3、どうして私がいじめられるの?

 藁にも縋る思いでサクラは赦しを乞うた。

 だが。


「お前はなにもしなくていい。ただ嬲られろ」


 最早慈悲など欠片もない、愛情その他一切を排した声音でネルは無慈悲に告げた。そしてブーツのつま先でサクラの顎を蹴り上げる。まるでサッカーボールのように弾んだサクラの頭を掴み上げると、その軟弱な笑みが張り付いたままの顔面を殴りつけた。


「ぼっ」


 四肢のないサクラの体は吹っ飛び、先ほどまで磔にされていた十字架に真正面からぶつかった。永遠に打ち付けられたままとなった己の足首にキスをする。そうしてから自分が口付けたものの正体に気が付き、


「わっぶッ……ぼげええッ!」


 サクラはショックから大部分が血の嘔吐をしてしまう。高圧電流を流されたような激痛が全身を走り続けているのだが、彼女は依然として死なない。


「わひゅッ!? わッ!? わひぇッ……!?……わたっ……私がなにひたってひふんですかあああああああぁ!!???」


 余りの辛さにサクラは叫んだ。少女とは思えないような憤怒の叫びだ。顔面に張り付けた笑みも消え、内側に隠していた怒りが深い皺と共に剥き出しとなっている。

ネルは答えない。彼女は逆盆式の器械台の上にあった振動ドリルを手に取ると、銃にも似たその引き金を引いた。その度にドリル刃が唸りを上げて回転する。


「ひっ!?」


 それを見たサクラの顔が恐怖に引き攣った。ネルはドリルを片手に彼女に迫る。チタンによるコーティングが施され真鍮色に艶めかしく光る刃がサクラの顔面に突き付けられた。

 その耳を劈くような音と刃にサクラは恐慌状態に陥り、


「ひぎぃッ!?」


 自ら零した吐瀉物の上をのたうち回った。


「たすひぇッ!」


 サクラが涙ながらに訴える。ネルは構わない。まるで屠殺中の食肉加工業者のような冷静なその腕で、動かぬようサクラの頭を十字架に押さえつけ、そして、


「ぎゅむうひぃわわわああああああああッ!?!?!」


 回転するドリル刃でサクラの片目を掘削した。刃は水晶体を貫通しゼリー状の硝子体がかき混ぜられて飛び散る。目の中を進むドリル刃はピンク色の外眼筋と眼窩脂肪を切り混ぜ、それらを支える眼窩骨を削って木くずの如くに付近に撒き散らし始めた。ビチビチビチと、硫酸を目の奥に流し込まれたような激痛がサクラの目の奥に鋭く広がる。

 ほんの10分前まで銀色だった部屋は、既にその表面積の半分以上がサクラの血肉によって赤く染まっていた。執行者であるネルもまた同様の姿をしている。湯水の如く返り血を浴びた彼女。残虐な行為とは裏腹にその深紅に染まった銀髪は燃えるように美しい。

 断末魔の叫びを上げながら、サクラはまるでエイリアンにでも寄生されたかのように床をのた打ち回った。美しい執行者とは正反対にこの上なく見苦しい牝畜生の姿である。その声は振動波となって飛び散った血を何重にも穢した。


「「「死ね! 死ね!! 死ねええええええええッ!!!!!」」」


 その余りに醜い姿に兵士たちは歓喜し、快哉の声を張り上げた。皆サルにでも退化してしまったように握った拳を突き上げ、顎が外れんばかりにキイキイ叫び狂っている。


 どうして私がこんな目に、遭わなくちゃいけないのよおおおおおおおッ!!!!!?!?


「……」


 他方サル山のボスであるネルは、サクラの醜態と部下たちの叫喚、どちらも快く思っていなかった。ただ彼女はこの部屋に来た時から一ミクロンも変わらぬ顔で淡々と必要な処置をし続けるだけだ。

 やがて迸る血でレンガのように凝固したサクラの薄ピンク髪を掴むと、


「生きろ」


 この上なく残酷な要求を彼女に突き付け、ドリルで更に耳の奥を穿った。




 翌日。

 サクラが目を覚ますと、そこは昨日と同じ部屋だった。銀色だった壁には凝固した血がこびり付き、どす黒く変色している。無機質な壁をキャンバスにして血脂の飛び散った様は、さながら抽象表現絵画アクションペインティングのようだった。血飛沫は蛍光灯にまで及んでおり、部屋全体は以前にも増して暗い。まるで生き物のように広がった四隅の影が以前にも増して恐ろしく思える。部屋の中心部には根元から圧し折れた替え刃が全部で十三本、刃の抜けた振動ドリルと一緒にバラバラに砕けた器械台の上に寝かされていた。


 ……えッ!?

 ウソ!?

 私、生きてる……?


 あれだけの拷問を受けたというのに、自分はまだ生きている。その事が信じられなかった。首だけ動かして自分の体を見やる。

 すると、昨日千切れたはずの手足がくっついている。相変わらず十字架に磔にされていたが、杭ではなく分厚い金属の枷によって台に拘束されていた。

 余りにも現実味の薄いその光景に、サクラは何度も体を確認したが、やはり腕も足も元通りに付いている。見る限り殴られた形跡もなければ毛穴の数ほど抉られたドリル痕もない。更にはあれほど自分を罵り、銃口を突き付けてきた野蛮な兵士たちもいなかった。その事実にサクラは若干の安心を得る。

 だが、それも束の間だった。

 たとえ今が無事でも、この部屋に囚われている事には違いない。


 夢、じゃない……!?


 サクラは重いため息を吐いた。

 相変わらず記憶がない。どう思い返そうとしても、自宅でおじさんたちと話した後が思い出せない。とりわけ自分がここに連れ込まれた経緯を思い出そうとすると、まるで深い沼地に踏み込んだように思考できなくなる。何も考えたくない。


 すると何か、よほど思いだしたくない出来事でもあったのだろうか?


 サクラはそう思う。

 なるほど、そうだとしても不思議はない。何しろ自分はこのような場所に閉じ込められているのだ。その直前に遭った出来事などは不幸以外の何物でもないだろう。余りのショックに記憶を封印してしまうというのはよく聞く話だ。サクラはそう考える。


 でも私、昨日受けた拷問の内容はキッチリ憶えてるんだよな。

 あれ以上に恐ろしい出来事なんてあるのかな……?


 その事に思い至ったサクラは、背筋にうすら寒いものを感じた。


 や、やっぱり何も考えたくないぞ……!

 それよりとにかくここを出ないと!

 脱出だ!

 じゃないとまた酷い目に遭わされる!!


 一通り考えて、サクラは脱出を決意した。そして何か脱出する方法は無いかと周囲を見渡した時、彼女はふと気付いてしまう。

 明かりの届かぬ部屋の隅。その暗がりに潜む銀眼を持つ少女の姿を。


「ひ……ッ!?」


 その少女は見かけには美しい姿をしている。銀真珠の直毛と、霜が降りたように煌めく白い素肌を持った彼女は天使のように美しい。

 だがそんな彼女が身に纏う濡れ羽色のボディスーツの各所には、鬱血痕の如きおどろおどろしい血線が幾筋も入れられている。そのくびれたウエストラインに巻きついたデューティーベルトのソードホルダーには、昨日の血脂がこびり付いた灰色の軍用鉈が一本裸で引っかけられていた。

 度重なる断罪の果てに尖り狂ってしまった鉈。

 それこそがこのネルという少女の本質のようにサクラには思えた。

 その鉈で今度は自分の頸椎でも砕こうというのか。

 怖いなんてものじゃない。


「……」


 サクラがそんな風に恐ろしがっていると、断罪の鉈、ネルは息もせずに立ち上がり、彼女を見返した。その銀色の双眸には相変わらず如何なる感情も映し出されてはいない。ただ無感動にサクラの引き攣った家畜面を映し続けている。

 やがてネルはサクラの前に立つと、右手をサクラの顔の前に突き付けて開いた。昨日と同じ動作。彼女の透き通るように白い掌がまるで雪がぶるように光っている。


 また、嬲られる!?


「ひィッ!?」


 直感したサクラの脳裏に、昨日の出来事がフラッシュバックした。全身の殴打に加えドリルによる削孔、そして怒号。兵士たちの自分を見下すあの眼。それらを思い出したサクラは極度のストレスに晒されて、まるでてんかんを起こした患者のようにビクンと電気的な反応を見せて縮こまってしまった。

 或いはそれも、少しでも被害を食い止めようとする本能から出たものだったのかもしれない。やがてサクラの鼠径部を中心にして、まるで南国の海に浸かったような暖かな感触が広がった。だが拘束されている以上はそれを隠すこともできない。彼女はただ情けなく首を左右に振りながら、弱々しく震えている二足を内股に交差させるしかなかった。


「……ひっく……えっく……もう……ぶたないで……ぇ……!」


 恐怖に頭を掴まれ、顔中から溢れ出る惨めさによって頬を熱く濡らしながらもサクラは一心に懇願した。暴力だけは勘弁して欲しい。

 そんなサクラの目の前で、無慈悲に拳が握られる。


「……ッ!!!!」


 サクラは目を瞑った。両手で頭を隠す。

 すると、一呼吸するぐらいは間が開いただろうか。急にバチンという音が右手の辺りでしたかと思うとサクラの右腕がだらりと垂れ下がった。

 といっても腕を圧し折られたのではない。手首を覆うようにしてサクラを十字架に留めていたU字型の拘束パーツが外されて、腕が自由になったのだ。


「!!?」


 どうしてそんな事をするのか解らなかった。目の前に居るのは容赦なく自分の目を穿ったような人物である。急な解放がむしろ恐ろしくて、サクラが猶も一生懸命に目を瞑っていると、左腕の拘束まで外されてしまう。


「…………?」

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