11,胸部深奥部位発電機能誘導区域

 サクラが見上げた空には、太陽の代わりに不気味な何かが脈打っていた。

 その何かは球というには歪で、定期的に脈を打ち伸縮している。赤い色が妙に生々しいそれはまさしく人間の心臓だった。巨大な心臓が太陽の代わりに空にあり、大地を照らしている。それが脈打つたび、辺りに赤とも黄色ともいえない不気味な赤色光を滲み出し、それによって色付けされた雲が薄ピンク色の生々しい塊……まるで切りたての脂肪のような……となってどこかへ流れていくのである。微妙に幻想的に見えるのがまた気色悪い。やや近くに見える海、もしくは湖のような場所には無数の漂白された毛の生えた象のような何かが波打ち際を揺蕩っている。その更に遥か向こう側に人間の住む居住区らしきものがあった。

 この世界は内臓。

 巨大な人工生物の、体の内側にある世界だった。

 サクラはそんな世界を見つめたまま、暫く唖然としていた。やがて馬のように首を伸ばして身を震わせると、


「うっ」


 その場にしゃがみ込んでゆっくり嘔吐した。背後に立ったガブがそんな彼女の背を見て忌々し気にブーツの踵を鳴らす。


「こ……ここ……地球……なんですか……?」


 サクラはネルに尋ねた。「そうだ」ネルは非情にも肯定する。


「ここは地球。眠ったままの巨大人工神の体内にある。複製体たちによって滅びかけた人類が逃げ込んだ、『内部過寄生型都市共和国ジオグランデ』。その胸部深奥部位に当たる『発電機能誘導区域』だ」


 血の色に染まった大地を見下ろして、ネルが言った。

 サクラはショックの余り、茫然と立ち尽くしていた。

 目の前にあるものと、自分の知る地球のイメージがまるで重ならない。

 まだ別の惑星に来てしまったと言われた方が幸せだった。そんな気さえする。


「フン。何ショック受けちゃってんのよ。こんなの巨人のお腹の中に住んでるってだけじゃない。メルヘンっぽくて案外悪くないわよ」


 そんなサクラに向って、ガブが腕組みしながら言った。


 メ、メルヘンって……ど、どこが……!?

 こんな世界、絶望しかないじゃない……!

 だって草も木もない。空も大地もなくって、代わりにある天井と地面はみんな血管みたいのが走った気持ち悪い薄ピンク色をしてる。水の代わりに流れているのは、なんか胃液みたいな黄白色の何かだ。後は血だけ。大気はねっとりとしていて、まるで老犬の口の中みたいな腐臭がしてる。


 ウソでしょ……!

 こんな世界に誰がしたの……!?

 もしかしてあの『蛇』……!?

 そうか、きっとあの蛇が複製体って奴なんだ……!

 だって私たちのこと襲ってきたし……!!

 ってことは、私が嫌われてる理由ももしかして……!?


 その絶望的な光景を目の当たりにし、サクラは恐れおののいていた。

 その最中に彼女は思う。

 自分が嫌われている理由が、あの蛇にあるのではないか。


 きっとそうだ。

 だって、幾ら私がドジでバカだからって、それだけで人はイジメない。あんな鬼畜染みた拷問ショーには、同じように鬼畜染みた理由が必要だったんだ。

 その理由がこれ。

 世界は蛇、もとい複製体によってとっくに滅んでいて、生き残った人々はみんな絶望してる。だってどうしようもないから。それでここの人たちは少しでも目の前の現実から逃れようとして、その蛇に似た私を弄ぶ事で憂さを晴らそうとしてるんだ。じゃなきゃ、どうして私が嫌われるんだ。

 でも、それなら。

 私は、この人たちと仲良くなれるかもしれない。

 だって私とその蛇とはなんの関わりもないもの。

 こんな世の中なんだから一人でも多くの人が協力し合わないと。

 サクラはそう思った。


「――使


 その時、ネルがその薄氷のような薄い唇を開いた。弔鐘を想わせる不気味なその言葉の響きは、サクラの胸中に浮かんだ希望を一瞬で打ち砕いてしまった。


「いや、あの時セレマを解放できたのはそのうち片方だけだった。その天使が共振作用によって人工神を暴走させてしまったんだ。複製体に加えて人工神まで相手にする事になった人類には、絶望しか残されていなかった。

そして結果はこの通り。辛うじて全滅を免れた人類は、この地球上で最も過酷で他の生物の侵入を許さない場所、即ち眠ったままの複製体の腹の中に逃げ込むしかなかった」


 まるで昔を懐かしむかのようにネルは語った。その目にはやはり怒りは無い。あるのは諦観と自分を戒めるような自戒の念だけだった。まるで自分のせいで世界は滅んだとでもいうような。

 ネルはその口調で続けた。


「だから、今ではこの寄生都市に暮らす全員が天使のことを恨んでいる。よくも自分たちをこんな目に遭わせたと怒っているのだ。

事実、我々に残された道は殆ど一つしかない。日々限られた資源を消耗しながら、死までの日数を数える事だ。これでは死刑囚と何も変わらない。むしろ死までの日にちが決まっているぶん、死刑囚より絶望が深いかもしれない。恩赦も何もあり得ないのだから」


 ――どうしてだろう。ネルさんの話を聞いていると、また頭が重い……!


「どうだ。何か思い出さないか」


 尋ねたのはネルだった。

 サクラは頭を小突かれたように下を向く。そして蛹のように暫く硬直したあと、


「……いえ、なにも……わからないです……!」


 腹の底から絞り出すような声で言った。


「わからないとは?」

「……あ、頭の中が、真っ白で……!」


 まただ。

 私はいつもこう。表情や言葉がうまく作れない。

 なにか哀しい気持ちと焦燥感に塗れてしまって、わけが解らなくなる。

 なにか言わなくちゃ。

 言ってこの人たちに気に入られなくちゃ。

 じゃないと私、もっと酷い目に遭わされる……!


 サクラは何も答えられなかった。ただ祈るように組んだ手を胸元に置いて、固まるだけだ。その額には脂汗が浮き出ている。


「……………~~ッ!!」

「おい、大丈夫かよ。顔色真っ青だぜ」


 そのまま一分近くが経過し、心配したファイガが言った。


「ガブ。愚か者に食事を。我々は仕事に戻る」


 このままでは埒が明かないと判断したのだろう。ネルがいつもの口調でガブに指示を出し、一人部屋を後にする。すぐにファイガとレフも部屋を出た。


「……ハア」


 ガブは先にネルがサクラの寝台の上に置いた銀色のトレーを掴むと、琥珀色の目を細めてサクラを睨みつけた。

 サクラはただ、先の事を考え体を震わせていた。

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