30,希望と萌芽Ⅲ

 夜が来た。

 サクラがベッド脇に座って陣取っていると、レフが部屋にやってきた。

 彼もいつもの部屋の隅に座ってパソコンを開く。ブルーライトに照らし出されるその表情は、昨日に増して暗い。

 そんなレフに向かって、サクラは彼が来る前から用意していた言葉を掛ける事にした。


「レフさんってその……」

「なんだい」


 相手に問うイントネーションを持たないその言い方は、明らかに会話を拒絶していた。それでもサクラは話しかける。


「ネルさんの、こと……好きなんですか?」


 主にはファメラの分析だった。

 だけどその事には鈍感なサクラも全く気付かないではいなかった。ネルの事を語るとき、レフもまたファイガと同様に……いやある意味で彼以上に並々ならぬ感情を持っている事を肌で感じていたのである。それは単なるメカニックとしての知識欲ではない気がサクラはしていた。


「突然そんな事聞いて……どうしたんだい?」


 レフが感情を灯さぬ瞳で尋ねた。

 いつもより優しげなその口調が、却って彼の心の動揺を浮き彫りにしている。


「私思ったんです。一人で泣いて暮らしてても何も変わらないって。だからみなさんと仲良くなりたいんです」

「なるほどね。優しくして欲しいから、ぼくに優しくしようとしてるわけか」


 サクラの答えを聞くなり、レフが冷笑を浮かべ言った。サクラの考えていることぐらいお見通しである。


「まあ合理的だ。自力で脱出できない以上、そうする以外に状況を改善する手立てがない。それで君はぼくに何をしてくれるんだい?」


 そう問われると、サクラは途端に硬直する。

 それは前回レフと話した時に、自分が独りで崇高な気持ちに酔っていたことを思いだしたからだ。ファメラはこの点もしっかりサクラにレクチャーしていた。『サクラちゃんは相手のこと見てるつもりで、自分の事しか考えてないよね』とはっきり言われていたのだ。言われて即反省した。そうだ、私がいつもやっちゃうクセだ。

 だからサクラは一旦下を向き、深呼吸してこう考える。


 私が助けて貰いたいんじゃない。

 レフさんが今いったい何を求めているかだ。


「……ネルさんと付き合って貰います」


 そしてレフの目を見返すと、サクラははっきりと言った。それを聞かされたレフの顔から、嘲りと諦観が消える。


「……」


 レフは真顔だった。自分に向けられたその瞳からは、底知れぬレフの怒りが噴き出している。


「……ッ」


 初めてレフの怒りを感じたサクラは震えてしまった。

 だが怒りはすぐに引っ込む。

 レフは額を押さえ、やれやれと言わんばかりにその細い面を左右に振った。

 どうやらサクラ如きに感情を露わにしてしまった自分を恥じているようだった。


「君に何かできるとは思えないけど」

「わ、私は事情を知ってる第三者ですから、レフさんの素敵なところを如才なく伝えることができます。近頃私、ガブさんやファイガさんとも仲いいですし、だから……」

「それだけかい? だったら別に必要ないかな」


 レフが詰まらなさそうに言った。彼のそういった態度には大分慣れてきたサクラであるが、それでも不安が過る。その不安はすぐさま頭中に膨らんで、彼女の思考を真っ白に漂白してしまった。


 だ、大丈夫……!

 私は絶対みんなと仲良くなれる!

 だってファメラが教えてくれたもの!

 自分のことは信じられなくても、ファメラのことなら信じられる!


 そんな自分に対して、サクラは何度も呼びかける。


「そ……それにレフさんは……一人ではネルさんに想いは伝えられないと思います……」


 そして言った。これもファメラの入れ知恵だった。レフは賢いからこそ、事実を事実としか受け取ることができない。

 現状を改善したいのは、レフも同じはず。

 その点を突けとファメラは言ったのだ。


「なるほど。意外と面白い所に気付くんだね」


 するとレフが嗤った。今度の笑いはまるで自嘲しているようだ。


「……まあ、好きだね」


 一拍置いてレフは答えた。この感情だけは偽りたくないという気持ちが、その笑みから伝わってくる。


「そう、好き。ものすごく好きだ。ぼくが好意を抱いた唯一の女性さ」


 彼はどこかすっきりした面持ちでそう呟くと、白衣の下に着ているシャツのボタンを外してお腹を見せた。そこにはまるでチェーンソーで斬られたような太く長い裂傷が斜めに二十センチ程入っていた。


「ひ……ひどい傷……!」

「ジオルムに襲われたんだ。致命傷だった。もう死ぬとばかり思っていたんだけれど、ネル隊長に助けられてね。それがひどく嬉しかったんだよ。

ぼくの両親は有名な科学者でね。年がら年中実験したり論文書いたりで、ぼくには全く興味がなかった。ぼくも根暗なオタクだったから友達もいなくて。だからいつも一人ぼっちで、自分が誰かから守られる人間だなんて風には思っていなかったんだ。ところがそんなぼくをネル隊長は命がけで守ってくれた。こんな価値のないぼくのために、胸に穴が開く大けがをしてまで。ま、隊長の傷はすぐに治っちゃったけど。

ともかくそれで彼女に惚れてしまったというわけさ。自分でも情けない話だとは思ってる。男女の出会いとしては有り触れてるし、それに感謝こそすれ、そこに私情を持ち込むのはお門違いだろうって。

彼女は組織のリーダーだからね。そんな感情を組織の構成員たるぼくが持てば、彼女の負担になる事は解り切ってる。この程度のことも割り切れない自分が本当に恥ずかしいよ」

「そ、そんなことないです!! 私レフさんの事すごい尊敬してます!! それに誰かが誰かを好きになるって、素晴らしいことです!!!」


 サクラはここぞとばかりに褒めた。

 それはファメラから言われた事でもあったが、何よりも彼女自身の意志だった。自分から見て、遥かな高みに存在すると思っていた天才のレフが実は可哀そうな家庭に生まれていた事や、自分を助けてくれたネルに簡単に一目惚れしてしまった事などで非常に身近に感じられたのである。

 サクラは今こそレフの事が好きになった。

 そしてそんな自分ならきっと彼の役に立てると思い、彼女の内側に自信が宿った。


「……ありがとう。嬉しいよ」


 すると、そんなサクラの笑みを見て、レフが初めてサクラに感謝した。

 それは彼自身そう呟くとは思わなかった一言だった。サクラの大げさ過ぎる反応がプライドの高いレフの肩の荷を下ろしたのだ。


「それでッ! 告白はしたんですか!?」


 鼻息荒くサクラが迫ってくる。

 さすがに暑苦しく感じたのか、レフは半歩後ずさった。彼は苦笑している。


「してないよ」

「どうしてですか!? レフさんぐらい素敵な人ならきっと付き合ってくれますって!!」

「いや、それはないね」


 今浮かんだばかりの苦笑を消して、首を横に振る。


「ぼくでは釣り合わないよ。それに隊長には別に好きな人がいる」


 そう言って、透明な壁越しにレフが投げた視線の先には、兵士が居た。

 その兵士はサクラが知る人物ではなかったが、背が高くスマートな男だった。


「ひょっとして、ですけど……ファイガさんとか?」

「よく解かるね」


 一拍置いてレフが肯定した。


 ウ、ウソォ!?!?

 いやでもだって、他にネルさんの周りでそれっぽい人いなかったし!?

 うわあ……ッ!!

 あんな綺麗で素敵な人が、自分の知ってる男の人のこと好きだとか知っちゃうと超ドキドキする……!!

 し、しかも両想いだし……!!


 サクラはレフそっちのけで、ネルとファイガの関係の事で頭が一杯になってしまっていた。

 その事にハッとして気付き、慌てて首を振って余計な考えを追い出す。今はレフの話だ。


「し、失礼ですけど、ファイガさんこそ釣り合わないんじゃないですか……? だってちょっと軽いイメージあるし……それにレフさんだって素敵じゃないですか。頭もいいし、顔だって……」

「ぼくはともかくとして、まあ一般的にはみんなファイガの事をそう思ってるかもしれないね。だけどあいつは良い奴さ」


 ファイガの事を語るレフは、どこか爽やかだった。

 そういえば最初の自己紹介の時にも、二人仲良さそうにしていたことを思い出す。レフが『あいつ』呼ばわりするのはファイガだけだ。


「あいつは見ての通りの体力バカだけど、いつだってみんなのために体を張ってるんだ。だから合理性だけじゃついて来られない連中が、ファイガのおかげでだいぶ助けられてる。ネルさんだって相当助けられているはずさ。幾らあの人が強いからって、一人じゃ限界があるからね。隊長がネルで副隊長がファイガで、それでALOFは上手くいってるんだ。だからぼくも足元で彼女を支えている。彼女の恋人ではなくALOFで一番のメカニックとしてね」


 そうか。

 レフさんは、誰よりもネルさんの事を第一に考えているから、必要以上に近寄らないようにしているんだ。

 ネルさんはだって、複製体討伐の事しか頭になさそうだし。

 それにたぶんネルさんもそれが解っているから、彼に大事なメンテナンスを任せてるんだろう。だってあんなの自分の体を預けるようなものだもの。そこには普通じゃない信頼関係があると思う。

 決してファイガさんの邪魔をするわけじゃないけれど……この恋の駆け引きは、ぜひレフさんに勝ってもらいたいぞ。

 そしたらガブにもチャンスが来るだろうし。


「ハア……まさかきみにこんな事まで話してしまうとはね……。ぼくもよほど人恋しいらしい。会話ドローンでも作って話を聞いてもらおうかな」


 レフがまた自嘲の笑みを浮かべて言った。


「レフさん。ネルさんとデート行きましょう」


 するとサクラが言う。いつになく真剣な表情だ。彼女がそんな表情を見せるのは珍しい。彼女が他人と話す時いつも浮かべる、あの媚びるような笑みは完全に消え去っている。


「やっぱり諦めるのはおかしいですよ。だってこんなにもネルさんの事想ってるのに……私、手伝います! 人工神を倒すってみなさんの目的もそうですけど、何よりレフさんの恋! 私がサポートします! あー、どうしたら仲良くなれるかな……!?」

「君はホントに物分かりが悪いね」


 口では呆れたような事をいいつつ、レフは微笑している。


「はい! 私バカですから! ですけど、バカだからこそできるって事もあるんだと思います!! レフさんはきっと頭よすぎなんです!!」

「そう。中途半端にね」


 レフは自嘲気味に呟いた。


「もう少し僕が器用だったら、たぶんこの世界そのものも何とかできたんだけど」


 そう言って塔を覆う棺桶の壁を見回す。


「今のレフさんならきっとできますよ」

「そうかな……そうありたいけれど」


 レフがそう呟く傍で、サクラは必死にどうしたらみんなが仲良くなれるか考えていた。


 みんなで仲良くすることが、レフさんの言う『何とかする』ことにも繋がってる気がする。


「ん~……あ、そうだ! ピクニックとかどうでしょう!?」


 やがてサクラは思い付いて言った。なんでもない日常のように思えるそれは、だいぶ以前に彼女が思い描いたハッピーエンドの形であった。


「ああ、それは案外いいかもしれない」

「? 何かあるんですか?」

「うん。ネル隊長はね、ああ見えて料理得意なんだよ。するのも好きでね。もう五年以上も前になるけど、まだ物資が潤沢にあった頃はよくみんなに誕生日祝いのケーキを焼いてくれたものなんだ。ガブもよく隊長に教わってたよ」

「う、ウソォ!?」


 サクラは信じられなかった。


 だって!

 え、あの殺人鬼みたいな鉈使ってケーキカットとかしちゃうの!?


 大変失礼なことを考えるサクラなのであった。

 ちなみに思いっきりに顔に出ている。

 それを見てレフは「ふっ……!」声を出して苦笑してしまった。


「隊長はね、小学校の時にはパティシエになりたかったらしいんだ。ホント、こんなことがなければ彼女も普通の女の子だったはずさ。それがなんの因果か、人類を救う組織のリーダーになってしまってね」


 レフはそう言うと悔しそうに歯噛みした。まるで自分の能力不足を痛感するような、そんな顔だった。


「辛くない訳ないんだ。物凄い努力をして、我慢もして。それでみんなの命を守ってくれてるんだけど、本当の彼女はそんなに強い人じゃない。だから誰かが傍に居て、常に彼女を支えてやらないといけないんだ」

「そう……だったんですね……!」


 前は酷い人たちにしか見えなかったけど、こうして内情を聞いてみると、みんな私以上に苦しんでる。

 それが解っただけでも、すごい視野が広がった。

 私はみんなの事が好きになれたし、だからきっとみんなも私の事を好きになってくれる。

 そんな気がする。


「レフさん。世界救っちゃいましょう。それでネルさんと仲良くなって、みんなで一緒に幸せになりましょう」

「君はホントに簡単に言うよね。それがどれだけ難しい事か、まったく解ってないでしょ?」

「はい!」

「断言か。でも今は君の気楽さが助かるよ。どんな険しい道でも、結局は進んでいくしかないから」


 そう言って、レフはサクラに片手を差し出す。


「ありがとうサクラ。その……頑張ろうか、一緒に」


 少し恥ずかしそうにしながらも、言葉全てが相手に伝わるように一節一節丁寧に発音する。

 そんなレフに対してサクラは満開の桜のような笑みを浮かべて、


「もちろんです!」


 その手を掴み言った。


万事が上手く進んでいた。

サクラが未だに知ろうとしない過去以外は。

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