8,怖気の奔る既視感
な……!?
なにこれ……この蛇……私……!?
なんで……!?
どうして私の姿をしてるの……!?
その急激な変化にサクラが戸惑っていると、蛇が片手をサクラに差し出した。蛇の背面、人間でいう肩甲骨の辺りから不思議な粒子のようなものが吹き出して、それは金属の翼へと変わる。
「……」
蛇は無言のままサクラに向ってニコリ、不気味な笑みを浮かべてみせると、彼女の手を引き掴んでその場から飛び立とうとした。
「愚か者に引き寄せられたか」
だがその時、崩壊した壁を死肉ごとぶち破り、血の雨の中を弾丸のような猛スピードで何者かが突っ込んできた。部下の血肉を血化粧に、まるで疫病のように赤い鬱血痕の増したボディスーツを纏った少女、ネルである。誰かの腸を引きちぎり、誰かの毛の生えた脳みそを十字架ごと踏み潰して彼女は地獄と化した室内に降り立つ。
蛇と同様に彼女もまたその肩甲骨部分から、金属粒子でできた銀色に輝く翼を生やしている。その目に浮かんでいるのは
彼女は飛び込んできた勢いのまま、ベルトのソードホルダーに引っかけていた裸の鉈を抜いて、蛇……今はサクラの姿となっている……の頭を横薙ぎに一閃した。斬られた頭は毬のように床を弾んで壁に弾け着いた。
ネルの鉈は通常の鉈ではなく、刀身部分を高速で振動させることで切断箇所を圧力と熱で同時に引き裂く高周波マチューテと呼ばれるものだった。その高速振動による切断及び熱に依る溶断は5・56mmアサルトライフル弾の直撃にも耐える蛇の鱗でさえも容易に切断する。
だが蛇は頭部が切断された事には全く構わず、片手をネルに向けると十字に切った。その掌から淡い光を一瞬発した。何かの攻撃だろうか。
次の瞬間だった。その掌から大量の光と共に金属の塊のようなものが飛び出す。それは鳥頭が持っていたものと同じ110mm対戦車榴弾砲だった。蛇はすぐさまそれを肩に担ぎ上げると、ろくに照準もつけずに発射する。
全く同時にネルも手を翳した。蛇と同じく十字に切る。
ちょうど対面に居たサクラも、その手の中に光るものを見ることができた。それは中心に花びらを持つ六芒星だった。その花びらは桜の花びらのようにも見えた。
果たして光ったのが先か、それとも榴弾の発射が先か。
砲身から飛び出したはずの榴弾は、何故かその手の光に触れると忽ち消えてしまった。
なに……!? いったい何が起きてるの……!?
サクラにはこの場の出来事が一切解らない。消えたのは発射された榴弾だけではなかった。蛇の持っていた榴弾砲そのものも、砲身から順番に分解されるようにして段階的に光になり消え去っている。それはさながら逆再生動画でも見ているようだった。
続けざまにネルはもう片方の手を掲げると、その中からまさに今撃たれたものと同じ榴弾砲と砲弾を取り出し、直ちに装填して蛇に向け発射した。すると今度は蛇の方がその掌を向けて榴弾を受けようとする。同じやり方で返そうというのだ。
するとネルが動いた。
彼女は背中の金属粒子翼を開くと、一瞬で蛇の直上へと跳び上がったのだ。その手に握るのはあの鉈。
彼女は逆さになって天井板を蹴ると、雷光のような速度で落下し、蛇が伸ばした腕を鉈で斬り落としてしまった。高速振動する刃によって鋭利に切断されたその斬り口は、泡を吹くように隆起し大量の血液を噴き出す。赤黄いペンキのような粘っこい血液がネルとサクラの顔にべっとりと張り付く。卒倒しかねない程に顔中を引き攣らせているサクラ。そんな彼女とは対称的にネルはそんな返り血など一切気にせず、ネルは返す刃で蛇の胴体を斜めに斬り払った。
胴体は上下に真っ二つに切り裂かれ、上体だけとなった蛇は頽れる。勝敗は決したかに見えた。
だが次の瞬間、ネルの側頭部を強い衝撃が襲った。高速で振り回され鋼の剣のようになった蛇の手刀が彼女の首を撥ね飛ばしたのだ。
「ねッ……ネルさんッ!?」
サクラは思わず彼女の名前を叫んでいた。
私の知ってる人がまた死んだ、と思ったからだ。
だが決着はまだ着いていない。ネルの体は部屋の端に吹っ飛んでいった己の頭も顧みずに、たった今自分の顔を薙いだ蛇の腕を掴み上げると、あの凄まじい怪力で自分の方へと引きずり寄せた。そして鉈を振るい、蛇の胴を寸断していく。その間にもネルの頭は元通り再生していた。ぬらりと垂れる赤い血が、彼女の銀真珠の髪に弾かれて妖しく光った。
一方蛇は蛇で、寸断される己の胴にも構わずネルを攻撃し続ける。
首、心臓、首、腸、心臓、心臓。心臓。心臓。
常人なら即死する部位を何度も切り裂かれまた貫かれ、抉り出されて磨り潰されるのにネルの動きは一瞬たりとも止まる事がなかった。果ては足元に転がった、まだ脈打つ自分の心臓を拾い相手の顔面に叩きつけて視界を奪うという始末。ゾンビでもやりたがらないだろう戦い方にサクラは唖然とする。
それは蛇も同じだった。はみ出た腸をネルの振動刃に絡ませて防ごうとしたり、砕けたアバラ骨を相手の喉元に突き刺したり、やりたい放題である。銀色だった部屋は両者の血液によって、火災現場のようにどす黒く染め上がっていた。それら神によって悲劇的なまでに精巧に作られたはずの肉体という生命倫理を冒涜するような、醜い二匹の獣同士の戦闘がビチャビチャと続いた。或いはこれこそ黙示に刻まれた獣の戦いなのかもしれない。
だが蛇と異なるのは、ネルの自己再生の速度だった。それは化け物よりも何倍も速く、砕かれた彼女の頭が元通りになるまで二秒と掛からない。
その再生速度の差は、そのまま戦闘の結果として現れた。互いにダメージ無視の徹底的なインファイトを繰り返した結果、先に横たわったのは蛇であった。
もはや自己再生できないのだろう。両手両足、そして胴を短く寸断され、芋虫同然となった蛇は浅い呼吸を繰り返しながら、サクラと同じ愛らしい口元から血混じりの涎をゲホゴホと吐き出している。
「……」
ネルは鉈を手に持ったまま、横たわる蛇を暫く見下ろしていた。その目にやはり敵意はない。それどころか、大勢の部下を殺し自らにも危害を加えたこの蛇に対して彼女は一抹の怒りすら持っていないように見えた。
ただ必要だから、この人は化け物を嬲り殺したのだ。
必要だから自分を嬲ったように。
眼球の中を無感動に揺蕩っている真珠のような瞳から、サクラは彼女の意志を読み取る。
「ネル隊長! ご無事ですか!?」
そんな風にサクラが観察していると、やがて崩れた天井の板や死体を跨ぐようにして兵士の一隊がやってきた。
「状況終了。各員現状報告。第二種警戒態勢」
ネルが何事もなかったかのように告げた。「ハッ!」それに兵士らが敬礼して応え、手持ち式の軍用無線機で仲間に彼女の命令を伝える。
「了解です! 各員現状報告! 第二種警戒態勢!」
ネルはそれを確認すると、自分たちの内臓に埋もれたコートをビチャリ羽織り、部屋を後にした。
他方、それ以外の兵士たちは蛇の傍に近寄る。蛇はまだ生きていた。蛇は自分の傍に集まってくる兵士たちに向かって、震える手を伸ばしながらこう訴える。
「……あっ……あっ……たすへ……ッ」
紛れもないそれは人間の、いや、昨日のサクラの声だった。
同時に、まるで警報でも鳴らされたかのように、兵士たち全員が揃って銃を突き付け、軽蔑とも威嚇ともとれる険しい眼でジッと蛇を睨む。
「こいつ情けねえ面してやがるぜ!!」
「誰がてめえなんざ助けるかよ!!!」
「死ね化け物!!!」
「大人しく死ね!!!!」
先の化け物の言葉。そして、それに反応する兵士たちの姿を見たとき、サクラは背筋が凍り付くような恐怖に襲われずにはいられなかった。
――私はこれと同じ状況で同じ暴言を吐かれなかっただろうか。
サクラは怖気の走る既視感に襲われていた。
何か自分は見てはならぬものを見ている気がする。
そんなサクラを他所に、兵士たちは口々に蛇を罵倒しながら踏みつけ、軍用ナイフでメッタ切りにし始めた。憐れみなどは一切ない。
やがて生理的に嫌な音がして、サクラの目の前に何かが飛んでくる。それは助けを乞うように目を潤ませた、自分と同じ顔をした蛇の頭部だった。
「おい化け物! お前も大人しくしてろ!!」
やがてサクラも膝の裏を蹴られ、その場に座らせられてしまった。側頭部に銃を突き付けられ、半狂乱となったサクラは反射的に両手を上げて頭を隠す。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いコワイコワイコワイコワイコワイイィ……ッツ!!!
頭部を切り離し、両手両足を捥いで内臓を引きずり出しても、まだ兵士たちの殺戮は続いていた。明らかに彼らは殺戮を悦んでいる。
自分と全く同じ姿をした生き物が腐ったひき肉のように潰されてゆく様を、サクラは側頭部に銃口を突き付けられながらずっと眺めていなければならなかった。余りの光景に恐怖で目の玉が裏返りそうになる。
「ッ……うッ……うええええええッ!!」
余りの恐怖にサクラは吐き出してしまう。乾いた喉で何度も何度も喘ぐ。だが出てくるのは胃の奥で燻ぶった空気だけだ。
「大人しくしろと言っただろうがあああああああ!!!!」
その横っ腹を兵士に蹴り上げられる。痛みに身を捩っていると、猶も背中でバンバンと二度銃弾の発射音が聞こえた。あろうことか、兵士が発砲したのだ。焼けるような熱と痛みによってそれが自分の後頭部と首の付け根に命中したと悟るとサクラは、
「イッ……イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
もはや何も解らずに叫び走った。この時既に兵士の放った9ミリ拡張弾頭が、花が潰れるようにしてサクラの後頭葉と小脳を破壊しつくしていたのだが、それでも彼女は普段通りに走ることができた。
そして、
バアンッ!!
サクラが部屋から一歩出た瞬間、彼女のか細い首筋で一際大きな炸裂音がした。
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