第3話 人は見かけが9割のあまり 前編

『よるがやリスナーのみんなー! 今日は珍しく告知がありまーす!』


 水曜、よるがやはいつもの生放送中。

 初回から聴いている私でも珍しい——むしろ初めての告知に、聴き逃すまいとラジオに耳を近づけた。

 告知と言えばドラマや舞台、あるいは曲や本がリリースされますよと普段はバラエティに出ないタレントがやることだ。役者なんかがその典型で、告知のためだけにゲストで呼ばれて、ノリを無視した大して面白くもないトークを繰り広げる。バラエティの敵だ。

 だがその点うちの花蓮は心配ない。だって芸人だもの。


『実は新島花蓮、このたびテレビに……』


 ダララララ。ドラムロールでもったいつけられる。漫然と晩酌しながら見ているテレビでは鬱陶しくてチャンネルを変えたくなる演出なのに、よるがやだと手に汗握ってしまうのが不思議だ。

 一気に息を吸い込んで、花蓮は言った。


『出るッ……』

「えー! 何出るの!? 御殿!?」

『……ことはないんですけれども』

「スカすなよー」


 がくっ、と肩の力が抜けた。

 花蓮が時折口にするようになって覚えた、お笑い用語で言うところのスカしというボケの一種である。ひとりでやると大抵スベる。

 恥ずかしがるくらいならよせばいいのに、花蓮は照れ臭そうに「へへ」と笑っていた。短い照れ隠しが、オフの花蓮を想像できてかわいい。たまにモノマネしてしまうくらいには好きだ。へへ。


『合同ライブやりまーす! 《地下8階芸人ネタ祭2021冬》。今をときめく8流芸人——誰が8流芸人だ! ……たちが暮れの阿佐ヶ谷をもっとサムくします! 今週の土曜、阿佐ヶ谷スペースで13時開演です』

「おー。ホントに芸人みたい」


 場所は商店街にある貸しホール。収容人数50人弱、終日借りても3万円でお釣りがくる、知る人ぞ知る小さな会場だ。しかも次々読み上げられていく出演者も笑ってしまうほど聞き覚えがない。なるほど、日の目を見ない地下の名に相応しい。


『チケットまだガンガンに余ってるから、ぜってえ来てくれよな! へへ』


 事情は飲み込めた。とにかく売れていない芸人たちのライブだから、チケットも死ぬほど売れてないのだろう。足を運んでほしい花蓮の気持ちは芸人でもなんでもない私でも理解できはするものの。


「ライブかー。ライブなー……」


 こういうとき、劇場に足を運ぶとなると途端に億劫になるものだ。

 ライブなんて友達の付き添いで2.5次元舞台を観に行って以来だし、それもまったくハマらなかった。キラキラしたイケメンでダメな人間が、芸人で満たされるとは思えない。せめて2.5次元の美女版でもあればまだ食指も動くというのに。


『やっぱ劇場はいいよね! ナマの声聞くとシマるんだよなー。もちろんラジオリスナーの声も届いてるけどね、心に。居るかどうかわかんないけど』

「ふーん」

『ナマに勝るモノなし! ライブは一体感ってやつ! わかるかな、これ〜』

「ていうか、なんで芸人やってんの?」

『やっぱ、DJである前に芸人だからネタ見てほしいトコはあんだよね。だから来られる人はぜひ劇場へお越しください。で、劇場で思い出したんだけど——』


 そして花蓮のフリートークは、芸人としての話に移っていく。どんなネタを披露するか、どれほど芸が好きか、これからどうしていきたいか。芸へのこだわりを普段以上の尺で語ってくる。


「んー……」


 花蓮が芸を愛していることはよく分かった。

 花蓮は劇場に足を運んでほしいのだろう。ラジオパーソナリティだけじゃなく芸人としての新島花蓮をリスナーに知ってほしい。そんな切なる気持ちはひしひしと感じる。

 けれど、そこまでだ。


「いいや。ラジオだけで」


 熱意は伝わるけれど、芸人としての新島花蓮の活動には興味が持てない。

 だって私には、枕元で寂しさを埋めてくれる花蓮の声だけでいいのだから。


『でね、今年のMー1の話なんだけど——』


 告知もお笑い論もいいから、次のトークテーマに進んでくれ。なんて身勝手なことを思いながら、ゴロゴロ寝返りを打って退屈なラジオを聞き流していた。


 *


 翌日。木曜日。

 手持ちのハンドベルをカランカラン鳴らして、感覚がなくなってきた目元と頬まわりの表情筋を必死に持ち上げる。もはや自分がちゃんと笑えているのかもわからない。顔面もひくひくしている。


「おめでとうございまーす。6等のティッシュでーす!」


 お遊びだと思われていそうだけれど、歳末の福引大会は商店街にとって大事なイベントだ。余計な買い物をしないお客さんたちに「もうちょっとで福引のスタンプが貯まるから」とサイフの紐をゆるめてもらい、商店主たちがほくほく顔で新年を迎えられるようにしてあげる仕事である。

 事務用テーブルにクロスを引いた特設福引会場は、私と華のふたり舞台。おかげで声はガラガラ。のど飴の舐めすぎで口はベトベト、立ちっぱなしで足もパンパンだ。


「惜しかったね〜、井倉のおばあちゃん。ティッシュ当たったからカゴ入れとくね〜?」

「ありがとうねえ、ハナちゃん」

「浩介くんは帰ってくるの〜?」

「それが久しぶりに帰ってくるんだよ〜。あの子はお餅好きだから、そろそろ用意しないとねえ」

「美味しいよねぇ〜。あ! あんこ買った? うちのお母さんに伝えとくよ?」

「すっかり忘れてたよお。ハナちゃんは商売上手だあ」

「毎度あり〜♪」


 一方、満身創痍の27歳女性よりふたつ若いだけの華は、看板娘らしく元気と笑顔を振りまいていた。

 阿佐ヶ谷商工会勤務・三ツ矢華の四半世紀は、文字通り商店街とともにある。

 三ツ矢家待望の女の子の誕生を祝った桜餡入りどら焼き《はな》は商店街を代表する定番ヒット商品になり、おつかいに行けば老若男女を虜にする愛嬌を振りまき、商工会の会長選挙では華に投票しようなんて冗談がまかり通るくらいに愛されているらしい。

 そういう訳で、客の多くは華のガラポンの方に並ぶ。必然、閑散とした自分の列はさながら売れない地下芸人のサイン会だ。第一、人気者の華ではなく私の列に並ぶ人間は、ただ福引を回したい欲深か、列に並びたくないせっかちのどちらか——


「おい、本当にアタリ入ってんのか? ハズレだけだろ!?」


 ——あるいは、欲深くてせっかちなクソ面倒臭いお客様になる。

 叫んだのは、一目見ただけで頑固で偏屈な老害だとわかるおじさん。6等の景品を渡した途端、唾を飛ばさんほどの勢いでまくし立てる。


「申し訳ありません。ですが不正はしておりませんので——」

「お前じゃ話にならん!」


 ピシャリと一喝。こちらがコワモテでムキムキな男だったら喧嘩も売ってこれないくせに、迷惑客は怒気荒くふんぞり返っていた。相手をしたら負けだと自分に言い聞かせても、腹が立つものは仕方ない。折れなければいけないのだ。こちらの方が精神的にはオトナだから。


「ええ、と……」

「早く上のモンを呼んでこい! 女でもできるラクな仕事だろうが!」


 言い返してはいけない。飲み込まなければならないのが悔しかった。

 下唇を噛んでいると、華がひょっこり割り込んできた。


「おじちゃん、6等だったんだ〜」

「お前ントコはイカサマやってんのか!?」


 一触即発どころかもう怒りが爆発している。そんな迷惑客を前にしても、華は物怖じすることなくにこにこ笑ってスマホを見せた。自撮りだ。一緒に指ハートを作るお年寄りの反対の手には、4等の商品券が握られている。


「3丁目のガンちゃんは4等当たってたよ〜?」

「ああ!?」

「やっぱり日頃の行いかなぁ〜。でも、だったらおじちゃんも当たるはずだよねぇ〜?」

「たりめえだろ! あいつが当たってオレがハズレな訳ねえ!」

「だよねぇ。おじちゃんいい人だもん!」

「なんだァ? わかってんじゃねえかハナ」

「じゃあもう1枚スタンプカードあげるから、また貯まったらハナのトコきてね〜♪」

「おう、次は当てるからな!」


 迷惑客も、ハナが両手を握って愛嬌を振りまけばこの通りだ。彼女は天性の人たらしで、おまけにご近所の人間関係まで知り尽くしている。万が一トラブルがあっても、商店街の大半は華の味方だ。


「あーちゃん疲れたよね? 座ってていいよぉ」


 怒りの矛先を逸らして同調し、「いい人」と自然に褒めて溜飲を下げさせ、次は自分に対応させる。完璧なクレーム処理の上、アフターフォローまでされてしまった。非の打ち所がなさすぎる。


「……あ、うん。ごめん」

「さっきのおじちゃんね、頑固だからあんまり友達いないんだ〜。でも秘密があるの。毎朝ご近所の掃除してくれるいい人なんだよ〜」


 だからってあんな狼藉が許される話じゃない。


「それ知ってれば、あーちゃんもなかよしになれるよね?」


 小学校の道徳の時間みたいな理想論を掲げて、華は納得したようにうんうん頷いていた。

 他人を知れば仲良くなれるなんて世迷言だ。世間はそんなに単純じゃない。


「人は見かけによらないねー」


 一応は調子を合わせて返事するけれど、それ以上返す言葉はなかった。

 知ったところで仲良くなれないのは充分わかっている。人間なんて5分話せばだいたい知れるのだ。

 私と華は大違い。共感できるところなどどこにもない。


 ふたり分働く華を横目に、積まれた箱ティッシュを見つめて心を覆うモヤみたいなわだかまりから目を背けた。


「お疲れさま」


 くすりと空気が漏れるような声がした。

 視線が合うなり、悠里が微笑んで首を傾げていた。結えた黒髪がモスグリーンのエプロン紐にさらりと落ちる。


「綾さんは休憩中?」

「そんなとこ」

「差し入れ。同僚さんのはここに置いておくわね」

「わー、新しくできた喫茶店の! ありがとうございまーす!」


 アランシアのロゴ入り紙袋の中から、香ばしい匂いが冷えた鼻腔に漂う。温かい。冷え性の指先に、紙製タンブラーの熱がぼうっと伝わってくる。


「ありがとう。これは?」

「キャラメル・マキアート。ブラックがよかった?」

「タダのモノに文句言えないって」

「言ってくれてもいいわよ。貴女なら歓迎するわ、迷惑なクレーマーでもね」


 儲けものだと思った矢先に、意味深なひとことがついている。


「……見てたの?」

「一部始終ね」


 悪い女だ。黙っていたらもっと美味しく飲めただろうに。

 抗議の声を飲み込もうとタンブラーに唇をつけた。温かで甘い、そして奥底にあるほのかな苦味が芯まで冷えた身体の中を伝い落ちていく。やっぱり冬場はこれに限る。タダというのも素晴らしい。


「大盛況ね、うらやましいわ」


 皮肉なのか自虐なのかどっちつかずな悠里に、曖昧な返事をしてマキアートを啜った。

 クレーマーの話やアランシアの世知辛い懐事情から話題を逸らしたくて、とっさに悠里が眺めている箱ティッシュに意識を向ける。


「タダって言えばその箱ティッシュ、実は原価ゼロでね」


 先週のこと。

 商工会を訪ねてきた槙島美澄が自信満々にプレゼンしてきたのが6等景品であるこのロゴ入り箱ティッシュだった。美澄いわく——


「福引の景品として、この箱ティッシュを配っていただけませんか! 費用はこちらで持ちます! とにかく今は、FMあさがやの存在を知ってほしいので!」


 ——という、要は景品を使ったFMあさがやの宣伝だ。

 押し売り感は否めないが、元々用意する予定だった6等景品がタダで手に入る。FMあさがやも宣伝ができると双方ウィンウィン。トントン拍子で話は進んだ。頼んでもいないのにサンプルを作って持ってくる、美澄の営業努力には恐れいる。


「ふうん、コミュニティFMの販促ね」

「そう。笑っちゃうくらい熱心な社長さんで」


 ラジオにはさしたる興味もないのだろう、悠里はタンブラーに口づけする。これ以上仕事の話はしたくない。閉ざされた瞼がそう語っているようだった。

 タンブラーの吸口から唇を外し、悠里は瞑目したまま言う。


「私がどうして差し入れしたか、知りたい?」

「へ?」


 座って頬杖をつく、ちょうど上野美術館にある彫刻のようなポーズで、悠里はこちらをうたぐっていた。垂れた前髪の隙間から覗く瞳が、何か言いたげにこちらを見つめている。


「なんでもないわ」


 言いかけて言わない。わざとらしくごまかして、聞き出してもらうのを待っている。まるで子供じみた引き込み方だ。面倒臭い。

 差し入れした理由だなんて、余計なことを考えさせないでほしい。

 疲れるから嫌なのだ。まして相手は、異業種交流会合コンに参加していた普通の女。心を揺さぶられることの苦しみなんて一生知らずに生きているくせに。


「よし仕事戻ろ。差し入れありがとう、美味しかった」

「ええ、がんばって」


 笑んだ悠里を無視して、福引客を捌き切った華と交代した。ひとりガラポンの前に立って、ハンドベルを鳴らして箱ティッシュを渡す。しばらくそんなことを繰り返していると、背後からふたりの声が聞こえてきた。


「ねえねえ、あーちゃん! いっしょに悠里さんのお店行こうよ」


 さすがは商店街の看板娘と喫茶店オーナー。あっという間に打ち解けていた。


「アップルパイ美味しいんだよね〜? あーちゃんは食べたって聞いたよ〜?」


 潤んだ瞳で小首を傾げ、アニメ声優みたいな声で文字通りに甘えてくる。華のすごいところは、それが天然なのか人造メイクなのか判断ができないこと。裏表のない人間なんているはずないと宣言する自信を持てなくなる始末。


「うんまあ、美味しかったよ」

「いいなあ〜〜〜〜〜〜?」


 キラキラした瞳の輝きがまぶしい。まぶしくて疲れる。

 だいたい、華とは話もテンションも噛み合わなくてただ疲れるのだ。

 同僚かつ同じ女好きでも、違う世界の人間すぎる。無理だ。職場で毎日顔を合わせるのすら憂鬱なのだから、プライベートくらいひとりで居させてほしい。それこそラブラブの好きピと——。


 ——あ、私でデートの下見するつもりだな?

 どうせヒマしていると思ってるんだろう!?

 ヒマだよ! 分かってるならそっとしてくれ!


 そんな被害妄想めいた逡巡に気づく様子もなく、華は興奮気味に声を上げる。


「いつだったらいいかな? 焼きたてがいいよね」

「明後日はどう? 土日じゃないと作っても余るから」


 土曜日は間違いなく福引の疲れで倒れている。そして日曜は前日の寝疲れで動けない。普段の何もない休日の何倍も虚無な、寝て起きて寝る生活になること請け合いだ。

 だが状況は2対1。断りづらい。けれど休みたい。


「いや、その日はちょっとね。また今度誘って?」

「だよね〜。急だし難しいよね」


 華はわりとあっさり降りてくれた。がっかり肩を落とされると、理由を告げておかないといけない気がする。何かしら正当な理由はないか。裏取りしても嘘だとバレないような。

 明後日、すなわち今週の土曜日、昼間。

 アレならば。地上でキラキラしている華なら、日の当たらないジメジメした地下なんて気にしないはず。


「楽しみにしてるライブがあってね」

「ライブ? 誰の?」

「お笑いなんだけどさー。興味ないよね、ハナちゃんは」


 さしものインスタ女子もド地下芸人の合同ライブになんて興味はないだろう。これで休日の安寧は確かなものになったかに思えた。


「えっ!? お笑いのライブ!? 楽しそう!」


 最悪の事態だ。

 華が食いついてきた。丸い瞳をより丸く、キラキラに輝かせている。


「ハナお笑いライブ行ったことない! どんな感じか知りたい!」

「え、えー? ハナちゃんの知ってる芸人さん誰もいないよ? それにつまんないって評判で——」

「絶対に面白いよ! あのあーちゃんが観に行くんだし!」


 いつの間にお笑いに一家言ある女になったんだ私は!

 否定する間もなく、華はすぐさまお笑いライブ情報を調べ上げた。土曜の昼間という情報だけで、すぐにアタリをつけられてしまう。


「これかな? 阿佐ヶ谷スペースの《地下8階芸人ネタ祭2021冬》。ホントだ、全然知らない芸人さんばっかり〜! あ、当日券まだ余ってるよ!」


 ちらりと視線をやると、悠里がくすりと苦笑いを浮かべていた。


「これもまたチャレンジね」


 もう逃げ場はなくなった。

 今週の土曜日、私は満身創痍の体を引きずりながら、華と興味もないお笑いライブに行く。決定だ。

 コミュニケーション強者の行動力、恐るべし。

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