17,天使病の少女

Anоあの……汚寝柄Ⓢアンおねえさん他素kたすけ区駄サeください……」


 二人の背後から話しかけてくる人物が居た。まるで自分で吐いた吐瀉物で喉を詰まらせたような生理的嫌悪感を催す声である。


 え……?


 驚いたサクラが振り返ると、いつの間にか路地裏の片隅に何か立っている。その何かはおよそ人間からかけ離れた姿をしていた。

 一言にするなら人間大の腐ったイソギンチャク。それが全身に人間の下水からできた汚泥を塗り付けられたらきっとこんな姿になるだろう。くすんだダークブラウン色の目を持つその生物は、全身から腐った魚の腸のような匂いを撒き散らしている。


汚寝柄Ⓢアンおねえさん……他素k手たすけて……汚寝柄Ⓢアンおねえさん

「ひっ!?」


 その異様に、サクラは一瞬で竦み上がってファメラの背後に隠れた。


「ばっ……化け物……!?」


 そんなサクラを守るように、ファメラは一歩前に出る。


「あー、『天使病』に罹ってるね。たぶん女の子かな。ちんこ生えてねーし」


 そして両手を半ズボンのポケットに突っ込んで、まるで病気の犬っころでも見つけたぐらいの調子で言った。


「て、天使病って……?」

「天使の適正がない人間が人工神の細胞摂取しちゃうとこうなんの。『神化』って言うんだけどね。全身で免疫が暴走して、自分の体ズタズタにした上、中途半端な自己再生が繰り返された結果どんどん体が崩れてって、それでこんなフジツボだらけのイソギンチャクみたいになっちゃうわけ。内臓も機能低下してて、肝臓、腎臓と骨髄とかが殆ど機能してない。お腹がちゃぽちゃぽしてるのは血管から水分が漏れてんだ」


 本人の前であるにも関わらず、ファメラはまるで医者のように少女の体について淡々と説明した。


「そ、そんな……!」


 目の前の少女の余りの惨状に、サクラは言葉も出なかった。一方天使病の少女は、


汚寝柄Ⓢアンおねえさん……Ⓢ誤記霊すごくキレイ……汚寝柄Ⓢアンおねえさん……CAhラDダH詩eからだほしい……世子Ⓢe世子ⓈeCAhラD世子ⓈeよこせよこせカラダよこせCAhラDダCAhラDダCAhラDダカラダカラダカラダkNkоナCAhラDダケンコウなカラダ世子Ⓢe世子Ⓢe世子Ⓢe世子Ⓢe世子Ⓢeよこせよこせよこせよこせよこせ


 ひたすら体を寄越せと妖怪染みた要求をし続けていた。内臓機能だけではなく、脳機能も低下しているのかもしれない。


 ……か、かわいそ、過ぎる……!


 サクラは涙を浮かべ始めた。

 サクラが軽蔑と嫌悪の目で少女を見続けなかったのは、なんのことは無い。他人の気がしなかったのである。本能剥き出しで自らの救いを求めるその醜さは、まるで自分を見ているようだった。形は違えどサクラも酷い目に遭っている。


「治して欲しい?」


 ファメラはそんなサクラの思いつめたような瞳をのぞき込むと、ニカッと笑った。


「で、できるの?」

「できなくはないよ。あたし天使だし」


 言って片手を振りかざす。その手のひらから淡い光が漏れ出し、波打つようにファメラの背中から粒子が吹き出す。『セレマ』を起動したのだ。

 すると少女の体がバキバキと拉げ始めた。針を幾千本も突き刺したボールのような姿に変わる。


「ファ、ファメラ!?」

「大丈夫だから。まあ見てて」


 余りの傷ましさにサクラが制止を掛けると、ファメラが言った。

 ブシュウと空気の抜ける音と共に、内部の黄色染みた液体が流れ出る。恐竜の卵が腐ったような物凄い悪臭。その余りの臭いにサクラは一瞬戻しそうになる。

やがて触手が全てもげて、少女は四肢の無いピンク色の芋虫の姿に変わった。まるでエイリアンにでも寄生されたようにのた打ち回る。頭頂部に開いた穴からボチャボチャと、悪臭を放つ黄土色の液体を撒き散らしている。

 やがて体の表面がボコボコと隆起し始め、目やら鼻やら耳やら腕やら、人体を構成する様々なパーツが皮膚の上に浮かび出ては消えた。体の内部ではバキバキと骨のへし折れるような音が聞こえる。


「欝……Ⅎg宇……ッ!!」

「我慢しなくていいよ。沢山泣きな」


 ファメラが少女の体を抱きかかえて言った。彼女は泣き叫ぶのを堪えているようだった。


「hj@璃k@璃lm@s璃vdfv@gy汚日eeeg宇欝アg羅アアアアアgアアアアアアッ!!!!!!」


 途端に少女が叫び出す。

 きっとそれが少女の涙なのだろう。饐えた匂いのする汚滴がファメラの新品の衣装の上に滴り広がる。汚滴は臭いがするだけではなく、ファメラのシャツを溶かして肩の皮膚を直接に焼き始めた。


「辛いね。苦しいね。でももう少しだ」


 だがファメラは気にしない。まるで聖女のような慈悲深い声で、自分には構わず彼女を慰め、励まし続けている。怯え悶え苦しむ少女の体表面から、イソギンチャクを構成していた汚泥めいたものが少しずつ零れ落ちていく。

 やがてサクラが目にしたのは、奇跡のような光景だった。

 腐臭を放つ血溜まりの中に立っているのは、女の子。栗色髪に青い眼をした、いかにも知的で賢そうなサラサラロングの子だった。裸の彼女にファメラは、さっと取り出した白いワンピースを被せてやる。


「……やった……!! やったよ!! ファメラ!!」


 サクラは嬉しかった。その叫びに、「うっし」ファメラが一拍置いて拳を握る。彼女は額に付いた汚滴を拭った。自分のした仕事に納得した鍛冶師、或いはメカニックのような疲れ笑顔。


「ま、このファメラ様に任せりゃね、ニンゲンの病気ごときこの通りよ」


 少女は時が止まったように動かない。だが死んでいるわけではなく、ちゃんと息もしていれば目も開いてさっきから自分の手や足を眺めている。


「…………」


 どうして黙ってるんだろう。

ああでもそうか、ずっとあんな体だったんだもの。目の前で起きた奇跡が信じられないんだ。

 でもよかった。これで彼女も幸せになれる。

 サクラはてっきりそう思っていた。

 だが少女の目がジロリ、サクラの嬉しそうな泣き出しそうな、そんな顔に止まった途端。


「……!!!!?」


 少女の顔面の崩壊が瞬く間に止まった。それは全く異なる感情によって蠢きだす。

当惑と哀哭あいこくと怒り、そして侮蔑と諦観。およそ年若の少女に相応しくないそれらの感情によって少女の顔中の表情筋がまるで太陽の粒状班さながらに蠢いた。病に罹っていた姿などとは比較にならない程のドス黒い感情の粒子が、彼女の表皮の深奥からサクラに向って爆発しつつあった。


「…………お姉ちゃんもしかして……天使……?」

「そだよ」


 ファメラは肯定する。

 その口調こそあっけらかんとしていたが、彼女の白色の瞳にはまるで罪を宣告された被告のような怒り混じりの充血があった。更に言えばファメラは立ち位置を変えており、今は少女の視線からサクラを庇うようにして立っている。それはこれから起こる事を予感しているかのようであった。

 そして、歯噛みしているのはその少女だけではなかった。


「あんた……天使だったのか……!」

「!?」


 そう言ったのは、先にサクラたちをナンパしたあの社長らしき男たちだ。その周りにはこの街に住んでいる富裕層らしき贅沢な装いをした老若男女の姿がある。全員この騒動を聞きつけて集まってきた野次馬たちだった。


「天使!?」

「うっ……うそだろ!?」

「キャアア!」

「助けて!!!」


 皆、恐怖に怯えた目でファメラを見て叫ぶ。その場で腰を抜かすものも居れば、荷物を投げ捨てて逃げ出すものも居る。完全に化け物扱いだった。


「あんたらのせいでみんな死んだんだ……! 俺の彼女も、仲間も……ッ!」


 ナンパ男はそう言うと、都市で唯一携帯が許されている小型の電子銃を取り出して両手で構えた。


「ひ……っ!?」


 気付けばサクラたちは同じように銃を構えた通行人によって囲まれていた。中には警官までも居る。その全員が同じ目つきをしていた。サクラを拷問したあの兵士たちと同じ目つきだ。しかも銃口の殆どは、なぜかファメラではなくサクラへと向けられていた。


「あんたたちのせいよ! あたしたちがこんな酷い目に遭ってるのは!! ぜんぶあんたのせい!!!」


 先の少女が獣のように歯をむき出しにして叫んだ。それに続きナンパ男や警官たちが「死ね!!!」「死んで償え!!!」次々と雄叫びを上げる。


 な、なに言ってるの!?

 ファメラが治したんだよ!?

 あんなに苦しくて痛々しい姿の病気を治してあげたのに!

 それなのに、どうして私たちが恨まれなくちゃならないの……!!

 意味解らないよ!?


 少女らの異常とも思える態度に、サクラは理不尽を感じずにはいられなかった。 

 そしてなんのためらいもなく銃口が引かれる。サクラが悲鳴を上げる間もなく、何発という銃弾がサクラに命中しそうになったのだが、ファメラがそれらを片手で止めた。


「よくもサクラを……ブチ殺す」


 顔から表情を完全に消し去ったファメラが言った。


 ……。

 え?


「『セレマ』起動シーケンス開始。認証開始……執行者ファメラ・『結合者』・レガーリエ。コードネーム『配慮の業エピノイア・カルマ』。メモリーチェッキング……OK」


 ファメラの声は、さながらロボットのようだった。金属でできたパイプの中を均一化された音の塊が吹き抜けてきたような、メタリックな響きのある声だった。その掌の中心に、桜に似た五弁の花のマークがある五芒星が開く。


超次元機能分散システムHDFDS……起動アクティベート

インターベイション・オリエンテッド・オペレーティングシステム……スターティング。

セレマ……ヴァージョン0・50。

プライマリシステム・ステータスチェック……OK。

プログレッシブ・ウェア・アプリ……エラー。

ハイブリット・ウェア・アプリ……起動。

セキュリティ・プリンシパルブランチを解放リベラート。アプリケーションN1から5番、7番から16まで同時解放。知的生命体の殺害を含む禁忌条項第一種第三項を排除します。フルコントロール」


 う、ウソ……ファメラ……一体、何をするつもりなの……!?


 サクラは自分を庇うように立つファメラの背中をただ見つめていた。その背からは風が吹き、天使のような羽が生えてその翼をはためかせている。


「汝の意志する所を行え。セレマ」


 ファメラが十字を切った。セレマにインストールされたアプリを使用するのだ。彼女が使用したのは『4d+6gプリンター』。その高次機能の一つである。これは自分たちが体に受けたり摂取したものを複数体コピーし、離れた場所に立体的に送信する事ができる。

 次の瞬間だった。空中に溢れた白光が淡い真珠のように固まって、一斉に通行人たちに向って掛かった。粒子は彼らの首元に殺到し、その形状を金属質のものに変える。彼らの首に巻き付いていたのは、サクラが首に着けているものと同じ首輪型の高性能爆弾。そのコピーだった。


「あ……まさ、か……!?」


 ファメラの意図を一瞬で察知したサクラが怖気づく。その瞬間、一斉に爆弾が点滅し始めた。ピッピッピという電子音が続く。

 すると集まっていた通行人や少女たちも怖気出す。自分たちの首に巻き付いたものの得体の知れなさに気が付いたらしい。全員顔色を真っ青にして取り乱している。


「ファメラ! やめて!」


 サクラがそう懇願したのと、「死ね」ファメラが憎々し気に呟いたのとは、ほぼ同時だった。


 パァンッ!


 サクラの眼前で、いつか彼女の首元でもしたあの爆発音が鳴り響く。限界まで圧縮された爆圧とその後から来る負圧が、通行人らの頭を吹き飛ばした。先に散った肉の後から、光線のような血が燦々と辺りに降り注ぐ。

 頭部を失った人々が次々に地面に頽れ、辺り一面、熟れたトマトを叩きつけたような血の海に変わった。流線形に伸びた血が石畳に沿ってどこまでも流れていく。平和と希望の光に満ち満ちていた通りに最早その面影はない。


「………………」


 サクラは口も開けなかった。ただその場にペタリと座り込んで、両手で頭を隠しながら現状の惨状を眺めているだけだ。


「あ~デートおもろかった! それじゃ帰ろっかサクラちゃん!!」


 クルリとその場に振り返ってファメラが言った。

 電子銃による火傷、そして返り血と爆圧によって破れた鼓膜からダラダラ血を流しながらも、彼女は笑っていた。それもいつになく上機嫌そうに見える。何か吹っ切れた時に人が浮かべるような、そんな清々しい笑みだった。


「ふぁ……ファメラ……どうして……?」

「クソどうでもいい」


 サクラには、死肉で沼沢のようになった道を見下ろすファメラの気持ちが理解できなかった。


 ――サクラが外出したこの日。

 ALOF基地付近ではジオルム一頭が出没。戦闘員42名。準戦闘員15名。民間人2名の死傷者を出して、駆け付けたネルにより討伐された。

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