1話 夏と冬

 校舎裏にある使われていない倉庫。普段なら用務員でさえも近づくこともなく、知らない人の方が多いであろうこの場所に二人の高校生がいた。


「あなたって結構かっこいいのね……」


 鼻先に彼女の黒髪が触れてむず痒い。鼻と鼻が触れ合うギリギリの距離に戸惑いの表情を浮かべながら僕のことを押し倒している女子生徒の顔があった。頬が赤く染まり、心なしか少し震えているようにも感じる彼女は目を逸らすことなく俺を直視している。


「えっと、どーも……」


 こういう時に何と言えばいいのかなんて人生経験も浅い高校生にわかるはずもなく、僕は嬉し恥ずかし押し黙っていることしかできない。君も綺麗だよ、とでも言えばいいのだろうか。


「ずっと見ていたいけれど私が恥ずかしい……」


 彼女は顔を真っ赤にして、僕から離れると立ち上がり走って倉庫から出て行ってしまった。僕以外は誰もいなくなり、殺伐と段ボールが積み上げられた倉庫内で一人体勢を整える。


 今のは一体何なのだろうか。そう疑問に思った僕は少し前の状況を思い出した。






 ♢ ♢ ♢






「なあ日向ひなた。一つ頼まれ事なんだが聞いてくれないか?」


 僕のことを軽々しく名前で呼ぶこのおっさんは三年連続で俺の担任である井端海人いばたかいとと言い、酒好きでこうやって面倒ごとを僕に擦り付けてくるダメ人間そのものである。


 そしてそのダメ人間から日向と呼ばれる男子生徒。フルネームで夏川日向なつかわひなたと言い、きちんと整えられた短い黒髪に薄く茶色がかった目、姉曰くそこそこ整った顔を持つ彼女いない歴=年齢の男子高校生である。


「職権乱用なら帰ります」


「最初からそう決めつけるなって。日向は校舎の裏に倉庫があるのは知っているよな?」


「まあ一応。それでその倉庫がどうしたんですか?」


 思い当たる場所はある。以前にこの職務怠慢教師から荷物を持ってきてくれと頼まれて渋々行ったことがある。


 ただし中は埃だらけで汚くほとんど物は置いていないため、空き倉庫となっていたはずだ。そんな倉庫に用があると言われても気が進むわけがない。


「実は新しく部活を作りたいと言った生徒がいてな。そこの倉庫を部室にくれと言われて二つ返事でOKしてしまってな。そこで日向に倉庫の掃除を頼みたいんだ」


「嫌です」


 何年も使われていない掃除など誰がするものか。それにもうそろそろこの堕落教師に更生してもらわなきゃ困る。


「お前、今日の授業で寝てたよな」


「え、えーと何のことでしょう」


「このままだと減点しちゃうかもなあ。どこかに倉庫の掃除をしてくれる模範的な生徒がいれば少しは見逃したりーー」


 汚いぞこの教師。成績を持ち出されるとこちらとしても断りづらいのをわかってやっているのだから余計にたちが悪い。


 全くしょうがない。


「わかりましたよ。やればいいんでしょう?」


「やっぱり誰からも愛される人気者は違うねえ」


「その言い方はやめてくださいと何度も言ってるでしょう」


 人気者。それは多くの人々からの受けがよくて、もてはやされる人。


 確かに僕は人気者なのかもしれない。休み時間に一人でいることなんてほとんどないしトイレに行こうとすれば誰かしらが付いて来る。一日の中で話しかけられる回数が二桁を下回る日などない。しかしながら僕はその現状をあまり好いてはいない。


 友達と関わるのがつまらないというわけでもないのだが無意識の間に人に合わせてしまっている自分が気に入らないのだ。自分を押し殺してまで他人に合わせる必要はないと思いつつも無意識下に合わせてしまう自分に嫌気がさしている。


 なので僕は休日や放課後を一人で過ごすことにしている。そんな中このダメ教師に目をつけられて呼び出された、のはあんまり言いたくないことなのだけれど。


「まあ引き受けてくれるなら何でもいいや。それじゃ鍵渡すからあと頼んだぞー」


 そう言うと海人は職員室から出て行った。ぽつりと取り残された僕はため息を一つこぼしながら倉庫に向かうことにした。


 案の定倉庫の中は埃と蜘蛛の巣だらけで見るに堪えない状況になっていた。骨が折れる、と考えながら掃除を進めていると一際目立たない棚の上に大きな段ボールが積んであるのが見えた。


 この倉庫にあるほとんどの段ボールが空であるのに対し荷物が入っているようだったので僕はゆっくりと棚から段ボールを下す。落ちてくる埃に咽ながら段ボールを開くと中には一般的なサイズの神棚のようなものが入っていた。


 なぜこんな倉庫に神棚があるのかと考えながら段ボールを閉じ、掃除を進める。約一時間ほどで汚かった倉庫は何もない普通の倉庫へと変貌した。空の段ボールは潰してまとめたものの神棚の入っている段ボールだけ残ってしまった。


 神棚を捨てるとなるとバチが当たりそうだし、かといってこのまま放置は海人になんて言われるか分からない。そう思って倉庫の中を見回していると倉庫の上に何かを置くために釘が刺さっているのを発見した。


 幸いポケットにスマホを入れていたので倉庫の中に入りスマホを取り出す。校則では使用禁止だがここは普段使われていない倉庫内、誰も来やしないだろう。


「ここをこうやって……」


 ネットに書いてある通り神棚を取り付けた。ネットにはこの他にお神札と神具が必要と書いてある。何かないかと段ボールをのぞき込むと小さな鏡のようなものと和紙に包まれたお神札らしきものがある。


 拾い上げて和紙を開いていくと『宇迦之御魂大神うかみたまのおおかみ』と書かれた札が入っていた。一応神様っぽいので僕は鏡と一緒にネットに書いてある飾り方で置き、段ボールをまとめてゴミ捨て場へと向かった。




「ふあぁ、久しぶりにこの姿に戻れたのう」


 誰にも聞かれることなく白髪の女性はそう言った。




 大量の段ボールを捨て終え職員室に戻ると海人はご褒美だと言ってあんパンをくれた。よく見ると消費期限が切れている。ご褒美と言うには割の合わないがもったいないので受け取っておく。


「これでもう帰っていいですか?」


「いや、まだあるんだよなこれが。ってそんな露骨に嫌そうな顔しなくてもいいだろ」


「だって嫌ですもん」


 流石にこれ以上は僕だって嫌だ。というかもともとやる気はなかったわけだが。


「失礼します。井端先生、倉庫の件はどうですか?」


 僕が断ろうとしたちょうどその時、職員室の入り口から凛々しい声とともに一人の女子生徒が入ってきた。僕はその女子生徒に見覚えがある。いやこの学校の生徒全員が彼女のことを知っている。


 見間違えることなく彼女は冬美月氷ふゆみつきひである。彼女といえば肩にかかる程度に伸びた艶のある黒髪にキリっとした一重の目、鼻は高く口はシュッとしている。そして僕が憧れる唯一の人間でもある。


 彼女は周りから避けられ続けている人間だ。顔もよくスタイルもいい、けれど性格は冷淡で来るものをすべて切り捨てるということで近寄りがたいイメージとなっているそうだ。


「そこにいるちゃらんぽらんに手伝ってもらえー」


 彼女は僕のことを睨むような目つきで見るとほんの少しだけ口角が上がったような気がした。そして振り返るとともに、


「じゃあ早く来て頂戴。せいぜい倒れないことね」


 そう言って歩いて行ってしまった。僕は職員室から出て行った彼女の後を追いかける。ほんのりといい匂いがするなと思いつつ歩いていると彼女は図書準備室の前で立ち止まった。


「ここよ」


 中に入ると彼女がまとめたのか無数に本が入っている段ボールが置いてあった。これをあの倉庫まで運ぶのが僕の仕事らしい。無言のまま段ボールを持ち倉庫へと足を運ぶ。


 本の入った段ボールはなかなかの重さがありとても女子一人で運びきれる重さでも量でもなかった。ようやく二つ目の段ボールを倉庫まで運んできたかと思うと倉庫の中で冬美が神棚に向けて何かを祈っているようにしているのを見た。


 けれど話しかけてもろくな事にならなそうなので無視して段ボールを置く。すると突然可愛らしい悲鳴とともに冬美が倒れこんでくるのが視界の端に映りこんだ。微かに見える風景の中に先ほどまで冬美がいた場所に人類の敵である茶色い昆虫がいた。


 倒れこんでくる冬美に僕はもちろん驚き、体勢を崩す。そしてようやく今に至る、というわけだ。


 普段とは真逆のしゃべり方をされ、挙句の果てには冷淡な彼女の赤らんだ顔を見てしまった僕は戸惑いを隠せず倉庫内で胡坐をかいて考え込んでしまった。


「おぬしもなかなか大胆なんじゃのう」


 するとどこからか腹に響くような、しかし心地のいい声が聞こえてきた。


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