9、この世界のこと
次の日。
サクラは気付くと、昨日までとは別の部屋に居た。
反射的に首に手を当てる。
あれ……首、付いてる……!?
おかしい。
部屋を出たあの瞬間、確かに私は死んだと思った。
だって首の爆弾が爆発したから……でも首はなんともない……?
首輪自体も相変わらず付いてるし……!
すると爆弾は爆発しなかったんだろうか?
それとも意外となんとも無かったとか……?
「……」
とにかく私……無事みたい!
自身の無事を確認したサクラは、素直に喜ぶことにした。そして自らが置かれた状況を顧みるため、部屋の壁に歩み寄る。
ここも知らない部屋だった。血の臭いが全くしない。どうやら昨日までとは別の部屋に移されたらしい。
壁は四方のみならず上下まで全て透明。遮るものは何もなく、相変わらず扉の類も見当たらなかった。まるで水族館にある巨大水槽にでも入れられたようだ。
部屋には例の如くユニットバス式の個室が付いていたが、浴室も洗面所も全て透明である。おまけに部屋には小さなドーム型のPTZ(左右上下+ズーム機能付き)カメラが多数仕掛けられており、ギュイギュイと喧しい音を立てて、視界中央にサクラの姿を捉え続けていた。
変わったのはインテリアだけではない。部屋の外装も変化している。部屋の外側にはメタリックカラーの柵と骨組みだけの足場があり、その外はもう断崖絶壁である。高さは優に四十メートルはあろう。その更に向こうには厚さ七メートルを越える漆黒の対爆金属壁が高く聳えており、その禍々しい壁はそのまま直上して天井を作り、円筒形にすっぽりサクラの居る部屋を建物ごと覆っていた。ここはまるで黒鉄の棺桶の中に造られた部屋のようだった。
しかも恐ろしい事に、その棺桶の内側には機銃や砲塔が針山のように生えている。ジオルムの頭を吹っ飛ばした110mm対戦車榴弾砲は勿論、対『天使』用の二重貫通弾頭を装填した全自動滑腔砲などがあった。それら全てがサクラの居る部屋に向けられている。その砲塔の合間を縫うようにして、補給や修復を自動で行う完全自立行動型の小型機銃装備制圧用無人機及び自爆突撃用デルタ無人機が常時編隊を組んで鰯の群れのように部屋の周りを周回していた。
更にサクラは気が付かなかったが、それら脅威は彼女の視界に映るものだけではなかった。サクラの居る部屋の直上にもリモート操作型の250キログラム級特殊油脂焼夷弾が無数に仕掛けられ、いざという時には爆風と共にゼリー状の燃焼材が辺り一帯に降り注ぎ、サクラの体を焼き続けることで彼女を一定時間足止めするようにできている。
ここは『塔』と呼ばれる隔離管理施設の最上階。『神殿』が崩れ去った今、『天使』たちを物理的に隔離保護しておくための特別施設である。
「……ああ……!?」
その光景を最上階から見下ろした時、サクラはその場に頽れてしまった。
昨日まで自分が居た部屋が天国のように思える。あそこには苦痛はあっても、まだ自分を損壊しようという敵意はまだ少なく感じられた。ただ冷酷なだけで保護しようという意図が多少なりともあったのだ。
だがこの部屋には敵意しかない。生活環境が整えられている事からすぐに殺されない事だけは解ったが、それだって拷問に耐えるだけならなんの慰みになるだろう。死刑の決まった死刑囚と変わらないではないか。
透明な壁越しにむざむざとそうした管理者たちの意図を感じたサクラは、すぐ傍にある簡易寝台上に折りたたまれたラクダ色の毛布を手で広げ、それをヴェールのように頭に被った。布一枚のそれがサクラに残された唯一のプライベートゾーンだった。
……酷い……ッ!
酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷いッ! 酷すぎるッ!!
どうして私がこんな扱いを受けなくちゃならないの!?
私がいったい何したって言うのよ!?
そのちっぽけなラクダ色の安息所に身を潜めた瞬間、サクラの中で積もり続けてきたストレスが爆発した。
こんな仕打ちには、もう耐えられない!!
そう思い立ち上がったサクラは、怒りに任せ何度も額を透明な壁に打ち付ける。それから薄ピンク色の直毛を掻き毟り出した。天使のように愛らしかった少女の顔は、不安と怒りで化け物のように歪んでいる。
きっと、あの化け物のせいだ……!
あの蛇が私に似た姿をしているから、それで私までこんな目に遭うんだ!
床に落ちた自身の毛髪を見て、サクラはそう思い込んだ。何か昨日の蛇にも似たその毛髪を裸足で踏み付ける。
その時不意に部屋がノックされた。サクラが振り返るよりも先に、分厚い透明の壁が円形に開く。
たった一つこの部屋に繋がる細長い橋を歩いて、やってきたのはあのネルだった。彼女は銀色のトレーを手に持っている。
更に背後に三人、この施設の職員らしき制服姿の男女の姿があった。彼らはいずれも黒地に赤を基調としており、女子はやや短め丈の黒ワンピースに同色のタイツ、男子はパンツルックといういで立ちだった。全員首に小型犬が付けるような首輪を巻き付けている。
サクラは彼らの顔に見覚えがあった。以前自分に銃を向けた完全武装の兵士たち、その中に居た三人だ。
一人は紅鶸色の鳥頭をした男。昨日蛇に向って対戦車砲をぶっ放した兵士でもある。制服に着替えた彼は以前よりも体格が逞しく見えた。
その後ろに腕組みして佇むのは、先日サクラを罵倒したあのプラチナブロンドの髪に鳥の髪留めを付けたお嬢様兵だった。ぱっつんに切りそろえた前髪の下から勝気そうな青い目が覗いている。
最後尾は黒髪黒目、痩せぎすで目元に少し影のある眼鏡男だった。三人の内で彼だけは研究者らしいくたびれた白衣を羽織っている。如何にも賢そうだ。
「検査の結果、現時点でお前に危険性がないことが判明した。よって以降は私の他、この三人がお前の世話をする事になる」
サクラが不審がっていると、ネルが言った。
検査?
一瞬疑問に思ったサクラだったが、そういえば十字架に付着した血液を集めていた事を思い出した。
でも危険性って何のこと?
待遇が変わってくれるのなら、それに越したことはないけど……。
「正直、世話なんかしたくないけどね。でもネルが忙しいって言うから。人手も足りてないし」
艶やかな後ろ髪を掻き上げて、ガブがぼやく。
「つうわけで自己紹介だな。まずは俺から行くぜ」
続けて鳥頭が言った。それが俺だとでも言わんばかりに、握った拳から突き出した親指で特徴的なツンツン頭を指差す。
うっわ、この人すっごいイケメン……!
私なんかが見てると失礼っぽい……!
自分に自信のないサクラは、思わず視線を逸らした。
「俺の名はファイガ・ファイフィンガー。27歳。ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州出身で『
「あ、ALOF……?」
聞きなれない単語にサクラが思わず呟くと、
「『人類救済のための地球解放機構』。アース・リベレーション・オーガニゼーション・フォー・ヒューマニティサルベーションの略だね。ネル隊長が代表を務めている防衛組織で、政府の下部組織だけど別個に独自の戦力を持ってる。その戦力でこの基地周辺に侵入してくるジオルムの討伐を行ったり、人類を救うための活動をしたりしているのさ」
白衣の男がスクエアタイプの眼鏡を中指で押し上げながら答えた。
「やっべ。俺正式名称忘れてたわ」
ファイガが明後日の方角を向いて呟く。
「おいおい。副官で副隊長なんだろ? しっかりしてくれよ」
白衣の男、レフがわざとらしく呆れて見せる。
「わかってるよ、レフ」
ファイガが親し気にレフの肩に腕を回して言った。
「まったく」
レフは回された肩を落として、鉄のように重いファイガの腕を振りほどく。この二人は仲が良いようだ。
「次はガブ。頼むぜ」
「ハア……わたしガブリエル・チャーマーズ。16歳。出身はオーストラリア。情報分析担当官と医療介助保護官を兼任してる」
ガブがつっけんどんな口調で言った。やや高めの腰に手を当て、サクラとは決して目を合わせないようにそっぽを向いてのあからさまな自己紹介である。
この子は私の事が嫌いみたい。
イジメられたりしないといいけど……。
サクラはまた不安になる。
「気を付けろよ。うっかり『ガブリエル』って呼ぶとこいつブチギレっから」
なんて思っているとファイガが言った。
「え」
サクラがギョッとする。
「こいつ、こんなお嬢様みたいな顔してキレると怖えんだよ。すーぐ噛みつくんだぜ」
「ちょっと!? 人を狂犬みたいに呼ばないでよ!!」
「ほーれ怒った」
ガブは「もう!!」歯も目も剥き出しにしてファイガを睨みつける。
「ガブでもチャーマーズでも好きに呼べばいいけど、ガブリエルだけは止めてね。天使っぽくてわたし大ッ嫌いなの」
吐き捨てるようにそう言うと、ガブはサクラを睨みつけた。
すると、そんなガブの視線を遮るようにして最後の一人、レフがサクラの前に歩み寄った。ファイガには劣るものの、彼も中々の美男子である。
「ぼくはレフ。レフ・ミヤムラ。ロシア人と日本人のハーフで出身は東京。18だけど、ここのメカニック全般を任されてる。他には医者の真似事と兵器関連の研究開発とプログラムとエンジニアと、もちろん兵士も。後は趣味でゲーム制作と作曲もやってた。五歳の時に書いた曲でメジャーデビューしてる」
わ、私は……無職!
何のとりえもないただの女の子で、現在なにかの罪で捕まってます!
どうだすごいでしょう……?
すごくなかったね……?
多才過ぎるレフの自己紹介に、サクラはつい心の中で酷い自己紹介をしてしまった。情けないことこの上ない。
「こいつ、こんな不健康そうなツラしてやがんのにIQ177もあるんだぜ? お陰でどこの部門でも引っ張りだこさ」
サクラが一人で肩を落とし死んだ目をしてヘラヘラ笑っていると、それとは一切関係なしにファイガが嬉しそうに言った。
ひゃっ、177……!?
すごい……!
私なんか100もないのに……!
ちょっと分けてほしい……!
純粋に感心してしまうサクラだった。頭のいい人はそれだけで崇拝対象だ。レフの眼鏡に後光が差して見える。
「いや、ぼくは他人よりちょっと器用なだけだよ。それにネル隊長も頭いいし」
そんなサクラの視線に気が付いたのか、レフが苦笑して言った。
「隊長は自分の能力をよく理解してる。どうして隊長がジオルム相手に接近戦を挑むかって、それが最も隊員の被害が少なく済むからさ。実に合理的だ」
「その合理的ってところが、俺はちょいと気にかかるがね」
ファイガが口を挟んだ。どうやら少しは自分の身を気遣えと言っているようだ。
「おいネル。お前もどうせ自己紹介してないんだろ? 代わりに俺がしとくぜ」
「その必要はない」
きっぱり断るネル。
「あるんだよ。俺らは化け物じゃなくて人間だから」
だがその冷徹な双眸を真っ向から見つめ返してファイガが言った。彼は微笑んでいる。
「こいつはネル。ALOFの代表と対複製体特化即応部隊の隊長を兼任してる。一言でいえば俺たちの組織のトップだ。見ての通りクッソ美人だが俺の嫁なんで手は出さんでくれ」
「……ふっ……!」
ファイガの冗談を聞いて、途端にレフが吹き出す。クールな彼にしては珍しく笑いが堪えられないようだった。白衣の前を押さえて、笑いを堪えようと必死である。
よ、嫁って……!?
一方サクラはといえば、その衝撃的な一言につい不謹慎なものを想像していた。ネルがエプロン姿でキッチンに立ち、鉈を振るってファイガのために蛇をミンチにしている姿である。その足元には何故か犬耳と首輪をつけたサクラの姿もあった。わんわん。
「……」
ネルは相変わらず黙っている。怒り出す気配もなければ、恥ずかしがる様子もない。
「ちょっとファイガ。このバカが誤解するじゃないの」
相変わらずの不機嫌面でガブが言った。気のせいか、さっきまでより更に目つきが鋭くなったように見える。
ば、バカって私のこと……!?
このガブって子とは仲良くなれそうにないな……。当たってるけど。
弁明できない愚かさに、サクラは悲しくなる。
「ああ悪い悪い。未来の嫁だったわ。ともかくそういう訳でな。アンタも自己紹介できるか?」
ファイガが今度はサクラに尋ねた。
「じこ……しょうかい……?」
途端にサクラは黙ってしまう。咲きかけた花のようだった彼女の笑顔はすぼみ、代わりに不安が濃く浮き出してきた。
そういえば私、自分の名前思い出せない……!
「どうした? ひょっとして自己紹介の意味解らねえのか?」
一見からかいにも聞こえるが、ファイガのそれは親切心から出たものである。サクラのよく言えば純粋、悪く言えば無知蒙昧にしか見えない仕草や頼りない言動などが、自然と彼にそうさせてしまったのだ。
「あ……いえ……その……私……実は自分のこと解らないんです……その『サクラ』っていうのが私の名前なんですか?」
やがて縋るような口調で、サクラは自分の事を相手に尋ねた。
「「「……」」」
すると途端に全員が黙った。快活なファイガまでもが黙る。レフは半分諦めたような目で、ガブは何か言いたそうに口をもごもごさせて、それぞれサクラを見つめる。
あ、明らかに気まずい……!
私、何か間違った質問をしたのかな……?
「……名前じゃないよ。『サクラ』っていうのはキミの識別コードだ。旧世界にあった中東のシリアって国の言葉で『愚か者』を指してる」
やがてレフが両手を白衣のポケットに突っ込んで答えてくれた。
「し、識別コード……?」
「本名じゃないってこと。ちなみにぼくの国だとその名前、春に咲く綺麗なピンク色の花のことなんだけどね。まさにキミみたいな子にぴったりだと思うよ。ちょうど髪もピンク色だし、表情もいつも儚げだしね。今にも散りそう」
レフが口元にだけ微笑を浮かべて言った。その皮肉にしか聞こえない内容にサクラは戸惑ってしまう。
「ま、顔だけ見れば可愛いものよね。善も悪も知らない乙女って感じだものコイツ」
「ああ。色々教えてやりてえよな。今夜俺の部屋辺りで」
「は? マジで言ってんのアンタ?」
「ウソウソ」
「ホントでしょうね……?」
や、やっぱり私、バカにされてる……?
サクラはその呼び名に不満を抱きつつも、コクリ頷いた。
「そ、そうなんですね……でも、その……サクラって名前……嫌いじゃ、ないです。なんだかその……私らしくて」
サクラがやっとそう言うと、「プッ」ガブが噴き出した。
「ホント『愚か者』ねアンタ。クソ以下のバカだわ」
ガブが吐き捨てるように言った。前髪が左右にばらける程に顎を上げて、はっきり見下した態度である。
「ガブ」
それをファイガが掣肘した。ガブはファイガではなくネルを見る。
「愚か者は記憶が混乱しているようだ。ガブ、説明を頼む」
するとネルが言った。視線でガブが手に持っているタブレットを指す。
「わかったわよ」
ガブは渋々といった様子で手に持ったタブレットを起動すると、画面を何度かスクロールさせてサクラに手渡した。
「……これは……?」
画面には動画プレーヤーらしきものが起動されており、そのタイトルには『ALOF職員研修用一般共通A』と文字が記されていた。サクラは呆然と画面を眺めている。
「は? ひょっとしてアンタ、タブレットの使い方も解らないの? ホント使えないゴミね」
サクラが戸惑っていると、「貸しなさいよこの原始人!」ガブがイライラしながらタブレットをサクラの手からもぎ取り、画面を突いてまた手渡す。
「ひ、ひょっとして、私のこと教えてくださるんですか?」
「解るかもしれないわね」
ガブがそう言うと同時に動画が始まった。
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