17話 夏の暮

「夏川の言いたいことは分かった。しかしだな、ここが予算会議である以上ここで決めなければいけないのだよ」


 アキ姉の言ったことを認めつつ、みたいな雰囲気で言ってはいるがこの教師の言っていることは間違いなく自己中心的なものだろう。


 早くこの会議を終わらせたいのか、それともただ単に生徒に嫌がらせをしたいのか。全く意図が読めないが邪魔をしているのは確かだ。


「情報が揃っていないのは認めます。しかし少しくらいの猶予があっていいと思うのですが先生は違うのですか?」


 アキ姉も教師に反抗するように言う。アキ姉の考えることだ、ここで折れては生徒会長の名が汚れるとでも思っているんじゃないか。


 まあ僕が考えたところでアキ姉の思考にはついていけないだろう。


「どう言おうともこの会議に間に合わなかった。それだけだよ、社会に出ても期限は絶対だしな」


 でた、ふざけた大人の社会語り。期限を守るのが普通なのは小学生でも分かることだろ。それでもなお、ネチネチと言ってくるのは嫌がらせとしか考えられない。


「分かりました、今日のところは保留にしましょう。今後は一週間後の生徒総会で決めましょう」


 生徒総会。全校生徒が集まり、今年度の予算読み上げや、昨年度の会計報告をする場である。


 そこで最終的な決定が下されるため、教師もこれ以上の口出しは出来ないはずだ。


「まあいいだろう。どうせそんな部活なんて承認されないに決まっているしな」


 吐き捨てるようにそう言うと教師は監督の義務も忘れ、教室から出ていった。


 その後はアキ姉主導で会議が終わった。僕は鬱憤が溜まりに溜まって何でもいいから殴りたい、と思うくらいになっていた。


 冬美とは数日の付き合いだが、部活創設に関しては真剣だったはずだ。その証拠に海人と相談をして図書室からも許可を貰って本を借りているのだから。


 真剣な人を馬鹿にされるのは許せない。流石の僕もイライラしていた。


「日向、肩の力を抜きなさい」


 アキ姉が僕の両肩に手を置く形で声をかけてくれた。ギスギスとしていた心の中がたった一言によって晴れ渡る。


「あんな大人の言うことなんか真に受けちゃダメよー。それに冬美ちゃんには日向がついているんだからきっと何とかなるわよ」


 なぜ僕がついているんだ。と思ったが嫌でも付き合わされそうなのは薄々気づいていた。


 僕が名前を貸すとしてもあと一人、読書が好きでも冬美と一緒でもいいと言う人は少ないと思う。問題はそこなのだ。


「アキ姉だったらこの状況でどうする?」


 僕は考えるのをやめ、アキ姉に問う。正直どうしていいかわからなかった。


 冬美に手を貸すのはいいのだがその先が見えない。それがどうしても不安になる。


「私だったらねー、部活に入って青春を謳歌したいなー」


 アキ姉は中学から生徒会をやっている。もちろん部活で汗をかくことも仲間と共に息を合わせることなどやる暇がなかった。


 それを一番近くで見ていたのが僕なのだから返ってくる答えは分かっていた。しかし改めて聞くとアキ姉の青春は灰色に聞こえてしまう。


 本人がどうかは分からないが僕が見てきた中ではいつも忙しそうに、そして誰もが憧れる生徒会長だったと思う。


「変なこと聞いちゃってごめん……」


「いいって、私だって好きでやっていることなんだから」


 僕は常にアキ姉に気を使わせてしまう。やはりまだまだ子供ということなのだろうか。


 僕とアキ姉しかいない教室の中、夕焼けが胸に染みた。まだ春ではあるが秋の夕暮れのように寂しく綺麗だった。


「もう帰ろっか」


「……うん」


 あの教師への苛立ちと自分への情けなさですっかり気分が沈んでしまった。


 アキ姉の後を着いていくように僕は教室を出る。


「日向……くん? なんか落ち込んでるみたいだけど大丈夫?」


 教室の外にはアキ姉を待っていたのか菘さんが後ろに手を組んで立っていた。僕の顔を見るなり心配そうな顔で駆け寄ってくる。


「そんなに私のお弁当が不味かったのかな……?」


「あのお弁当は美味しかったよ」


 勘違いで良かった。これで菘さんにまで心の内を知られては男として恥ずかしい。そう思うとうじうじしてはいられず、あの教師を見返してやろうという思いが湧いてきた。


 あと一人、たった一人集めればいいのだ。全校生徒五百人近くいるこの学校だ。どんなお人好しでもいい、たとえ不良だとしても一人いれば解決なのだ。


「アキ姉、やることが出来たから先に帰ってて」


「それでこそ日向だよ。私は生徒会室で待ってるからね」


 そう言われ、僕は走った。菘さんは何が起きたのか分からずにポカンとしていたが僕は気にしない。そのうちアキ姉が説明するだろうし。


 今はそれどころではなく、僕はに向かって全速力で走る。


 校舎の裏、誰も人が寄りつかずに忘れ去られた倉庫。そしてこれから文学部の部室になる場所。


 息を切らしながら倉庫の前までやってきた。扉は少し空いていて鍵はかかっていない。どうやら冬美がいるようだ。


 そっと扉を開けるとこちらに背を向けるようにして座っている冬美がいた。本を読んでいて集中しているのか僕が入ってきたことに気がついていないようだ。


 後ろからでも分かる。冬美は本が好きなのだ。不動の姿勢で少し表情が柔らかく見入っている。


 これは間違いなく本当に好きなものに対する目だ。誰にだってある、それこそ氷の女王にだってある純粋で尊い目だ。


 僕は邪魔しないように後ろから見守る。冬美の区切りがついてから声をかけようと思い、壁にもたれ掛かりながら横顔を眺める。


「あの、日向君?」


 気づかれていた。冬美は少し怪訝そうな顔で僕を方に振り返る。


「集中していたみたいだから邪魔しないようにしていたんだけど……」


「そんなに幸せそうな顔で見つめられていたら誰だって気づくわよ」


 僕がそんな顔をしていたのか? 自分の顔だとしても想像できない。


 冬美は本に栞を挟み、こちらに向かって座り直した。


「それで、ここに来たということは何か用があるのでしょう?」


 何もかもがお見通しのようだ。稲荷みたいだ、と思い倉庫内を確認するが稲荷はいなかった。暇すぎて校舎の中でも徘徊しているのだろう。


「僕入るよ。この文学部に」


「別に倒置法を使ってそう言われてもね。まあ、部員が増えてくれるのはありがたいから感謝するわ。そして歓迎するわ」


 こうして僕は文学部(仮)に入部した。

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