4話 夏と秋+冬

「誰って言ったってクラスメイト以外ないじゃん」


「まあそうよねー」


 意外にもアキ姉はあっさりと身を引いた。それに驚きながらも僕は無防備な姉に聞き返す。


「少し帰りが遅くなったからってどうしてそう思ったの?」


 アキ姉は笑顔を曇った顔に変えて少しだけ俯いた。僕の気のせいかアキ姉の目に哀愁が漂った気がした。丁度ご飯を食べ終えたのでお皿をまとめてキッチンのシンクに持っていき、水を出す。


 両親不在が基本家にいないということは家事全般をしなければならないということだ。流石にアキ姉一人にそんな負担はかけられないので僕は積極的に手伝いをしている。アキ姉曰く男の子なんだから勉強して部活に励みなさいと言ってくるが聞く気は毛頭ない。


 僕が中学に上がると共に父が海外赴任になった影響で少し前まではアキ姉に家事をやってもらっていたのだ。このくらいの手伝いでは今までの恩返しには程遠いだろうがやれることはやろうと高校入学に際して決心した。


 皿洗いもやってみると楽しいものだ。思ったより難しくなく、嫌な点を言うなら手が荒れるくらいだ。


「さっきはね、少し心配になってたの」


 お皿を洗い終わり拭いているとソファの端から顔を出したアキ姉がこっちを見ながら言ってきた。


「普段は真っ先に家に帰ってくる日向がいなくて結構動揺したんだよ? だから少しくらい甘えさせて」


 そう言うとアキ姉はギュッと俺を抱きしめた。恋人同士のハグではなく家族間の抱擁。アキ姉をここまで心配させてしまって申し訳ないと思った。


 先ほどからアキ姉の豊満な体が当たっているが当たる当たらないの問題以前に姉に変な気を起こすわけもなく、ほんの二、三分抱きしめられていた。


「何かあったならいつでも私に相談してね」


 僕は静かに頷き、二階に向かった。部屋の電気をつけてベットに飛び込む。


 枕に顔を埋めてボーっとしているとアキ姉に心配をかけてしまったことよりも冬美のことを考えている自分がいた。そんな気持ちを振り払うべく起き上がり、机に向かう。


 課題をさっさと終わらせて寝てしまおう。そう思い席に着いたが全くと言っていいほど手が進まない。いつもならこの時間には課題を終えて小説を読んでいるかスマホで動画を見ているはずだ。


 いつもの日常からは大分かけ離れた一日だったがそれなりに新鮮で楽しかったと思ってしまった。


「氷の女王ね」


 虚空にそう呟くと彼女のことが引っ切り無しに頭に浮かんでくる。これでは勉強にならないと思いベットにもう一度寝転ぶ。


 少し仮眠をしよう。そうしたら彼女のことを考えてしまうのも少しは薄れるだろう。


 そう、少しだけーー












「日向ー、朝だよー」


「んん……?」


 アキ姉の心地よい声で目が覚めた。生憎僕は寝起きが良くはないので状況を理解するのに数分を要した。


 これはまずい。着替えたとはいえ風呂にも入っていないし課題も終わっていない。それどころか時計の針は七時半を指していた。


 服を脱ぎ捨て、風呂場へ駆け込む。冷たいシャワーに体を震わせながら洗面所までついてきたアキ姉に、


「制服そこに置いておいて」


 と言った。


「りょーかーい。ついでに替えのパンツも置いておくねー」


「ありがと」


 思春期ゆえの恥ずかしさなどを言っている場合ではない。というかそもそも二人で生活していて家事はほとんどがアキ姉がやっているためパンツの一つや二つ恥ずかしくもなんともない。


 今はそれどころか遅刻せずに学校に着くことしか考えられない。急いでシャワーを浴びて体を拭く。アキ姉は生徒会の仕事があるらしく僕の着替えと通学鞄を置いて先に家を出てしまったらしい。


 僕は制服に着替えるとリビングに置いてあったトーストを咥えて玄関を出る。


「朝は随分と遅いのね」


「なっ……」


 玄関を開けるといつから待っていたのか、冬美が家の前の塀に寄りかかるようにして立っていた。思わずトーストを落としかけてしまったが慌てて手でキャッチした。


「なんでいるの……?」


「昨日に言ったでしょ? 私が普通の女の子になる手伝いをしてって」


 どうやら冬美は普通の女の子の解釈を間違えているようだった。曲がり角で待機ならまだ夢見で済まされそうだが家の前で出待ちは最早ストーカーの域に達している。


 僕は冬美に関して誤解をしていたのかもしれない。孤高で人が寄り付かないのではなく人がのではないか、と。


「目に見えて困られると結構傷つくものなのよ?」


「表情に出ていたならごめん。ただようやく理解したよ」


「そう。そんなに簡単に私のことが理解できるなんて流石は日向君、と言ったところかしらね」


 やはり本人も自覚していたようだ。それもそうだ、高校以前のことは知らないが少なくとも一年の時には氷の女王の噂が僕の耳に入っていたのだから。


「ところでこんな悠長にしている時間があるの?」


 あ、すっかり忘れていた。


 慌てて腕時計を確認すると八時丁度になっていた。僕の通う市立肆季しき高等学校は登校完了時間が八時十分である。つまり今現在崖っぷちの状況に立たされている訳である。


 そして僕の家から高校まではおよそ一キロちょっとで、もう歩きでは間に合わない距離だ。こうなってはしょうがない。そう思い僕は玄関の横に止めてあるママチャリに手をかけた。


 こんな時間まで待っていた冬美も冬美だがしょうがない。僕はママチャリに跨ると顎で乗れと指示を出した。冬美は素直に従って僕の後ろに座り、腰に手をまわした。


 いつもとは格段に重くなったペダルを踏み込み、一気にスピードを上げる。心地よさとはかけ離れた風を一身に受けながら足を回転させる。


「こういうの、少し憧れていたわ」


「この状況で言う台詞じゃないぞ、それ」


 日が沈みかけている空を背景にゆっくりと、なら分かるが今は違う。遅刻すまいと全力でペダルを漕いでいる少年と落ちないように必死につかまっている少女とでは雲泥の差と言えるだろう。


 足の感覚がなくなってきた頃、ようやく学校の校門が見えてきた。周りに生徒がいないことを確認し、ママチャリを止める。


「冬美はここで降りて別々に教室に入ろう。変な誤解を生むかもしれないし冬美にとっても変な噂が立つのは嫌でしょ」


「私は別に構わないのだけれどもあなたがそう言うのなら素直に従うわ」


 冬美の口から素直という言葉が出るたびに僕は反応してしまう。本人も異常に気付いているし何せ触れづらい。基本は普通に接すればいいのだろうと考えながら僕はまた自転車に跨った。

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