18,幕間、弔鐘と鳥頭Ⅱ
サクラたちが繁華街でデートをしていた頃、ALOFの基地内に共和国政府高官が行政視察に訪れていた。
だが視察と言っても基地内を直接巡るのではない。幹部らに訓示を与えるでもなく、日々死傷者を出しながらジオルムと戦う兵士らを激励するでもなく、ただ豪華な家具が揃えられた応接室にてネルから報告を受けるのだ。
「失礼します」
定刻より五分前きっかりにネルが応接室に入ると、部屋には既に高官の姿があった。ショットグラスを片手にカウチソファーにどっかり座っている赤ら顔で太鼓腹のその老人は、ジオグランデ共和国の防衛副大臣である。
大臣は傍らに立たせていた若い女秘書……髪型や体つきが非常にネルに似ており、胸部と臀部の魅力が最大限強調された濡れ羽色のボディスーツを着ている……に持参のスウェーデン産ウォトカを注がせていたが、ネルがやってくるや否やそれを一飲みにし、サイドテーブルに文字通り
「おおおおおうネルくん! 相変わらず美しい! 元気にしとったか!?」
大臣がネルの肩を気軽にポンポン叩いて言った。ここが一般企業のオフィスであれば、セクハラともとられかねない行為である。だがそれを咎める者はここにはいない。
「はい。お陰様で。イソガイ防衛副大臣閣下もご健勝のようで何よりです」
「いや健康には気を付けているもんでね!? ネルくんに会えてまた若返ったようだよ! 私の息子もね!? なあんちゃってグワハハハハ!! ああどうだいキミも一杯飲むかい!? 近頃珍しいウォトカだ! 土産に持ってきたんだよ!!」
そう言ってイソガイがグラスを傾けながらネルの隣に立つ。
「おっとここにはグラスがないねえ。私のグラスで構わないかい?」
「せっかくですが遠慮させていただきます閣下。職務中ですので」
ネルは淡々とした口調で、目の前に突き出されたグラスを遠慮する。
「そぉんな事は気にせんでいいんだよ! 我々は日々激務なのだから、こういう時にもっと楽にしないとねえ!?」
だがイソガイは突き出した手を引っ込めない。反対側の手でネルの肩をスリスリと撫でる。
ネルは顔色一つ変えない。ただし一定以上余計な部分を触れられないようにと、立ち位置を微妙にずらしていた。
ちなみに行政視察という名目だが、本来は副大臣自ら訪れる事は滅多にない。
何故なら人工神及びジオルム討伐という責務はALOFもといその代表であるネルが一身に背負っているからだ。定時報告は毎日行っているし、ALOF内にも政府直属の憲兵隊及び独立監査チームが置かれている。
従って門外漢の彼が……実際は門外漢であってはならないのだが……基地を訪れる必要は殆ど無かった。しかしイソガイが一目でネルを気に入って以来、彼は少なくとも週に一回、多い時は二回視察の名目でこの応接室を訪れている。
「しっかし毎回思う事だがねえ……こんな美しい女性が化け物退治とは……まったく世も末だよ。うちで秘書官をしてくれればと思うんだがねえ?」
イソガイが言いながら肩に這わせた手を腰に伸ばそうとした。
「閣下。電子書類と動画はこちらです。実績表もこちらに。必要であれば紙の資料もございますが」
するとネルの後からついて入ってきた副官のファイガが敬礼し、二人の間に割り込んで言った。イソガイに持参のタブレットを見せる。
「ん? なんだいこのイケメンは。ひょっとしてネルくんのコレかい?」
コレと言って小指を立てて見せるイソガイ。彼はファイガを無視してネルにだけ問うた。
「彼は私の副官ですが」
「副官? はははそうかい! まあ好きに愉しみたまえよ! 寛大なところが私のいいところでねえ!! ガハハ!!」
言ってまた笑い始める。
何言ってやがんだこの色ボケジジイ……!
ファイガは早速そのツラを張り飛ばしてやりたい気分になったが、グッと堪えた。
こんなのでもネル直属の上司である。無下には扱えない。なおファイガとイソガイとはもう二ケタ近くは会っているのだが、いまだにイソガイは彼の顔を覚えていなかった。
「それでネルくん、先日の話なんだがねえ」
ソファーに座るなりイソガイが言った。
ファイガが手渡そうとしたタブレットなど目もくれない。
「この後私のうちでディナーでもどうかね? 第一区画にあるうちの庭にはプールも大浴場もある。ここじゃ満足に水浴びもできないだろう? まったく基地なんてものは住める環境ではないね。ロクな個室もないじゃないか」
言ってソファーのひじ掛けを叩く。
ふざけた態度にピクリ、ファイガの眉がつり上がった。ネルが視線で掣肘する。
「そうしたらほら、君の所に回せる食料が増やせるかもしれない。何しろ貴重なものだからね。酒やたばこもあるし、なんならドラッグの類でも……」
「閣下。嗜好品は結構です。それよりも先に食料と各種弾薬の補充、それから医療品を回していただければと存じます」
とうとうファイガが口を挟んだ。
「……」
するとイソガイが急に黙り込んだ。その禿げ上がった額にはくっきり三本皺が浮かんでいる。
「……キミの意見は聞いてない。ネルくん、いい加減この男をつまみ出してくれないか? 我々の意見交換の邪魔だ」
おいぃ!? おまえ寛大なのが取り得なんじゃなかったのかよ!?
閣下の余りのふざけっぷりに、最早ファイガの方がカッカしていた。今にも振り上がりそうなその腕を、ネルが片手で押さえている。
「せっかくのお誘いですが閣下。私が基地を離れてしまいますと、緊急の事態が発生した場合に対処する者がいなくなってしまいます」
「ああそうだねえ。まったくあのじおるむとかいう化け物は煩わしいよ。外皮に近いこの基地が突破されれば、市街地に住む我々はおしまいだろうからねえ」
まるで他人事のように呟く。イソガイは市街地でも最も奥にありセキュリティも万全な一等区に住んでいる。いざとなれば貧困層が食べられている間に地上に脱出しようというのだろう。
その呆れた態度に、ファイガは最早溜息すら出なかった。
「だがねえ、ネルくん。忘れてはならないことがあるんだ」
イソガイがネルの傍に近寄り言った。意識的に踵を持ち上げ、同じ背丈の彼女を見下ろすようにして言う。
「キミは美しいが、人間ではない。私が口利きしてやらなかったら、キミも今頃はこの基地に囚われていたはずだ。何しろキミは、首が吹っ飛んでも生きている化け物らしいじゃないか」
「……」
ネルは無言で頷いた。ニンゲンから化け物呼ばわりされる事は慣れている。
だが彼女の受け流しの態度を反抗的と取ったイソガイは、更に挑発を続ける。
「ネルくん。つまり私が言いたいのは、キミは私に助けてもらったのだから、きちんと私に感謝しないといけないということなんだよ。それなのに反抗的な態度を取るようではねえ……キミの大切な色男が不幸な目に遭ってしまうかもしれない」
こいつ、あの事を言いやがるつもりか。
そう思ってファイガは自分が付けさせられた真っ赤な首輪に触れた。
「よろしい。再度忠告しておこう。キミの部下が体につけている首輪には爆弾が仕込まれている。それもこれも全てキミが人造天使などという化け物だから致し方ない処置なのだが、しかし私はその事を憂慮しているのだ。今どき人の首に爆弾を付けて言うことを聞かせようなどとは、まったく人道に欠ける鬼畜の所業だよ。私は議会でも何度もこの事を訴えている。しかし私も体に見合わず小心者でねえ。キミがあんまり恐ろしいと、ついうっかりキミが危険だなどという発言をしてしまうかもしれない。何せ我々の世界では、少し言葉のニュアンスが変わるとすぐ捻じ曲げられて報道されてしまうから。そうなると最悪の場合、キミが特別大事にしているこの男が死んでしまう事にもなりかねないんだよ。だからよく考えた方がいいねえ」
ニタニタと下品な笑いを零しながら「だから私に優しくするんだ」そう言って、再度ネルの肩に手を這わせる。
ネル本人に首輪をつけられないならば、そのネルが大切にしている人々に首輪をつけてしまえば良い。これぞまさに政府の、いやイソガイの姦計であった。ALOFという組織そのものが彼によって用意されたネルの首輪なのだ。
「……ッ!!!」
ファイガは今こそこのクソ野郎をぶん殴ってやりたかった。だがその腕はネルが直接つかんで押さえている。ファイガが幾ら力を込めてもビクともしない。
「閣下、この身は栄えあるイソガイ防衛副大臣閣下のため、そして何よりも共和国の全国民のために存在します。わが命に賭けましても、必ず皆様の期待に応えさせて頂きたいと存じます」
ネルはそう言うと、その場に跪いた。銀色の首を垂れて彼の臣下のように平伏す。そんなネルの態度にイソガイはご満悦だった。
だが、次の瞬間。ネルの目がギラリと光った。一瞬の間に腰の鉈を抜き、立ち上がりざまにイソガイの前髪を薙いだのである。ハラリと落ちる毛髪に混じって何かが飛び立つ。
「なっ……!?」
「失礼。閣下の髪に蚊が止まっておりましたので」
鉈の刃先で叩かれたはずの蚊は、そのままふわりと天井に向かって飛んで行った。
「私としたことが、獲物を逃してしまいました」
言ってもう一度鉈を構える。ネルが見ているのは蚊ではなくイソガイ本人だ。
「…………まっ、まあ今日の所は忙しいようだから!? 私はこれで帰ることにしようかなあ!!! うん!! 次は一緒に酒でも飲めるといいねえ!! がははは!!!」
まるで自分自身の怯えを吹き飛ばすかのように大笑すると、イソガイは怖気づいた秘書を連れて応接室を後にした。
彼が部屋を出たその直後、大臣の血を吸って膨れた蚊がぱんっ、と弾け飛んだ。
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