第9話 初心返りの森
黒い死神とバイクに乗って街を出た妃伽は、1時間以上掛けて移動していた。モンスターによるものなのか、荒れ地のような場所も通った。荒野と言っても良い。相当な速度を出しているのだから、荒野を抜けるのにそう時間は掛からなかったが、途中途中にモンスターの骨や、動物の死骸などが転がっていた。
中にはチラリと見えただけでも、人骨のようなものも存在していたのだ。ここはモンスターが良く出るところだと教えられたが、その時は運が良かったのか襲われることはなかった。襲われたとしても、妃伽は恐れることはなかっただろう。何せ黒い死神が付いているのだから。
1時間以上バイクで移動していると、荒野に少しずつ草が生え、木が生え、林になってから森へと変わった。此処もモンスターが多く棲んでいると言いながら、黒い死神はバイクを止めた。目的の場所に到着したらしい。妃伽も降りてヘルメットを脱ぐと、頭を振って髪を靡かせた。
ずっと彼に抱き付いて座っていたので、お尻が痛くなっていた。荒野の部分はバイクが凹凸を踏んで上下に揺れるので、当然跳ねて痛かった。痛みを和らげるのにお尻を擦っていると、黒い死神はバイクの後ろに付いたバッグの中から1冊の本を取り出して手に取ると、そのまま森の方へと歩いて行った。
「付いてこい」
「え、いきなり森の中入るのか?何の用意もしてねーぞ」
「要らん。むしろ用意はしなくて良い。それと、これはお前が持っておけ」
「おっとと……っ!」
ヘルメットをバイクのハンドルに掛けて、急ぎ足で黒い死神の背中を追う。ある程度追いつくと、彼は手に持っていた本を妃伽に放って渡した。何の本か知らないまま両手でキャッチして受け取った後、表紙を見てみると手書きで題名が書かれていた。
『基礎・植物図鑑』そう簡潔に書かれていた。これ以上の説明なんて要らないだろうと思わせる、味気ない題名だが、何となく開いたページには、植物の繊細なスケッチ図と共に、詳細が記されていた。何に使えるのか、どういうところに生えているのか、どんなことに利用できるのかと、事細かに書いてある。
全てが手書きであり、手描きだった。誰が書いたものかは分からない。著者を調べようとして表も裏も見たが、名前が記されていないのだ。何となく、この本を書いたのが誰なのか気になった妃伽は、前を歩く黒い死神に問いを投げた。この本は誰が書いたものなのかと。
「──────俺だ」
「え?……これをあの黒い死神が書いたのか?どう見ても勉強する為に作ったみたいじゃねーか」
「勉強する為ではない。
「ちょ、ちょっと待てよ。狩人最強とも謳われるアンタが、基礎と言えるだけのものを態々勉強したのか!?1から書いて本が出来上がるまで!?」
「何を不思議がる。知らないものを最初から知っている者など居ない。俺も最初はそうだった。だから必要なことを探し出し、見つけ、観察し、書き留め、繰り返し覚えた。誰であろうとそれは変わらない。その本はお前にやる。俺はもう必要無いからな」
「必要無いって……こんなスゲー本をそんな簡単に……」
素直に吃驚した。あの最強と謳われる男でも、基礎というより基本的なことを書いて覚え、いつしか1冊の本を作るまでに至ったと言うのだ。そして1番の驚きが、誇張もせずにそれを弟子になったばかりの自身に教えるという姿勢だった。自分より下の者に、そういったことは普通話したがらない。
狩人になる前の、戦いを知らない黒い死神が、戦えるようになるために積み重ねた情報を手にしている妃伽。今度は黒い死神が直々に書いて勉強したものだと理解した上でページを捲っていくと、年季が入っていて、繰り返し勉強したためか、紙そのものがとても脆くなっているところがある。
ボロボロになるまでこれを使っていたのかと思うと、黒い死神も歴とした人間なんだと思い、何だか親近感が湧く。それに、今の自身と同じような道を黒い死神が通っていると思うと、自身も狩人になって強くなれると、手に持つ本が背中を押してくれている気がした。無くさないように、破かないように慎重になりながら、ページを捲っていった。
「この森に名は無い。が、狩人の間では『初心返りの森』と呼ばれている」
「初心返りの森……?何でだ?」
「土地の栄養素が豊富だからか、多種の植物が生る。腕を磨き、大成した狩人は基本的で当たり前だと思っていることを忘れることがある。だがモンスターとの戦いは常に命取りであり、何が戦況を覆すか解らない。そのために、基本的なことは頭に入れておく必要がある。この森は、稀少なものを除く基本的な植物が生えていることから、狩人が確認や復習をする、初心に返る場所として使われることが多い」
「へぇ……やっぱり狩人もそういうことを大事にしてンだな」
「当然だ。中にはその場に生えている植物で危機を脱した狩人も居る。覚えているいないでは、その差は歴然だ。勉学が苦手だとしても必須条件だと思い励め。解らないことは放って置くな。調べるなり俺に問うなりして疑問を解消しろ」
「おぉ……分かった!」
歩きながら黒い死神にアドバイスを受ける。正直勉強をするのは苦手だ。あまり学が無いからということもあるが、それよりも体を動かしている方が好きなのだ。故郷で喧嘩に明け暮れていたのは伊達ではないらしい。
道端に生えている草などを見て、何の植物だろうかと思ったら本を開く。あいうえお順になっているので最初の方から探していき、それらしきものがあったらページを捲るのを止める。実物と照合してみて、9割以上形が一致していたら当たりだ。
調べている間は流石に立ち止まってしまうが、気を利かせて黒い死神は立ち止まって待っていてくれた。調べ終わり、見たものを忘れないように、調べた植物の実物を1つ採取して書いてあるページに挟んだ。それを繰り返していくと、黒い死神に聞いてみたい事ができた。この場に生えていないようなものの、その例である。
「なーなー。基本的な植物はこの森に生えてンだろ?なら、此処には生えてなさそうなものって例えば何だ?ちょっと気になったから1つで良いから教えてくれよ」
「……運が良ければ見つかるやも知れんが、普通に歩いているだけでは見つからんものがある。それは『マキカタキ』と呼ばれる植物だ」
「どういうやつなんだ、それ?」
マキカタキ。紫かかった大きめな丸い蕾が特徴的な植物であり、『初心返りの森』には殆ど生えていないものだ。日光が当たるところでは何故か育たず、育てようとしても枯れてしまうという不思議な植物だ。その効果は、蕾の部分を取り、握り潰すとモンスターの嫌う匂いを発する。
人間には普通の花の香りにしか感じないが、モンスターは嫌がって逃げる。ただし注意しなくてはならないのが、全てのモンスターに有効ではないということ。少なくとも下位のモンスターには効くが、それよりも上位の力を持つモンスターには一切効かないし、何の反応も示さない。
陰になるような場所にしか生えておらず、採取できても人間からしてみても片手で簡単に包み込めるほどの蕾の大きさしかしていないので、道具として使うにはかなりの量が必要になる。目安として、1つの蕾で近くに居る下位のモンスター2~3匹は払うことができる。
「おー!そういう植物もあるンだな!……てか、それ使えばこの前のモンスターの大群の中で、効き目のある奴等とか追っ払えたンじゃねーの?戦場見てねーから効く奴居たかどうか知らんけど」
「蕾を加工した、匂いを発する粉末などがあるが……それをあの場で使うのは得策ではない」
「何で?戦わなくていいなら、それに越したことは無いンじゃねーの?他にもめっちゃモンスター居ンだろ?」
「嫌う匂いを嗅いだモンスターは一時的に錯乱し、どんな行動を取るか解らん。つまり、暴れた拍子に他のモンスターを刺激し、連鎖的に他の多くのモンスターを興奮させて狂暴にしてしまう恐れがある。故においそれと、何の考えも無しに道具は使えん」
「あー、吠えてる犬に他の犬が反応するみたいなモンか……」
「道具も所詮は適材適所だ」
後のことも考えて使わないといけない訳か……と納得する妃伽。狩人はモンスターとただ戦っているように思えて、色々と考えているのだ。何も、手にしている武器を振り下ろすだけがモンスターとの戦いではない。時には自然に生えているものも使って戦況を有利に運び、最後は勝つのだ。
今まで全く知らなかったことを、黒い死神は惜しげも無く教えた。なりたいものに関連する未知の情報は、妃伽の気分を高揚させた。勉強は苦手だが、こういうのは悪くないと思えるのだ。自分1人では絶対に勉強などできない。しかしこうして一緒に行動し、教えられながら学んでいくとためになるし、何だかんだ楽しかった。
脚が軽くなって、森の奥へ進んで行く。学びながらの歩きが楽しくて、妃伽は森に入ってから1時間以上が経過していることに気がつかないくらいだ。運動はできるし運動神経も良いので、歩きだけでは疲れず、ずっと歩き続けてしまった。しかし、やはり妃伽とて人の子。運動していれば喉が渇く。
何も持ってくるなと言われているので、リュックに入れておいた水も持ってきていなかった。なので、今手元に水は無い。人は水を飲まなければすぐに脱水症状を起こして命の危険に晒されるので、妃伽は開いていた本を閉じて喉が渇いたと、黒い死神に訴えた。
「そろそろかと思い、水のある場所まで来ていた。これは狩人も世話になることが多いものだから忘れるな」
「おー……」
「この木があるだろう。見た目は他の木と何ら変わらないが、根元が濡れているのが特徴だ。この木は他と比べて異常なほど水分を貯め込む性質がある。幹も枝も、貯め込んだ水を吐き出さないよう強く強靭ではあるが、切ることさえできれば水が溢れるように出て来る」
「はぁ……?ンなに出てくるとは思えごぼぼぼぼぼぼぼっ!?」
喉の渇きを訴えると、黒い死神はそれを見越していてある場所へ向かっていた。地面の湿り気から場所を割り出し、目的の木を見つける。見た目は何の変哲もない木なのだが、根元が水で濡れている。踏めばじゅくりとした感触が靴の下から感じられるのですぐ解る。
黒い死神はこの木を切れば、溢れるように水が出てくると言っていたが、その言葉を妃伽は疑った。いや、流石に木からそんなに水が出てくるとは思えない……と。だから高を括って彼の傍まで来ていた。
懐から1本のナイフを手に取った黒い死神は、手頃な高さにある枝を左手で取って、右手のナイフで断ち切った。硬く強靱な筈の枝は、ものの見事に両断される。そして左手を離すと、枝は元の高さに戻って妃伽の真上へと来た。その瞬間、蛇口を捻ったような大量の水が、妃伽の真上から降り注いできた。
頭から水を被った妃伽は驚きでその場に固まってしまい、結果彼女は全身ずぶ濡れになってしまった。寸前のところで、彼女が手に持っていた本は黒い死神が回収したので無事だが、一張羅である妃伽の服は水分を多大に吸って重くなった。ここまで来れば濡れてないところは無いと、彼女は潔く降り注ぐ水に向かって口を開けて飲んだ。
「ッ……ッ……ぷはーッ!あ゙ー生き返ったァ……だけどこんなに水出るなら言えよ!!」
「言っただろうが」
「ちぇっ。びしょ濡れじゃねーか」
濡れた髪を掻き上げてオールバック風にすると、水浸しの服の裾を持って捻り水を絞り出す。その際に健康的な肌の、縦に薄く線の入った腹筋が見え、ジャージのズボンがずり落ちて赤いちょっと大人の下着が露呈した。
服を絞ることに夢中になっている妃伽は最初気がつかなかったが、濡れた腹が風を受けて涼しさを感じ、ズボンがずり落ちていることを感触で感じ取った妃伽は、バッと服を下げて後退る。その時に両腕で豊満な胸を挟み込んでしまい、濡れて張り付いた服と相まって実に暴力的なことになっていた。
ほんのりと頬を赤らめて、黒い死神のことを睨み付ける。言外に見たなと言っているのが伝わってきた。勝手にやったのはお前だろうと思いながらも口にせず、黙したまま溜め息を1つ。乾かさなくてはならないから火を起こすぞと言って、彼女に背を向けた。
「……っ。~~~~~~~~~~~ッ!!!!見といて溜め息吐くンじゃねーよッ!なんか、なんか悔しくて嫌だッ!あ、アンタフード被ってて顔見えないからって、実は鼻の下伸ばしてやがンな!?このムッツリ黒スケッ!ばーかっ!」
「言いがかりはやめろ愚か者。焚き火を起こすから早く来い」
「ぐッ……うぅ……クソッ。どんだけ堅物なんだよ……っ」
悔しそうにしながら、背を向けた黒い死神の背後で服を絞ることを再開した妃伽。別にジロジロ見られたい訳でもないが、こうも何も反応が無いと悔しい。純粋に悔しい。女としてそれなりに良いものは持っている筈なのだが、それはやはりのこと黒い死神には通用しないようだった。
びしょ濡れの服からある程度を水を絞り出した妃伽は、黒い死神が手早く起こした焚き火の前に座って服を乾かし始めた。チラリと盗み見ても、彼は自身に向けて視線を送っている感じはしない。そもそも視線を感じない。彼女から水に濡れる前に回収した本を開いて中を見ていたから。
まあ、黒い死神らしいっちゃらしいよな……と、妃伽は思いながら焚き火に手を翳し、くしゃみを1つした。今日はまだまだ長い。
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『初心返りの森』
今回黒い死神と妃伽がやって来た森。稀少な植物を除けば、基礎的に知識を入れるべき植物が多く生息している。なので、初心に返って学べる森という意味を込めて、そんな名前が付けられた。
『基礎・植物図鑑』
昔、黒い死神が勉強のために書いて、描いたスケッチなどが載った本。詳細に事が書かれていて、少しボロボロ。良く使い込まれていることが解る。黒い死神が最初から何でもできて最強だった訳ではないことを示す証拠。
『マキカタキ』
丸い紫かかった蕾が特徴の植物。日光に当てると枯れてしまうので、陰に生えている。潰すと下位のモンスターが嫌がる匂いを発するが、人間には普通の花の香りにしか感じない。問題は下位の小さいモンスター等にしか効果が無いこと。それ以外だと何の効果も期待できない。
『コウスイラク樹』
別名、貯水樹とも呼ばれる水を大量に貯水する木。根元が濡れていることが特徴で、貯水するために枝や幹が頑丈。切るのに一苦労するが、切れると蛇口を捻ったように大量と水が溢れ出てくる。その量はシャワー代わりができるほど。
巌斎妃伽
黒い死神が使っていた本を譲り受けた。まさかあの最強の狩人にも、下積み時代があったことに驚きが隠せなかった。てっきり最強は最強かと思ってた。何だそれは人間か?
意図しないラッキースケベをしてしまったが、全く反応が無い黒い死神に悔しさを感じた。強く反応して欲しい訳ではないが、全く無いのもちょっと嫌だ。という思い。
赤いちょっと大人な下着はそれなりにお気に入り。
黒い死神
別に生まれた瞬間から最強の狩人だったわけではない。当たり前。しっかりと勉強をして知識を付けていった。
妃伽の体を見て本当に何とも思っていない訳ではない。健康的肌だったから狩人になるなら健康面では大丈夫だろうと思ったり、まだ子供だろうに発育が良いなとは思う。まあそれだけだが。
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