30. マック近衛兵の正体
ロバートはカマドに灰を集めに行っている間、陽だまり亭の庭は沈黙していた。
決闘の勝者は皇帝マクドナルドであると、決闘立会人となったテレジアは宣言した。皇帝とヨエルの決闘を見ていたものも、勝者が皇帝であることは明らかであったので異論を挟むことなどできない。
皇帝は、決闘の余韻で呼吸が荒れており、話すことができない。
ヨエルはニコルの手を借りてなんとか立ち止まったが、皇帝同様、息が荒く立っているのがやっとである。しかし、瞳に宿した闘志は衰えておらず、ギッと皇帝を睨みつけていた。
レイラは泣き崩れ、母のメアリが優しく抱きしめている。
レイラは、決闘の結果を未だ受け入れられないでいた。震える声で、「マック様、マック様」と愛する人の名前を呼びながら泣き続けている。
テレジアは、対峙する皇帝とヨエルの間に立ち、そして静かに目を閉じてロバートを待っている。
陽だまり亭にいてお客も、皇帝の従者も、歓声をあげることもなく、嘆き悲しむ声もない。
陽だまり亭の庭は、沈黙が支配していた。
そしてその沈黙を破ったのは、第18代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアであった。
決闘の勝者として胸を張りながらヨエルのもとに歩いていき、ヨエルに一礼をして右手を差し出した。
レイラにとって、自分との結婚は望まないことなのであろう。そう考えると、マクドナルドの心が痛くなった。だが、自分はレイラを愛している。レイラを必要としている。
それに、これ以上警備の行き届いていない場所にレイラをいさせるわけにはいかない。いつ、ミッターマイム伯爵のように、よからぬことを考える者たちによってレイラが害されるかわからない。レイラの身に危険が及ぶ。その心配だけで、俺は夜も眠ることができない。
そして、たとえ時間がかかったとしても、レイラを必ず幸せにしてみせる。
「ヨエル・ホーエンハイム男爵よ。決闘の約束通り、貴殿の娘を花嫁として貰い受ける。そしてこれから卿は、私の義理の父となるのだ。これから友誼を結んでいこうではないか」
ヨエルは悔しそうに顔を歪め、「その前に一つ教えて欲しい。どうやって、ホーエンハイム家に伝わる奥義、初見殺し! ”桃源郷”を見切ったのだ」
先々代が奥義を編み出して以来、ホーエンハイム領に侵入してきた賊を須く斬り倒してきた技である。
「先ほど申し上げたとおりだ。その奥義、初見ではないのだ」
「馬鹿な。この奥義を受けて生きている者は……」とヨエルは絶句した。
この奥義を受けて生きている者は、奥義を習得するためにこの技を受けたホーエンハイム家の男子たち。すなわち、ロバートとニコルの二人。
そして……もう一人だけ、奥義を受けたことがある男がいた。
「まさか、貴殿は……」
可能性は一つしかなかった。
「そうか。そうであったか。分かった。娘を頼む。また頼もしい息子ができたと私も喜ぼう」とヨエルは差し出されたマクドナルドの右手を堅くに握った。
「必ず、レイラを幸せにすると誓います、お義父さん」
「頼んだぞ、
マクドナルド・ジョージ・ジュニアは、ついに、ホーエンハイム家のラスボスとして恐れられていた”レイラちゃんファンクラブ(レイラ非公認)”の創設者にして、会員ナンバーゼロゼロ一番にして、ファンクラブ会長であるヨエル・ホーエンハイムをも陥落させたのであった。
ヨエルは地面に伏して泣き続けているレイラのそばにいき、宣言をした。
「ヨエル・ホーエンハイム男爵当主として、レイラに伝える。レイラよ、マクドナルド・ジョージ・ジュニア殿に嫁ぐのだ」
当主としての決定が下った。レイラも貴族の端くれである。当主の決定の重さを知っていた。
しかし、相変わらずマックへの思いを抱くレイラには、皇帝に嫁ぐという決定事項を受け入れることができない。レイラはより深い絶望を抱えてさらに泣き出す。大粒の涙が陽だまり亭の庭に落ち続ける。
「では、略儀ながらレイラ・ホーエンハイム嬢に婚約を申し込もう。指輪を」と皇帝は従者を呼んだ。
従者は両手で白い箱を持ってきた。ユニレグニカ帝国の皇帝家に伝わる指輪である。
「恐れながら皇帝陛下、お待ちください。まだ、レイラの心の準備ができておりません」とテレジアは指輪の箱を従者から受け取った皇帝を制した。
タイミングよく、「お待たせしました」と、ロバートがバケツを抱えて陽だまり亭の庭に戻ってきた。
「皇帝陛下、お願いがございます。私はレイラの親友として、レイラに望まぬ結婚をして欲しくはありません」とテレジアは皇帝に進言した。
「差し出がましいぞ、テレジア・アリスター。すでにホーエンハイム男爵とは話が着いたのだ。親友だからと言って、他家のことに口を出すな。下がれ!」と皇帝はテレジアを叱責した。
だが、テレジアは引かない。
「結婚を反対しているわけではありません。お願いというのは、これを頭からお被りください」と、ロバートから受け取った灰で一杯となっているバケツを差し出す。
「馬鹿を言うな。どこの国に、灰まみれでプロポーズをする男がいるのだ」と皇帝は取り合わず、テレジアを睨みつける。
「では、皇帝陛下にお伝えすることがございます」
「なんだ」と、皇帝はプロポーズに水をさされたと思った皇帝は不機嫌そうに言う。
テレジアは深い深呼吸ののち、言った。
「レイラは、皇帝陛下がマック様だという事実を知りません」
その言葉を聞いた第18代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアは驚きで大きく目を見開いた。
「そんなことがありえるのか!?」
炎龍帝という呼び名の由来となった赤い髪を、ただ黒く染めただけの変装だ。いや、変装とすら呼べない代物である。
「ですが、事実でございます。ですね、ヨエル・ホーエンハイム男爵閣下」とテレジアは言った。
「あぁ。見事なものでございます。私も、“初見殺し”を受けたことがある人物は、ロバート、ニコル、マック殿しかいない。そして、消去法的に、皇帝陛下の正体は、マック殿以外ありえないと確信した次第です」
皇帝は、水面の餌を食べる鯉のように口をパクパクさせている。あまりの事実に、思考が追いつかないのである。
だが、頭をフル回転させて、皇帝は状況を把握していく。
「つまり……レイラも?」
「はい」
「そうか」
「はい」
「どうして伝えなかった?」
皇帝はロバートを睨みつけるが、ロバートは気まずそうに目をそらした。
「そのうち気づくだろうと思っておりましたが、あまりにその……」とテレジアは口籠る。
「最後まで言わなくてもよい。分かった。バケツをよこせ」
そして、皇帝はバケツ一杯の灰を頭から被った。灼熱色の真っ赤な髪が、炭色の髪へと変わる。
「ごほん、ごほん。少々、埃っぽいが、仕方ない」と、皇帝はレイラのもとへ向かう。
・
・
「レイラ、レイラ。どうか、顔をあげて欲しい。どうか私の求婚を受けてくれないだろうか? 私はあなたを愛している」と皇帝は、地面に泣き伏すレイラに声をかけた。
皇帝は、レイラの髪を撫でたい衝動に駆られたが、手袋が灰で汚れているので我慢することにした。
「恐れながら皇帝陛下。どうか、1日お待ちください。気持ちを整理する時間をください」
「いや、顔をあげてくれ」と、皇帝は言うが、レイラは地面から顔を上げない。
皇帝は灰で汚れた手袋を脱ぎ捨てた。そして、レイラの両肩を持ち、泣き崩れているレイラを強引に持ち上げた。そして、レイラの体を両手で抱える。
強引に体を持ち上げられ、お姫様抱っこされたレイラは、皇帝の顔を見るしかない。
レイラは皇帝の姿を見て驚いた。
「え? まさか、マック様なのですか?」
「あぁ。マックだ」
「でもどうして? マック様は兄の同僚で近衛兵と……」
「すまない。身分を隠すために嘘偽りを言った。だが、もう二度とあなたには嘘をつかないと誓おう。レイラ、私と結婚してくれないだろうか? あなたを愛している」
「私もお慕いしております……マック様。喜んで」
マックとレイラは口付けを交わした。そして、マックは跪き、立っているレイラの左手の薬指に指輪をはめた。
そして、二人を祝福する大きな拍手が起こった。ことの成り行きを見守っていた陽だまり亭のお客たちも、従者たちも、ヨエルもロバートもニコルも、母メアリも。そしてテレジアも大きな拍手をした。
「さて、では花嫁を連れて王城へと帰るとしよう。この姿で帝都をパレードするわけにもいくまい……だが、その前に」と皇帝は、レイラを抱きかかえたまま、ヨエルのところへと向かう。
「皇帝に決闘を申し込んだ件に関して沙汰を伝える。我が妃を暗殺しようとしたミッターマイム伯爵家はお家取り潰しとなった。そこで、ミッターマイム領は、ホーエンハイム家に併合させる。隣地であるし、問題なかろう」
まさかの人事であった。
「いえいえ、見に余ります。私は、ニコルが成人したら、引退して余生はスローライフを送る計画です」
「ドーリア川の治水工事、またホーエンハイム領の産業振興など、見事な領地経営だ。優秀な者を遊ばせておく余裕は、帝国にはない。それに、妃の実家である。それなりでないと格好がつかん。よろしく頼むぞ、ヨエル・ホーエンハイム“伯爵”」
「そんな……悠々自適な生活が……」
落ち込んでいるヨエルに、テレジアはにこやかに近寄り、お祝いの言葉を述べる。
「おめでとうございます、ヨエル・ホーエンハイム伯爵。ミッターマイム領は、豊かな土地の上に、良質の港もあり、貿易も盛んな場所ですわ。そうそう、ロバート様には以前、お伝えしたんですが、フォーレ商会にラジルブとミッターマイム領の航路に、傭船をお願いしておりますの。ラジルブで栽培したキャッサバを帝国に輸入し、タピオカの製造を致しますわ。あと、こちらが本命なのですが、キャッサバの高い澱粉質を利用して、羊皮紙に変わるような、保存に優れた“紙”を製造しようと思っておりますの。加工の関係で、港に近い場所に工場を建てた方が効率良いですわ。ですから、ミッターマイム領にキャッサバ加工場を建設させていただくことをご承諾いただけませんか? もちろん、工場に関しては共同出資による共同経営ということで、アリスター侯爵家としては問題ありません。また、こちらもロバート様にはすでにお話しておりますが、紙の製造と同時に、紙の利便性を広めるために、活版印刷という印刷技術の特許も発明者から買い取る交渉がまとまっております。こちらの特許名義もアリスター家とホーエンハイム家の共同名義といたしましょう。そういうことでよろしいですか?」
ヨエルは疲れた顔をして、「ロバート、この話を聞いていたのだな?」
ロバートは嫌な予感しかしない。だが、「はい」と答えた。たしかに、テレジアとタピオカ・デ・アトーレに行った際にそのような話をした。ロバートとしては、単なる雑談と思っていたけれど……。
「では、その件はお前に任せよう。ホーエンハイム家の長男であるし、当主となるのだからな」
「はい……」とロバートは頷くしかない。
「では、仔細は今後、ロバート様と詰めさせていただきますね」とテレジアは深々とヨエルに礼をする。
そして、テレジアは今度は、皇帝に抱き抱えているレイラのもとに駆け寄る。
「皇帝陛下、ご結婚おめでとうございます。レイラ皇后陛下も心からお祝い申し上げます」
「テレジア……そんなに畏まらなくてもいいわ。今まで通りレイラって呼んで。それに、これからもお友達でいて欲しいわ」
「ありがとうレイラ。でも、レイラに先をこされちゃったわね。レイラは18歳だけど、もう私は22歳。結婚相手を早く見つけないと、行き遅れになってしまうわ」とテレジアは悲しそうな顔をした。
「そんなことないでしょう? テレジアならきっと引く手数多よ! それに……」とレイラは言いかけ、慌てて口を塞ぐ。
テレジアから、ロバートと思いが通じ合ったと聞いている。だが、兄はどうするつもりなのであろうか?
「そうかな。誰か、私に求婚してくれる方はいないのかしら? だって、今がチャンスでしょう? 皇帝陛下は無事に結婚をされた。いままで、私を含め、貴族の令嬢たち全員が皇帝陛下の花嫁候補であったから、殿方たちは求婚できなかったわ。だけど、これでやっと、貴族令嬢たちの多くがフリーになったわ」
確かにそうであるとレイラは納得する。皇帝の花嫁探しが始まってから、帝国の妙齢の貴族令嬢
たち、2000人を超える令嬢たちが、花嫁候補であった。皇帝の花嫁候補にプロポーズなどできない。
「テレジア・アリスター嬢の指摘はもっともだ。花嫁探しの期間、縛りを与えてしまったことを詫びよう」と皇帝は言った。
「いえ、皇帝陛下。帝国の国母を決めるため。そのことに家臣として異議異論、まして不服などございません。むしろ、殿方たちにとっては、皇帝陛下の花嫁が決まった今が、求婚を申し込む、千載一遇のチャンスですわ」と、テレジアはチラリとロバートを見た。
レイラは、あぁ、そういうこと、と分かった。本当にテレジアって、こういう時ってぐいぐい行くわね。
「そうね、テレジア。チャンスを活かさないのはもったいないわ」とレイラもテレジアを援護する。
「そうよね。というか、むしろこのような千載一遇のチャンスで求婚しない、決断力のない殿方なら、このままズルズルと先延ばしになってしまうかもしれないわ」と、テレジアはロバートをチラリと見る。
「ヘタレってことね」とレイラはロバートをチラリと見る。
状況を理解したのか、皇帝も言った。
「なるほど。戦いで例えると、今ならば難攻不落の要塞に攻め入る好機、ということだな。武人たるもの、攻めるべきときに攻めねばならない。機を逃せば、それだけ劣勢となる。味方の被害も多くなろう」
「そういうことですわね、皇帝陛下」とテレジアは笑顔でいう。
「まぁ、そんな好機を逃すような機転の効かない男はいないだろう。特に、我が“近衛兵”にはな。まぁ、いないだろうな。まぁ、いるわけがないよな、勇敢な“近衛兵”にはな」と皇帝はチラリとロバートを見る。
そして、テレジア、レイラ、皇帝がじーーーとロバートを見つめる。
「わかりました! わかりました! ちょっと待っていてください」とロバートは陽だまり亭の中へと駆け出し、そしてすぐに白い箱を持って戻ってきた。
白い箱の中には、指輪が入っている。
「俺も、近々、言おうと思って、ちゃんと用意していたんですよ!」とロバートは顔を赤くしながらいう。
そして、ロバートはテレジアの前に跪いた。
「テレジア・アリスター嬢、私はあなたを愛している。どうか、結婚してくれないだろうか?」
「はい、喜んで。私もお慕いしています、ロバート様」と、テレジアはロバートの求婚に応諾したのだった。
そして、祝福の拍手が終わると、皇帝が言った。
「どうやら丸く収まったようだな。そして、そろそろ、灰まみれの状態から開放して欲しいのだが? レイラ、王城へ行こう」
「はい。あなた」
レイラは、馬車の中でも抱き抱えられたまま、王城へと行きました。
そして、末長く幸せに暮らしました。
おしまい。
氷の魔女と炎龍帝 〜美味しいパテの作り方〜 池田瑛 @IkedaAkira
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