8話 陽夏と稲荷

「それでいいんじゃよ。そのくらいの認識だけで十分なのじゃ。後はその認識がどれだけ広まるかにかかっておるがの」


 認識されるだけで信仰の定義に当てはまるのか? でもその場合、今は少なくとも三人には認識されていることになる。それじゃ足らないのだろうか。


「例えばじゃ、おぬしが彼女とデートをするとする。その時に待ち合わせ場所はどうする?」


 待ち合わせ場所、か。僕に彼女なんてできたことなんてないのだがifの話で考えてみる。


「無難なところだと駅とか落ち合いやすい場所とか?」


 実際に彼女と待ち合わせなんてしたこともないし推測の域を出ないのだが男友達とはいつも駅なのできっと同じようなものだろう。


「そうじゃ。神も同じで神社やらが目印くらいでいいものなのじゃよ」


 言われてみればそうかもしれない。比べる相手が駅になるが、僕たちはただ待ち合わせをするだけであって駅に祈りを捧げることなんてない。


 だから日本には八百万も名前も知らない神がいるわけか。


「でもその場合、稲荷さんの目印って何になるの?」


 桜木さんが不思議そうに尋ねた。確かに神棚のことを知っているのは今現在三人であって、稲荷を見ることができているのは二人。


 祈り一つを成就させるに値するほどの信仰が集まるとは到底思えない。


「わしが心配しているのはそこなんじゃよ。わしの姿が見えるものが多ければそれはそれでいいのじゃが、まずいないだろうからのう」


 こうして稲荷の姿を見ることができるのは僕の場合、例外的なものなんだろう。桜木さんは家系的なものがあるのかもしれないが僕の知る限り親類内に神職関係の人はいないはずだ。


 なのでこのまま稲荷のことが見えるのは二人だけ、ということもあり得るわけだ。


「その場合もう詰みに近くないか?」


「確かにそうじゃのう。でもそこをどうにかするのがおぬしらの仕事というわけじゃよ」


 そう稲荷は言った。いきなりどうこう言われても仕方がない。


 しばらく沈黙の間が続き、僕は日を改めようかと思い発言しようといた時、


「あのっ! ここって確か新しく部活を作るにあたっての新部室なんですよね」


「そう言われればそうだったっけ」


 昨日、海人が言っていたような気もする。けれど海人の言うことなぞ素直に聞くわけもなく流していたが故にうろ覚えだ。


 しかしこの倉庫が新部室として使われるようになれば神棚も目に付くようになるし稲荷の力も戻りそうなものだ。しかしそれには難しい条件があるんだよな。


「でも冬美が作ろうとしている部活なんだろ? 冬美が他の生徒を迎え入れるなんて考えられないんだが……」


 全てを切り捨てる氷の女王様のことだ。きっと入りたいと言う前に立ち去るに決まっている。


「でも部活って最低限三人は部員が必要なんだよね。その場合冬美さんが勝手に倉庫を使っているってことになって停学とかもあり得るんじゃ……」


 桜木さんの言っていることが確かなら冬美は停学のリスクを負って部室を作ろうとしていることになる。最早部室ではないのだが。


 それにしても僕には冬美がそんな無謀なことをするようには思えない。冬美が誰かと仲良くしているところを見たことはないが何かしらの策があると睨んでもいいだろう。


「とりあえず今日はもう帰ろっか」


 僕が黙々と考えていると桜木さんが声をかけてきた。ハッとして空を見ると茜色から紺色に変わり始めていた。


 このまま残っていても解決しそうにないし生徒移動を受けるわけにもいかないので俺と桜木さんは稲荷に別れを告げて校門へ向かった。


「私、逆方向だからここでバイバイだね」


「すぐに暗くなるだろうし送っていこうか?」


 一応男子として聞いてみたり。


「ううん、私の家すぐだから大丈夫だよ」


 断られてしまった。その後、分かれて少し残念に思いながらも僕の帰り道を歩き始める。少し歩き、交差点で信号を待っていると、


「あら、日向君じゃない。まだ桜木さんと乳繰り合っていたのね」


 いきなり話しかけるにしろ、その話題から入るのは僕が気まずいじゃないか。


「別に乳繰り合っていたわけじゃないんだけど……でも丁度良かった、冬美に聞きたいことがあって」


「私のスリーサイズ? 日向君になら言ってもいいのだけれど。まず上から、」


 公衆の面前で自分のスリーサイズを語りそうになる冬美の口に僕の手を当てることで食い止めた。こっちの方が犯罪性が高そうだが、公然わいせつ未遂の冬美に比べたらセーフだろう。


 一回黙ろうか、とジェスチャーをして頷いたので手を離す。


「いきなり唇を奪うとは大胆なのね。私の初めてが日向君の手になっちゃったじゃない」


「聞いてもいないのにいきなりスリーサイズを言おうとする奴に比べたら全然いいだろ……」


 なんだろう、冬美と会ってから一分と経っていないのに一気に疲れた気がする。そんな僕を横目に信号が青に変わったので歩き始める冬美。


「それで私に聞きたいことって?」


 ああ、そうだった。いきなりの問題発言のせいで忘れかけてしまっていたではないか。


「あの部室、そして冬美の作ろうとしている部活のことなんだけど」


「それがどうしたの? 本を運んでくれたお礼を言ってなかったことへの催促かしら?」


 どうしてそうなるのだろうか。別に自意識過剰なわけではないが僕はそこまでみみっちい性格じゃないぞ。


 しかしいきなり本題に入ったら何かしらの手段で話を逸らされそうな気がしたので、まずは少しずつ話を近づけていこう。


「催促なわけがないだろ。僕が聞きたいのは何の部活を作ろうとしているのかが気になってたんだ」


「そう。本を一緒に運んでいたから気づいていたと思ったのだけれど案外頭が錆びているのね」


 すごい言われ様じゃないか。と思い冬美の顔を見ると、彼女はとても楽しそうに笑っていた。その顔を見て僕は言い返そうとしたことを反省する。


 そうだ、彼女はこうして友達と冗談すら言い合うことができなかったのだ。その会話の楽しさすらも知らぬまま過ごしてきているんだ。


「日向君、顔に出ているわよ」


「ご、ごめん」


「謝らなくてもいいわ。今こうして私が笑えているのだからあなたは誇らしくしていればいいのよ」


 そう言われても素直に頷けない。ただし、彼女がこうして僕を相手に心を開いてくれたことは心底嬉しかった。


 そうして僕らは日が沈む道を昨日と同じく並んで歩いた。

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