7話 夏と春愁
「ごめん、今なんて……?」
明らかに日本語なのは分かったが肝心の内容が一切入ってこなかった。きっとどこかの方言なんだろうが桜木さんは自分が方言を使ったと思っていないらしくキョトンと首をかしげている。
稲荷が何か考えているらしく空中をクルクルと回っている。重力などそっちのけで回転しているがそれよりも桜木さんの発したキツイ方言の方に気を取られていたため気にすらならなかった。
「その訛り方じゃと……確か九州の方じゃったか」
「え!? 今方言出てました!?」
「うてあうって、とかなんとか」
僕がそう言うとその場にうずくまってしまった。よほどショックだったらしくすすり泣くような声も聞こえる。僕は彼女を落ち着かせるために声をかける。
「方言女子なんて可愛いって言うじゃん、それに僕は全然気にしないし」
「長崎弁は可愛くなんてないですよう。どうせ畑臭いーとか魚臭いーとでも思っているんでしょう……?」
はっきり言って長崎なんて一回も行ったことはないしどんなものが有名なのかも無知に等しい。でも今はそれがいい。
何も知らないことによって彼女を落ち着かせられるかもしれない。しかしながら何も知らないということは長崎の良いところも知らないわけで……結論なにも返す言葉が見つからなかった。
「ほら、何も言わないじゃないですか。やっぱり長崎なんて田舎は嫌です」
「それは言いすぎじゃぞ、娘よ」
どんどんと自己嫌悪、というより地元嫌悪に沈んでいく彼女を稲荷は優しい口調で遮った。稲荷は顔も穏やかにそっと桜木さんの背中に手を当てた。
「日本には八百万の神がおるんじゃぞ。もちろん悪さをする輩もおる。けれどな長崎はそれはそれは勇ましく、優しい神ばかりなんじゃぞ」
そう言われると桜木さんは少し柔らかくなった表情で立ち上がった。ようやく落ち着きを取り戻し、僕に笑顔を見せてくれた。
彼女の笑顔を見た瞬間、世界が一瞬だけ止まったように感じるほど魅力的な笑顔だった。過去に見たどんな女子の笑顔よりも素敵で愛らしかった。
そんな見つめ合う僕らを横目に、
「だからこそ長崎の奴らは嫌いなんじゃっ! どいつもこいつもわしの手柄を持っていきよってー!」
狐の神様はお怒りの様だった。その様子を見て僕と桜木さんは顔を見合わせてもう一度笑い合った。
響く笑い声に稲荷も加わり、場が和やかになっていたところ、
「随分と楽しそうだけれど日向君。そちらの方はどちら様で?」
と、聞いただけでも背筋が凍りそうな冷たい声が耳に入った。恐る恐る後ろを振り返るとそこにはに、腰に手を当て頬を膨らましながら仁王立ちしている冬美がいた。
なんとまあキャラと合っているのかかけ離れているのか分からないことをしているんだろう。そう思いつつも冷静に返す。
「僕たちと同じクラスの桜木さんだよ。いつもは前髪を下げているから分からないだろうけど」
「そう。とりあえず日向君から離れてもらえるかしら」
いきなり何を言い始めるんだ、と思ったが横を見ると明らかにプライベートスペースに入っている桜木さんがいた。あと少しで肩と肩がぶつかるくらいの距離にいる彼女は心なしか震えているように感じる。
いつも大人しく人と関わらない桜木さんのことだ。きっと初めて話す冬美が怖いのだろう。最初は僕の後ろに隠れるようにしていた桜木さんだったが意を決したのか僕の前まで歩き出した。
「ひ、日向君は私の相談に乗っていてくれただけで冬美さんが思っているような仲ではないですよ……」
「それは知っているわ。けれど何となくさっきの様子を見ているとそうは思えなくてね」
睨みを利かせている二人。いや、ほぼ片方しか睨んではいないのだがこのままだと何かまずい空気になりそうだったので僕が間に入る。
「桜木さんは図書委員で本の整理とか手伝ってくれるかもと思って僕が呼んだんだ。冬美だって倉庫の中にある大量の本を一人でどうにかできるわけじゃないんだろ?」
嘘になってしまうがこの場を丸く収めたい。そう思った俺は迷いなく冬美の目を見つめてそう言った。
僕の言葉を聞いて納得したのか怒ったのか、冬美は身を翻して校舎の方に戻って行ってしまった。傍から眠そうな稲荷のあくびが聞こえてきた。
「素直というのも時に難しいものじゃのう」
一体誰のせいだと思っているのだろうか。よくもまあ呑気に欠伸をかいていられるものだ。
「そういえば稲荷、いつになったら力が戻る予定なんだ?」
「まだまだ分からないのう。それに神の力の源は信仰から来るもの故に今現在は皆無なのじゃよ」
本当に浮遊霊みたいなものじゃないか。
それにしても信仰による力、か。今どき律義に稲荷にお供え物をする人もいないだろうし、こんな場所にあっては気づかれるものも気づかれないよな。
「まあおぬしの考えているよりは難しくはないがのう」
勝手に人の心を読むのはやめてほしい。
「すまぬすまぬ。おぬしは面白くてつい覗いてしまうのじゃ」
大口を開けて笑う稲荷。そのやり取りが面白かったのか桜木さんまでもにやけている。
「日向君って結構クールタイプかと思っていたけど案外そうじゃないのかもね」
「違いないのう」
今度は二人で僕のことを見て笑いだしてしまった。もう止める気にもなれず僕は諦めることにした。そしてこの先の稲荷のことについて考える。
信仰が力になるとして、その信仰に当てはまるのは一体何なのかが分かれば早い話なんだが。どこから線引きしていいものか全く見当がつかない。
「そう深く考えるな。例えばじゃ、おぬしがいつもとは違う帰り道で神社を見つけたとする。そのときに神社を見て何と思う?」
急に振られて驚いた。突然の質問だが焦らずに考える。
もし俺がいつもと違う道で神社を見つけたら、か。何となく想像しづらいが特に意識することもないかもしれないな。
「とりあえずそこにあるな。くらいにしか感じないかもしれない」
この場合だと信仰の定義に当てはまりそうもないがどうなのだろう。
「ああ、それで全然十分じゃよ」
予想外にもそんな単純な答えが返ってきたことに俺は驚きを隠せなかった。
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