3話 夏と秋

「ダメ、ですか……?」


 結構な大声で叫ぶように言われてしまったが故に僕は驚いて固まってしまった。その大声の証拠に会社帰りで疲れているサラリーマンのおじさんが物凄い勢いで顔を上げてるくらいだ。


 いつもは鋭い目つきの冬美からこんなことを言われ、挙句の果てに上目遣いときた。


「えっとその、いいけど……」


 文字に起こすとしぶしぶ感が否めなくなりそうだが事実、快諾してしまった。それはもう脊髄反射の速さで請け負ってしまった。


 今更断るにも後味が悪くなりそうだし、今はこんなんだが冬美が相手となれば結構怖いというのが本音である。


「本当に!? やっぱり神様に祈って良かった〜」


 ん? 今伸ばし棒使わなかったか? それも波の方のやつ。普段はあんなに氷の壁を作っているのに中身はこれなのか?


 そう言った疑問が頭の中に湧いて湧いて湧きまくっていた。ギャップ萌えという言葉があるらしいが萌えるどころか一種の恐怖を覚えてしまう。


 誰しも裏があるとはよく言ったものだ。裏どころか真逆じゃないか。


「とりあえず今日は遅いし早く帰りな。話はまた今度聞くから」


「じゃあ、送ってもらえない……かな?」


 少し恥ずかしそうな顔をしながら冬美は僕に向かってそう言った。僕は思わず顔を逸らす。別にコミュ障が発動してしまったとかではない。


 ただ純粋に、その顔に見惚れてしまった。稲荷も粋な計らいをしてくれたものだ。言葉だけでなくまでも素直にしてしまっているのだから。


 そう彼女が願ったとしても限度があるだろう。このままでは彼女が僕に何をするか分かったものではない。早いうちに嫌われてしまうのが一番手っ取り早い。


「悪いが今日は家のご飯当番でな。送れないのは残念だが気を付けて帰ってくれ」


「そう、ですか……」


 目に見えてシュンとしてしまった。それはもうアルマジロのように丸まってしまった。


 学校一の冷淡少女が拗ねている。とても珍しく可愛い光景で思わず写真を撮ろうかと思ってしまった。しかしながらこうも目に見えて拗ねさせてしまうと放っておける気がしない。


 さながらおもちゃをねだる子供をどう諦めさせるか考える親の様だ。子供なら良かったのだが生憎相手は思ったことが直ぐに行動に出てしまう女子高生ときた。これほどまで億劫な説得は今まで経験したことがない。


「分かった。家の近くまでなら付き合う」


「え!? ほんとに!?」


 甘い。この空気も俺自身も。


 結局途中までと条件付きではあるものの一緒に帰ることになってしまった。誰か知り合いにでも見つかるんじゃないかとビクビクしながら彼女の横、具体的には人一人分ほど開けて車道側を歩いている。


 冬美はというと緊張しているのかはにかんでいるのか表情がルーレット状態になっている。見ていて面白い。無言のまま百メートルほど歩いた時、冬美は歩みをやめた。


「夏川君。自意識過剰かもしれないけど私と一緒に帰っているのに一言も話さないのは失礼にあたるんじゃないかな」


 と、学校一の高嶺の花は言った。高嶺の花とは言うけれど高すぎて凍っている。もしかしたら高嶺なら地に落ちてきてくれるかもしれないな。


 まあ、冗談はさておき。


「普段から会話すら避ける相手とどうコミュニケーションを取れと?」


「その練習のためだってばー」


 少し怒らせてしまったようで頬を赤らめながらむくれている。また写真を撮りたくなったが通報されかねないので脳内スクリーンショットで我慢しておく。


 改めて今置かれている状況と普段とを鑑みると異世界にでもいるような気分になってくる。まさか俺が放課後に女子、しかも冬美を家まで送ることになるとは。


 神も気まぐれなんだな。稲荷の場合はやさぐれているが。


「私、夢があるの。それも大切で文字通り夢物語で叶うととても幸せな夢」


 僕より少し前に出るとキュッとスピンをするように振り返った。暗くなった世界に街灯と言う名のスポットライトが当たり彼女はその下にいる。


「今はまだ言えないけど夏川君、私を普通の女の子にしてください」


 そう言うと彼女は走って行ってしまった。おそらく家の近くまで来ていたんだろう。


 僕も帰ろうかと周りを見渡す。やけに見慣れた道路、同じく表札。


「ここ俺の家じゃん」


 気のせいだと思いたいが、いや思うしかないがまさか僕の家の場所を知っていたわけじゃないよな…… その場合対応が変わってくるぞ。


 考えるのが怖くなり玄関のドアを開けた。


「あ、おかえり」



 ドアを開けた瞬間、バスタオルで長い髪を上げて団子にしているアキ姉がいた。場所的と恰好的に風呂上りなんだろうが年頃の女子としてバスタオルのみはどうなのか。


 年頃とはいっても僕の一つ上。一年のほとんどを勉強に費やさなければいけない高校三年生。そのなかでも定期考査では毎回学年三位以内、顔もよく清風明月と例えられるほどの女。しかも名前が秋穂あきほときた。


 月に愛され人に愛され、本当の。それが今現在布一枚の我が姉である。


 と、まあ長々しい説明は置いておいて僕は靴を脱いで二階にある僕の部屋に向かう。制服を脱ぎパーカーにジャージと典型的な室内着に着替えた。時計はもう七時を回っており、腹をすかせた僕は一階のリビングに向かう。


 リビングにはテレビを見てゲラゲラ笑っているアキ姉のみ。僕の両親は父が海外へ出張、母が雑誌の編集をしており家に帰ってくるのが不定期だ。なので基本は家では秋穂と二人、仲睦まじく暮らしている。


「そこに置いてあるのレンチンして食べてー」


 アキ姉がテレビを横目にそう言ったので僕はテーブルに置かれたご飯やらをまとめて電子レンジに投入した。数十秒後、音が鳴るとともにアキ姉が合わせて加熱完了時の軽快な音をずらして言う。


 こんな低レベルな下ネタでゲラゲラ笑っているのが生徒会長だなんて誰が想像できよう。


「アキ姉は今日早かったの?」


「まあねー、今の時期は仕事が少なくて助かるよー」


 そう言いながらソファに寝転び足をパタパタと揺らしている。僕はアキ姉が見ているテレビを眺めながら黙々と冬美について考えていた。先程までにあったことは本当に現実だったのか、ただそれだけを呆けながら考えていた。


 ボーっと箸を止めて考えているとテーブルに向かい合うようにアキ姉が座った。そしてじっと僕の顔を見つめだした。


「ねえ日向、今日と帰ってきたの?」


 アキ姉は見透かしたように僕に言った。

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