10、人工神計画

 動画の内容は、サクラにとって衝撃的なものだった。

 簡素なメッセージと数字によって、自分が知っていた文明が十年前に滅んでいる事、そして現在の人口がおよそ一億人にまで減っている事が示される。

 全ては『アバタール計画』と呼ばれるプロジェクトから始まった。

 体の不自由な人のために新しく健康的な肉体アバターを用意し、その体にその人の意識を移すというものである。それ自体が生命倫理に深く抵触するプロジェクトであったため、初期こそ遅々として進まなかったが、やがて人々はこのアバタール計画に縋らざるを得なくなる。

 増え続ける人口と、高すぎる高齢化、それによる医療現場の崩壊、そして起こった世界同時多発流行の疫病がその最終的な引き金となった。人類は健康長寿な肉体である人工神を求めたのである。当時既に人類はテラフォーミング技術を確立し、宇宙にまでその生活圏を広げつつあったのだが、老人の体では地球を離れる事すら叶わなかった。何するにもまず若さと健康が必要だったのだ。

 そこで再び脚光を浴びたこの『アバタール計画』は『人工神計画』へとステージを移す。

 人工神とは光触媒による重窒素反応炉を搭載した人造人間の事である。彼らは反応炉によってもたらされる無尽蔵のエネルギーを使う事で高次機能タンジブルインターフェース型スマートプリンター『Thelemaセレマ』を起動することができた。

 セレマとは3Dプリンターに『4d』と『6g』という二つの高次拡張機能を追加したものである。

 4dとはフォースディメンションの略だ。時空間を圧縮することにより、ある程度の時間や距離を無視した立体印刷を行うことができる。これにより原料がその場になくても印刷可能な上、それまでなかったものでさえも現実的に製作可能であれば作り出せる。ネルの自己再生能力はこの機能を応用した生態模倣的な自己組織化スマートアセンブリの働きに寄った。

 そして6gはシックスジェネレーション。有機物無機物あらゆるものをインターネットで繋げられるのみならず、ネット環境を持たないものにトロン因子と呼ばれる微粒子状のネット接続ナノマシンを噴霧することで可逆的にネット対応化させるというものである。通称スマートイングリットと呼ばれているこの技術に依り、人は無機物すら会話し使役する事が可能になった。

 このセレマを起動する事で、人工神は肉体の自己再生や無機物のロボット化など、多種多様なアプリケーションを使用できた。人間たちは、単に年若の体というだけではなく神の如き全能性まで求めたのである。

 この人工神計画は発展途上国及び人権委員会等の猛反対を無視できる一部先進国によって進められた。老いた社会は自分たちの未来を人工神に賭けるしかなかったのだ。

 やがて多数の動物実験や死体、クローンによる実験を経て、ついに世界は少女を実験に使う。素直で心優しく、精神移植を行う人工神に対して高い『心的寛容性イマジナリートレランス』を発揮できる子供だった。

 この時までの実験で、人工神には我々と似た精神構造があることが確認されていた。その精神と交信する事で、互いに協調し融合し合う心的な結合が行われたのである。

 そして行われた計画の第一段階は見事に成功した。人工神細胞の移植と言う形で行われたこの実験により、少女は人間でありながら不老不死の神と化した。彼女は神と人とを繋ぐ聖なる存在『天使』と呼ばれ、世界中の死を恐れる人々から喝采を浴びた。

 そして計画は第二段階に移る。

 天使を心的な仲介者にして、心的寛容性を持たない人々をも安全に神化させようとしたのだ。そのために用意されたのは、先に人工神と成った天使の複製体クローンだった。この複製体は1000体近くが用意され、その殆どが死亡間近の富裕層たちによって使用された。美しく若い少女の肉体……それも全能に近い……を自分のものにできると聞いて彼らは躍起になっていた。

 だが結果は失敗。

 自らの生存のために他者の肉体を乗っ取ろうとするその野合染みた結合を複製体たちは完全に拒否した。そして自らの体を奪う存在として認知された人類は、目覚めた複製体たちによって駆逐されたのである。のちに七日間戦争と呼ばれたその戦いは複製体側の圧倒的勝利に終わった。自己進化を繰り返し、強大化した複製体たちの進撃を防ぐ術は人類になかったのである。

 その後人類は辛うじて絶滅を免れ、今はある場所に設けられた特殊な居住空間でひっそりと暮らしている。複製体の体から剝離した体毛が独立起動した化け物『ジオルム』の襲撃に怯えながら。


「……………………」


 時間にしておよそ十分程度のその動画を見終わったとき、サクラは何よりもまずその内容を疑った。


 こんなのは、ウソ。

 だってもし現実がこの映像の通りなんだとしたら、たとえ私がこの部屋を脱出したとしても行く先なんてないってことになる。

 地上はとっくに滅んでいるんだから。

 私の知ってる世界なんて、もうないって事なんだから。

 そんなの、絶望しかない。


「……こんなの……冗談ですよね……?」


 内心動画の内容を否定しながらも、サクラは尋ねずにはいられなかった。


「わたしたちがウソついてるっていうの?」


 するとガブが憎々し気に尋ねる。サクラより更に一回り小さい背丈の彼女だが、傲岸なプラチナブロンドの頭を潜り込ませるようにして彼女を睨み据えた。


「だって、できすぎじゃないですか……人工神だとか、天使だとか、人類の滅亡だとか……こんな訳の分からない実験なんかで世界が滅びるわけ、ないですよね……?」


 サクラは縋るような目つきで、自分を睨むガブではなくファイガとレフに尋ねた。

 確かに思い当たるフシは幾つかあった。

 一昨日以前の記憶がない自分。そんな自分が拷問を受ける理由。明らかに厳重過ぎる警備。何故か自分の姿をした正体不明の化け物『ジオルム』、その他水の量の制限などなど。

 どれも平常時ではあまり考えられない事だ。

 だからこそサクラとしては否定して欲しかったのだが。


「ま、にわかには信じられないよね」

「俺だって信じたくねえよ。でもなあ」


 だが二人は訳ありげに笑っている。まるでこんなものは悲劇でもなんでもないと言わんばかりに。


「実際に見るのが早いだろう」


 すると、ネルがそう言って壁際に歩み寄り、手を翳した。

 途端に透明だった壁に不思議な紋様が現れる。それは以前見た五芒星の中心に桜の花びらが付いたマークで、どうやらネルの掌で光ったものが投影されたもののようだった。よく見ると中央部分に『Thelemaセレマ』とアルファベットで書いてある。


 セレマって、ひょっとしてさっきの動画に出てきた天使ってネルさんのこと……?


 サクラが疑問に思っていると、


「隊長は『人造天使エクスシア』なのさ」


 隣に立っていたレフがこっそりサクラにだけ聞こえる声でそう呟いた。その目は真っすぐにネルを見つめている。


「人造天使っていうのは、複製体によって滅ぼされた人類が造り出した対複製体用局地戦人型兵器の名称なんだ。体中に細分化された人工神の細胞を埋め込んである」

「さ、細胞を埋め込む……兵器……!」

「そう。隊長はこの細胞によって肉体を体重比99パーセントまで神化してる。だからセレマを起動できたり、化け物が相手でも戦って倒せたりするんだよ。彼女の自己再生能力は見たでしょ?」


 そう呟くレフの横顔には笑みが浮かんでいた。

 話を聞いている間にもネルの作業は進む。彼女は真っすぐ伸ばした手先を動かし空中で十字を切り出した。ジオルムと戦った時と同じ仕草だ。

 すると壁に投影されていた五芒星が変わった。まるでスマホの画面のようにスクロールされる。これはタンジブルビットと呼ばれる立体投影型のタッチパネルだ。無数にダウンロードされたアプリの中から、ネルは三角帽子の妖精を模したアイコン……無機物の自己内在型自立組織化改変アプリ……を選択する。

 すると、室内の壁が勝手に動き出した。表面にブロックのような亀裂が走り、まるで寒天で作ったパズルのように前後に移動して大きな穴を空ける。

 ネルがセレマ内のアプリを使用して、部屋の壁と塔の防壁にのだ。耐熱、耐圧、防弾と何重にも積み重なった漆黒の隔壁が、自動ドアさながらに一枚一枚開いていく。


「………………!!!?!?」


 ……な…………なんなの………あれ…………!?


 サクラが見上げた大空には、太陽の代わりに不気味な何かが脈打っていた。

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