第2話 レストラン

「井田くんって真面目そうだから、こんなおしゃれなお店を知っているなんて、ちょっと意外だったわ。もしかして、今日のために結構下調べとかしてくれたの?」

 ホール全体が吹き抜けで、しかも配管むき出しの天井であるために、広々として開放的な雰囲気がある。その天井配管の間を縫うように吊り下げられた電球は、オレンジ色の光で店内を柔らかく見せていた。土谷奈津子はホールを見回しながら、少々大袈裟に驚いて見せた。

「一体どんな店に連れて来られると思っていたんだい」

 と苦笑いをしながら答えたが、内心ではほっとしている。二人での食事が初めてなので、こういう開放的なところの方がいいだろう、と考えて選びはした。そもそも繁華街の真ん中に通勤している割にはほとんど職場と家庭の往復だったので、最近の流行の店というものを知らない。だから幻滅されたらどうしようかと内心冷や冷やしていた。哲夫にすればこのアイマールと言う名のカフェレストランは学生時代によく通った店で、むしろあれから五年が経つのにまだ営業していたのが不思議だと思っていた。

同じ百貨店で勤めているとは言っても、奈津子は七階にある食器売り場の担当で、地下の食品コーナーで声を張り上げている哲夫たちとはほとんど接点はない。社員食堂は共用だが、話す機会もなくて遠巻きに見ていただけだった。たまたま同期の友人が奈津子の親友と知り合いだったということが分かって何とか機会を作ってもらい、ようやく二人きりで食事というところまで漕ぎつけたのだった。

「普通のレストランとか、居酒屋とか、そんな感じかなと思ってたの」

「そんな店の方が良かったかな」

「いいえ、そういうわけじゃあないわ。私もこういう店、好きよ」

 奈津子の台詞の最後の言葉に、年甲斐もなく舞い上がる。とりあえず、店選びは成功したと思っていいのだろう。

「喜んでくれて、ほっとしたよ。実はさ、ここは学生時代からよく来ていた店なんだ」

「ふうん。井田くんって、結構遊んでいたんだ。仕事中はそんな風には見えないけど」

 仕事中は、という言葉に、哲夫はまた、引っかかった。フロアが全然違うから、日頃見かけることはない。哲夫自身、奈津子が店舗に立っているところを実際に見たことはない。

「仕事中はって、僕の仕事中の様子なんて、知っているのかい」

 彼女の方も、こちらを意識していたということなのだろうか。勝手に想像し、舞い上がる。恋愛とは久しくご無沙汰だったので、やけに新鮮に感じられた。これじゃまるで、中学生か高校生じゃないか、と我ながらおかしくなった。

「私もお惣菜、時々買って帰るもの。井田くんの声って、よく響くよね」

奈津子は、いたずらっぽく笑った。その動きに合わせるように、ショートヘアの耳元でピアスが小さく揺れている。知っているとも。従業員が使う透明のビニールバッグを持って、買い物に来ている。その姿を見て、どこの売り場なのだろうと必死で探していたのだ。

「そうか。土谷さん、それで僕のことを覚えていてくれたんだ」

 これはいい具合だぞ。哲夫は顔がほころんでくるのを抑えられなかった。ただ、仕事中とは印象が違うという点では、それが良いものなのかそうでもないのかが重大になる。

「それで、仕事中の僕はどんな風に見えているのかな」

「それは、とっても真面目で仕事熱心て感じ。でも、オフの時にはちゃんと遊べるっていうのも素敵だと思うわ」

 おいおい。彼女の方が積極的じゃないか。哲夫はテーブルの上に置かれたローストビーフを一切れ口に運びながら、奈津子の顔を見つめた。

「遊ぶってほどじゃあないけどね。まあ、学生時代はそれなりに、かな。就職してからはほとんど時間もなくてさ。髪の毛だって、その頃は長く伸ばしていたんだ」

 奈津子は、ショートヘアの哲夫の顔をまじまじとのぞきながら、感心してみせる。

「そうは思えないね。昔からそんな感じかと思っていたわ。板についているもの。就職したからって、そんなに変われるものなの?」

「無理しているつもりはないよ。仕事は仕事で楽しいから。ところで、惣菜を買って帰るってことは、土谷さんは一人暮らしかい」

「いいえ、実家よ。本当は一人暮らしをしたいけれど、両親が出してくれなくて。食事は母が作ってくれるんだけど、時々ね。両親も仕事をしているものだから。井田くんは一人暮らしなの?」

「いや、僕も実家暮らしなんだ」

 少々がっかりしながら哲夫は口の中のローストビーフをワインで飲みくだした。それじゃあ家ではなく、外に出かけるしかないかな。奈津子の方は、サーモンのカルパッチョをフォークの背に乗せようとしている。口の端が微かに上がっていて、食事を楽しんでいるということは分かる。とにかく、手ごたえは悪くないのだから、なんとか次の約束をしてしまおうと、いくつかのプランを思い浮かべた。

「あのさ、良かったら今度、ドライブに行かないか。あ、車検がちょっと遅れているんで、出来上がってきてからになるけど」

 やっぱり車で出かけるのが一番いい。選択肢も色々広がることだし。そう思ってドライブを切り出した。ところがそれまで楽しげにしていた奈津子がふいに顔を曇らせた。

「ごめんなさい、私、車はちょっと」

 そっちじゃなかったか。ただ、あては外れたが、全面的に断られたわけではない。哲夫は話を切り替えて、他のプランに持っていこうと考えた。

「車、苦手なんだ。酔ったりするのかい」

「いえ、そういうわけじゃなくて」

 奈津子はなんだか言いあぐねていた。ここは一旦引いた方がいいのだろうか、とも思ったが、何かを言いたそうにも見える。少しだけ待ってみようと思っていると、案の定、小さくうなずいて奈津子が話し始めた。

「実は私、お姉ちゃんがいてね。私がまだ高校生の頃、死んじゃったの」

「……病気か何かかい」

 話が急に変な方向に流れたが、今更止められない。仕方なく、水を向けた。

「交通事故だったの。ひき逃げでね。自宅のすぐ前で、はねられて」

「それは……」

 哲夫は継ぐ言葉を探しあぐねた。ひき逃げ。不吉で不快な響きだった。

「犯人、捕まったのかい」

「いいえ。真夜中の話でね。お姉ちゃん、タクシーで帰ってきて、降りた途端の事だったらしいの。そのタクシーの運転手さんが、走り去っていくSUVを見ていたんだけれど、それだけしか分かっていなくて」

「SUV……」

 彼方に封印してきたはずの禍々しい記憶がフラッシュバックしてきて、哲夫は自分が蒼ざめていくのが分かった。

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