29.“結婚”とラスト・ボス

 王城の鐘がなり、祝賀のラッパが空高く吹きまわされる。

 帝都中を早馬が走り回る。そして、その早馬の告げ知らせる内容に帝都は沸く。


 第18代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアの花嫁が決まったと早馬が告げ回っている。


「レイラ・ホーエンハイム……あの、“祝福された手”の御令嬢か! 帝国にも祝福がもたらされる! 皇帝陛下万歳! 皇后陛下万歳!」


「帝国に繁栄を!」


 帝国臣民たちはその知らせを受けると、仕事を中断し、祝賀を祝う。居酒屋は満席になり、エールを掲げて乾杯をして祝っている。


 国庫の一部が開放され、帝都にある酒は、すべて帝国が買い上げた。そして、それらは臣民たちに無償で提供される。

 帝国の各領地にも書簡が送られ、恩赦として今年の帝国税の免税が布告された。


 花嫁を迎える馬車が陽だまり亭に向かう。二席のみの儀装馬車の片方には皇帝が座っている。花嫁を迎え、帝都をパレードし、そして王城へと入場するのだ。

 儀装馬車の後ろには、十台の連なったに荷馬車が引かれ、結納の品々が積み込まれていた。荷馬車の最前列には、ユニレグニカ帝国皇后の王冠、そして皇后杖が運ばれている。


 陽だまり亭で今日も営業をしていたホーエンハイム一家にもその知らせはすぐに届いた。


 お祝いを述べる人々。

 今日でレイラちゃんのハンバーグも食べ収めか、と残念がりながらも祝福する常連客。

 

 父のヨエルは、その知らせを受けると、豚肉をミンチにする作業を止めて、二階へと険しい顔で登っていった。


 困惑していまにも卒倒しそうなレイラの両肩を母のメアリが支えている。


 ニコルは、もうこれ以上はお店に入れません、と殺到する客を入り口で押さえている。


「レイラ!! レイラ!」と呼吸の荒れたテレジアの声が響く。

 陽だまり亭に向かう途中で花嫁決定の報を聞き、いそぎ陽だまり亭に駆けつけてきたのだ。


「テレジア。お兄様も」と、レイラは不安そうな顔で二人を見つめる。目には、涙が溜まっている。


「私、どうしよう……」と、か細い声のレイラ。今にも泣き出したい気分だ。


「大丈夫よ、レイラ。何も心配は要らないわ」とテレジアはレイラを落ち着かせようとするが、レイラの動揺は治らない。


「お兄様、マック様はどちらに?」


 レイラの寂しげな声は、店内の喜びの声に打ち消された。


 マック様に会いたい。

 もし、いま、マックが馬に乗って私を攫おうとして手を差し伸べてくれたら、私はその差し伸ばされた手を間違いなく掴むだろう。そして、マック様とどこか遠くへ。緋衣国でも良い。マック様とどこか遠くへ逃げ出したい。そして毎日毎日、マック様が大好きなハンバーガーを作って差し上げたい。


 もう、それは叶わないということはレイラにもわかる。

だけど、最後にもう一度、会いたい。皇帝の物になるまえに、もう一度、マック様に会いたい。もう一度、手を握って欲しい。

 マックの暖かな手で、自分の冷たい手を温めて欲しい。


「マックもいま、向かっている。まずは落ち着け!」


 ロバートとテレジアにも、事前に知らされていなかった。帝都を散策しつつ、陽だまり亭に向かっていたところで花嫁決定の布告を聞いたのだ。事前に打ち合わせや手続き、下調べを周到に済ませる皇帝にしては、急遽の行動。二人にとっても寝耳に水であったのだ。


「大丈夫だ。私に任せておけ」


 2階に上がった父が降りてきた。腰には剣が携えてある。鉄製の胸当てを装着しており、刀傷を防ぐための分厚いブーツを履いている。父の完全装備である。

 ホーエンハイム領の森で狂熊病が発生し、野生の熊が凶暴化したとき、感染してしまった熊七十八頭を、単身で森に入り討伐したときの装備である。

 また、突然変異により森に住んでいたアナコンダが象一頭を丸呑みにするほど巨大化したとき単身挑んだときの装備でもある。


 その姿を見て、レイラは冷静になった。いや、ならざるを得ない。


「お父様! 何をなされるおつもりですか!」


「お前が望まぬ結婚をするのを止める。なぁに、赤髪の小僧に決闘を申し込もうだけだ」


「そんなことをしてタダで済むとお思いですか!」

「あなた、少し冷静になられて」とメアリも夫であるヨエルを説得しようとする。


「大丈夫だ、メアリ。ホーエンハイム領にはセバスたちが優秀な家臣たちがいる。聞け、ロバート、ニコル!」とヨエルの怒声に、「はい」とロバートとニコルが声を揃える。


「あの赤髪の小僧は、皇帝は、レイラを泣かせた罪は万死に値する。だが、それ以外は聡明な男だ。私の予想だと、あの皇帝は身分による硬直した社会を打破し、能力によって平民も大臣になれるチャンスを得られる帝国を作り出していくだろう……」


 ヨエルの話を聞いて、それって、テレジアと同じ意見?! と驚く。


「だから、男爵の地位に甘えるな。貴族であったことを忘れろ。胡座をかくな、勝ち取れ、己の夢を。わかったな! そして、愛する人を死ぬ気で守れ。それが、ホーエンハイムの男というものだ」


「はい!」


「あと、ホーエンハイム領のことを忘れるな。男爵の地位がなくなっても、あそこは故郷だ。あの豊かな森がお前たちの母なのだ。そして、豊かな収穫を与えてくれる大地がお前たちの父なのだ。ホーエンハイム家が男爵の地位を失っても、領地でなくなっても、同じ水を飲み、同じ飯を食った兄弟姉妹のことを忘れるな!」


「はい!」とロバートとニコルが直立不動で答える。


「レイラ。幸せになれ」


「はい、お父様」


 ホーエンハイム男爵が子孫たちに遺言とも思しきものを残し終わったとき、第18代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアが陽だまり亭へと到着をした。


「花嫁を迎えにきたのだが、随分と物騒なものだ」と皇帝は馬車より降り立つ。赤い髪が、太陽に照らされて熱を放っているかのようであった。


「皇帝が、下級貴族のしがない定食屋になにようかな?」とヨエルが前に進み出る。


「無礼者! 皇帝陛下の面前である。頭を下げよ! それに、帯剣しているとは何事か! 不敬罪および皇帝暗殺未遂罪だ!」と従者が叫ぶ。


「よい。下がれ」


「はっ」

 従者が二歩退いた。


「ヨエル・ホーエンハイム男爵。私は、貴殿の娘、レイラ・ホーエンハイムを嫁にもらいにきたのだ」


「謹んでお断りさせていただく」


「相変わらず話にならん。レイラよ。我が、妃になってくれないだろうか?」

 炎龍帝は、ヨエルを無視してレイラに話しかける。


「恐れながら皇帝陛下。申し訳ございません。私には、心に決めた殿方がございます」


 レイラは迷わない。せめて、マックに自分の思いを告げたい。たとえ、炎龍帝が、龍のようにエメラルドグリーンの瞳に炎を宿し、権力という名の炎を口から吐き出し、レイラを焦がそうとしても。


「そうか……」と、第18代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアは寂しそうに呟いた。そして、「もはや、言葉は無用。私が決闘に勝てば、娘はもらっていくぞ」と、皇帝は剣を抜いた。


「お辞めください。危険です! 万が一でもお怪我をされたら」


「下がっておれ」と皇帝は従者を下がらす。


「私が勝ったら、娘は自由に慕う相手との結婚ができるように」


「分かった。皇帝の名において誓おう」


「ならば私も、ヨエル・ホーエンハイム男爵の名において誓おう。もっとも、どうせこの騒動です。お家取り潰しでしょうから、男爵の名なぞ、有名無実ですがね」と、ヨエルは不敵に笑う。


 ヨエルも前に出て剣を抜き、第18代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアも剣を抜いた。


「いざ!!!!!!!」


 皇帝とヨエル。ともに前に出て剣を相手に振りかざす。皇帝は縦斬りで。ヨエルは横斬りである。そして、剣と剣が交錯し、火花が散った。


「天空の星より作り上げられたこの剣でも折れぬとはな」と、皇帝は驚きを隠せない。

 皇帝の剣は、はるか古代に衝突した隕石から取り出した鋼で作られている。別名、オリハルコンの剣である。この世界に四振りしかないとされる聖剣である。


「名剣でも、使い手がこれではな」と、隙ありとみたヨエルはマクドナルドの腹に蹴りを入れた。ヨエルが使うのはお行儀の良い剣術だけではない。生き残るためには、相手の目に砂を投げつけることも、卑怯と罵られることも、武術として身につけている。


 その衝撃にマクドナルドは五歩退く。だがそこをヨエルは詰める。剣と剣が再び肉薄した。


 戦うこと10分。お互いが決め手に欠けて、消耗戦となっていた。体力の削り合いである。


「お父様、頑張ってください!」


 緊迫した空気の中、レイラの声援が飛んだ。


 ふっ。好きな女が自分の敵を応援するというのは随分と堪えるな。だが、俺はお前が必要だ !レイラ。お前を絶対に手に入れる!! と皇帝は気合を入れ直した。


力量は互いに互角である。皮の一枚を切ることができても、肉を絶つことも骨を断つこともできない。


「剣の技量だけであれば、レイラの慕うマック殿と互角であろうな。皇帝の地位にありながら研鑽を怠らなかった皇帝陛下には、心から敬意を表そう。ただ、娘を泣かせたことは許さんがな」


「レイラが慕うマック殿? どういうことだ!」

 マクドナルド皇帝は、マックという名がヨエルから出てきて、動揺を隠せなかった。


「隙あり!」


「なっ」


「問いは無用、次で決めさせてもらおう。皇帝陛下にはすまぬが、奥義を使わしてもらおう」とヨエルが言った。

 ロバートですら会得していない、ホーエンハイム家秘伝の剣技である。先々代が考案し、代々受け継がれてきたホーエンハイム流の奥義である。


「俺も、その言葉を聞いて負けられなくなった!! こい、ヨエル・ホーエンハイム!!!!!!」


「その意気や良し! だが、この剣を見て倒れなかった者はいない。喰らえ!!!!!!!!!奥義、初見殺し! ”桃源郷”」


 ホーエンハイム領の開拓期。先々代が森の危険な生き物を民から守る為。また、ホーエンハイム家が爵位を得たことに嫉妬した貴族が送り込んだ賊に扮した刺客から領民を守るために編み出した秘剣である。


「なっ!!!!!」


「すまないな。その奥義、初見ではないのだ」と、初見殺し! ”桃源郷”の剣さばきを全て受け流し、逆にマクドナルドがカウンターによる反撃を食らわせた。もちろん、峰打ちである。


「馬鹿な……ありえな……」


 ヨエルは顎に剣を直に受け、その衝撃で地面に倒れる。


 疲労により、剣を杖代わりにして立ち、辛そうに呼吸をしているだけの皇帝。そして、尚も立ちあがろうとするヨエル。だが、ヨエルは顎に打撃を受けた衝撃で脳震盪となっていた。立ち上がろうとしても、足が言うことを聞かない。お尻を地面から離そうとしても、離れない。力が入らないのである。


「ぬぉぉぉおお」という立ち上がろうとするヨエル。

追撃をしようにも、立っているだけで精一杯の皇帝。


 互いに、引けぬ戦いであった。


 それをただ、全ての者が息を飲んで見つめていた。


 が、その場にあって動いたのは、テレジア・アリスター侯爵令嬢であった。


「両者、そこまで!!!  決闘の立ち合い人を指定されていなかったので、不肖ながら私が立会人を努めさせていただきます」とテレジアは宣言をする。


 戦いを見守っていた者たちのなかで、異論があるものはいなかった。また、皇帝もヨエルも、異論を唱える余裕などない。


「この決闘! いま、両足で立てている者を勝者といたします」とテレジアは宣言した。


 すなわち、剣を杖代わりにしてはいるが、なんとか立てている皇帝の勝利である。


「アリスター嬢、決闘の公平な立ち合いに感謝する」と、マクドナルドが礼を言う。


「もったいなき御言葉、感謝いたします。ですが恐れながら皇帝陛下。まずは、皇帝陛下がなすべきことがございます。それは、灰を被ることでございます。ロバート様、陽だまり亭のカマドの灰を集めてきてくださいませ」


「アリスター嬢、それはどういうことかな?」と、聖女のような微笑みを維持し続けるテレジアにマクドナルドが問う。


 だが、その問いにテレジアはただ沈黙の笑顔で答える。


「分かった」とロバートは、陽だまり亭の店内へと走り急いで行った。

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