第15話  これからの修行




 10数日の修行兼試験を終わらせた妃伽は、黒い死神の作った料理を堪能した。現地調達の肉と、少しの調味料を使っただけの素朴なものだったが、自分で捌いた肉とは柔らかさが違ったり、味付けが有るのと無いのとではこうまで違うのかと思い、日頃食べている飯にありがたみを感じた。


 見上げるほど高さを持つ壁をよじ登る。途中からは反り返っていて尋常ではない体力を使った。意識しなくても全身運動を行い、ましてやラプノスの爪を壁に突き入れるという作業もあったので、妃伽の体力はその日の内に使い切った。


 好物の肉やスープを堪能すると、少し休憩しようと思っただけでいつの間にか眠っていた。1人で生活して心細いと感じていたところに、黒い死神が居るという状況が安堵へと変わり、疲れも重ねていた事からいつの間にか寝てしまうという状態に繋がった。まだ昼頃だというのに寝た妃伽に、仕方ないかと思い黒い死神はその場に待機した。


 使った焚き火などの後処理を終えて、その場に待機すること2時間。妃伽は目を覚ました。てっきり夜まで眠ると思っていたのだが、早めの起床だった。寝落ちしていた事に気づかず自分でも驚いている様子だった妃伽に、街へ戻るから準備をしろと言う黒い死神。2人は初心返りの森へ来るのに使ったバイクの元へ、1時間以上掛けて戻った。


 行きの時はバイクに乗る際に黒い死神へ抱き付くことへ、恥ずかしさから抵抗感を感じていた妃伽だったが、帰りはそんなことはない様子で背中に抱き付いた。壁から脱出して抱き付いた手前、今更照れてもな……と思ったのだろう。それと、黒い死神がイチイチそんなことに反応する男でもないということもあるのだろうが。




「うっわ、街を見るのがめっちゃ久しぶりに感じる」


「事実2週間以上は離れていたからな。帰ったら虎徹に生存報告をするといい」


「あー、バイト折角やらしてもらったっつーのにこんな休んだらバイトもクソもねーわ」


「俺から言ってある。暫く巌斎を借りると。バイトの事に関しては心配しなくて良い」


「つか、修行あんのにバイトやってていーのかよ?」


「虎徹の店は夜から開店する。修行は昼を中心にやれば良い。今回のように数日使った修行はそう多くやらない。生きている上で金は必要になる。稼げる内に稼いでおいた方が良い。ましてやお前は住む場所が無く虎徹の店が頼りだからな」


「あー、そうだよな。十分な金貯金できるまでバイトしとかないとマズいよな。りょーかい」




 生きている上で金は必要になる。故に稼げる内に稼いでおいた方が良い。これは狩人になるならばかなり重要なことだ。モンスターとの命のやりとりをして、日頃金を稼いで飯を食っている狩人とて、体こそが資本にして第1。だが戦っている以上は負傷する。時には大怪我だって負う。


 前にモンスターの大群が街を襲ってきた時は、日頃狩人としてモンスターと戦っている狩人が何人も殉職し、四肢を失うような怪我を負う者も居た。そういった者は、これまでと同じように狩人を続けることなどできやしない。体が資本。体力が基盤。狩人を辞めることになったら、途端に収入源が無くなる。これは人として生きていくならば死活問題だ。


 生活必需品を買うにも、街に住むにも、何かしらで必ず金が必要になってしまうからこそ、狩人をやるならば金を稼いでおき、何かあった時のために備えておくのだ。ちなみに、武器のメンテナンスや傷薬などの消耗品にも金が掛かるし、回収屋を雇うにも金が必要なので、普通の職より1度に稼げる金は多いが、払う金もそれ相応に多いのだ。


 そこら辺を深く理解していないようで、軽い気持ちでバイトをして金を稼いでおこうと考えている妃伽に、後で詳しく教えてやろうと、頭の中にあるやるべき事リスクに追加しておく黒い死神。2人は狩戦街しゅうせんがいエルメストに到着し、中へと入っていった。


 かなり身形みなりが汚くなっている妃伽に、街の入口に立つ門番が眉を顰めたが、後ろに居る黒い死神を見て慌てて敬礼をする。何か粗相をすれば地獄を見るとまで言われ、言うことを聞かない子供を大人しくさせるためのことわざにも出て来る生ける伝説が一緒ならば、妃伽は彼に関係する者だと考えるのが普通。つまり怪しい者ではないという判断になる。


 昼を過ぎて少ししたばかりなので、街の中は10数日前の賑やかさそのもので、目を細める。やっと帰って来れたという思いが胸の中に燻っており、大きな溜め息が零れる。黒い死神はバイクを専属回収屋の倉持に預けてくると言って一旦別行動となり、妃伽は真っ直ぐ虎徹の店へ向かった。


『BLACK LUCK』の看板を見つけると、嬉しさが込み上げる。長いような短いような、何とも言えない気分を味わいながらClauseと看板が提げられているドアを開けて中に入る。店内には既に仕込みをしている虎徹が居り、開いたドアの方を見て妃伽が来たと分かると、絶世の美少女にしか見えない容姿にふんわりとした笑みを浮かべた。




「──────おかえり、巌斎さん。疲れたよね?りゅ……黒い死神から連絡が来たからお風呂はできてるよ。ゆっくり浸かっておいで?ご飯は食べたかな?お腹空いてるなら何か作るよ」


「……はーっ。天切さんの顔見たら帰ってきた感がマジで強いわ。最初に風呂入らしてくれ。飯は……食ったけど昼過ぎだし少しだけにしとく」


「ふふ。はーい。お風呂入っている間に軽く作っておくね」


「サンキュ!」




 いそいそと風呂場へ直行する妃伽だが、着替えを持っていっていないことに気がついて引き返し、貸し与えられている部屋に向かう姿を見てクスリと笑う。端末に黒い死神からあと1時間強で帰るという報せを受けているので、大変だっただろうなと思いつつ風呂を沸かしていた。


 何か食べてきたなら必要ないかも知れないが、ちょうど昼を少し過ぎただけの時間帯なので、何か食べるようなら食べさせてあげようと思っていた。少しだけ食べるということなので、少しの量で食べた感じがするお粥にしておこうと考えて、小さな鍋を棚から出した。


 あっさりめの卵粥にでもしておこうかなと考えて冷蔵庫から卵も取り出して、手際良く作っていく。ある程度修行内容は聞いているので、肉やら何やらばかりだっただろうから、胃に優しい物を作ってあげようと思ってのチョイス。ついでにサラダも盛りつけておく。


 店をやっているので料理はお手のもの。それに作るものはそう大した手間が掛かるものでもないので、妃伽の昼食は作り終わった。夜から開店する為の仕込みの続きを再開させようとして、ドアが開いてベルが鳴る。次は誰かなと考える必要はない。相手が誰かなんて分かっているからだ。




「君もおかえり、黒い死神。何か食べる?」


「ただいま。俺の分は大丈夫だ。巌斎はどうしている?」


「今お風呂だよ。汚れていたし、湯船に浸かるだろうから遅くなるかもね。それで、巌斎さんは合格だった?」


「そうか。……彼奴は狩人に向いている。高い身体能力。取捨選択も早く、閃きと考える力もある。元が考えるより動くタイプとは思えない慎重さも少しは持っている」


「じゃあこれから本格的に修行させていくんだよね?武器は必要?」


「今は要らない。最初は体作りから始める。武器はある程度満足のいくレベルに達してからだな」


「そっか。じゃあ昼間はトレーニングで、夜はバイトかな?忙しそうだね」


「この程度の疲労で動けなくなるならば狩人をやっていけん」


「ふふ。まあ確かに。けどほどほどにね?やり過ぎると巌斎さんが狩人になる前に壊れちゃうよ」


「善処するが、それは巌斎次第だ」




 バイクを預け終えた黒い死神が店にやって来た。昼を妃伽の分と合わせて一緒に作ろうかと問うが、要らないとのこと。虎徹は黒い死神がこれから妃伽にこれからの事を話して、すぐに依頼を受けるんだろうなと読んでいる。2週間以上留守にして依頼が来ているだろう事を察しているのだ。


 カウンターの下に重ねて置いておいた、黒い死神へ直接依頼をしたいという者達が持ってきた依頼書を取って彼に渡す。貯まっている依頼書の数は5枚。どれも強力なモンスターが相手で並の狩人では相手にならず、何度も依頼失敗を繰り返してしまっているとのこと。


 普通の個体よりも、命の奪い合いを経験して打ち勝ってきたからこその強みを持つ個体。それらが彼の手の中にある依頼書に書かれたモンスター達だ。黒い死神の元に来る依頼は、そういった強い個体の討伐ばかりなので危険が多く、普通の狩人に任せられないものばかりだ。


 だが、中にはさっさと討伐して欲しいからと、適当に高めの金額を設定して黒い死神に依頼する者も居る。そういうのは基本受けないのだ。便利な掃除屋ではないので、本当に困っているならば他の狩人に代わり狩猟するそれが黒い死神だ。故に、手元の依頼書から2枚引き抜いて手の中でぐしゃりと丸めると、見もせずにカウンター裏のゴミ箱に投げ捨てて入れた。


 残った依頼書は3枚なので、これらは受けるということなのだろう。畳んで胸元に依頼書を入れた黒い死神ににっこりと笑みを浮かべて、珈琲を淹れて差し出す。ありがとうと言って口を付けると、やはり珈琲は虎徹のものに限るなと言うので、光栄ですと言いながら嬉しそうに笑った。


 2人は仲が良さそうに会話を弾ませた。世間話や、街に居ない間に何か起きていないかの確認。客の出入りはどうだったか。妃伽の修行がどんな感じだったのか。2人はそうして会話を続けていると、妃伽が風呂から出てきた。ラフな格好で出て来ると、店の中に黒い死神が居るので、彼の傍の椅子に座った。




「悪ィ。待たせたわ」


「構わん。……正式に俺の弟子となったお前には、後日より本格的な修業を施す。最初は体作りと体力をつけるためのトレーニングが中心となる。そこに足して狩人として必要になる知識を詰め込んでもらう。昼は俺の修行。夜は虎徹の店を手伝うバイトだ」


「おぉう……改めて聞くと中々なスケジュールだな」


「最初は疲れるだろうが、慣れていけ。狩人になるならば、疲労が重なっているからと言ってその場で眠ればモンスターに襲われて死ぬ。奴等も馬鹿ではない。むしろ疲れさせて隙を見せたところを襲ってくる狡猾なモンスターも居る。そんな状況に陥る前の練習だと思い堪えろ」


「……そうだよな。狩人には必要なことをするんだ。疲れたとか眠ィとか言ってらんねーもんな」


「体作りと体力がある程度ついたと俺が判断したら、次は武器の扱いを学んでもらう。狩人にとっての命と同価値になる武器だ。気を抜けば大怪我では済まないぞ」


「りょーかい。気をつけるわ。今日はトレーニングやんねーのか?」


「今日はもういい。俺にも予定がある。今は休み、夜から虎徹の店のバイトをやれ。時には狩人同士で連携を取る。対人のスキルでも磨いておけ。以上だ。俺はもう出る」


「いってらっしゃい」


「気をつけてなー!」


「あぁ」




 これからの説明をサッと終わらせて、黒い死神は立ち上がった。どんな予定があるのか少し気になったが、個人のプライベートにズケズケと関わるのもな……と思って口に出さなかった。いってらっしゃいと、気をつけてという言葉を背に受けながら店を出た黒い死神の姿はすぐに見えなくなった。


 これからは体力作りか……と、壁登りの際に少し自分でも体力がもっと欲しいと思っていたところだったので、やはりしっかりと自分を見てくれているんだなと感じて嬉しくなった。


 正式な弟子……正式な弟子かぁ……と今更になって実感してニヨニヨとした笑みを浮かべている妃伽にクスクスと笑いながら、虎徹は作っておいた卵粥とサラダを彼女の前に並べた。美味しそうな湯気が立ち上るお粥と瑞々しい野菜に目を輝かせて、ぱんっと手を合わせてから食べ始めた。


 熱そうにしながらも、美味しいと言って食べてくれる妃伽に笑みを浮かべながら仕込みの作業をやり、ふと思ったことを話すことにした。黒い死神の正式な弟子となった彼女だからこそ聞ける、黒い死神の貴重な話だ。




「巌斎さんは『初心返りの森』に行って、あの大穴に行ってきたんだよね?自力で登るのは難しかった?」


「んぐ……っ。おー、天切さんも知ってんのか。ま、確かに難しかったけどよ、前に落ちた奴が登った跡?みたいなのがあってヒントになってたんだわ。だから登るのにいい感じのルートを探せて、難しいけど簡単……?みたいな感じ」


「そっか。黒い死神の弟子になった巌斎さんにだけ、特別教えてあげるね。あの大穴に落ちた人の中に、黒い死神も入ってるんだよ?」


「えェッ!?最強の狩人が穴に落ちたのか!?」


「落ちたというよりは、自分から入ったというのが正しいかな?そういう場所に追い遣られた時のことを考えて、自分への課題として態と降りたんだ」


「……無いかも知んねーけど、あるかも知んねーから備えるのに自分で降りたのか……徹底的だな、黒い死神」




 もしかしたらこうなるかも知れない。それに備えて予め準備をしておくのが黒い死神だ。彼も八方塞がりな場所に追い込まれて戦わざるを得なくなったり、大穴のような場所に落とされたりした時のことを考えて、森の中で見つけるとすぐさま飛び降りたのだ。携帯している武器などを持ったままでだ。


 妃伽は武器と呼べるものがナイフだけで、他に持っているものとすれば植物図鑑だけだった。しかし狩人ならば当然武器を持っている。置いていくなんて以ての外。会敵したモンスターに殺してくれと言っているようなものなのだ。


 そこで彼は、リアリティを追求するために持っている武器をそのままに壁を登った。妃伽が登ったルートを登って、敢えて今度は一番難しい場所からも挑戦する。そうやって武器を持ったままの壁登りを経験した。つまり、妃伽にやらせた修行は黒い死神が必要だと思って自分でも行った修行なのだ。為にならない訳がない。




「……ストイックだな。自分で必要だと思ったら黙々とやんのか。すげぇ……」


「それが彼の強みだからね。誰に言われなくても必要なことは自分でやるよ。まあ、誰にも頼らずやっちゃうのが玉に瑕だけどさ」


「だから黒い死神はソロなのか?」


「ふふっ、ふふふっ。違うよ。ソロなのは皆が勝手に黒い死神を怖がってるだけ。知らないかも知れないけれど、乱戦……モンスターの大群が相手になって他の狩人が居る場合は、ちゃんと援護射撃して助けてるよ。戦場だからそれに気づかない人も居るけどね。あんな爆発音みたいな狙撃してるのに。それだけ必死なんだけどさ?」


「ちゃんと助けてんだな。……普通に良い奴なんじゃねーの?私なんて2回は助けられてるぜ」


「そうだよ、彼は優しいんだ。けど、それを表に出さないし、ちょっとぶっきらぼうに対応するから誤解されちゃうんだ。巌斎さんは、彼がそうじゃないって知ってるでしょ?だから、そこら辺は正しく認識してあげてね」


「いきなり穴に落としたり、モンスターを投げ入れたりしやがるけど、無意味なことはしないもんな。変な怪我負うようなこともしねーし。だから天切さんに言われるまでもねェ。私は私の師匠を信じるだけだ」


「……ふふ。頼もしい弟子が出来たね、黒い死神にも」




 元より、黒い死神に対して悪い印象なんて持っていない。それどころか、虎徹からストイックな話を聞いて流石だと思ったくらいだ。随分と信頼されてるね。命を助けられているからかな?と少し分析しながら、これからどういう成長を妃伽がしていくか楽しみになっていた。


 話をしながら出された卵粥とサラダを食べ終えた妃伽から食器を受け取り洗いつつ、楽しみやら期待やらを胸の内に秘める。彼女はこれから狩人として成長していくことだろう。それに乗じて黒い死神も変わってくれればとも思う。どこか焦りを抱いている様子の、黒い死神に。






 黒い死神という大きな歯車と、巌斎妃伽という小さな歯車が噛み合って動き出す。未来はこの歯車によって、どのような動きを見せてくるのだろうか。







 ──────────────────



 巌斎妃伽


 体力がもっとあった方が良いと感じていたら、黒い死神が体力作りから始めると言ったので、しっかりと自分のことを見ていてくれているんだなと感じて嬉しい。


 最強の狩人である黒い死神の正式な弟子となったので、誰に見られても恥ずかしくなく、師匠の顔に泥を塗るような弟子にだけはならないように固く誓った。





 天切虎徹


 端末に黒い死神から連絡があったので、風呂を沸かして妃伽が帰ってきても良いように準備をしていた。妃伽不在の時は1人で店を切り盛りしていたが、元々1人でやっていたことなので問題は無い。


 黒い死神の過去を知る数少ない親しい人物。黒い死神が大穴に態と降りて修行をしているところを知っていた。





 黒い死神


 もしかしたら……という可能性を考えて、大口径狙撃銃を背負いながら穴の中に降りた人。重い荷物を持ちながらの壁登りだったが、降りてすぐに登ってきた身体能力お化け。


 上から妃伽の事を観察して、もっと体力をつけさせた方が良いとしっかり分析していた。狩人は体作りが1番必要なので、やらせない訳がない。


 誰に何も言われずに、必要だと思った修行ば独学でやってきた。それも徹底的に。なので最強の狩人と謳われるだけのものを持っている。努力無くして彼の地位はありえない。




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