41、サクラの真実

 十年前。

 卒業の日。

 サクラはファメラや研究者たちと一緒に、研究所最深部『神殿』に降りてきていた。

 部屋の大きさはシティホテルのシングルルーム程。四方の壁と天井と床、全てが鈍い光沢を放つ銀色の金属板によって覆われている。恐らく蛍光灯を取り替えていないのだろう。電極側の口金に近いガラス管部分が黒ずんでおり、そのせいで部屋全体が錆びたように薄暗かった。四隅の影が不気味に怖い。常時見つめていないと誰か立っているような気がする。

 そして、この部屋の最奥にある十字架に磔にされていたのが、『人類救済のための次世代型人型人工生命体(HAOF)』、通称『人工神』である。

 その容貌はサクラに似ていた。異なるのは髪の色が漂白剤を掛けたように真っ白であることと、見た目の年齢である。人工神の方が4歳程度年上に見えた。彼女は顔半分に白い仮面を被っている。

 人工神はセレマの自己再生機能のデータ収集のために全身血だらけだった。だがその口の両端は不気味に吊り上がっている。

 そんな人工神の姿を目にして、根源的な恐怖を抱いたサクラは隣接するファメラの手を握った。

 おそらく危険があるのだろう、既に二人を連行した研究員らは部屋を退出している。


Ⅎア目羅Ⓣアンファメラちゃん……穢ⓉⓈ……k汚穢こわい……」

Ⓓアeg汚宇無大丈夫アⓉⓈgアあたしがzⓉⓉアeMア母屡絶対守る


 ファメラは震えるその手を握り返した。

 だがサクラの震えは一向に収まらない。


 どうしよう……!

 私、これから何されるの……!?

 私、ここで死んじゃうのかな。

 他のみんなみたいに……!


 サクラはそう考えてただ怯えるだけだ。


ⓈアC宇羅ⓉアンサクラちゃんkeeⓉ聞いて


 するとファメラが再度サクラの手を握り直して言った。


k汚霊kア羅これからhアgeMア屡始まるn汚穢寝のはねA他ⓈⓉアⓉeⓉ汚あたしたちとk汚n汚このgeンk汚Ⓢン人工神Ⓣ汚n汚とのk世宇kアン璃世k共感力ⓉⓈⓉテストⓈ屡n汚するのⓈ汚霊Ⓢア柄ⓈMe場それさえ済めばA他ⓈⓉアⓉeあたしたち無gene無事にM汚Ⓓ汚霊屡戻れる

「……D汚ⓈⓉ手どうしてⓈ汚ンnアk汚Ⓣ汚そんなことⓈⓉ屡n汚知ってるの……?」

nアンneンkア何人かk汚k汚n汚ここのkeンkeユ宇eン研究員neⓉ汚M汚ⒹアⓉe友達gアe屡ンⒹアいるんだMeンnアgアみんながgアke汚ガキをegeMeⓉイジメてⓉアn汚ⓈンⒹ屡楽しんでるⓈアⒹⓈⓉ汚サディストⓉeって穢kege矢名eわけじゃないkア羅n柄からね


 そう言うとファメラはクスッと笑った。


Ⓢ汚Ⓢ汚宇名アンⒹアそうなんだ……!」


 ファメラの頼り甲斐のある言葉に、怯え切っていたサクラもなんとか気持ちを持ち直す。


 もう怖い事は考えないようにしよう……!

 全部終わらせて無事に帰る……!


「これから『共振』に関する第Ⅰ相試験を初めます。治験者は十字架の前に進んでください」


 すると、部屋の隅にあるスピーカーから無機質な音声で指示が為された。

 サクラとファメラは言われた通りにする。二人が人工神の眼前まで歩み出ると、


「……!?」


 突然バツンという音と共に、部屋内の電源が落ちた。

 暗すぎて何も見えない。部屋は完全に密閉されているため、外の音も聴こえなかった。空気が停滞したような感じがして、固まった血液のむわっとする匂いが鼻を突く。


 ふぁ、ファメラちゃん……!?


 サクラは本能的にファメラに縋ろうとした。

 だがなぜかファメラがいない。

 さっきまですぐ隣にいたはずなのに。


「……ア……ッ!?」


 それにサクラの体もおかしかった。

 体中が痛い。

 ギュッと心臓の辺りが締め付けられ、その痛みが爆発するように全身に広がる。

 サクラは全身から血を噴いて倒れてしまった。

 やがて、目の前が明るくなる。


「あの子には席を外してもらったわ。アナタとお話がしたかったから」


 気付けばそこに立っていたのは、磔にされているはずの人工神だった。よく見ると、彼女の顔や肩といった全身には無数の穴が開けられている。ただ口を開けるのも難しいはずのその顔面で、人工神はにこやかに微笑んで見せる。


heⓉひっ……!?」


 傷ましくおぞましいその姿に、サクラは一歩下がって身構えた。

 すると人工神が笑った。


「フフ。恐ろしいのはアナタの方なんだけど。今のアナタたち、ちょっと人には見せられない体してるから。可哀そうに。きっと私に近づいたせいで細胞が活性化しちゃったのね」

「……hア……hアnアⓈ……って……!?」


 相手の話が耳に入ってこない。

 サクラは胃の中の恐怖を声にして吐き出すのが精いっぱいだった。彼女の返事を待っていた人工神は再度にこりと微笑む。

 そして、


「私、とってもアナタに興味があるの。私にソックリなアナタに」


 ゾッとする声で言った。

 サクラにソックリなのだ。


「……穢ⓉⓈne私にⓈ汚k宇璃ソックリ……?」

「そう。アナタと私は似てる。私、アナタとお友達になりたいの。だってようやく出会えたんだもの。私と同じ、世界を心から憎んでいる同士に」


 世界を心から憎んでる同士……?

 この人いったい何を言ってるの……!?


 サクラは訳が解らなかった。

 自分は確かにグズだし誰の役にも立たないどうしようもないロクデナシだと思っていたが、だからといって他人を憎んでいるわけではない。


 ううん。

 むしろ世の中の人にはみんな感謝してるし尊敬もしてる。

 だってどんなに頭が悪そうな人でも、私よりはマシだもん。私みたいなゴミ同然の人間が、他人様を憎めるはずがないもん。

 私は私のことが嫌い。

 だから、私でさえなければどんな人でも動物でも、悪魔でさえ尊敬できる。


「また、自分にウソを吐いてるわね」


 すると人工神が言った。

 それらは口には出さず、サクラが心の中で返答したことだったが、人工神は当たり前のように心情を汲み取って会話を続ける。


nアⓉなっ……!」


 なにを言ってるのか、わからない……!

 私、自分にウソなんて……!?


「吐いてるじゃない。今だってホラ、言い訳して逃げようとしてる」

「……ッ!」


 私が……逃げてる……?


 サクラは頭が真っ白になりつつあった。人工神の言葉から底知れない恐怖を感じる。何か知ってはならないことをこの人は自分に言おうとしている。

そんな恐怖にサクラが怯えていると、


「私ね、アナタにもっと素直になって貰いたいの。だって素じゃないアナタなんて魅力的じゃないもの」


 人工神はその真っ白に染まった髪を片手で押さえて言った。


「だから話、続けていい?」


 サクラはとうとう俯いてしまった。

 目の前の人工神が恐ろしくなったのではない。この人物から目を逸らすことの恐怖よりも、これ以上話を聞き続ける恐怖の方が勝ったからだ。

サクラはまた一歩その場から退く。


「アナタは自分を憎んでいるの。それは解るでしょ?」


 そんなサクラを人工神が問い詰める。


 ……。

 それは、そう。

 だって私なんかが居るせいで、お母さんもお父さんも、色んな人に迷惑かけてきたから……。


 サクラは思う。


「実はそれがもうウソなの。アナタは本当は自分を憎んでなんかいない。だって生き物はみんな自分が大好きだもの。じゃあなんで自分を憎むかって、そうじゃないと自分の尊厳が保てなくなるから」

Ⓢ汚Ⓢ汚ンgeンそんげん……?」


 急に難しい話になって意味が解らない……!


「別に難しくないけど。だったらハッキリ言ってあげる。アナタはね。『自分が愛されない理由』が欲しいの。だから自分がダメだとか、自分が憎いなんて思うの。『だから自分は愛されないんだ』って言い訳が欲しいのよ。なぜなら、素の自分が愛されないって現実を認識したくないから。愛されてるならこんな所に居ない」

「……………」


 サクラは呆然と突っ立っていた。

 言葉の意味が解らなかった。

 いや、正確には意味が解らなかったのではない。解ろうとしたくなかったのだ。だから頭が真っ白になる。真っ白になるというのはどういうことか。これは、言い訳を探しているのである。言い訳がすぐ見つかる場合は、人は口からベラベラとそれを話す。だがそれができない場合は、彼女のように固まって、真っ白になる。


「でもこれからは大丈夫。私がいるもの」


 言って、人工神が手を翳す。

 すると不思議なことに、サクラの全身を蝕んでいた痛みがスッと引いた。

 それから数秒も経たないうちに、サクラの姿が元に戻る。

 急な変化にサクラが戸惑っていると、再度人工神が微笑んだ。


「私なら素のアナタを受け入れられる。だって同じ気持ちだもの。だからホラ、気持ちを楽にして。そうして自分の本当にやりたい事に正直になるの。アナタをこんな酷い姿にしたのは誰なの?」


 やめて。


「お母さんは悪くない」

「いや、お母さんの話なんてしてないんだけど。どうしてお母さんって出たのかしら?」


 人工神は、その理由が解った上で尋ねる。

 サクラは自ら墓穴を掘ってしまったのだった。

 それ以上何も言えない。


「お母さんのこと、憎んでいるのね?」

「憎んでないです」

「即答ね」


 だってそんな訳ないもの!

 お母さんは私にすごく良くしてくれて……!

 そりゃ、よく叱られたり、時にはぶたれたりもしたけど、でも毎日一生懸命家事とかしてくれて、ゴハンだって作ってくれて、それで……だから、最高のお母さんだもの!


「そうなの? でもそれって親としては当然じゃない? もちろん感謝する気持ちは大事だけど、それでも育児は親の義務だわ。

 それに幾ら自分に良くしてくれたからって、ぶつのはおかしいと思うけれど。ちゃんとアナタの話聞いてくれた? アナタのことを理解しようとした上で、それでもアナタをぶったの? それとも」

「どうしてそういう事を言うの!? お母さんのこと悪く言うなんてッ!」


 いつの間にか、サクラは怒っていた。

 それも尋常な怒りではない。文字通り顔を真っ赤にし、両拳を握り眉根を顰めて人工神を睨みつけた。そんな表情は親友のファメラにだって見せたことがない。恐怖などはとっくに形を潜めていた。

 人工神はそんなサクラの反応が喜ばしい。

 サクラが自分の感情に素直になっているからだ。


「冷静に考えてみて。自分じゃなくって、誰か別の子の話だと思って考えてみるの。自分の話を聞いてくれない親がこんな訳の分からない施設に子供を売り飛ばしたのよ。普通に考えて、そんな親を子供が許すと思う?」


 ……。

 許すわけがない。

 だって子供は親から愛されて当然だから。

 自分を愛してくれない親なんて親じゃない。


 サクラは反射的にそう思ってしまった。それこそが彼女の本当の気持ちである。事実彼女は母親からぶたれた時に何度もそう思っていた。そしてそう思う度にそれらの怒りを別の感情に変えて封印しようとしたのだ。それは一種の処世術であった。


「普通の子だったらきっと反発してケンカなり家出なりしたでしょうね。でもアナタはそれをしなかった。何故か。

 それはアナタが本当の気持ちを封印してきたから。だって認めたくないもの。自分は親から愛されない子供なんだって。

 だから現実と向き合う事を恐れて自分にウソを吐き始めた。アナタは色んな言い訳を考えだしたわ。親の事は一切考えず、自分が愛されない理由をとにかく自分の持つ属性や環境のせいにし続けたの。

 親が私を愛してくれないのは、私の頭が悪かったから。

 親が私を愛してくれないのは、私がドジで無能だから。

 親が私を愛してくれないのは、私が弱い女の子だから。

親が私を愛してくれないのは、私が私だから。

本当は全部気付いていたのに、アナタは自分を欺き続けてきた」

「おねがい……もう……やめて……ッ!」


 サクラは今こそ何も考えたくなかった。

 どうして何も考えたくないのかすらも考えたくない。

 ただただ人工神の言葉がイヤでイヤでたまらなかった。もう一秒たりとも聞きたくない。それなのに何故か聞いてしまう。まるで心の底では真実が解っているかのように。


 私……!

 私、愛されない子供だったの……!?


「現実に向き合うっていうのはいつだって辛い事よ。だけどそれを乗り越えなければ、アナタは永遠に大人になれない」

「……大人になんかなりたくない!」


 サクラはその場に蹲った。両手で頭を抱え、両肘で耳を隠すようにして覆う。だがそんな事をしても、現実は何も変わらないし変えられない。

 サクラは泣いていた。その涙は悔し涙だった。

 自分はただ愛して欲しいだけなのだ。それだけのために泣いて喚いて媚び諂って、地べたを這いずりながらみんなの言う事を聞いているのに、みんな嘲るだけで少しも自分を愛してくれない。そうサクラは憤っていたのである。


 ひどすぎる……ッ!

 みんな言いたいことばっかり言って!!

 私はみんなの言う事聞いてるだけなの!!

 そのために命だって賭けてるのに……!

 どうしてこんな酷いことを言われなくちゃならないのよ!?


 内心の怒りに突き動かされるようにして、サクラは目の前の人工神を睨みつけた。彼女の円らだった瞳がごろごろと音を立て、微かな赤色の光を帯び始める。サクラは今なら視線でこの施設の全員を皆殺しにできる気がしていた。


「そう。その気持ち。それこそが、兵器として造り出された私とアナタの共通する気持ちなの。さあ、アナタのありったけの感情を私にぶつけて」

「…………」


 赤色の八芒緋星オクタグラムが刻まれた恐ろしい瞳で人工神を睨みつけながらも、サクラは人工神を憎めないでいた。


 私が思っていることが手に取るように解るように、私もこの人のことが解る。

 この人はずっと笑っているけれど、内心は悲しんでる。

 それは自分の境遇もだし、同じように追い詰められて命を犠牲に捧げられようとしてる私たちのことも悲しんでくれてるんだ。だから助けてあげたい。理解したいって思ってくれてる。

 それなのに私は……。

 私は、そんなこと到底思えない。

 ただ憎んでる。

 私の事なんて誰も愛してくれないこの世界を。

 みんな死んでしまえばいいのにって思ってる。


「私、一ミリも悪くない。悪いのはいつだってみんなの方だもの。みんな私に酷いことばかり言ってイジメたりして、ちっとも愛してくれないんだ、だから」


 サクラは一呼吸吐くと、続けた。


「だから……私に冷たくする世界なんて滅んでしまえばいい!!」


 サクラがその時願ったのは破滅。

 世界の破滅だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る