23話 夏木立

「そんなものは探してない」


 変な疑いをかけられ、僕は弁解する。誰が女子の部屋で官能小説を探すのだろうか。そもそもそんなものは置いていないだろうし。


 それにしても僕を自分の部屋に呼んでまで、冬美は何がしたかったのだろう。そう思いながら出された麦茶を飲む。


「まあ元からないのだけど。残念だったわね」


 だから探してなんかいないっての。


「それで見て理解できたかしら? 私が文学部を作りたいと思った理由が」


 理解と言うよりは納得させられたに近い。おそらく冬美はこの部屋にある本を全て読み切り、新しい本を探していた感じなのかと推測する。


 それにしてもこの勉強机とベット以外は本棚で埋め尽くされた色気のない部屋だなと思ってしまう。元々冬美に色気などは求めてはいないけれど女子の部屋なのだから、と少しばかりの希望は持っていた。


 が、結果裏切られた。これなら僕の部屋の方がまだ女子要素があるだろう。そのレベルでこの部屋には本しかない。


「本が好きなのは分かった。けれどなぜ本を好きになったかは聞けてない」


 本質はそこだ。何事にも好きになる理由がある。冬美のレベルにもなれば何か強い記憶や出来事があったのだろう。


 僕には趣味と言えるものがないからこそ言える。特別何かを好きになるわけでもなく、全部が均等に楽しいくらいで済んでしまう僕とは違うのだ。


「そうね、まだ話していなかったものね。私が本を読むようになったのは小さい頃に出会った男の子のおかげなの」


 それはまあ随分と夢のような話ではないか。過去に男の子との約束があって高校生になってから再会、みたいなベタベタな展開だって期待できる。


 間違いなく僕ではないのだが、冬美にそのような話があるのが驚きである。それもそうか、誰しも幼少期は嫌う嫌わない以前の話だからな。


「それで男の子が絵本をくれたとか?」


「いいえ、喧嘩になった挙句に一番人気のない絵本を読むことになったわ。今になってはなんで相手が泣くまで戦わなかったんだろうと思っているわ」


 それはいい思い出話なのだろうか。その出来事によって本が好きになったなんて悲しくなるような話だぞ。


「でもその本の中身がアレだったのよね」


 アレ


 とは何なのだろう? まさか幼少期には見てはいけないような内容だったのだろうか。


「オツベルと象だったのよね」


 あのグララアガアのやつだろうか。それを幼少期に一人で読むだなんてどんなメンタルをしているのだろう。


 そもそも内容理解すら出来ているか怪しいものだが。しかしそれでなぜ本を読むことに繋がったのだろう。


「それからね、私が権力や金に溺れず謙虚に生きていこうと決めたのは」


「本を好きになった理由は!?」


 思わずツッコミをしてしまった。本好きになる起源を聞いて結構深刻そうな昔話をされて真人間になろうと決めた、なんていい話をされてしまったのだからしょうがない。


 反射的に口が動いてしまっていた。そして冬美は余程楽しかったのか目に涙を浮かべて笑っている。


 家ではこんなに表情豊かなのだろうか。やはり僕は知らないことが多すぎる。


「ふふ、ちょっとからかっただけよ」


 冬美はそう言うと本棚から一冊の本を取り出す。それを僕の前まで持ってきた。


 目の前に置かれた本は表紙が掠れてタイトルが読めなくなっていた。中の紙もボロボロで図書館にすらなさそうな本だった。


「この本を初めて読んだ時、鳥肌が立ってなんとも言えない気持ちになったの。この本は私のために書かれたんじゃないかってくらいにのめり込んでしまったの」


 タイトルも分からないその本に今までの冬美が詰まっているような気がした。


 それを言い終わるとすぐに本を戻してしまった。あくまで見せるだけで読ませてくれるわけではないようだ。


「これで私の秘密を一つ教えたわ。次は日向君、あなたの番よ」


 ビシッと眉間に向けて指をさしてそう言った。冬美は少し楽しそうな表情をしている。


 それにしたって僕に秘密なんて……あるにはあるが人に話せるようなものではない。


「どうしたの? 私は素直に喋ったわよ?」


 私が話したのだからあなたも、と圧をかけられる。


「僕のは……」


 極力人には話したくなかったことなのだが冬美だって教えてくれたんだ。等価交換はしなければいけないり。


 アキ姉すら知らないことを話そうと口を開くと、


「冗談よ、言いたくないことくらい誰にだってあるもの。私は別に聞かれなかっただけで、あのくらいいつでも答えるわ」


 僕が話さそうとするのを遮るように冬美はそう言った。ある意味助かった。僕のことを人に話すのはあまりにも難しく、聞く相手にも変な思いをさせかねない。


 貰った麦茶も飲み干して荷物に手を伸ばす。いつご両親が帰ってくるかも分からないし僕だってアキ姉が家で待っているのだ。


 今日はここら辺で帰ろう。


「冬美、今日はありがとな。本のことを教えてくれて」


 僕がそう言うと冬美は照れたように目線を逸らす。やはり家だとリアクションが大きい気がする。


 その後、玄関まで送ってくれた冬美を背に家に帰る。比較的家から近いので迷わずに歩いていく。


 今考えると家に上がる必要があったのかと考え込んでしまいそうになり、無限ループに陥りそうになったので考えるのをやめた。


 家に着くと部屋に荷物を置いてリビングに向かう。アキ姉はいつも通りソファに寝転んでテレビを見ている。


「おかえりー、今日も何かしてきたの?」


「と、図書館に……」


 ふうん、とアキ姉。絶対嘘だと気づいてはいるが詮索はしてこない。


 喉が渇いたのでお茶を飲もうと冷蔵庫を開けると中にラップに包まれたお皿がいくつか並んでいる。


 夕食の準備は済んでいるようだ。それを確認して僕は部屋に戻る。課題をやってから生徒総会に向けてのことを考えよう。


 そう思い、階段を上る。


 僕の部屋には一冊だけ文庫本がある。星の王子さま、と言えばほとんどの人が通じるだろう。


 まあ、幼い頃に貰ったはいいが未だに読んでいないのだけれど。これだけで僕の薄識が見て取れるだろう。博識には程遠い。


 さて、余計なことを考えずに課題に取り組むことにしよう。

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