14,もう一人の天使Ⅱ

 声がしたのは真後ろからだ。

 気付けば誰かが自分と一緒に川の字になって寝ている。誰も入ってこられないはずのこの部屋に、何者かが侵入している。


 だ、誰……ッ!?


 ゾッとしたサクラがそのまま硬直していると、後ろから白い手が伸びてきた。


「あぁ……ッ!?」


 その手でサクラは首を絞められてしまう。その明るい声質に全くそぐわない凄まじい力だった。まるでネルのような。

 サクラは相手の手首を掴むが、びくともしない。


 苦しい……ッ!

 息が……できない……ッ!


 そんなサクラの苦しむ様が、嬉しくて堪らないらしい。

 背後に居る人物はケタケタと笑っている。


「かーわいい♪」


 かわいいって……っ!?


 サクラの意識が飛び掛けた時、やがて肩と首の間から、白光を海水で押し固めたような白真珠ホワイトパール色の髪がサラサラと鼻先に垂れてきた。サッと花の雫のような香りが鼻孔をくすぐる。海辺の浜木綿を思わせるような、甘く乾いた砂の香り。

 そんな香りに気を取られているうちに、今度はその何者かに馬乗りにされてしまった。陽だまりのような軽くて暖かい感触が腹の上で擦れている。


「ね、キモチいいっしょ? 死ぬって案外気持ちいいんだよ? 拷問じゃなければ♪」


 ……!

 今のはマジで私死ぬところだった!

 それなのに、この子はいったい何を言っているのだろう?

 快楽殺人犯なのだろうか?

 だが、とりあえずこの子は女の子だ。こんな状況で気でも狂ってるんじゃないかってくらい底抜けに明るくて恐ろしいけれど、自分と同世代の子。

 などとサクラが思っていると、


「むぎゃッ!!?」


 唐突にサクラの腹の上に馬乗りになっていた少女が慌てふためき飛び退いた。

 サクラがその涙にふやけた指の合間から恐る恐る覗くと、部屋の隅に見知らぬ女の子が立っている。

 年の頃は15。瑞々しい髪を腰まで伸ばし、スレンダーながらメリハリのある体をバミューダ・リグのようにゆったりした白い帆型のワンピースで包んでいる。

 少女はまだ起き上がれずにいるサクラの前にしゃがみ込むと、


「ん!」


 ちょっと怒った顔で、そのマシュマロのような指先をサクラの腰に向けた。

 そして、


「サクラちゃん立ってる!!!」


 幼女の無邪気さで、いやむしろ邪気しかない圧倒的可愛げの無さで衝撃的な単語を口にした。


「……っ!?」


 慌ててサクラが股間を押さえる。すると、いつの間にか彼女の一物はガウンの内部で屹立し、天高く馬肥ゆるチョモランマの秋と化していた。


 なんだろうこれは。

 私、実は男の娘だった?


「って!? そんな訳ないでしょ!? 私一応女だよ!?」


 顔中真っ赤にしたサクラが両手をブンブン振って否定する。


「ん? あれれ違ったー? じゃあそれ一体なんなんだろーね?」


 言ってピラ、と勝手にサクラのガウンの前部分をめくる。


「ちょっ!?!?!? やめてください! 人を呼びますよ!!?」

「うん、呼んだら困るのたぶんサクラちゃんだよーってあれ」


 ガウンの下、床から金属でできた魚の尾ひれのようなものが突き出ていた。その尾ひれは『見つかったか』とばかりにひれを左右に振ると、とぷんと

かと思うと、ぬっと扁平な魚類の顔が床から突き出す。どうやらこれは外を回遊しているジンベエザメ型ドローンらしかった。


「なっ……!? なんなんですかこれぇ!?」

「あ、なーんだ。ベータがしっぽおっ立ててたのかー。てっきりサクラちゃん男の子化しててあたし完全勝利! だと思ったのにー」


 何がどう完全勝利なのかはさて置き、サクラは自分が置かれた状況がまるで理解できなかった。


「ど、どうしてドローンがこの部屋にいるの……!? 外で回遊してるはずじゃ……!」

「そりゃーあたしのオトモダチだからだよ。一緒に付いてきちゃったんだね」


 言いながら、ドローンの扁平な口を引っ張る。細かくびっしりと並んだ歯状の光電センサが流れるようにギラリ煌めく。


「サクラちゃん、この子ジンベエザメのベータっていうの。ベータでもベーベーでもベーチャンでも好きに呼んでいいよ♪」

「じゃなくて!? 意味わかんないです!!」


 サクラは叫んだ。少女は床に両手を突いた形できょとんとしている。


「なにが?」

「なにが、じゃないですよ! もう色々です!! 貴女が誰なのかとか、どうしてこの部屋に居るのかとか……ここ、誰も入れないんですよ!? それにそのドローンもそうだし、外の監視どうなってるってのもあるし……! 大体その前はこれから私どうなっちゃうのって悩んでたのに、今もいきなり絞殺されそうになってッ! 訳解りません!!」


 サクラの喚き散らすのを聞くと、少女は小首を捻り、やや広めなおデコさんの前で前髪を滑らせながら「ま、キミの疑問も当然だね?」鈴が転がるような声でそう呟き、腰に手を当ててウンウン頷いた。お姉さんを気取りたいのか、足のつま先を立てて背伸びをしている。


「でもさ。とりあえず死にたくなくなったっしょ?」


 少女が天使の微笑みを浮かべて言った。


「いいじゃん。ペットでも、情けなくっても。生きるって楽しいよ? だから生きようあたしと一緒に」


 ……。

 いや、死にたくなくなったというよりは、死ぬどころじゃなくなったっていう方が近い気がするんですけど!?

 そもそもこの流れで自殺できる人ってむしろメンタル強すぎな気がするし!


 そんな風に思うサクラだった。

 だがそう思いつつもサクラは、自分が安心している事に気付いた。目の前の少女に出会った時から、肩の積み荷が降りたような気がしたのだ。なぜ自分がそんな気持ちになったのか、サクラは解らなかった。それでもサクラは安心していた。これまで自分が求めていた優しさを、目の前の少女が与えてくれたような気がしていたからだ。


「……は、はい……!」


 そう思ったからこそサクラは、この不思議な少女から差し伸べられた手を掴んでしまった。



 一分後。

 塔の最上階にある隔離部屋で、サクラは真珠髪の少女から自己紹介をされていた。

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