第2話 苔・ラジオ・ハーバリウム

『さて。先週お知らせした通り、今週のトークテーマは《誰かに自慢したい変わった趣味》。ハガキもメールもあり得ん届きかたしてますよ〜』


 水曜、23時。

 今宵もひとり吠える花蓮の声が聴こえる。私は私で、花蓮と電波越しに会話する。


「へー、すごいじゃん?」

『どれくらいあり得んかって言うとババン、2通!』

「少なっ」

『ちょっとみんな、シャイすぎない〜 私の美声にビビって気後れしちゃった?』

「バーカ」


 正しくは会話じゃない。単なる一方通行の不気味な壁打ちだ。都会に出た娘がよなよなラジオと話してるなんて知ったら、お母さんはきっと泣き崩れるだろう。想像したら面白くて笑えてくる。


『そいじゃ、今夜も始めましょう! FMあさがや水曜日! 新島花蓮の——』

「《夜でもあさがや》!」

『《夜でもあさがや》!』


 声を揃えたタイトルコールを合図に、番組テーマソングがフェードインする。

 新島花蓮の生放送が。そして私の水曜日が始まった。


 *


 遡ること先週、木曜日。


「誰かに自慢したい変わった趣味、か……」


 自宅で握ってきたおにぎりを食べながら、私は花蓮のラジオ——のトークテーマについて頭を捻っていた。

 昨夜のことだ。

 電波ごしに花蓮が告知したのは趣味の話。それも変わっているという難しい条件がついている。


「趣味か……」

「お、ハナちゃん有給かい?」


 有給の気配が、考えあぐねていた私を現実に呼び戻した。

 もちろん有給は自由だ。そこに文句を言うつもりはない。けれど4名のみに過ぎない商工会では、ひとり欠けるだけで如実に仕事が増える。残される側として、忙しくなる腹づもりくらいはしておきたいもので。


「うん〜。明日〜。ダメかなあ?」

「どう? 古橋ちゃん。大丈夫だよねえ」


 その日は歳末福引大会の準備で予定表はパンパンに埋まっているが、有給はあくまで自由。持ちつ持たれつだ。華だってきっと仕事を逃げた訳じゃない。


「大丈夫。ゆっくり休んできて」

「あーちゃん、ありがとう〜! これで台湾行けるよ〜♪」


 自由、ではあるけれども。旅行かよ、しかも海外。

 思うところはあるが、物申すお局社員みたいにはなりたくない。学生時代ぶりの大はしゃぎで無理にテンションを上げると、それを上回るテンションで華が抱きついてくる。いかにも女子っぽい石鹸のいい香りがした。


「おみやげは阿原ユアンでいいかな〜?」

「え?」

「定番だよね〜。ハナは大春ダーチュンも好きでね〜?」


 なんそれ。ということが華と話すとたまに起こる。

 華が挙げるくらいだから、令和の若者にバズって刺さるエモいトレンドマストアイテムなのだろう。たぶん台湾では有名な何かなのだろうが、定番なんて言われると聞き返せない

 インスタ映えするお菓子か何か?


「好きそうなの選んで? ハナちゃんのセンス信じる!」


 下手に知ったかぶりして馬脚を現すのも面白くない。バカにされたくとないし。

 だが、華は逃してはくれなかった。仕事からは逃げたくせに。


「え〜? せっかくだからあーちゃんがリラックスできるの送りたい〜」


 「え〜?」とあり得んくらいに声を上擦らせてテンションを高めてもムダだった。謎のアイテムの正体も余計にわからない。


「あーちゃんって休みの日何してるの?」


 来た、キラーパス。

 何気ないようでいて、この手の質問がいちばん難しい。正直に答えてスベったときの「あ〜」なんて残念そうな空気がどれほど堪えることか。


「あ、あー。えっとねー……」


 せめて当たり障りないことを言おうと、休日朝の行動を思い出してみる。

 二度寝、三度寝を繰り返して起きたら昼前。朝昼兼用ごはんを食べて、掃除に洗濯、ストロングなお友達の在庫を買いに行ったら、もう日が暮れている。あとはテレビで晩酌して、風呂入って歯磨いて寝る。


 ——なんにもやってなくね? 私の休日、クソすぎ……?


「ならあーちゃん、趣味とかある?」


 言葉に詰まって、ようやくトークテーマにピンとこなかった理由がわかった。


 趣味がないのだ、私には。

 趣味。それは人生を豊かにするもの。その言葉を真に受けて、足りないものを探そうとチャレンジを繰り返してきた。デアゴスティーニの編みぐるみキットとかプロレス観戦だとか、星空の写真に感化されたカメラ趣味だとか。その結果得られたのは、箱から出してすらいない編みぐるみキット、会場物販で買ったまま放置している限定タオル。カメラに至っては値段を調べた途端冷静になってチャレンジすらしていない。


「趣味ねえ〜……」

「普段やってることとか〜。アンテナ伸ばしてることとか〜」


 テレビ相手に晩酌してま〜す♡ なんて言える訳がない。そもそも趣味とは人生を豊かにするものだ。テレビ晩酌で人生が豊かにならないことは、自分が痛いほど分かっている。

 こういうときは話題を逸らす。どうせみんな趣味らしい趣味なんてそう持ち合わせていないのだ。


「例えばハナちゃんだったら?」

「ハナ? ハナはいっぱいあるよ〜」


 ハナがインスタを開いた途端、相手を間違えたと悟った。


「これはこないだ熱海行ったときでしょ〜? これはカノピと〜、あ! これスタバの新作で山梨県限定なの! あとはホームパーティしたり〜。カノピと競馬場行ってみたり〜。あ、これおうちヨガ。これはこないだイケアで買った本棚なの〜。組み立てるの大変だったけどかわいいでしょ〜? でねでね、これは韓国で買ったオススメの韓流コスメで〜。ペットのサダキチ! 中学のときから飼ってる柴犬なの。かわいい〜♪」


 レベルが違いすぎてめまいがした。ハッシュタグが並んだ自撮り画像が次から次へとめくるめく走馬灯のように駆け抜けていく。登録して数日で飽きた自分のインスタとは使い方からして別物だ。同じ星のいきものだと思えない。


「そ、そういえば会長って趣味とかあるんですか?」

「僕は盆栽かなあ。狭い鉢の中でもどっしり生きてる生命力がいいよねえ」

「わ〜それなんかエモい〜」


 会長は趣味と実益を兼ねた盆栽屋だ。その証とばかりに、日当たりのいい窓辺には松の盆栽が置かれている。

 くそう、こいつも趣味人か。

 ならばと出来が悪いと評判の電気屋の次男坊に話題を振ってみるけれど。


「俺めっちゃアニメ見ますね。酒飲みながらとか」


 金髪のヤンチャそうな見た目なくせに中身はオタクらしい。なんとなく自身の過ごし方と被っているのが嫌だけど、さしものこれには華もヒくだろう。なんせキラキラした女なんてオタクの対義語だ。

 だけど華の反応はまるで違う。まず、ヒいてない。


「きょー君どんなの見るの?」

「オレ異世界転生系めちゃ好きなんすよ、天スラとかリゼロとかはめフラとか」

「えー! ハナもそれ好き〜!」

「ああ、天スラなら僕も見たよお。孫に勧められてねえ」


 あげく華どころか還暦過ぎの会長まで、アニメの話に花を咲かせはじめてしまった。

 ゴールデンタイム以外のアニメはオタクが見るものじゃなかったのか?


「あーちゃんはどんなの見てる?」


 さも見ていて当然みたいな笑顔で華にブーメランをお見舞いされた。

 おかしい、価値観がまるで違う。


「い、やあ……。そんなに見てないかな」

「じゃあハナおすすめする〜!」

「オレもいいすか! これなんすけど!」


 ふたり揃って見せてくるのはまったく同じアニメキャラだ。右腕が機械みたいになっている金髪の女の子が泣いている。カタカナのタイトルが長くて一目見ただけじゃまったく頭に入ってこない。


「これすっごい泣けるんだよ〜」

「騙されたと思って10話まで見てくださいマジ神回っすから!」


 なんとか趣味を詮索される流れは変えられた。代わりに、たった数歳差の華と次男坊になみなみならぬ熱量を突きつけられる。おまけに還暦超えたおじいちゃんにまでだ。


 そんなバカな。

 みんなそれなりに人に話せる趣味を持っているなんて。

 もしかしたら、人生凪いだ私に足りないのは。

 満ち足りないのは、趣味がないからなのでは?

 趣味がない私は、人生をエンジョイできないまま死んでいくのでは?


「わかったわかった、見てみるって!」


 これは、可及的速やかにチャレンジしなければならない。

 趣味・オア・ダイだ。


 *


 とにかく、焦っていた。

 仕事を切り上げた足で商店街の外れにあるレンタルビデオ店へ駆け込んだ。しばらくぶりに訪れると店内はアニメ作品で充実していて、世間と自分との温度差に風邪をひきそうになる。やっぱり世界は変わったのだ。

 しかも棚を探してお目当ての作品を見つけたはいいものの。


「えー、全巻借りられてる……!」


 さすがは評判の作品だ、あいにく全巻出払っている。

 くそう。私の他にも趣味・オア・ダイ人間が阿佐ヶ谷に潜んでいたとは。


「何か……。何かないのか、趣味は……!」


 この際、趣味と呼べるものならなんでもいい。趣味がほしい。よこせ、趣味はどこにある。

 スマホで趣味一覧と検索して出てきたページを眺めて、はたと指を止めた。


「オシャレカフェ巡り……。これだ!」


 訪れたのは、何度か開業手続きを手伝ったことのあるカフェ、Aranciaアランシア

 汚部屋で雑な暮らしをしている私では、店先の黒板に並ぶ単語だけで気圧されそうになるロハスの伏魔殿。だけど背に腹は替えられない。凪の人生にショック療法だ。

 趣味・オア・ダイ。死んでたまるか。


「いらっしゃい」


 扉を開けた途端、雰囲気に飲まれた。

 木目と緑に彩られたカントリー調の温かな空間。併設されたセレクトショップには、雑貨や衣服がまるで売り物すらもインテリアであるかのように綺麗にディスプレイされている。まるでこんな丁寧な暮らし方そのものを売っているようですらあった。


「どうも、香椎さん」

「あら、お店に来るなんて珍しい」


 出迎えてくれたのはロハス様。もとい、店主の香椎悠里だった。

 私と同じく阿佐ヶ谷では外様で、例の異業種交流会にも参加していた女性。すらりとした細身の身体に、シンプルな薄手のタートルネックとアースカラーのエプロンが、彼女とインテリアによく似合っている。

 「お仕事?」とサイフォンに粉を入れ始めた悠里の目の前、ふたりがけの小さなカウンターに備えられた椅子に腰を下ろす。かすかに軋む椅子の音すらもオシャレで、どこか落ち着かない。


「今日はお客さんのつもりです」

「じゃあ、お代は頂かないとね」


 微笑む悠里とインテリアや異業種交流会の話題で花を咲かせるうちに、サイフォンコーヒーが出来上がった。物珍しさにインスタ女子のマネをしてブツ撮りにチャレンジしていると、悠里のつぶやきが聞こえてくる。


「お仕事は忙しい?」

「おかげさまで。猫の手も借りたいくらい」

「うらやましいわ。うちはご覧の有様だから」


 触れないようにしていたけれど、店内には私と悠里だけだった。

 表参道や自由ヶ丘ならいざ知らず、昭和の香り漂う阿佐ヶ谷商店街ではさもありなん。「余ったから、よければ」と切り分けられたアップルパイを素直に喜んでいいものかわずかに迷う。


「大変そうですね。素敵なお店なのに」

「趣味を仕事にしたんだもの。苦労はつきもの」


 悠里は残念そうに苦笑していたけれど、趣味という言葉が私には輝いて聞こえた。


「うらやましいですよ、香椎さんが」

「ヒマだから?」


 好きなことを仕事にすると苦労する。言葉では分かっていても、悠里は喉から手が出るほどほしい趣味を持っている。ちょうどいい気さくな距離感も余裕のある態度も、苦労していても充実した人生を送れている証に違いない。


「立派な趣味があるから。私そういうのないからなー」

「ロハス趣味の権化みたいなうちでコーヒー飲むなんて、充分趣味だと思うけれど?」


 悠里はアップルパイを崩しながら笑っていた。

 たしかに趣味にできたら素敵だとは思う。けれど、カントリー調でまとめられたインテリアも、シワが愛らしい麻のシャツもソーダガラス製のタンブラーも、どうも私には似合わない。想像しただけでソワソワしてしまう。


「ここまで丁寧な暮らししてないから。お前は帰れって拒否られそう」

「私は拒まないけど?」


 なんて笑う悠里の手が伸びて、私の指先に触れた。


「ハマってみる? 私に」


 どきりとした。

 顔を上げると、悠里は不敵に微笑んでいる。悪い冗談だ。

 彼女は異業種交流会——結婚前提の合コンに男を探しにきた人だ。私は対象じゃない。


「香椎さんはそうやってオトしてきた、と」

「ドキドキした?」


 くすっと笑うと、悠里はハーバリウムの小瓶を天井照明にかざした。暖色の柔らかな光に照らされて、瓶は淡い琥珀色に染まっている。

 「思うんだけどね」悠里は続ける。


「趣味って人を好きになることと同じなの。好きになろうと努力しなきゃいけない恋愛って長続きしないでしょ? 趣味だっておんなじ」


 小瓶を私の手元に置いて、悠里はカップに口づけした。

 重力も時間も静止した小瓶の中には、ミニバラのドライフラワーが浮かんでいた。赤い花が3本。トゲはない。


「初めはちょっと気になるくらい。それがいつの間にか大好きになる。想いはどんどん膨らんで」

「構えた店は赤字になる?」


 くすりと悪い顔で、目を見合わせて笑った。


「裏腹よね、強く想っても見返りがあるとは限らないんだから。まあ、それならそれで、振り向くまで届けるだけだけど」


 自然派の悠里は、草食どころか積極的にしかける肉食系らしい。彼女と男を取り合うかもしれない、どこかの誰かの心境は察するにあまりあるものだ。がんばってくれ。

 ほどよい甘さのアップルパイをゆっくり崩していると、悠里がカウンターの上に小箱を差し出した。「開けてみて」と言われるままに開くと、空だ。緩衝材が入っているだけ。


「これはお近づきの印に。貴女がアンテナを伸ばせますように」


 言って、先ほどのミニバラの小瓶を箱の中に収め、慣れた手つきでリボンを結んだ。濃緑の蝶々結びがされた小箱はシンプルでも、悠里の美学が詰まっている。

 深い話とプレゼントに礼を言いながらも心は裏腹だ。趣味を持つのは難しい。


「あ、話は変わるんだけど。香椎さんってアニメ見る?」

「ええ。ジョジョとか。どうかした?」


 私の預かり知らないうちに、世界は変わったようだった。

 

 *


 閉店時間を迎えたアランシアから出て、煌々と明るい商店街をとぼとぼ歩く。

 オシャレカフェを試してはみたものの、得られたものはミニバラのハーバリウムと悠里手製のアップルパイ——おいしいと褒めたら持たされた——くらい。


「みーんなキラキラしすぎなんだよなー……」


 インスタが趣味といっていいくらいトレンドに敏感な三ツ矢華、独自の美学で店まで開いた香椎悠里。ふたりともスタイルはまるで違うけれど、日々は充実している。キラキラしている。

 というか私くらいじゃないのか? こんなに無趣味な人間って。


「かといってハーバリウムは今さらなあ……」


 実は数年前。ブームのど真ん中の時期にハーバリウムは体験していた。体験会は楽しかったし好きではあるけれど、落として割ってしまって以来、熱が冷めてしまっている。

 そんな私の手元にやってきたのは、3本のミニバラが茎ごと活けられたもの。あげく瓶詰めされた花束というより、どこかの魔女が儀式に使う秘伝の薬瓶にすら見える始末。貰っておいて悪いけれど。


「私なんて花ってより苔だもんな。コケリウム。あはは、コケそう。コケだけに」


 なんて言っていたらお約束通りにコケて、商店街のど真ん中で死にたくなった。今日はストロング缶3本コースかもしれない。

 そのときだった。

 商店街のタイルの目地に、緑色の塊が見えた。


 苔だ。


 商店街の大掃除では駆除対象の植物。湿気の多い鮮魚店や熱帯魚ショップの軒先で、わずかな日光と水分を頼りに、文句も言わず、世話してくれとも声を上げずにひっそりと目地のすみっこで慎ましやかに暮らしている。

 なんと健気なんだろう。


「そっか……。私って苔だったのか……」


 自分でも何を言ってるのかよくわからないけど、苔は私に似ている。直感した。

 思わず苔の写真を撮ってインスタに投稿した。ハッシュタグはただひとつ「アスファルトに咲く苔のように」。すぐさま友人から「アタマ大丈夫?」と返信が来たが気にしない。

 私は苔だ。流した涙の数だけ強くなってやろうじゃないか。


 苔というキーワードを見つけた途端、驚くほどの変化が訪れた。

 翌日。華のいない金曜日。

 この日の仕事は歳末福引大会の準備。加盟店で累計3000円以上の買い物をするとガラガラが回せるスタンプカードを手押し車に乗せて、商店から商店へ歩き回るお仕事だ。

 そんなとき、目に留まるのが苔だった。

 整備清掃されたタイル目地にはなくとも、排水溝の底や角地のすみっこで苔は元気に暮らしている。そればかりか商店のシャッターやブロック塀の目地にも。毎日目の前を通っている、お地蔵様の石の隙間にも。

 さらには会長が経営している盆栽店では。


「すご。苔だけ売ってる……」


 店先のプラかごの中に入った苔の塊には、なんと値札がついていた。さらには苔を球体に貼り付けた苔玉なんてものまである。

 視線を上げれば、店に並ぶ盆栽の根元は苔まみれだ。盆栽なんて職場の目立つ場所に飾ってあったのに今の今まで気づかなかった。さらにはと書かれた謎の本や、苔が綺麗にレイアウトされた小ぶりな水槽がディスプレイされている。

 不思議だ。

 昨日までまるで気にならなかったのに、至るところに苔が生えている。

 世界は苔に満ちている。


「好きなの? 苔」


 不意の声に顔をあげると、苔色——もとい、モスグリーンのエプロン姿の悠里が立っていた。軽く挨拶をするより早く、悠里は私の視線の先に手を伸ばす。の本を手に取って、興味深げにページをめくっている。

 苔に興味のある「アタマ大丈夫?」な女と思われたかもしれない。どう声をかけるか迷っていると、悠里がため息まじりに言った。


「かわいいわよね、苔って。健気で」


 さすが自然派。お目が高い。


「ちょっと気になったから」

「趣味を探して苔リウムに行き着いた、ってところ?」


 図星を突かれて、適当に笑ってごまかした。もちろん、不敵な笑みを浮かべる悠里には嘘をついたところで仕方がない。


「いやー、昨日までは気になんなかったんだけどねー」

「わかるわ。意識すると日常風景が違って見える感じ」

「そうそう! ハーバリウム貰った直後で悪いけど」

「したいようにするのが一番よ。自力で立てたアンテナは大事にね」

「アンテナ……」


 たびたび聞いたアンテナという言葉の意味が、ようやく掴めた気がした。

 何かを好きになると、これまで見過ごしてきたモノが目に留まるようになる。それこそ、アンテナを立てて電波を拾うように。


「今日の古橋さんは楽しそうね。素敵よ」


 「支払いに行くから」と歩いていった悠里を見送った。突然褒められると居心地が悪くて「うへえ」なんて閉口してしまうけれど、悪い気はしない。

 たしかに悠里が言う通り、楽しいのかもしれない。

 インスタが趣味みたいな華もアランシア店主の悠里も、好きなものに対してアンテナを立てている。それらをずっと追い続けているから楽しそうなのだ。

 だったら私にも、アンテナを立てたいものがある。


 手押し車に力を入れて、配達順を入れ替えた。これから向かうのは次男坊の実家——春日井電気店。ちょうど、スタンプカードを届けるついでに買いたいものがある。

 これだって私の立派な趣味。気になってやまない、好きなことなのだから。


 *


 そして迎えた、運命の水曜日。

 いつものように枕元のスマホ——ではなく、今夜のために買ってきたものがある。


「へっへ。伸ばすよー。伸ばしちゃうよー、アンテナを」


 春日井電気店で手に入れたのはコンパクトラジオだ。教師が使う指示棒みたいなアンテナをご機嫌に伸ばしたり引っ込めたりしながら、電源を入れた。ノイズの海をかすかに聞こえる音を手がかりにたぐり、FMあさがやの周波数、87.9MHzにチューニングを合わせる。

 アンテナを大好きな声の主に向ける。わくわくする水曜の夜が始まる。


『ヘイヘーイ。ラジオの前のボーイズ・アンド・ガールズ。水曜23時のお耳の恋人、新島花蓮でーす! 今週もアンテナ伸ばして聞いてくれてるかな〜?』

「伸ばしてるぜー」

『って、この時代にわざわざラジオで聴く人なんていないだろうけどねー』

「いるんだなー、これが」


 アンテナをめいっぱい伸ばしたラジオを抱えて、枕元にラジオを置いた。スマホよりも取り回しは不便、電源コードも邪魔だけれど、そんなことは気にならない。

 今夜はスマホじゃない。花蓮の声を聴くために買ったラジオで、花蓮の声を聴いている。

 私にとってラジオはもう立派な趣味だ。だからせめて一度くらいは、ちゃんとFMの電波に乗って伝ってくる、花蓮の声を聞いてみたい。

 フリートークとタイトルコールで息を合わせ、今度は私自身もチューニングする。

 枕元から聴こえる新島花蓮の声に、古橋綾の言葉をよりそわせていく。


『さ〜て今週のトークテーマは《誰かに自慢したい変わった趣味》。変わってるって銘打ったくらいだから、よるがやリスナーのみんな相当ヤバいの送ってくれてるって花蓮信じてる! 2通しか着てないけど!』

「ハードル上げてるねー」

『お、常連さんだ。ラジオネーム《アナル帝国の逆襲》』

「気に入ってんの、それ」

『僕の趣味は〜、街で見かけた猫ちゃんを数えることで〜す♡ 昨日は3でした〜♡』

「かわいいなあオイ」


 自作自演ラジオネーム・アナ帝さんはノリに似合わずかわいらしい。マネしてみようかと思ったけれど、3日もしないうちに趣味そのものを忘れてしまっていそうで諦めた。

 だけどもう、趣味・オア・ダイで焦る必要なんてない。

 私には立派な趣味があるのだから。


『お次はラジオネーム《阿佐ヶ谷最後の希望》。僕の自慢したい趣味は、ラジオを聴くことです。お、いいね〜』

「わかるわ〜……」


 つい数週間前にはオワコンだ死んだメディアだ言っていた人間の言うこととは思えなくて苦笑するしかなかった。当時の私だったら、「ラジオが趣味」なんて言う人間を見て「あ〜」なんて反応に困る返答を返していたに違いない。

 でも今は、ラジオのよさがわかる。わかるからこそ、もっとよりそいたい。


『ですが、わかってくれる人が少なくて悩んでいます。高校の友達はもちろんのこと両親すらも「何が面白いの?」という反応で、どれだけ説明してみてもまったくわかってくれません』

「うんうん」

『それもこれも、ラジオ趣味が陰キャってイメージがよくないと思うんです』

「いいねー、若いねー」


 オヤジみたいなことを口走りながら、《阿佐ヶ谷最後の希望》の姿を想像してみる。きっと高校では、変わった趣味ということで浮いてしまっているんだろう。そして、周囲から陰キャ、イケてないヤツと思われていることに憤りを覚えている。伝えたいのだ、ラジオの本当の魅力を。

 うん、間違いない。この子は絶対にいい子だ。強く生きてほしい。

 花蓮はお便りの続きを読み上げていく。


『ラジオは楽しく、共感や示唆に満ちています。なにより生きていく上で多くの学びの機会を与えてくれるのです。こんな趣味を日陰者呼ばわりする両親が許せません。ちなみに僕はニートです』

「何も学んでないじゃん!」


 単なるネタメールだった。真剣に共感して損してしまったけれど、くだらなくて花蓮と声を合わせて笑ってしまった。


『わかるな〜。ていうか今の時代もそんな感じなんだね。私も学生の頃からラジオ聴いてたけど、話せなかったな。どうせバカにされるって思うと喋れなくてさ』


 少しだけ意外だった。これだけ明るい花蓮でも、好きなことを口にするのは怖かったらしい。


『あとさ、アニメ。世間の手のひらの返しようがすごくない? 昔はアニメなんて言ったら変わったやつ呼ばわりだったでしょ。でも今なんてみーんな鬼滅見てるし、わりと当たり前に異世界モノとか見てんだよね〜』


 途端、脳裏に描けていた新島花蓮のイメージが掴めなくなった。

 これまでは底抜けに明るくてノリがいい、愉快な女性DJだと思っていた。だけど言葉の端々から、周囲に怯えて過ごしてきた苦労人の一面が見えてくる。

 ポスターを貼ったときに見たあの顔は、もう鮮明には思い出せない。むしろラジオを聴けば聴くほど、花蓮のことを知っていって、花蓮のことが分からなくなる。


「花蓮は……」


 花蓮がわからない。本当は何を思ってるんだろう。電波では喋れない本音の彼女はどんなふうに世界を見て、聞いて、感じているんだろう。


『まあ、さ〜。テーマ決めといてなんだけど、趣味って難しいよねー』

「ホンットそれ!」


 緩んだ感じの花蓮の言葉に、とっさに心の底から同意してしまった。

 くそう、新島花蓮め。難しいテーマを用意しやがって。趣味を見つけたからいいものの、おかげで無趣味の焦りやら惨めさを今さら噛み締めることになったのだ。

 勝手に「身勝手なやつだ」なんて思いながら続きを待つ。すると花蓮は観念したように、ゆっくりと言葉を吐き出した。


『何が難しいって、趣味って人に言えることと言えないことがあるじゃん。ちなみに社長って趣味ある?』


 今日はスタジオに美澄がいるのだろう。数秒、間が空いて花蓮は鼻で笑いながら続けた。


『ないって即答されちゃったよ。まあ、下手にホントの趣味答えてあれこれ詮索されたくないよね〜』


 だろうなと思う。仕事が趣味なのかもしれない。


『でも、私も人に言える趣味ってないんだよな〜。ここだから言うけど、私ツッコミ入れながらラジオ聴くのが好きなんだよね』

「そうなんだ……」


 花蓮の趣味は私と同じだ。

 似ていること。それがちょっとだけ嬉しいけれど、花蓮のイメージがまた少しだけ変わっていく。

 気になる。知りたい。

 ひとつ知っては、ひとつわからなくなる。わからないから知りたくなる。

 もっと、もっともっと、花蓮の話を聴かせてほしい。


『これがな〜かなか理解されないし、たまにイジってくるヤツいんのよ〜。お嬢ちゃん寂しいの〜? とか。面白いやつだと思われたいの〜? みたいな。まあ、だいたいクソ先輩なんだけど』


 花蓮もまた、趣味を詮索されたときに臆してしまう。

 彼女も蔑みやら呆れが混ざった「あ〜」を受けたことがあるのかもしれない。むしろ芸人という仕事上、私以上に強烈なイジりにあてられているのかも。


『でもさあ、趣味ってだいだいくだらないモンだよね。濃い人ばっか見すぎて、みんな感覚がマヒしちゃってんだと思うのよ。別に比べなくていいじゃ〜ん、自己満足でもいいじゃ〜んって花蓮ちゃんは思う〜』


 照れ隠しは入っているけれど、花蓮の考えが心にすとんと落ちた。

 たしかに比べていたのかもしれない。華の可憐なキラキラライフや、悠里の自然派の美学っぷりと。

 大事なのは誰かと比べることじゃない。自分が好きなこと、自分が追い求めたいと思えるくらい気になって、知りたくて、想いを募らせていくもの。それすなわち趣味だ。

 それでいいなら私にも趣味がたくさんある。

 苔、ラジオ、ハーバリウム。そして、テレビ晩酌。


『とはいっても、くだらない趣味って他人には言えないんだよね〜』

「ダメじゃん!」


 ダメだった。せっかくの感動を返せ。


『説明めんどくさくない、他人に言えるような趣味があったら便利だよね、実際』

「だからそれを探すのが大変なんだってー!」


 寝返りをうってラジオから視線を外すと、おひとり様こたつに置いた悠里の小箱が見えた。ブームは過ぎてしまったかもしれないけれど、ハーバリウムは他人に言える趣味ではある気がする。

 今度、悠里に相談してみるべきか。ヒマそうだし。


『というわけで最近、アニメを見始めたんだよね。全巻借りてきました、《ヴァイオレット・エヴァーガーデン》』

「あーッ! お前ーッ!」


 花蓮。お前だったのか。

 根こそぎ借りていったのは。


『すっごいオススメされるし泣けるって評判でしょ? そういうこと言われると逆に見たくなくなっちゃってさ〜。そろそろブーム過ぎたしいいかな〜って見始めたの。そしたらこれがもう泣けて泣けて! 全部話していい?』

「やめてーッ!」


 その後しばらく、熱のこもったネタバレを聴くことになったのだった。

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