2.


 その晩。キリヤは、依頼のために高層階にある繁華街へと来ていた。下の階とは違い、綺麗で明るいその街は、キリヤにとってはいつ来ても眩しく感じられる。

 カーキのジャケットに腕を通し、ボサボサの髪はそのままに歩いていると、目の前を仲の良さそうな家族が通りかかる。

 両親に両側から手を繋がれ、楽しげに話す小学生の男の子の手には、大きなラッピングの袋が抱えられていた。


「(誕生日か?)」


 聖夜祭のある日までは早い。何せ世間はまだ収穫祭の真っ只中だ。

 だが四百年以上も生きれば、一年なんかあっという間だと、キリヤは思う。

 反対側のビルに繋がる歩道を歩きながら、空を見上げれば、巨大な透明な屋根が見える。雨が降っているのか、雨粒が当たる音が篭って聞こえた。


「……変わり映えのない世界だな。ここは」


 災害なんてものはない。

 技術に加えて、魔術などを合わせた高度な予測システムや、ビルの下にある可動式の人工地盤によって地殻変動に対応しているのもあるが、天候に関してはこの屋根が何もかも守ってくれている。

『我々はついに自然に打ち勝ったのだ』と、宣言されたのはつい五十年ほど前の話である。……その代償も大きなものではあったのだが。

 周りをみれば人間ばかり。人として化けていた獣人達も今は殆どいない。もしかしたら獣人という存在を知る者すらいないだろう。

 まあ、四百年前の時点で獣人というのは衰退していたのだが。


「(さて、さっさと仕事終わらせちまうか)」


 今回の依頼はただの使いだ。普段ノルドが趣味で子ども達に文字を教えているのだが、その子どもの一人から本を頼まれた。

 本の代金に関しては、ノルドが代わりに支払うという話だが、それならば自分ではなく、ノルド本人が行けばいいのにと不満に思いつつキリヤは書店へ向かう。


「本の題名は……っと、ああこれか」


 忘れないように書かれたメモには、『白銀の王子と黒金の王子』と書かれていた。

 

「コハクが好きだった本だな」


 はるか昔、とある村に一人の白銀の髪をした青年がいた。彼は傭兵団の一人として活躍し、その強さと美しさから『白銀の王子』と呼ばれていた。

 そんなある日、遠い国の依頼によりパーティの護衛を任される事になった白銀の王子は、そのパーティ会場で同じく王族暗殺を依頼された『黒金の王子』と呼ばれる黒髪の青年と出会う。

 ……この元ネタはインヴェルノ国の昔話である。白銀の王子と呼ばれた青年は、後に白狼はくろうの民の主となるムーン。そして黒金の王子と呼ばれた青年リューゲは、この領域でも有名な魔術師である。別名黒猫と呼ばれていた。

 シエンナ王子はインヴェルノ国の王子であり、姫は隣の夕暮れの領域から来たと聞いている。

 史実ではそれからしばらく時が経ち、インヴェルノ国に白狼の民の娘が嫁いだ事で、インヴェルノ国の王族は白狼の民の血が引き継がれていったという。


「その本なら、どこにでもあるだろ」


 片手をジャケットのポケットに突っ込みながら、書店のあるショッピングモールの中へ入っていく。

 収穫祭のイベントもあってか、仮装した子ども達があちこちにいる。保護者達が遠くで写真を撮って微笑ましい光景が広がっていた。


「(コハクが小学生の頃あったな)」


 使い古したヨレヨレのシーツに、油性ペンで目や口だけ描いたのを渡した。

 手抜き感が否めなかったが、本人は気にかなり気に入り、そして何故か破いて帰ってきたのを覚えている。幼馴染と戦って帰ってきたらしい。


「(ボロの布切れだってんのに、泣くもんだからあの後縫ったんだよなぁ……)」


 昔の記憶を思い出していると、目の前をつぎはぎだらけのお化けが通り、それを見つめながらキリヤは小さく笑う。

 そうして考えている内に、いつの間にか書店に着くと頼まれた本を手に取り、レジに持って行く。

 

「二千ポイントです」

「ポイント? ……ああ、そうか」


 聞き慣れない通貨に一瞬首を傾げるが、随分と前に全ての支払いがデジタルのみになった事に気付き、渡されたカードを機械に当てる。音がしたから無事に支払いは終わったようだ。


「(足りたか。良かった)」


 ホッとするキリヤ。ギリギリまで現金払いを通していただけに、未だにこの支払いには慣れない。

 店員によって紙袋に入れられ渡されると、それを受け取り書店を後にする。


「終わったし、帰るか」


 帰りにコンビニでコーヒーや煙草でも買って帰ろう。そう頭の中は早くも、帰る事でいっぱいになっていた。

 だが、その途中ある男が通りかかった途端、異様な匂いに足を止めた。


「火薬?」


 フードを被り、さっさと走って前に行く男を見つめた後、鼻を動かしながら火薬の匂いを探る。

 すると、近くから子どもの話し声が聞こえた。


「あれ。こんな所にお財布落ちてるよ」

「本当だ。誰かが落としたんだよ」


 少年が落ちている財布を手にする。何が入っているのか分からないがパンパンに膨れている。


「これ、お店の人に預けよう」

「うん。そうだね」


 兄らしき少し大きい少年が言うと、財布を持った少年は頷く。

 キリヤはその財布が気になった。近くの店に持っていこうとする少年二人を追うと、近づくにつれ火薬の匂いが濃くなっていく。


「(やっぱ、何か入ってんな)」


 面倒ごとに出来ることならば首を突っ込みたくない。しかし、子どもが巻き込まれるならば話は別だ。

 キリヤの気配に気づいた二人は立ち止まり、振り向くと、その財布から煙が上がり、キリヤはそれを取り上げて人のいない場所に向けて投げた。


「っ、それから逃げろ‼︎」


 声を上げながら、二人の少年を庇うように守り、声を上げた途端。財布と共に、連続してショッピングモールのあちこちから爆炎が上がった。

 突然の爆発に周囲は騒然とし、パニックになる中。キリヤは被った瓦礫を払いながら、腕の中にいる少年達に声を掛けた。


「大丈夫か……⁉︎」

「あ、ぁ……」

「だ、大丈夫、です」

「そうか、そりゃあ良かった」


 雑に二人の頭を撫で立たせると、爆発で火のついたジャケットを脱ぎ捨て、持っていた本を見る。

 幸いにも本は被害を受けていなかった。財布の爆弾も、そこまで広範囲に及ぶものではなく、それによる怪我人もいなかった。

 だが、側にある柵から下の階を見下ろせば、爆発によって怪我人がたくさん出ていた。その中には子どもの姿もあった。


「チッ……子どもまで巻き込みやがって」


 傷で呻く男性、親を求め泣き叫ぶ子ども、意識がなくぐったりとしている女性……。

 あまりにも地獄と化したこの状況の中で、キリヤは冷静を保ちながら後ろで膝をついたまま動けない少年に声を掛ける。


「おい坊主達。親はどこにいる?」

「え、えと、下の階……だと思う」

「僕達、塾の帰りだったから」

「そうか。……とりあえず、ここは危険だから外に出るぞ。行けるか?」

「は、はい。いけます」


 兄が頷き、キリヤは分かったと返す。

 弟と共に、避難を呼びかける係の元まで連れて行くと、遠くで再び爆発が起きた。

 悲鳴が聞こえる中、「任せた」と二人を置いて行くと、兄の少年が呼び止める。


「あ、ありがとうございました! 助けてくれて!」

「……おう。またな」


 言葉少なめに、軽く手を振り笑うと、キリヤは先程の男を探す。

 火災報知器の放送が響き、スプリンターが作動する店内を一人走っていきながら男の匂いを探るが、火薬や瓦礫の匂いで混じり、上手く嗅ぎ分けられない。

 腰に下げていた剣を抜き、警戒しながら周囲を見回すと、視界に見覚えのあるつぎはぎのお化けが入った。


「……おい」


 駆け寄り、倒れているお化けを揺らす。するとその中から現れたのは、栗毛の髪をした半獣人の少女だった。頭から血を流しており、魔術が仕込まれた腕輪が壊れている。

 キリヤは焦るように少女の息を確かめると、少しして少女の目が開く。


「あ、れ……」

「! コ……嬢ちゃん」


 コハクと呼びそうになってすぐに言い直したが、意識が戻りそして泣き始める少女を優しく起こし、頭を撫でる。その時に姿が戻っている事に気が付いたのか、すぐに頭にある獣耳を押さえた。


「ど、どうしよぉ。耳出ちゃったぁ」

「あー……ったく、仕方ねえな」


 ぐずる少女に、キリヤは辺りを気にしながらも同じく腕に巻いていた腕輪を取り外す。

 外した途端キリヤの顔が狼へ変わり、頭には三角の耳が現れ、毛むくじゃらになった手には鋭い爪が生えた。

 それを目の前で見ていた少女は茫然として眺めていたが、差し出された腕輪にキョトンとする。


「それ着けてろ。サイズが大きいから気をつけろよ」

「う、うん……ありがとう」


 細い腕に渡した腕輪を通し、姿が人間へと変わると少女の表情が和らぐ。

 獣人に対する差別はとうの昔に落ち着いてはいるが、今の時代獣人そのものがあまりいない。そして迫害された過去もあることから、獣人としての姿を晒す事に警戒してしまうのも無理はなかった。

 

「頭、痛くないか」

「うん。大丈夫」

「そうか。……外に出してやるから、離れるなよ」

「うん。ありがとう。おじちゃん」

「(おじちゃん……)」


 まあ確かに子どもから見てみればおじちゃんと呼ばれてもおかしくない容姿だろう。

 神として転生させられた時、キリヤは既に三十代後半ではあったし、見た目は変わらないとはいえかれこれ四百年は経っている。そう考えたらおじちゃんなんて若い方ではないか。

 地味に傷ついた自分に言い聞かせながらも、火の手が迫っている事に気付くと、少女を抱き上げ外に向かう。


「おじちゃん」

「何だ」

「おじちゃんは、狼さんなの?」

「……ああ。怖いか?」

「全然! かっこいい!」

「フッ、そうか」


 つい笑みが溢れる。昔を思い出して懐かしく感じた。

 煙を吸わないように気をつけながらも、外に近づくにつれサイレンの音や外の光が見えてくると、キリヤはより早く走る。

 早く少女を安全な場所に連れて行かなければ。非常口と書かれた扉に辿り着くと、力いっぱいに扉を蹴り外に出た。


「(っ、外に……!)」


 外のネオンが目に入ると、その目の前の男に気付き、キリヤは身体を捻って少女を守る。

 

「ぐっ⁉︎」


 銃声が響き、腰に激痛が走る。二発、三発と男は拳銃を乱射し、そのいくつかがキリヤに直撃すると、その場に膝をついた。

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