19,幕間、弔鐘と鳥頭Ⅲ

「共和国政府のブタ野郎め! 好き勝手言いやがるッ!!」


 イソガイが去って暫くすると、ファイガが彼の座っていたソファーを蹴り飛ばし叫んだ。

 怒りが収まらない。そもそも自分の職務を果たさない最低最悪の税金泥棒だ。そんな奴が命がけで自分たちを守ってくれてるネルに対して散々化け物呼ばわりした挙句、自分のモノにならないと思うと急に掌返してえげつねえやり方で脅してきやがった。もしもあの場でネルが脅し返さなかったらどうなってたか。

 それでなくとも国民や兵士の命をなんとも思わないクソ野郎だ。今すぐあのニヤついたブタ面にウォッカぶっかけてやりてえ。


「どうした、何を怒っている?」


 すると、そんなファイガを心配するような口調でネルが言った。


「ネル!? だってお前が……俺たちがバカにされたんだぞ!?」


 ファイガは思わず叫んだ。ネルのネル自身に対する無関心さは時折腹立たしくなる程だ。目的のためなら平気で自分を犠牲にする。


「放っておけ。奴も怖いのだ。ああして自分が絶対的優位であることを露骨に示したいぐらいにはな。実害がなければ対処する必要もないだろう。感情的になるだけ時間の無駄だ」

「だ、だがよ……!?」

「それに本当に複製体を倒そうなどと考えているのは我々だけだ。政府の高官らはみな、残された僅かな時間を愉しむことだけを考えている。私はそれを考えると、むしろ哀れにすら思う」

「そりゃそうかもしれねえけど」


 冷静すぎるネルの態度に、ファイガはため息を隠せなかった。

 本人が一番辛い思いをしているだろうに、それをおくびにも出さない。むしろ余裕を見せつけている。

 そんな頼りになりすぎる上司の姿に、どうにもやりきれないものを感じていたのだ。


「まったく、こんな時だってのに頼りねえ連中だぜ。あんなのが上司じゃ溜息も吐きたくなるってもんだ」

「私はむしろ好都合だがな。予算を出す側の人間がああも愚かだと扱いやすい。なにしろ自分が付けたと思った手綱で自分たちが引っ張られている事に気が付いていない」

「おめえ、また裏で何かやってんのかよ?」


 ファイガが呆れ顔で言った。


「いや。単純な話だ。首輪の脅しは私にとってなんの意味も成さない。なぜならもしも奴の発言とやらでお前たちが殺された場合、直ちに奴を殺すのがジオルムではなくというだけだからな。したがって、奴はむしろ必死になってお前たちを守らなくてはならないだろう。先ので奴もそれを学習したはずだ」


 ったく……これだからうちの上司は……!


 ファイガがまた溜息を吐く。ネルが独断専行する度に、彼の心労は増すばかりだった。


「……確かにアンタのお陰でなんとかなってる。それはありがてえ事だ。だがもう少し自分の身を顧みてくれねえか?」

「わかった。気を付ける。それで天使についてなんだが」


 ファイガがそう言うと、突然ネルが話題を変えた。


「天使? 塔に居る奴がまたなんかしたのか?」

「ああ。ファメラ……『カルマ』が愚か者と接触した」

「ま、まじかよ!?」


 ファイガは驚愕した。それが事実なら今日この国が滅んでもおかしくない。


「ああ。監視映像を欺瞞していた。しかも奴はドローンのAIにもハッキングして自分の支配下に置いているようだ。セレマの機能でな」

「いや、塔の設備はともかく、ネルの目まで誤魔化すってのはちょっとシャレになんねえぞ……!? それでどうすんだ。前に言った通り殺すのか?」

「いや、様子を見る」

「様子を?」

「ああ。そもそもの話だが、奴らには天使としての力に加え、この巨大人工神を目覚めさせてしまう可能性がある。もしそうなれば腹の中に居る我々も無事ではすまない。だから我々は万が一にもそんな事態にならないようこの塔に保護している訳だ」

「それとは別に住民の混乱を避けるっていう理由もあるがな。それと俺らの憂さ晴らしもか」


 ファイガが皮肉を込めて言った。

 彼が気に食わないのは拷問の事だ。確かに拷問自体は必要だった。天使はセレマの機能により自己再生をするが、その際には大量のエネルギーを必要とする。つまり自己再生している最中はセレマの機能が制限されるのだ。資源も設備も人材も足りない現状では、この方法でしか天使を拘束しておく術がない。

 だけど、幾ら本人たちにも責任があるからって、あんなやり方でいいわけがねえ。だって誰も幸せになれねえ。もっと前向きな良いやり方があるはずなんだ。俺らは殺し合いがしたいんじゃなくて助かりたいんだから。


「感情的な問題は置いておこう。大事なのは人類の存続と複製体の討伐だ。そこでカルマだが、奴はサクラと再会してから非常に機嫌がいい。先日繁華街で爆発事故が遭ったのは覚えているか?」

「ああ。ビル街で起きた爆発事故で、二十人近くが死傷したっつう」

「あれはカルマがやった。以前この塔を脱出した時には一万人近くの民間人と兵士を殺傷したあの奴が、な」


 過去の凄惨な事件を思い出して、ファイガは内心十字を切った。

 元々天使嫌いだった同僚たちの気がおかしくなったのは、その後からだ。


「あの時カルマは過ぎた拷問のせいで気が高ぶっていた。全ては私の責任だ」


 始まりは一人の兵士の暴走だった。以前からファメラに執心だった兵士がこっそり彼女の部屋に侵入して拷問を行ったのだ。その内容は以前に彼女の部屋の映像として映し出されていた通りである。


「あの事件がきっかけとなり、人間と我々天使との間に決定的な壁が生まれてしまった。今や多くの者が天使を憎み殺したがっている。それは天使の方でも。だが、そんな天使がたった二十人殺しただけで済ませたのだ。これは奴が愚か者と接触したことに依る変化だろう」

「つまり、どういうこったよ?」


 たった二十人という言葉に違和感を覚えつつ、ファイガは尋ねた。


「サクラを使ってカルマを懐柔したい」

「なっ!? だってお前、あの二人を合わせるのは危険なんじゃねえのか?」

「ああ。だがサクラは記憶を一部失っている。うまく手なずければ我々の味方になり得るだろう。そのサクラを使って説得すればカルマも嫌とはいえまい」

「おい。まさかてめえ、そういう魂胆で俺らをあいつの世話係に選んだんじゃ……!?」


 ネルは黙って肯首する。


「ハッ……急に考え改めやがるから、てっきり内心ナイーブになってんのかと思いきや。おめえホント血も涙もねえやろうだな?」

「私は合理的に動いているだけだ。天使の力があれば地上に蔓延った複製体も駆逐できる。それが我々の進むべき道だ」

「だが成功するのか? その合理的な考えって奴は」

「当然失敗もあり得る。その場合はそれに応じた適切な手段を取るまでだ」


 その失敗によって既に一万人を殺されているにも関わらず、ネルは至って平静だった。

 という覚悟が、彼女にそれを言わせている。


「従って、私はこのまま気付かないフリをして奴らを監視するつもりだ。その間お前とレフ、それにガブにはできる限り愚か者に優しくして欲しい。その気なら口説いても構わん」


 ネルが冗談ではなく本気で言った。

 目的のためにサクラを落とせと言っているのだ。


「バカいいやがって。俺は俺より生意気な女しか好きじゃねえんだよ。例えば目の前のアンタとかな」


 その本気に促される形で、ファイガもスムーズに本音を漏らす。


「そうか。ではその好意を持って、任務に励んでくれれば嬉しく思う」


 そんなファイガに対し、ネルは普段通り真顔で返事をする。


「……オイ。俺は本気で言ってんだぜ。ネル?」


 その脈も色気もない返答にファイガは、首を垂れながら呟く。彼のトレードマーク

 であるツンツン頭もしょんぼりして見えた。どうやらこの冷血な女とは男女の関係にはなれそうもない。


「ファイガ。私は副官としてのお前の腕を買っている。それ相応の働きをしてくれるのであれば私的な関係を構築することも吝かではない」

「あーはいはい。そうやって俺を合理的に使おうってんだな? いいぜ。使われてやるよ。イソガイでもジオルムでもどんと来いってんだ」


 ファイガがやけっぱちになって言った。苦笑いを浮かべてネルから目を逸らす。


「~~~」


 するとポツリ、蚊の鳴くような声でネルが何事か囁いた。それを完全に聞き漏らしたファイガが彼女の呟いた言葉を再度拾おうと、


「あ? 今なんか言ったか?」


 問いかける。


「何も。ともかく他の兵士にはカルマの部屋に近づかないよう徹底して欲しい。奴は私たちに殺意を抱いている。サクラが居る以上は滅多なことはしないだろうが、こちらが下手に挑発すればどうなるか解らん。数十人くらい簡単に殺す奴だからな」


 その口を塞ぐようにネルが続けた。


「解った。全員に言い渡しておくぜ」


 ファイガも頷く。


「よろしく頼む」


 そう言って踵を返すネル。


「そうだ、ネル」


 別れ際にファイガが再度声をかけた。


「なんにせよ良かったぜ。アンタが昔に戻ったみたいで。それでこそ俺が愛したオンナだ」


 そう言って親指を立ててニカッと笑って見せる。


「……私はいつでも私だ。それ以外の何者でもない」


 ファイガの言葉にネルはそう答えると、今度こそ廊下を歩いていく。

 そんな彼女の頬は、蚊が潰れた程度には赤く染まっていた。

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