はいつの間にか大粒の汗を掻いて息を切らしていた。シャトーボクシングはこのくらいで良いかと区切りをつけて、トレーニング場を後にしようとしたが、黒い死神との修業中に起爆スイッチを1度入れていることに思い出した。


 見渡して残っている人形を見つけると、中央に移動させて拳を構える。軽くジャブをしてから、大きく踏み込んだ。懐に入り込み、上半身を捻り込んだ力を利用しつつ腰を入れて渾身の右を叩き込んだ。打面に人形が触れた瞬間爆発が起こる。物質に爆発のエネルギーが届くと同時に拳の打ち込んだ。妃伽の殴打と爆発の同時攻撃に、人形は耐えきれず全体を木っ端微塵に吹き飛ばされた。


 殴打の姿勢を矯正されたことにより、前よりも殴りやすく、より高威力で隙の無い攻撃姿勢になった。殴打の姿勢1つで爆発を伴う打撃の威力が増した。妃伽はそれに気づいていない。黒い死神との修業であまりに圧倒的力で転がされていることに意識が向いているのだ。悔しさで自主練をして次こそはと意気込むのみ。


 黒い死神を以てしても高いポテンシャルを秘めていると言わしめる妃伽は、ここ数日の間に劇的な成長を見せていた。しかしそれでも、彼の黒い死神には遠く及ばない。






















「はぁ……スッキリした。……勉強しよ」




 動的な修業により大汗を掻いた妃伽はトレーニング場から出ると、真っ先に風呂に入った。風呂に浸かるのは後にして、シャワーだけをサッと浴びて出てきた。タオルで長い金の髪を拭いて水気を取り、ラフな格好になった。ダメージジーンズにタンクトップというだけの格好だ。


 さっさと貸し与えられている自分の部屋に行って、苦手だが勉強でもしようと思った。でも、廊下を歩いている途中で良い匂いがしてきた。厨房の方からだろう。そういえば今は昼時だったなと思い出して、昼飯で何か作ってくれているかなと少し期待しながら向かう先を変えた。


 もう頭の中に入っている虎徹の店の間取り通りに厨房の方へ行く。ドアを開けて中に入ると、いつも客に出す料理を作っている厨房に虎徹が居る。エプロンを身につけて、慣れた手つきで具材を加工していく。部屋に入ってきた妃伽に気がつくと、手を動かしたままニッコリと笑って椅子に座っててと声を掛けられた。どうやら昼飯のタイミングで合っていたようだ。


 鼻腔を擽る良い匂いに笑みを浮かべ、妃伽は頷いてカウンターの席に座る。昼時なので客は居ないし、今日は虎徹の店が休日なのでゆっくりできる。カウンターに肘を置いて掌に顎を乗せてゆっくりとしながら待っていると、彼女の前にことりと料理が綺麗に盛りつけられた皿が置かれた。




「午後は黒い死神が仕事だから自習でしょ?勉強すると思ったから動いても大丈夫なものじゃなくてパスタにしてみたよ。シーフードナポリタンとサラダ。ドレッシングはお好みでね」


「うまっそ!もうさ、廊下で匂い嗅いでからめっちゃ腹減ってたんだよ。いっただっきまーす!」


「ふふ。はい、召し上がれ」


「……うめーッ!流石は天切さんだな!」


「あはは。ありがとう。まあ、それなりに料理してるからね」




 ズルズルと少し行儀悪く食べながら、美味しそうに顔を綻ばせる妃伽を見て微笑ましそうにしている虎徹。毎日出される料理を欠片も残さず完食して、美味しかったと言ってくれるので作り甲斐があるのだ。一緒に出したサラダにドレッシングを掛けてもそもそと食べ進める妃伽。


 いつも通りの食事風景。しかし虎徹には、妃伽が少しだけ元気が無いように感じた。見た感じはそんなことはないだろう。料理も美味しいと言って食べている。食欲に問題は無い。ならなんだろうか?と首を傾げて、あ……と思い至る。


 妃伽は故郷で喧嘩に明け暮れていながら負け知らずだったと聞く。そんな彼女はこの街に来てから喧嘩なんぞしておらず、戦った相手と言えばモンスターと黒い死神のみ。モンスターには襲われて食べられかけて、初心返りの森の大穴で斃したモンスターは予め弱らせられていた。黒い死神には現在も徹底的にやられて、強さにある程度の自信があった妃伽に亀裂が入っているのだろう。


 そのくらいで折れるような、柔な精神力をしているとは思えないし、心が強いと黒い死神が言っていたのだから大丈夫だろう。その内入った罅を糧にして心の炎を再燃させる筈だ。けれど、今はちょうどタイミングが良いのではないかと思い、虎徹は必要か必要でないか微妙なラインの妃伽の心のケア&焚き付けをすることにした。




「はーッ。美味かったぁ……ごっそさんでした!」


「はーいお粗末様。お皿は頂戴ね」


「うっす」


「ありがとう。……巌斎さんはさ、黒い死神がモンスターと戦っているところって見たことある?」


「戦ってるとこか?んー……あのデケェ銃でモンスターの頭ぶち抜いてるところなら見たことあっけど……」


「じゃあ普通に戦っているところは無い感じかな。じゃあさ、見てみる?」


「……えっ?見れるのか?黒い死神はもう仕事行っちまったけど……」


「あ、今日行ってるところに僕達も行くって意味じゃないよ?前に非常事態警報が鳴って、全狩人が街の外で戦ってた日があったの覚えてる?」


「ん?あー、あの日か」




 食べ終えて空になった皿を虎徹に手渡す。カウンターの裏で皿を洗いながら虎徹がある日のことを覚えているか問いかけた。1ヶ月以上前にエルメストで発報された非常事態警報のことだ。モンスターが大群となって押し寄せてくるので、迎撃するために街に居る全狩人が駆り出された日。


 妃伽はその時はまだ黒い死神の弟子ではなく、命を救ってくれたことに対する礼の言葉すらも言えていなかった時のことだ。あの日はまだ記憶に新しいので覚えている。避難しようとしても、狩人がやられればどの道エルメストは落とされて避難も何も無いからと、虎徹の店に居た。


 そして忘れもしない、外壁の戦いが終わってから数時間後、正門が開いて生き残った狩人が街の中に戻ってきた光景。モンスターにやられて血みどろになり、腕や脚を欠損してしまっていたり、目をやられて失明してしまっている者達。出て行った数よりも明らかに減っている全体数。彼等が住んでいる世界はこんなにも厳しいものなのかと思い知った光景。




「実はね、非常事態警報が鳴って大規模な掃討作戦が決行された時は、外壁の上から戦いの様子をビデオで録画してるんだよ」


「そうなのか……?でも何で……」


「狩人の戦いを録画して記録に残すこと。誰がどのくらいモンスターを狩猟したのか数を確認するため。誰がどのように死んだのか把握するため。どんなモンスターが来たのか知るため。その他にも色々あるけど、主にそのくらいかな。本来は映像が残酷だから世に回ることなんて無いんだけど、ちょっと秘密に焼き回してもらっちゃった」


「えぇ……良いのかよそれ……」


「もちろん本当はダメだよ?まあ、見終わったら破棄するし大丈夫大丈夫。ふふ。それより気にならない?黒い死神の戦い」


「……っ!」


「前回の掃討作戦では珍しいモンスターが出て、それを黒い死神が狩猟したらしいよ。戦いも派手で誰も近づけなかったって言ってたから、為になると思うなぁ」


「──────見る。黒い死神の……師匠の戦いを見せてくれ」


「そうこなくっちゃね」




 その答えは分かっていたと言いたげな笑みを浮かべたまま、虎徹は皿洗いを終えた手をタオルで拭い部屋を出た。妃伽もそれに続いていく。廊下を歩いて別のドアを開けばリビングがある。ソファと大型テレビが置かれていて、DVDプレーヤーもついていた。虎徹は掃討作戦の全容が収められているディスクを入れてテレビをつける。


 映し出されたのは、外壁から撮った上からの映像だ。まだ戦いは始まっておらず、しかし映し出されている映像の奥から夥しい数のモンスターが向かってきていた。視点が変えられて下に向けられると、正門が開けられて中から狩人達が出てくる。各々武器を手に戦闘態勢を整えていた。


 戦いに慣れている者達は、この待っている間に対モンスター用の仕掛けを作っていた。上を走れば脚に絡まるネットを強いたり、土の中に埋めて見えなくさせる地雷を仕掛けたり、狙撃するに都合の良い場所へ移動していたりと様々だ。


 時間が経つにつれてモンスターの大群が近くなる。映像の向こう側の出来事だというのに見ている側が緊張してくる。妃伽はソファに座ってテレビに目が釘付けになりながら、知らず知らず手に力を込めて強く握り込んでいた。掌は汗でしっとりと濡れている。これから映るのはモザイクも何も無い、狩人の戦いであり狩猟だ。


 残酷なまでに平等で、命の価値が紙屑のようになってしまう戦場だ。何度も聞いた爆発音のような銃声が響き、一際大きな図体をしたモンスターの頭が吹き飛ばされる。倒れ込むモンスターに下敷きにされて絶命する小さなモンスター。最初の一撃は黒い死神から始まり、人間とモンスターの命を賭けた戦いが始まった。


 体が大きく、速く、強靱で、強い。そんなモンスターの一撃は容易く人間の手脚を引き千切る。血が噴き出して絶叫が上がる。中には絶叫する間もなく即死する者だって居る。酷い有様だ。なのに誰もその場から逃げ出そうとしない。逃げれば狩人の名折れであるし、後ろには一般人が住む街があるから。だから誰も引き下がろうとしなかった。




「何だ……アイツ……炎か?」


「あれは焰狼狐えんろうこウルキラムと言ってね。9本の尻尾に炎を纏わせて攻撃してくる特殊なモンスターなんだ。ここら辺には居ない筈なんだけど、何故か棲み着いてたみたいでね。一応まだ子供なんだよ?」


「……あんなに一瞬で狩人を殺し回ってンのにか?炎の玉を投げつけて爆発させたり、踏み殺したり……こんなに強ぇのにまだ子供なのかよ……ッ!」


「子供でこれだけのモンスターを従えさせる強さを持つのが、焰狼狐なんだ。成体は凄まじいよ。黒い死神は辺り一帯を焼け野原にされたって言ってたからね」


「……そんな成体と戦ったのか、師匠は」


「もちろん。依頼で出されたからね。その日の内に頭を毟り取って来たよ。。そして、そんなスゴい人は君の師匠で、これから焰狼狐と戦うから良く見ておきなよ」




 ──────これが最強の狩人と謳われる黒い死神だよ。




「……っ」




 妃伽は1度だけ焰狼狐ウルキラムを見たことがある。掃討作戦があったその日、どうにか黒い死神に店に来るよう約束を取り付けた後、虎徹の店に戻ろうとした途中で門の外を見た。そこには、見るも無惨な姿で息絶えていた焰狼狐が倒れていたのだ。徹底的にやられて殺されていた大群の頭であるモンスターは、黒い死神の手により殺された。






 テレビに映っているのは、焰狼狐ウルキラムをたった1人で狩猟してしまった黒い死神の戦いであり、妃伽のたった1人の師匠だった。その戦い妃伽は魅せられる。強く、強く、強く、より強く在る人間の頂点に。








 ──────────────────



 巌斎妃伽


 黒い死神に高いポテンシャルを持っていると評されるだけあって、数日の修業で戦い方が上手くなった。メリケンの使い方には完全に慣れ、度々爆発に使う火薬の量を増やしてもらえるよう虎徹に相談している。


 腰と脚に巻いて固定する黒いレッグポーチにメリケンの爆発する部分のアタッチメントを入れている。師匠の黒い死神が使っているレッグホルスターとお揃いで気に入っている。邪魔にならない大きさで重さも軽いので暫くは何も無くても付けていた。


 師匠である黒い死神の戦い振りを見たことがなかったが、今回虎徹の計らいにより録画映像で見ることが出来る。実は何度も投げられていたことに凹んでいた。もっと食い付けると思っていたから。





 天切虎徹


 喧嘩で負け知らずだったのに、あまりにも簡単にやられることに少し凹んでいる妃伽を元気づけるために、ちょっとした裏ルートで手に入れた掃討作戦の映像を見せてあげることにした。





 黒い死神


 辺り一帯を焼け野原にする力を持つ焰狼狐の成体を、過去に1人で狩猟した経歴を持つ。その際、一切の無傷であり、狩猟した証拠として焰狼狐の首を毟り取ってきた。依頼者には感謝されたが、同時に鬼神、悪魔、怪物と恐れられ、黒い死神という存在そのものに畏怖された。



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