黒い狼は悩む

チカガミ

1.

 空が見えなくなったのは一体いつからだっただろうか。

 超高層ビルが隙間なく生え、特殊な施設以外雑草しかない薄暗いこの景色を眺めながら、男は煙草を吸っていた。

 そばに置かれた灰皿には大量の吸い殻が捨てられており、その吸い殻の殆どが、男の持つ煙草の銘柄のものであった。

 

「……」


 この四百年、色々な事があった。

 政治は勿論の事、技術も文化も何もかもが変わっていった。そんな中で変わっていないのはきっと己だけなのだろう。そう男は哀愁を漂わせながら煙を吐く。

 吸っている煙草がどんどん短くなり、それを灰皿に押し付け火を消すと、胸ポケットから新たに煙草を手にしようとする。だが、それは背後からやってきた主によって奪われてしまった。


「なっ、てめっ……!」

「全く、何本吸ってるのさ。身体壊すよ」


 金髪に金色の目。まるで彼女アイツを想像させるような外見の彼は、ノルド・シルヴァーという半神の男である。

 ノルドに取り上げられた事で、男は煙草を奪い返そうとするが、目の前に缶コーヒーを出され渋々それを受け取る。


「チッ……仕方ねえな」

「事務所の方におでんあるよ」

「はんぺんはちゃんと入ってるんだろうな?」

「ご希望通りに」

「ならいいが」


 プルタブを引っ掛け開けると、再び景色を見ながらコーヒーを飲む。

 その隣にノルドがやってくると、腕に提げていた袋から肉まんを取り出すと、フェンスに肘をついて肉まんに齧り付く。


「また肉まんかよ。好きだな」

「大分肌寒くなったしね。そういう君こそ、またここで考え事かい?」

「……」


 黙り込む男。でもノルドには分かっていた。


「昔の事でも考えていたのかな?」

「うるせぇ。別にいいだろ」


 オリーブ色の瞳が夕陽で眩しく細まる。長く伸びた白髪混じりの黒髪がビルの隙間風に揺れ、シャツの隙間から鍛え上げられた肉体が見え隠れしているが、その身体には傷跡がいくつもあった。

 ノルドが上半身から下半身へと視線を移すと、腰にはホルスターに収められた拳銃と共に、提げられている剣も見えた。


「……そういえば今日、麒麟きりん様に呼ばれたよ。頼みがあるって」

「守り神様からか? 珍しいな」

「うん」


 残った白い生地を食べ終わると、ノルドはじっと男の目を見つめる。「何だよ」と怪訝そうに男が見つめ返すと、歯切れが悪そうにノルドは言った。


「実は……聖園みその領域にいる朱雀様に、二人こっちに招きたい人がいるって言われているらしくてね」

「聖園領域? それでその二人ってのは」


 男に訊かれ、ノルドは複雑な表情を浮かべると口を開いた。


「コハクちゃんの、息子」

「……何?」

「だから、コハクちゃんの息子。そして、僕の異母兄弟。ここまで言えば、分かるよね?」


 男の顔が険しくなり、缶コーヒーを持つ手に力が入る。

 もう一人は息子のガールフレンドだと聞いているが、二人が来る理由が理由なだけに、男に伝える様に麒麟から言われていた。

 男は下を向き、息を深く吐く。そして、ノルドに声を低くして言った。


「あの男の血を引いているんだろう。今更、俺に言ってどうしろと?」

「それは……神器じんきが欲しいからだって」

「神器って、ルーポ・ルーナの事か? ハッ、所詮あの男に命令されて来たんだろうさ」


 飲み終わった缶をコンクリートの床に落として、八つ当たりをするかの様に缶を踏み潰す。

 ひしゃげた缶をぐりぐりと床に押し付けた後、そのままにして男は大股でその場から離れると、ドアを開いて振り向き、ノルドに言った。


「麒麟様には申し訳ねえが、お断りだって言っておけ」


 ダンとドアを強く閉めて行ってしまった男に、ノルドはやれやれと言った様子で、潰された缶を手にする。


「まあ、そうなるって分かってはいたけどさ」


 彼にとって彼女コハクの話と、ある男の話は禁句であるだけに、話せば荒れるという事は最初から分かっていた。だが、それでも話せと守り神の麒麟が言うのだから仕方がない。

 間に挟まれる立場も考えて欲しいとノルドは思いながらも、設置されたゴミ箱に缶を投げ捨てると、建物の中へと入っていった。



※※※



 夜明けの領域、インヴェルノ市。かつて、半獣人の狼の民族・白狼の民が治めていたこの場所は、今は繁華街となって栄えていた。

 ビルを貫く様に、市道や歩道、そして高速道路がそれぞれ繋がっており、ビルの壁には沢山の電光掲示板や看板が並んでいる。

 そんな道から大分下にある第二十五地区は、地面に近い事もあり、ちょっとしたスラム街である。荒れたビルの壁には落書きがなされ、闇の取引や薬の売人、売春等等、まさに無法地帯といった所で、平和とは程遠い。

 こんな場所に、ノルドと先程怒って出て行った男は暮らしているのだが、普段は何でも屋その裏では殺し屋としてやりくりしている。

 蜘蛛の巣が張り、ゴミが捨てられている非常階段を二階降り、Eエリアと書かれた階の廊下を歩いていくと、近所に住むチンピラの青年達に出会う。


「キリヤ兄貴怒ってたんスけど、また喧嘩でもしたんですか?」

「いーや。喧嘩じゃないんだけど、ちょっと色々ね」

「あー」


 分かっているような、分かっていないような。そんな返事をして、青年は苦笑すると、「ま、ドンマイっス」と言って離れていく。

 青年が離れた後「ドンマイじゃないよ」と呟いて、事務所へと向かうと、ドアは半開きのままで閉まっていなかった。


「あーあ。これじゃ泥棒入るっていうのに」


 ため息混じりに事務所に入り鍵を閉める。

 黒革のソファーやガラス張りの長机など、モノクロでお洒落なインテリアの中に、飲み捨てられた缶ビールやワインの空き瓶などが転がっている。

 それを飛び越え、奥にある男……キリヤの寝室を覗けばこちらに背を向けて何かを見ていた。


「……アルバムかな」

「ノックせずに入ってくるな」

「ノックした所で入れさせてもらえないからね」


 不機嫌そうに言いながらも、視線はアルバムから離れない。そのアルバムには小さな半獣人の女の子が写っていた。

 ようやっと寝返りをうてるようになった頃の写真から、つかまり立ちをする頃の写真、さらに幼馴染である赤髪の少年と遊んでいる写真などか丁寧に貼られている。

 写真の側には、短いコメントが書かれていたが、それは以前男が話していた知り合いの女性によるものだろう。

 キリヤの傍に積み重ねられたアルバムを一冊手にすると、ノルドはページをめくり写真を眺める。


「立派に、育て上げたんだね」

「……命令だったからな。ユキヅキ様からの」


 そして同時にハルカ王妃の願いでもあった。 


 『あの子をずっと守ってほしい』


 ユキヅキ王の命令と合わせると、それはあまりにも難易度の高い頼みだったとキリヤは言う。


「独身で、家族もいない。そして常に他人の命を奪ってきた俺に、王族の大事な一人娘を立派に育てろだなんて、無茶な頼みだと思わないか?」

「うーん、まあ」

「正直、やめちまいたくなった時は何度かあった。けど……」

「けど?」

「可愛かった」


 キリヤの口から出た言葉にノルドは顔を上げる。キリヤの表情は柔らかく笑んでおり、まるで父親のようだった。

 

「アイツはまだ生まれて間もない頃だったから、ユキヅキ様やハルカ様の記憶がなくてな……。だからと言って、俺の事を父さんなんて呼ばせる気はなかったが、それでもアイツは常に親に対するように接してきたよ」

「……」


 目を細め、写真を上から撫でながらキリヤは言う。

 ノルドは手に持つアルバムへと視線を戻し、写真に写る少女を見る。

 成長し白い制服を着た彼女は、明るく笑みを浮かべ花を持っていた。隣の看板からして入学式だろう。ページを捲れば、あの幼馴染の少年も青年となっており、照れた様子で写っていた。

 楽しい学生生活を送っているような写真が並んでいたが、そのアルバムは途中で終わっていて、それがどういう事なのか、ノルドは訊かなくても分かってしまった。


「(ああ、ここで離れちゃったのか)」


 そっとアルバムを閉じ、重ねてあるアルバムの上に置く。

 キリヤは喋らずに無言のままアルバムを捲っていたが、ノルドが離れるのに気付いたのか、「どこか行くのか」と訊いてくる。それにノルドは「どこにも」と返すと、部屋を出る。


「おでん温めなおすだけ。もう食べるだろう?」

「……ああ」


 それ以上は何も返事はなく、ノルドは静かにドアを閉めた。

 橙色に照らされた台所に向かい、片手鍋におでんを入れガスで温めながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出し飲み始める。


「いくら年月が経とうとも、変わりはしないか」


 ノルドの父もまた、キリヤが嫌い憎んでいるあの男である。

 ノルド自身も、幼い自分や母を捨てたその父の事が好きではないが、血縁関係である以上獣人であるキリヤには匂いで分かってしまったらしい。

 あれから大分年月も経ち、今では助手として傍にいるものの、やはりあの男関係になると情緒不安定になるのは何十年、何百年経とうとも変わっていなかった。

 出汁がぐつぐつと音を立て始め、火力を弱めながら菜箸で具を動かしていると、部屋からキリヤが出てくる。


「もう出来るよ」

「ああ」

「……その、さっきの話、断ってもいいからね」

「さっきの話? ……ああ」


 不快そうに呟くと、煙草と灰皿を持って台所へやってくる。ノルドが煮詰める横で、煙草を吸い始めるキリヤに嫌な表情一つとせず火を止め、皿を棚から出すとそこでキリヤが口を開いた。


「少し時間をくれ。考える」

「えっ」

「さっきの話だ。アイツの息子とはいえ、コハクの息子でもあるんだ。神器をやるかどうかは会ってから決めるが、会うかどうかは……すぐには決められねえ」

「うん。分かった」


 てっきり会わないの一点張りかと思いきや、意外にも会ってもいいという気持ちはあるらしい。だが、すぐには決められない所を見る限り、やはり悩んではいるようだ。

 それでも前向きに考えてくれるキリヤに、ノルドはにっこりとして頷くと、皿におでんをよそった。

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