32,たのしいピクニック

 ピクニック当日は、絶好のお出かけ日和だった。

 この世界にしては珍しく静かな日である。太陽の代わりに昇ってくる心臓も殆ど脈打たず、したがってあの不気味な赤黄色の染みも腹の底を打つような不快な重低音もしなかった。天井に空けられた巨大通風孔の先っぽからは、血脂によって着色されていない生の人工雲が流れてくる。


「ここは第九地区ってところだ。この辺りじゃ比較的平たい土地で、十年前にはまだ大勢いた難民たちがここで掘っ立て小屋を建てて暮らしてたのさ。今その跡地が丸々基地に接収されて、一部が公園になってる」

「公園って言っても遊具がある訳じゃないけどね。ベンチがあって、それらしい木が植えてあるってだけの簡素なものだよ」


 50ヘクタールはあろうかという広大な敷地を横切るようにオフロード車で移動しながら、ファイガとレフが話をしてくれた。「へえー、そうなんですね!」それを後部座席に座るサクラが感心した様子で聞いている。ガブは興味がないのか、話には参加せずに一人そっぽを向いている。

 今朝、四人は私服だった。唯一私服を持たないサクラは、ガブが用意してくれた千鳥格子柄のワンピースを着ている。本来英国のお嬢様が着るような特上の服だが、それなりに似合っていた。勿論首輪も外されている。


「今日のルールだが、時間はきっちり一時間。万が一ジオルム出現の兆候現れたら即解散。いいな?」

「はーい!」


 ファイガの声掛けにサクラが片手を上げて返事をする。その素直過ぎる反応にガブがしかめっ面をする。


「ハア……ピクニックぐらいで何喜んでるのよ。こんなのただの散歩じゃない」

「とか言って、こいつ昨日夜遅くまでサクラの衣装選んでたんだぜ。俺も付き合わされてよ」


 ファイガがサクラの肩を肘で突いてボソリ言った。


「だって小汚い格好で来られたらわたしが恥かくじゃない!」


 ガブが大声で喚く。それを耳元で聞かされて思わず微笑むサクラ。


 みんなホントに優しい。



 三十分後。

 サクラとレフとガブの三人は公園の片隅にビニルシートを広げて座っていた。ファイガだけは一人、近場のベンチに立って周囲を警戒している。


「そういえばネルさんは?」


 ネルが作ってくれたらしい、六段重ねになった大型の弁当箱に目を輝かせながらサクラが言った。中はそれぞれ一段ずつ和洋中のジャンルに分かれており、おせちのような豪華さだった。


「まだ付近を警戒中。少し遅れてくるってさっき連絡あった。先に食べててくれって」


 レフがサブのパソコン代わりにしている自作スマホを弄りながら言った。


「な、何かあったんですかね……?」

「ちょっとなら待とうよ。お弁当作ってくれたのはネル隊長なんだし」

「でも、お腹空きました……!」

「だったらこれでも食べてなさいよ」


 言って差し出したのは、いつかガブが作ってくれたココナッツを塗したブラウニーケーキだ。四人分ある。


「え!? いいんですか!? わーい!」


 サクラが喜んで早速口に運ぶ。


「まったくおこちゃまねえ。ちょっとぐらい我慢しなさいよ」


 言いながらガブが両手を腰に当てて溜息を吐く。みんな笑顔だった。そんな三人の楽し気な様子を、ファイガも微笑を浮かべて眺めている。

 その時だった。


「――こちらサムソン、第九地区南東102ポイントにてジオルム一頭と会敵。これより戦闘に移る」


 ファイガの無線機にネルから通信が入る。

 ジオルムが出現したのだ。既に基地内では第一種戦闘配置が掛かっているだろう。という事は兵士である自分たちはすぐに基地に戻らなければならない。


「了解」


 ファイガは浮かない顔で返事をした。

 せっかくこれからだってのに……ジオルムも空気読みやがれ。

 そう思いながら無線機を仕舞い、サクラたちの所に戻る。


「サクラ、すまねえがピクニックは延期だ。帰るぞ」


 ファイガが言うと、レフとガブはすぐに頷いた。二人は広げたシートや弁当箱を片付け始める。


「はっ、はい……!」


 サクラも頷くが、やはり心残りのようだった。


 せっかくこれからだったのに。


 ファイガも残念に思う。


「なに、また来りゃいい。それか敵さんやっつけてから、サクラの部屋でやってもいいしな」

「ああ、それ名案だね。作業しながらできる」

「わたしもその方が楽。わざわざお出かけするの面倒だもの」


 そんな話をしながら、サクラを車に押し込んだその矢先。


 突然空がフッと暗くなった、そんな気がした。

 見上げれば、いつの間にか天井高くに掛かっていた心臓がドクドクと脈を打っている。その周辺から血がにじむように、空一面に広がった人工雲に赤黄色が滲んでいた。

 突如としてファイガたちの前方二百メートル程の地点、植林された防腐林の向こうで巨大な血飛沫が上がった。不規則に続く炸裂音。誰かが火器を使用している。


「こちらファイガ! 本部バラク応答せよ!」


 アクセルペダルを踏みこみながら、ファイガが無線機を使う。


「こちらバラク。どうぞ」

「現状を報告してくれ! 何が起きてやがる!?」

「こちらバラク、先ほど巡回班が第九地区運動公園付近でジオルム二頭と遭遇。現在交戦中」


 その報告を聞いて、ファイガは思わず舌打ちした。一頭でも手こずる相手なのに、それが同時に二頭。ネルでなければ対処のし様がない。


「了解、ただちに帰還する!」

「……やっぱりピクニックは早急だったかな」


 己の判断が誤っていたかと、助手席のレフが詫びる。


「データじゃ大丈夫って出てたんだ。お前のせいじゃねえよ」

「ふっ、ファイガさん、どうなってるんです? ジオルムはどこに出たんです? 近いんですか?」


 今度は不安の余りサクラが尋ねた。


「心配すんな。さっさと帰る、そんだけだ」


 ファイガがそう言い終わると同時に、


「「「ああああああああああああッ!?!?」」」


 サクラたちの側面、道路脇に植えられた防腐林の中から兵士らしき男たちの悲鳴が聞こえてきた。

 同時に凄まじい爆発が車体のすぐ近くで起こり、サクラたち四人は車ごと道に投げ出されてしまう。

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