18話 夏晴るる

「改めて歓迎するわ。日向君」


 冬美は手に取っていた本を机に置き、僕の方を見ながらそう言った。さっきまでの苛立ちが嘘のように消えていき、僕は彼女に吸い込まれそうになる。


 たった数日しか関わっていないのにここまで気を引かれるのは何故だろう。きっと僕が他人に本気で手助けしようと思ったからだろうか。


 一時の気の迷いだと信じながら僕は冬美の前の席に座る。もう今まで通りには戻れない。関わってしまった以上、最後まで見届けよう。


「それで冬美、大事な話なんだが、」


「何かしら? 私と日向君とのこれからについてとかかしら」


 間違ってはいない。だがどうもニュアンスが気になる。その言い方だとまるで僕と冬美が結婚をズルズルと引きずっているカップルみたいではないか。


 話がズレそうになったので冬美の言ったことは無視して本題に入る。


「僕がこの部活に入るとしても最低あと一人、部員が必要なんだ。それと一週間以内に部活として認められないと今年度の部費が出ないそうだ」


 真面目な話だと分かると冬美は真剣そうな表情で僕の話を聞いていた。ひとしきり伝えると冬美は机に顔を横にして突っ伏した。


 そしてチラッと僕を見ると、またそっぽを向いた。


「本当は部室としてではなくてただの隠れ場所にしたかったのよ、この倉庫」


 突然そんなことを言い出した。僕は話についていけず、冬美の口から説明が語られるのを待つ。


「まあ、日向くんも知っているように私は友達がいないわ。でも本が好き、文章が好き、活字が好き、紙の匂いが好き」


 冬美はポンポンと本の好きな部分を語っていく。その声にはいつもの冷たさはなく、とても楽しそうに跳ねるような声だった。


 本当に好きなものでないとこの熱量では話すことが出来ない。僕が出せない熱量を冬美は持っている。


 自分を見失うほど、誰にも邪魔されたくないと言うほど好きなんだろう。それが言葉からひしひしと伝わってくる。


「だから私は一人で誰にもバレずにここで本を読んでいれれば本当は良かったの。けれどあなたに出会った、出会ってしまったの」


 それは僕も一緒だ。いつもの日常が壊れゆく発端は冬美にあったのだから。


 しかし今となっては壊れゆくどころか、世界が色づいた気がする。僕の白黒に近い日常を、青春を色づけたのは冬美であることは確かである。


「だから私は決めたの、あなたを信じるって。人付き合いが苦手と知っていて世話を焼き、助けてくれる日向君を信じてみようって思ったの」


 それで稲荷に素直になりたいと願ったのか。だとするとより早く元に戻さなくてはと思ってしまう。


 願いとはいえ、神の本分は決意を聞き届けることだ。願いを叶えて楽をさせるものではなく叶うまで見守るのが神のはずだ。


 やはり冬美には自分の力で、自分の意思で話して欲しい。思ったことが口に出てしまうのは素直ではあるけれど本心とはまた別のものではないか。


 言葉を選び、どう伝えるかを考えるのが友達との話し方だろう。僕は結局その結論に至り、冬美に接しようと決めていた。


「そこまで言われたら僕が頑張るしかなくない?」


「だってお人好しで誰からも愛される人なんでしょ? あなたは」


 違いない。そう考えて動いているのだから。


「とりあえず今日は帰ろう。もう最終下校時間だって過ぎているしこれ以上は僕が耐えられない」


 これ以上は表情に出てしまう。いくら思ったことが口に出てしまっているとしても冬美の口から頼りにすると言われると嫌でもニヤけてしまいそうになる。


 我ながら気持ち悪いと思うが他の人に言われてもこんな気持ちになったことがない。未知の幸福感に襲われながら僕と冬美は裏門からこっそりと学校を出る。


 最初に出会った時と同じ、しかし僕と冬美の距離は明らかに近づいている。


「それで私が言うのもなんだけれどあと一人の目星はついているのかしら?」


「それが……今のところ全くついてない」


 明日になったら桜木さんに聞いてみようと思うが彼女が他に部活に入っているかもしれないし確証はない。


 男友達に聞いてみるのもアリだが冬美がいると知ったら間違いなく断られるだろう。


 一体どうしたものか。


「まあ気長に考えましょう。あと一週間もあるのだから」


 そうは言っても生徒会に認可してもらうためにも数日の余裕は欲しい。


 そのためにはあと三日程で部員を集める必要がある。この三日が勝負だな、と思いつつ冬美には伏せておく。


「うん、僕も僕なりに人を探してみる」


「あら、私は日向君頼りなのよ? 私に仲のいい人なんて日向君くらいしかいないもの」


 そうだった。


 そんなことを話している間に僕の家の前まで帰ってきた。冬美は軽く手を振ると何も言わずに歩いていってしまった。


 やはりその横顔も少し笑っている気がする。


「ただいまー」


 今日も帰るのが遅くなってしまった。アキ姉はもう帰っているだろうか。残っているとは言っていたけれど最終下校時間には学校を出ているだろうし疲れて部屋で寝ているかもな。


 扉を開けると、


「あ、おかえりー」


 またもバスタオル一枚で廊下を歩いているアキ姉。もはや二度目の為に反応のしようがない。


 バスタオル一枚とは言えどタオルのように肩にかけているだけで何もかもが見えている。


「寒くないの?」


 うん、弟としての反応はこれでいいだろう。全国の弟はこうして女子に夢を見なくなるのだろう。


「うんー、ちょっと寒い?」


 アキ姉もアキ姉だろう。少しは恥じらいを持ってくれればこちらとしても反応に困らないというのに。


 さっきまで真剣に考えていたのが嘘のように間が抜けてしまった。突っ立っていてもどうしようもないので荷物を置きに二階に登る。


 アキ姉は着替えを持ってリビングに向かった。親がいないことをいいことに家の中では自由奔放な姉である。


 僕はベッドにバックを投げてダイブする。僕の匂いしかしない枕に顔を埋め、今日も疲れたと心の中で呟く。


「日向ー、ご飯なにがいいー?」


 下の階からアキ姉の声が聞こえてきた。今日は夕食リクエストがいい日らしい。


「肉ー」


 今はなにかガッツリしたものをかきこみたい気分だったために反射で肉と言ってしまった。


 そしてアキ姉の返事を聞くことも無く僕の意識は沈んでいった。

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