39,私はみんなを殺したい
サクラとファメラは細心の注意を払って、闇に紛れる形で塔を抜け出してきた。倉庫や受電所や給水施設の建物に隠れ、先日戦闘があった第九地区の公園の辺りまでやってくる。
セレマのプリンター機能により、二人は衣装を着替えていた。ファメラはいつか着たドレスシャツに半ズボンの皇子スタイル。一方大人に戻ったサクラは、まるでネルのような濡れ羽色のボディースーツを着ている。いざとなれば戦うつもりだった。やり方は一通りファメラから教わっている。
「どこに行くの?」
「心臓」
言ってファメラは遥か頭上を見上げた。昼間大地を照らしている人工照明が全て落とされているので、この時間の光源は赤黄色に明滅する心臓だけだった。
「サクラちゃん、飛べる?」
頷くより早く、サクラは背中に注意を向けた。自動でセレマが起動し、集中したナノマシンによる機械熱で目元と肌がじんわりと熱くなる。
やがてサクラの背中から大きな二枚折りの翼が生えた。その翼は周囲に拡散した接続因子と相互反応を起こし体を浮かせる。
「教えはしたけどさー、一発できるってさすがだね」
「うん。私世界救えるから」
セレマによる全能感がサクラを強気で勇敢な少女へと変えていた。それはさながら十年前の彼女のようである。ずっと無能だと無視され続けてきた自分が、初めて世界から必要とされたあの日。サクラは喜びと自信に満ちていた。
「行こう」
そう呟くと、天井の薄っすら赤黒い部分を目指して真っすぐ飛んで行こうとした。
「サクラッ!?」
だがその時、不意にファメラが足を掴んで引きずり落した。
間一髪だった。一瞬前までサクラが浮かんでいた場所を対戦車榴弾砲が通り抜けていった。遥か彼方に着弾して一瞬の閃光を放つ。
振り返れば腐って倒れた植樹を踏みしめる形でネルが立っていた。ボディースーツ姿で裸のマチューテを腰のベルトに引っかけている。榴弾砲は足元に転がっていた。
「……ッ!?」
現れたのはネルだけではない。気付けば完全武装の兵士たちに囲まれていた。多すぎて何人いるのか解らない。バレないように抜け出してきたつもりだったが、いつの間にか包囲されていたらしい。全員がアサルトライフルや榴弾砲を構えている。
広場の方には装輪装甲車やトラックそして120mm滑腔砲を主砲とする主力戦車四両で構成される戦車小隊が展開している。上空にはミサイル装備のヘリコプターまで飛んでいた。更にサクラはセレマによる探知機能で、基地に配備されている重砲までもが自分を狙っている事にも気付いた。恐らくこれがALOFの戦力の全てだろう。
彼らは本気で自分たちを殺すつもりで来ている。
「……」
いつか自分を拷問した時のように、ネルが片手を上げた。
その強気に尖った銀眼が、サクラの肌を突き刺すように睨む。
「人工神を復活させるつもりか」
そして問うた。軍人のような尖った口調。声音は研ぎ澄まされた刃のように美しく鋭い。
「はい」
サクラは全く動じずに返事をした。幾ら強くなったからといって恐ろしくないわけではない。
目の前に居るのはあのネルなのだ。自分を拷問し、化け物を引きちぎって倒す化け物中の化け物。
だが、自分が助かる道はこれしかない。
「……」
その返事を聞いた銀眼の天使は、無言のままサクラに近寄る。そして右の掌を彼女の顔の前に突き翳した。その体勢のまま目を瞑って動かない。
サクラも全く同じことをする。体内から発せられる信号を探っているのだ。ネルはここにやってくる前から行動を決めていた。後はサクラの回答を待つのみである。
やがて全てを内側から暗く圧し潰すようなこの場の空気に耐えられなくなり、
「サクラ」
傍らに居たファメラが口を開こうとした、その瞬間。
「私たちの邪魔をするなら殺す!!」
サクラが叫んで拳を握り、ネルに向かって突進した。
死滅的な破壊音が、互いの口蓋より頭蓋骨内部に響き渡った。何か雷でも落ちたような衝撃が互いの顔面を横殴りに襲って、二人の意識が一瞬途絶える。
サクラとネルが互いに拳を握り、互いの顔面をぶん殴ったのだ。女とは、いや人間とは思えない怪力である。その怪力によって互いの首はねじれ、前歯が吹っ飛んで顎の肉が抉れて飛んでいった。手と足の付け根が千切れんばかりに揺さぶられる。
「……ッ!!」
だが、両者ともに踏みとどまった。そこからは拳の応酬が始まる。
「ブチころしてやりゅひょオオオオオオオオッ!!! ネルァアアアアアアアアァッ!!!」
自己再生が追い付かず、閉じなくなった口の端から血脂の混じった赤い涎を滴らせてサクラは叫んだ。中手骨に折った歯が突き刺さり、青く内出血を起こしているその拳でサクラはなおもネルを激しく殴打した。
ブロー、ブロー、アッパー、ブロー。ブロー。ブロー。ブロー。ブロー。セレマによる身体強化機能を全身隈なく行き渡らせたその衝撃に依って、辺りの木々があたかも彗星が爆発したかのように一斉に幹ごと圧し折れ、彼女が足場にしていた高さ十メートルの大樹が根こそぎ砕けて地面が陥没した。周囲の圧壊はそれだけに留まらず、ネルが叩きつけられた主力戦車の厚さ500mmにも及ぶ正面複合装甲板がまるでアルミ箔のように拳の形に歪む。
だがネルも負けない。
顔面が崩壊し両膝が砕け胸部を戦車装甲板ごと貫通されながらも、サクラを殴り返す。
「ソフィア。カルマ。ノーレア。シュティル。カナン。アルセイド。インターロック。オーバーブレイド。アルマントン。ペルーダ。フラカン。グリンカムビ。フロス。クレタ。アマリリス。オグン。ラティ。チョールヌィ。ヒルデガンド。ミールディン。メニヤ。ユースティア。オリゲネス。ノイア。ノーナ。ルキナ。ルミナ。アルマーク。リトー。ロビン。ガヨー。ロコ。アイム。アルデラミン。ギブリン。サブナック。カン。ムーシュ。サウレ。ユーサー。コインドット。クレア。ザイード。ジェラルディン。ガドガダ。ベアトリクス。アビィ。レイモシー。セオドン。ヴァレンス。ストレイト。エリオット。ルックハルト。キスリング。パーシヴァル。ドビー。アハブ。イゼベル。マルサネス。ヘルムート。ファイガ。レフ。ガブ……ッ!!」
一発殴る度にネルは人名を口にしていった。それはまるで死者を憐れむ聖者が如き厳かな声であり、彼女が振るっている暴力とは対極の位置にあるものだ。
なぜ彼女が人名を口にしているのか、なぜ傷ましい様な視線を時折自分に向けるのか、どうして自分たちがこのような惨たらしい戦いをしなければならないのか、サクラは何一つとして理解しようとしない。理解したくない。
ネルは既に殴り壊されていた裸のマチューテの柄を抜き、セレマのプリンター機能によって一瞬でその刀身を元通り直すと、サクラに斬りかかった。刃はサクラの左肩から斜めに入り、ウンウン唸りながらビチャビチャと彼女の生肉を引き裂き斬り込んでいく。
だが刃はそれ以上入らない。同じく構えたサクラのマチューテによって、肺のところで受け止められていたのだ。
「ネルさんはいつもひどい! こんなのまるで私が悪役みたい! 被害を受けてるのはいつも私なのにッ!!」
サクラの中で、暗い情念が爆発しかけていた。自分を嬲り殺し辱めたこの女をぐちゃぐちゃに磨り潰してやりたい。
「その被害者気取りが! これまで何人の命を奪った!?」
斬って穿って裂いて斬ってまた穿って。刃の折れたマチューテを振り捨て、ネルは虚空から流線形をした250キログラム級特殊油脂焼夷弾を取り出すと、丸太で作られたバットのようにフルスイングしてその弾頭信管でサクラの顔面をぶん殴る。
凄まじい爆轟と共に拡散されたゼリー状の燃焼材が辺り一帯に降り注ぎ、サクラとネルと付近にあった木材を一千度の爆熱で焼き続けた。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!???」
断末魔の叫びが聞こえる。それはサクラのものだ。彼女は炎で全身をドロドロに溶かされている。
「
それはネルも同じだ。
だが、死なない。
燃え盛る火炎地獄の中で、二体の化け物が互いの炎もかき消さんばかりの勢いで殴り合っていた。
そして殴った数が400を超えた頃、先に痛みを気にしなくてよくなったのはネルだった。これまでの攻撃に加え、サクラの振るう拳の威力が余りに強すぎて、体が再生しなくなっていたのである。ネルの掌や指や肩や二の腕や腿の肉が潰れて、永久に装甲板に留められたままとなっていた。彼女が身に付けていた濡れ羽色のボディースーツも既に血濡れの襤褸切れと化している。
「……ッ」
四肢を失ったネルは前のめりに崩れ落ちた。鼻っ面を血の池に打ち付け、ぜえぜえと呼吸しながら自分の血脂で冷たくなった地面を這いまわっている。
「再生が遅すぎる。話にならない」
ネルが円滑な自己再生を行うためのエネルギーは、既に尽きかけていた。もはや声すら上げられず、ネルは床を這いずって逃れようとする。だが泥炭地のように柔く固まりつつある血溜まりが彼女の逃走を妨げていた。
そんなネルのすぐ傍に、サクラが音もなく歩み寄る。既に死臭漂う現場だが、サクラは表情をピクリとも変えない。ロボットのように感情を失った左右対称の顔で、かつての恐怖の対象であったネルに対し猶も淡々とこの残虐な刑を執行し続けた。新鮮な返り血を湯水の如くに浴びながら、なんら躊躇うことなくネルを拷問し続けるサクラの姿は確かに天使染みていた。天使は天使でもラッパを持ち雹と血の雨を降らせて人類を滅ぼすとされる黙示録の天使である。
「どうしたの? この期に及んで怖くなっちゃった?」
勝利を確信したサクラは、続けざまにネルの脇腹を蹴り上げた。吹っ飛んだネルは、斜めになりながらもまだ辛うじて立っていた巨木の幹に頭を打ち付け、真っ逆さまに地面に頽れる。腹斜筋が張り裂けたような激痛と、脇腹を中心にして冷たいオイルでもぶっかけられたような寒気が一瞬で彼女の全身を刺し貫いた。金属壁をも凹ませる天使の一撃が腹を突き抜けて内臓を破裂させたのだ。
「……ッ……グ……ッ!?」
ネルが未だかつて感じたこともない激痛に体を折り曲げ悶絶していると、サクラがブーツの踵で彼女の脇の下を踏みしめ、再び脇を蹴り上げた。四肢を失くし小柄となっていたネルは毬のように跳ねてまっすぐに地面を転がり、そのまま動かなくなる。蹴られたアバラが砕けて肺や腸に突き刺さっていた。
「げふ……ッ」
出血は優に五リットルを越えていた。身長二メートル超の大男でもとっくに意識を消失し死亡している。だがそれでもネルは死なない。意識さえ、消えない。
いや、消さない。
「対ショック防御オオオオオオオオッ!!」
ネルが奥の手を叫んだ。
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