第10話  スパルタな教え




 焚き火から上がる炎が木を燃やし、ぱちりと弾ける音が鳴る。まだ太陽は上に位置し、夜でもない以上日は必要ではないだろう。しかし今は妃伽にとって必要なものだ。


 木から溢れ出た水を全身に被ってしまい、濡れている彼女は焚き火の傍に寄ってジャージを乾かしている。その反対側には黒い死神が居て、昔に自分で書いて描いた本を捲って眺めている。どちらも言葉を発さず、草木が風に揺れて音を出すだけ。それだけが耳に入る。


 何となく居心地が悪い妃伽は、ジャージを火に翳して乾かしている風に見せ掛けて、内心では何を言おうか悩んでいた。目の前には狩人最強と謳われ、そして同時に恐れられている黒い死神。彼の事を聞くならば絶好の機会だろう。だが、知らなすぎて何を聞けば良いのかすら解らない。


 うーんと首を捻って悩んでいると、そんな悩んでいる妃伽の気配を感じ取った黒い死神が本を閉じた。考え込んでいるところに突然パタンと勢い良い音が耳に入ればビクリとする。顔を上げて前を見ると、片膝を立てた彼が自身のことを見ていた。




「今のように野営をした経験はあるか」


「野営?野営ねェ……街に向かうまでは、家があるわけじゃねーからあったけどよ、それでも詰め込んだ飯食って安全そうなところで寝るってだけだぞ」


「……そうか。火を起こした事は?」


「ねーな。気温的にも要らなかったし」


「ならば覚えておけ。火起こしは野営をする上で必要になる。火に強いモンスターを除けば、火の近くである程度の安全は守れる。ただし、それは下位のモンスターのみに有効になる。上位のモンスターは火など恐れん」


「ふーん。やっぱモンスターも動物みたいに火ダメだったりすンだな」




 残っている気を使って、火種を作り始める黒い死神。木の板にできるだけ真っ直ぐな棒の先を押し付け、両手を使って回し摩擦熱を加える。原始的な方法だが、手元にライターや火打ち石等がない場合はこうやって火を起こすしかない。


 燃えやすいものに、摩擦熱で生まれた火種を移して息を吹き掛ける。酸素を送りつつ風を与えれば、火種が熱を発して周りに火を点ける。それを手早く慣れたように行った黒い死神に、妃伽はおー……と言いながら拍手を贈った。


 やっている姿を見て関心を持った妃伽を少しの間見つめた黒い死神は、点けた火を大きな焚き火の中に入れた。折角2つになったのにもったいない……という言葉を無視して、また本を手に取って読み始めた。それだけを見せたかったのか?と首輪傾げる妃伽だが、取り敢えずジャージがまだ生乾きなので最後まで乾かすことを優先した。




「準備ができたら出発するぞ」


「了解。あと少しだから待ってくれ」


「次は少し歩く事になる。靴紐は固く結んで靴擦れが起こらないようにしておけ」


「マジか。結び直しとこ……」




 忠告を受けた妃伽は、忘れる前に靴紐を解いて結び直した。どのくらい歩くのだろうかと思うが、歩くだけのことに根を上げていては、モンスターと戦う狩人になるなんざ夢のまた夢だ。服の乾燥を兼ねた休憩で抜けた気を引き締めるために、頬を両手で叩いて気合いを入れた。


 他の木に引火して大火災を起こすことを防ぐために、起こした焚き火は消していく。土台の木を散らして、水を上に掛けておいた。準備ができたら、黒い死神の背中を追い掛ける形で再出発である。道の無いところを歩いて進み、本を片手に色々な植物を見て学び、サンプルを1つ採っていく。


 昼頃になると、見計らったように果物のみを生らせた木が生えており、それから食べ頃の実を採って食べて腹を膨らませた。肉を食べたかったが、近くに動物が居ないので仕方ないと諦める。




「動物を殺して解体したことはあるか?」


「あー、流石にねーわ」


「それも実際にやって覚えておいた方が良い。後程教えよう」


「うげー。マジかよ。必要かァ?」


「当たり前だ。今でこそバイクで移動しているが、依頼内容全部がそう簡単に済ませられるものではない」




 今のように、森に潜むモンスターを狩猟して欲しいという依頼があった場合、車はもちろんのことバイクで進むこともできない。そうなると、徒歩での移動となり、運良く近くで見つける事が出来れば戦闘に入る事ができるが、モンスターも生きていて移動する。見つけられずに数日掛ける狩人も居るのだ。


 そうなった場合、狩人は自身の経験を元にサバイバルをしなければならない。持っていくものは武器と最小限の調味料と水だけ。変に荷物を多く持っていくと、中身が食べ物であった場合には違うモンスターを引きつけてしまいかねない。


 モンスターと戦うのに絶対必要な武器も相当な重さがあるのに、そこに加えて大量の荷物を持って移動するのは現実的ではない。出会って戦う前に体力が無くなってしまうのだ。故に、食料等は基本的に現地調達になる。どうしても周りに何も無い時は、致し方ないので持っていくことになるが、それは所詮例外の話だ。


 動物の命を奪った事が無い人からしてみれば、グロいという理由だったり命を絶つ勇気が出ないという理由から忌避されているが、それができなければそもそもな話、狩人としてモンスターを狩ることなんて出来やしない。狩人になるならば、必ずやらねばならない必須行為だ。




「じゃあやるしかねーのか……」


「ナイフか素手か。どちらが良い」


「素手……?」


「首の骨を砕く。もしくは絞め殺す」


「うぅ……感触やだな……武器も使い慣れてねーしな……うーん」


「血抜きを考えたらナイフを勧めるが、無い場合のことも考えて素手も体験しておけ」


「デッスヨネー!」




 ヤケクソ気味に叫ぶ妃伽は、決定された動物の解体に腕を擦る。鳥肌が立っていた。動物を自分の手で殺したことが無いので忌避しているだけで、慣れれば息を吸うように出来ると、黒い死神からアドバイスなのか微妙な言葉を貰ってはぁ……と溜め息をついた。


 狩人ならば、モンスターを狩る。つまり動物の命を奪うことと同じ事をしているのだ。出来なければ狩人は務まらない。やらないといけない事だから、やる。けどあんまりやりたくねー……とぼやいている妃伽のことを、顔を少しだけ振り向かせてフードの中から眺める黒い死神。


 そうして、黒い死神が先導して歩くこと3時間。妃伽はちょっと休憩したいと言った時に、前を見ずに足元を見ていたので止まった黒い死神の背中にぶつかった。後ろへ蹈鞴を踏みながら下がり、ぶつけた鼻を擦って彼のことを見る。すると、これを見てみろと言われて彼の足元を見てみた。そこには、深い穴があった。




「……なんだよこれ」


「昔に起きた地震で緩い地盤が陥没し、穴のような形状になった。気をつけろ、1度落ちると壁が反り返っている所為で自力で登るのはほぼ無理だ。ロッククライミングが得意ならば別だが」


「いや、やったことねーから私は無理だわ」




「そうか──────




「──────え?」




 直径20メートル程の穴の入口を覗き込んでいた妃伽は、どんッ……と背中を押されて穴に吸い込まれるように落ちていった。最後に見たのは、片手を突き出している、黒い死神の姿だった。


















「──────ぅ……ぁ……あ……?」




 何か、前にも同じような感じで眠りから起きたような気がする……。そんな良く解らない考えと共に目を覚ました妃伽は、何が起きたのかを把握するために周囲を見渡す。周りは土の壁で、上に行くごとに反り返っている。登ることは難しい。ロッククライマーでないと登ろうとすら思えない壁だ。


 上からは光が差し込んでいる。でもそれは少しだけで、陽が落ち始めているから直に陽の光は入らずに暗くなることだろう。そこでふと思い出す。意識を手放す最後の光景。自身の背中を押したのだろう、片腕を突き出した状態で眺めていた黒い死神の姿。


 バッと起き上がる。下には枯れ葉や草、枝などが積み重なって自然のトランポリンのような物があった。これのお陰で地面に直接叩き付けられて潰れることはなかったようだ。これがなければ早速詰んでいた。ある事を知っていたのか、それとも偶然なのか、黒い死神のやりたいことは解らない。


 危ないから気をつけろと言われたから、落ちないようにしながら穴を覗き込んでいたのに、態と後ろから押して穴の中に叩き落とすのはどう考えても頭がおかしいとしか思えない。妃伽は額に怒りのマークを生やして上を見上げて睨み付ける。そこには、やはり黒い死神が居てこちらを見下ろしていた。




「おいッ!!どーいうつもりだこれはよォッ!!ふざけんじゃねーぞッ!!さっさと出せッ!!」


「今からお前には、その穴の中で数日間生活してもらう。ナイフと本は一緒に投げ入れておいた。必要ならば使うといい。その場に落ちているものならば何を使おうと構わん」


「はァ?」


「上まで自力で登りきるか、俺が良いだろうと思ったらそこから引き上げてやる。それまではそこで生活しろ」


「ふざけッ……飯とかどーすんだよッ!」


「時間になったら俺が投げ入れてやる。それまでは自力で生き残れ」


「は──────ッ!?」




 黒い死神から出された突然の試練。その内容は、妃伽が落とされた穴の中で数日間生活して生き残るというもの。何も言われていないから何の心構えもできていない。何の用意もしていない。何だったら、穴の中に突き落とされただけで、試練もクソもなかった。しかし黒い死神は本気のようで、言いたいことを言い終えると縁から姿を消した。


 妃伽は自身の傍に置いてある、投げ入れられたのだろうナイフと本を手に取った。手元にあるのはこの2つだけ。後は、自然に穴の中に落ちてきた木の枝や木の葉等しかない。食料は時間になれば黒い死神が投げ入れてくれるから大丈夫だとして、生き残れとはどういう事なのか。


 何もかもが唐突で理解ができない。穴から出たら絶対ぶん殴ってやる!と心に決めた後、妃伽はくしゃみをした。そういえば、この穴の中は冷える。陽が落ちてきたということを考えても寒い。いや、寒いというより空気が冷たく冷やされているのだ。


 穴の壁は土であり、上から水分が下に向かって浸透して濡れている。つまり壁がそもそも冷たいのだ。冷たい壁に当たった風が冷やされている。それを連続で行われているので穴の中の温度は下がっていた。長袖長ズボンのジャージを着ているのに寒いと感じる事に、妃伽は冷や汗を流した。


 このままでは、陽が完全に落ちて夜になると同時に穴の中の気温は更に下がり、寒くて震える夜を過ごすことになる。こんなところで風邪を引いたら一大事だろう。妃伽はどうするかと急いで辺りを見渡して、手頃の真っ直ぐな枝と砕けた木の破片を見つけた。急いでそれらのところへ向かって手に取り、あの時の見様見真似をする。




「クソッ……点け、点けよ……ッ!」




 真似るのは、つい3時間前に見たばかりの黒い死神が行った火起こしだ。焚き火をしないと風の冷たさで体温を奪われてしまう。陽が落ちて暗くなってきて、辺りも暗くなってくる。完全に暗くなってしまえば周りに何があるかすらも見えなくなり、把握することが難しくなってしまう。


 これならば、もっとしっかりと見ておくべきだったと後悔しながら、枝を両手で回転させて板に擦り付ける。摩擦熱が足らないのか、黒い死神がやっていた時間の倍はやっているのに煙すら出て来ない。火種が生まれないので火を点ける事ができない。


 本格的に暗さがやって来て、暗い中での火起こし作業。あともう少ししたら真面に前のものすら見えなくなってしまう。そうなれば詰みだ。懐中電灯なんて持っていないので明るさは得られない。焦りが生まれて息が上がる。掌が擦れて痛い。しかしその時、妃伽の鼻に何かが燃える匂いを嗅ぎ取った。


 摩擦熱で木が焦げてきたのだ。あと少しだ。あと少しで火を点ける事ができる。正直に言えば、もう腕が疲れたし掌も痛い。しかし煙の匂いを嗅いだ途端にそんなことはどうでも良くなった。そして、妃伽は火種を作ることに成功し、近くに置いておいた枯れた木の葉等の上に落として包み込み、懸命な息を吹き掛けた。




「はぁ……はぁ……あったけぇ……」




 火は灯された。懸命に行った火起こしは成功して、立派な焚き火となった。消えないように枝を追加しておき、枝の先を燃やして松明を作ると、明るさを得ながら夜の内に使う焚き火用の枝を集めてきた。自身の近くにそれらを置き、焚き火を前にして座り込む。


 ジッとして燃える炎を見つめていると、これを自分でやったのか……と今更ながらに気がついた。火を起こすなんてこと、したことなかった。1度見ただけだが、成功して本当に良かったとホッと胸を撫で下ろす。







 膝を抱えながら上を見上げる。暗くなってどこが穴の最上部なのか解らないが、少しずつ星が見えてきた空を眺め、この生活は何日続くのだろうと呟いた。







 ──────────────────



 巌斎妃伽


 黒い死神に穴の中へ突き落とされた。焚き火の作り方を見ておいて良かったと心底思った。これが無かったら寒さで震えて眠れない夜を過ごしていたと思うとゾッとする。


 穴から出たら絶対黒い死神の事をぶん殴ると心に決めている。





 黒い死神


 最初から穴がある場所を目指していた。危ないぞと言って忠告しつつ、中を覗き込んでいるところを後ろから押して突き落とした。


 ロッククライミングで登ってくるならば、また別のことを考えていたが、出来ないようで安心した。これで何の憂いも無く突き落とせる……と。


 焚き火を態々やったのは、確実に必要になると解っていたから。これを見せたのに出来ないならば、寒さで震えているがいい……と思っていた。




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