やはり世界は赤かった

月猫

やはり世界は赤かった

 つい最近、僕に彼女ができた。栗色の長い髪に整った顔、鈴のような声で僕のことを「--くん」と呼ぶ。一方僕は特に突出するような才能もなく、ただ連綿と続く毎日をいつも通り普通に過ごす空気のような人間だ。


 毎日毎日、特に集中するわけもなく授業を受け、部活に参加し家に帰る。そんな生活を続けていたらいつの間にか高二の冬になっていた。周りは受験やテストの話ばかりで正直学校にいてもつまらないと感じ始めていた時に僕に人生初めての彼女ができた。


 しかし僕の人生は変わるわけでもなく、学校の行きと帰りに彼女といるだけだった。丁度今日も部活が終わり彼女と校門で落ち合って家に帰っていた。


「--くんはこの世界が何色に見える?」


「……哲学?」


 彼女は不思議さんなのかもしれない。それにしても世界が何色に見えるかなんて考えたこともない。


「僕は何色でもいいと思うよ。十人十色っていうくらいだし」


「つまんないなー、私はこの世界は赤いと思うよ」


 僕の顔を見ながら妖艶な笑顔を浮かべながら言ってきた。僕はその顔に動揺しながらも表に出さないように心がける。


「理由は?」


「今見ている世界って顔も知らないような人たちの身体でできている世界なんだから。深紅の赤だよ」


「なら僕の血もその世界を作っているのかな」


「うん。きっとそうだよ」


 彼女は少し憂い気に、しかし確信しているようにそう言った。


 客観的に見れば中身に身がない話ではあるが僕はその帰り道を少しだけ、ほんの少し好いていた。そして彼女を家の前まで送り届けて僕も家に帰るのである。


 家に帰ると毎日妹が迎えてくれる。僕の家に両親はいない。もう忘れかけているのだが確か僕が中学生のうちに僕と妹を残して蒸発してしまった。そのことから妹は僕のために中二ながら家事全般をしてくれている。


「お兄ちゃんおかえり! 今日も部活だったの?」


「うん、いつもお迎えありがとう。そっちも部活はなかったの?」


「ううん、あったけどお夕飯の準備とかしなくちゃだから」


 妹はいつもそうなのだ。何よりも最優先に家のことを考えてくれている。僕も事あるごとに手伝おうか? と聞いたことがあるがすべて断られてしまった。中二ともなれば友達と遊びたい年頃だというのにしっかりした子だなあとつくづく感じさせられる。


 つい最近、買い物を頼まれただけで嬉しくなってしまうくらいの兄だ。シスコンにもほどがあるだろう。しかしながら妹に使ってあげられるお金は僕にはこれっぽっちも残っていない。


 幸い親が置いて行った少しばかりのお金と僕のバイト代で何とか食いつないでいる。


「お兄ちゃん、今日もバイト?」


「うん。もうちょっとしたら行ってくるよ」


 生活費だけなら親の金で足りるのだが僕と妹の学費や今後の家賃などは稼がなければならない。大家さんが事情を汲んで家賃は安くしてもらってはいるがアパートの一室を借りているのだからそれなりにお金がかかる。


 僕は週五でバイトを入れている。本当は週六にしたいのだがお店の店長に止められた。掛け持ちも考え始めた方がいいのだろうか。


 制服を脱ぎ使いまわしている私服に着替えて荷物を持つ。


「じゃあ行ってくるね」


「気を付けてね。お兄ちゃん」


「うん」


 外に出ると肌を刺すような寒さと群青色に染まった空が僕を迎えた。チェーンが錆びた自転車を十分ほど漕ぎ、バイト先であるファミレスの裏に着いた。


 中に入りロッカールームに向かう。店の制服に着替えてからタイムカードを切り厨房に入る。


「一番さんオーダー入ってるからよろしくね」


「わかりました」


 慣れた手つきでオーダー表を見て、倉庫から注文の入ったものを取ってくる。マニュアル通りに料理を作り、カウンターに置く。


「一番さんOKです」


 ホールからの返事がない。店長の代わりにいたオーナーを見ると目で行ってこいと言われた。あまり接客は得意ではないがしかたがない。


 一番テーブルに料理を運んでいくと、


「お、--くん来たね」


 そこには一人で四人席を我が物顔で陣取っている彼女がいた。


「えっと…… なんでいるの?」


「ーーくんが頑張っているかなーって思ってね」


 理由は分かった。しかしこの時間帯は夜料金で比較的高めの料金設定になっているのだが気にしないのだろうか。


 僕がこんなところに夜に来たら二日分の食費が一瞬にして消えるだろう。


「待ってるからお仕事頑張ってね」


「言われなくとも給料分は働きますとも」


 料理を置き、僕は厨房に戻った。戻ると同時にニヤニヤとした表情のオーナーが近寄ってきた。


「彼女さん?」


「まぁ、そうです」


 オーナーは口角が上がり、たるみきった顔で聞いてくる。


「でも意外だなー。君はもっと大人しい娘が好みだと思ってたんだけどなー」


 確かにそうだ。僕は少し大人しいくらいが自分に合っていると思う。しかし彼女も彼女で良いところもある。


 きっといい巡り合わせだったのだろう。何色とも形容し難い世界のほんの二色の巡り合わせ。今はまだこの世界が何色かは分からないが他の世界の僕は何色を見ているんだろう。


「手が止まってるよー」


「あ、すみません」


 僕は考えるのをやめて皿洗いに戻る。シンクに沈んでいる皿を拾い上げ、軽く泡立てたスポンジで擦り食洗器に並べて入れる。簡単な作業に見えても食洗器ではとれない油汚れや食洗器に入れる際の並べ方など気を配ることは多い。


 きっと神様もこんな気持ちなんだろうか。沈んだものを拾い上げ、輝かせるチャンスを与える。まるで世界を作っているようではないか。


「--くん。そろそろ時間じゃない?」


 そう言われて時計を見ると十時になっていた。このファミレスでは高校生は十時までと決められているので大人しくタイムカードをきってロッカールームに向かう。


 着替えると厨房を通って彼女のところへと向かう。彼女はウトウトと船を漕ぎながらゆっくりとパフェを食べていた。僕が近づいても気づかなかったが流石に前に座ると気が付いたのか顔を上げた。


「待ちくたびれたよー。--くんの勇姿を見に来たのに厨房にずっといるから寝かけちゃったよ」


「そういう仕事だからね。それに僕は接客に向いているとは思えないし」


「そうでもないと思うんだけどなー」


 そうでもあるだろう。僕には接客ができるほどの気力も明るさもないんだから。


「帰ろうか」


 僕が立ち上がり彼女にそう言うと、大人しく彼女も立ち上がった。彼女はニコニコしながら僕の方を見ている。


「お会計よろしくね」


「出すわけないでしょ」


 僕がそう言うといたずらな笑みを浮かべながら会計を済ませた。レジには勿論僕が立っている。オーナーも僕が彼女だからと安くするような人間じゃないとわかっているようで僕らを横目に煙草を吹かせていた。


 いや、厨房ではダメでしょう。


 外に出ると家を出た時よりも冷え込んでいて肌寒いを通り越して普通に寒かった。空を見上げると黒い雲が所々にあり、何か胸が騒めくような気がした。


 自転車を押しながら並んで歩いていると、


「ねえ、ーーくん。なんで私の告白にOKしたの?」


 と彼女が聞いてきた。僕は迷うことなく正直に理由を言うことにした。


「君が輝いて見えていたからかな。僕はもう輝ける気はしないし憧れもあったのかな」


 僕がそう言うと彼女は不思議そうな顔をした。そして首をかしげながら僕の顔を覗き込んできた。


「私から見るとーーくんも輝いていると思うなー」


 ーー僕が? それは絶対にない。僕が輝いているのなら他の人は太陽のような閃光を発していることになるだろう。


 傍から見ると惚気にしか聞こえないであろう会話を続けていると、最早見慣れた家の外壁が見えてきた。いつになったら中に入れてくれるんだろう。そういえば彼女から家族の話題を聞いたことがないな、と考えながら彼女に別れを告げた。


 元来た道を自転車で飛ばしながら帰る。家に帰っても温かい湯船など存在するわけもなく最近破れかけてきた布団で暖を取るしか方法はない。しかしながら僕が帰ってくるまで妹は寝ないため早く帰ることにする。


 成長期でまだ幼さも残っているのにこんな遅い時間まで起こしておくのも申し訳ない。そう思い錆付いたギアを上げ、感覚がなくなってきた足に力を入れる。


 アパートの敷地内に自転車を止めて家のドアを開ける。玄関には妹がいて出迎えてくれた。


「おかえり、お兄ちゃん。いつもより遅かったけどどうしたの?」


「彼女を送っていたんだよ。夜は危ないから」


 それにこんな時間まで起きていなくてもいいのに、と付け加え部屋に荷物を置きに行く。シャワーを軽く浴び、寝間着に着替えて部屋で今日の分の課題をしているとコンコンとドアがノックされた。


「入るよお兄ちゃん」


 こちらの返答を待たずに神妙な顔つきの妹が入ってきた。手には包丁が握られていた。


 僕は一瞬妹がヤンデレ化したのかと焦ったがそうではないようだ。


「お夜食を作ろうと思うんだけど何がいい?」


 なんとできた妹なのだろう。逆に中二でここまでしっかりさせざる負えなかった自分に腹が立つ。


「じゃあおにぎりでもお願いし」


 僕が言い切る前にガチャ、と玄関の方からドアが開く音がした。僕はすぐさま妹を僕の後ろに下がらせ部屋のドアの隙間から様子をうかがう。


 ボサボサの茶髪に深緑のジャケット、色あせたジーンズ。見間違うはずがない、親父だ。


「何しに戻ってきた」


 僕はドアを開け放つと同時に機械的に喋った。


「なんだ、--か。俺はお前の妹に用があるんだ」


 僕の顔を見るなりそんなことを言って来た。こいつと話しているだけでも腹が立ってくる。すべての元凶、僕らをここまで苦しめている根源、腐れ外道。


 そんな言葉しか僕の頭には浮かんでこなかった。


「妹をどうするんだ」


 僕がそう尋ねると顔色一つ変えずに、


「決まってんだろ。金になる仕事をさせる」


 中学生で金を稼げる仕事。新聞配達? ーー違う、こいつが言っていることは春を売る仕事のことだ。


 そう理解した瞬間、とてつもない憎悪が僕のうちから湧き上がってくるのが分かった。しかしここで暴れてはこの糞野郎と一緒だろう、と最後の理性が働いた。


「……母さんは? 病気の方はどうなんだ」


 僕の母は生まれつきで肺に持病を抱えていた。発作が起こるたびに苦しそうに咳き込んでいる母を見て、小さかった僕は心を痛めていた。


 そんな体でも僕らとこの外道のために毎日パートに行きご飯を作ってくれた。僕は母さんだけが帰ってきたのなら快く家に入れて、またやり直そうと思うくらいには嫌っていなかった。


 そしてそんな微かな希望を持っていた僕を裏切り、親父はぶっきらぼうに、


「……死んだよ」


 と、そう言った。











 そノ瞬間、僕の中デ何カが音を立テて崩れタ気がシタ。
















 気づくと僕は妹から奪った包丁で親父の胸を突き刺していた。ハッとしたのも束の間、手元から赤く生暖かい液体があふれ出てくる。


 何も考えることができずゆっくりと後ろを振り返ると涙を流しながら口に手を当てて声を出さんとしている妹の姿があった。僕はその姿を見て思考する。


 どうすればいいのだろうか? ただでさえ苦しい生活をしているというのにこれで僕が捕まりでもしたら間違いなく妹は施設送りになるだろう。世間体的にも親殺しの妹として生きていかないといけなくなる。


 こんなに辛い思いをしてきているのに更に辛い思いをさせてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならないと思った。恐らく妹は最初から見聞きしていたのだろうから変な言い訳をしても返ってパニックにさせてしまいかねない。


「これは悪い夢だよ。だからもう寝て、忘れるんだよ」


 僕はその言葉しか出て来ず、妹は嗚咽を繰り返しながら頷いて自分の部屋へと戻っていった。そして僕は足元を見る。


 そこには上半身が赤く染まった人が倒れている。もはや父とさえ思うことが烏滸がましく思えてきていたので悲しみも哀れみも何一つ感情が湧いてこなかった。


 今はただ、この人だったものをどうするかだけを考える。幸い床は畳が傷み、新聞紙を敷いていた場所だったので床に関してはちゃんと処理をすれば証拠が残ることはないだろう。


 包丁も深々と刺さったままなので出血も少ないままにできる。このままどこかに埋めてしまおう。そう頭に過り、すぐさまに大きめのコートを着させた。


 僕の体にタオルを何重にも巻き付けてを背負う。成人一人の重さに苦戦しつつも負んぶの体制にして玄関へ向かう。今日何回目かも分からない寒さに見舞われて、僕はアパートから少し離れた小さな山へ向かった。






 一体いつまで掘っていたのだろう。アパートに着くころには朝日が昇り始めていたから多分夜通し掘っていたんだと思う。山に着くまでに誰にも遭遇していなくてよかったと本当に思う。


 家に入るとともに部屋に入る。僕はさっきまで着ていた服を脱ぎ、すぐに燃えるゴミの袋に入れた。丁度今日は燃えるゴミの日だ。このまま服も燃えれば父親が見つからない限り、何も証拠は残らない。


 部屋を出てゴミ袋を玄関に置く。部屋を出て妹の部屋を確認すると妹の枕が涙に濡れていて、僕は心を痛めながら自分の部屋に戻る。僕は学校の制服に着替え、彼女にメールを送った。


 僕も薄々気づいていたのかもしれない。彼女がこの世界は身を削って、という表現ではなくできていると言ったのか。なぜ女子高生でありながら夜遅くに僕のバイト先に来れていたのか。


 そしてなぜ一度もについて何も語らなかったのか。


 異様に喉が渇いてきたので考えるのをやめ、水道からコップに水を汲んで一気に飲み干す。これ以上考えてはいけないと脳が拒否反応を起こしているので学校に行くために玄関へ向かう。


 僕は最後の私服が入ったゴミ袋を手に取り、玄関のドアを開ける。誰にも見られていないことを確認してゴミ捨て場に服を置き、再び歩き始める。


 道行く人は僕のことなんか目に止めずにすれ違う。今、隣を通った人もまさか制服を着た少年がついさっき人を一人埋めてきたなんて思いもしないだろうなあと考えながら駅とは逆の方向に歩いていく。


 僕はそんな世界の中で一人、僕のことを見つめる存在に気が付いた。彼女もまた学校の制服を着ている。彼女は僕の顔を見るなり笑顔でこう言った。


「ね? 私の言った通り世界は赤かったでしょ?」

 

 疑惑から確信に変わり、僕は単純に驚いた。彼女もまたーー いや、ここでは僕という表現の方が正しいだろう。僕もまた、彼女側に行ってしまったのだ。


 お互いにこれ以上は言及してはいけない。言及どころか話題にさえすることは許されない。そんな秘密を抱えたまま今日も僕と彼女は日の昇る道を歩いていく。


「やっぱり世界は赤かったよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やはり世界は赤かった 月猫 @Tukineko_satuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ