28.炎竜帝の怒りの炎
ユニレグニカ帝国、皇帝の執務室。
重厚なマホガニーの机には、帝国の長い歴史が詰まっている。
その机は初代皇帝から第八代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアまで、ずっと歴代の皇帝が受け継いできた机である。一番上の引き出しには、皇帝の御璽が収納されている。
机の端には、刀によってできた切り傷もある。その傷は、皇帝執務室で起こった第四代皇帝の暗殺未遂事件のときにできたものであると伝えられている。
この執務室で帝国を、また世界を動かす数々の決断がなされてきた。
第八代皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアは、皇帝の影の部隊によって未遂の段階で解決できたレイラ・ホーエンハイム男爵令嬢の誘拐暗殺の報告の仔細を読み返していた。
ミッターマイム伯爵家当主が誘拐暗殺を企てた。有能な人間ではあった。ただ、その能力を超えるうちに秘めた野心が禍となった。外務大臣に抜擢したのがアムシュタット伯爵で、同じ伯爵の身分であった。焦りがあったのかもしれない。
ミッターマイム伯爵は、自分の娘を、皇帝である自分の妃にする野心が強すぎたのかもしれない。
ミッターマイム伯爵令嬢は、確かに見目麗しい。器量も良い。妃となれば、帝国をともに支えてくれたかもしれない。
だが、自分の心はそうはならなかった。
最初は誰でも良いと思っていた。
だから、文句が後からでないように、帝国の妙齢の貴族令嬢を全員集めた上で、その中から適当に、政治バランスなどを考えて選ぼうと思っていた。
落とし所として、無難に、アリスター侯爵令嬢テレジアあたりになるのだろうと思っていた。皇帝主催の舞踏会でも社交会でもお茶会でも、無難にこなし、そして無難な笑顔を浮かべて雑談を適当にあしらっているテレジア嬢なら、適当に納得して、妃となり、次代皇帝を産み、そして無難に皇后としての雑務をこなしてくれるだろうと思った。
そしてそれは、ホールマイヤー侯爵令嬢でも、ミッターマイム伯爵令嬢でも同じあった。
だが、自分の心はそうはならなかった。
いま、自分の心にあるのは、レイラだ。
最初はただの興味本位だった。
皇帝の妃となれるチャンスがあるのに、舞踏会で皇帝とダンスを踊ろうとしないで壁の花となる貴族令嬢。
正直、面倒くさかったが、あとから難癖をつけられてもと思い、ダンスを申し込み、踊った。
ダンスを踊り、握った彼女の手は冷たかった。そして、シュバイツェルが言っていたことを思い出した。
きっと、このレイラという女が、ハンバーガーのパテを作るのに向いている手の持ち主なのだろうと。
シュバイツェルは、そのような手を持つものを探してみてくださいと死ぬ前に言った。どうしてそのことを俺は忘れていたのだろう?
シュバイツェルは、俺の手は、帝国臣民を守るためにあるとも言っていた。
だが、俺は平和となり、空虚を感じていた。
全ては
太陽の下、なされるあらゆる労苦は、人に何の益をもたらすのか。一代が過ぎ、また一代が興る。第八代皇帝の俺も、第七代皇帝の後にしかすぎず、そして第九代の前にしか過ぎない。
昔の人々が思い起こされることはない。
後の世の人々も、さらに後の世の人々によって、思い起こされることはない。
日は昇り、日は沈む。元の所に急ぎゆき、再び昇る。南へ向かい、北を巡り、巡り巡って風は吹く。風は巡り続けて、また帰りゆく。
俺、マクドナルド・ジョージ・ジュニアは、ユニレグニカ帝国の皇帝となった。
すべてが虚しかった。空虚であった。全ては
王国との戦いに身を置き続け、そして、王国は戦術的にも、戦略的にも大敗をして多くの死者をだした。もう、戦う力はない。働き手が不足し、再び人口が増えるまで数十年の月日が必要となろう。
戦いに身を置いていた俺は、戦いのないところに身を置くべき場所があるのだろうか?
すべては虚しかった。だが、シュバイツェルの言葉を思い出した。
ハンバーガーのパテを作るのに向いている手の持ち主の料理を食べてみたいと思った。
そして、食べた。
そして思った。
シュバイツェル、お前はこれを俺に食わせたかったのか。あの、材料もろくに無い戦場で、お前はこの味を探求し続けていたのか!
そして、この味を俺に食べて欲しかったのか。
そして気づいたら、世界に色が戻っていた。この世界は木々に羽を休めた小鳥たちは歌う。
スラム街で飢えた人々は泣き叫ぶ力もなく、しずかに地面に伏して死んでいく。
街の商人たちは、自らの机に金貨がいくら積まれるようになったのかを喜び、そしてまた泣く。
俺の決断は間違ってない。
いや、俺が決断したのでもないかもしれない。俺もまた、一人の人間であった。
俺は、レイラが必要なのだ……いや。俺は、恋に落ちたのだ。俺が、レイラを必要としているのだ。
トントンというノックの音が皇帝執務室に響いた。
「入れ」
待ちに待った、結果が到着する。レイラが例のグローブの持ち主と判明し、俺の花嫁となる。
レイラに対する“氷の魔女”という偏見も、料理対決の際の緋衣国王による“祝福された手”という称号授与によって払拭された。
このことに関しては、俺が緋衣国王にねじ込み、頼み込んだ形だ。
その代わりに、緋衣国のファンダリア大瀑布を新婚旅行先にしようとか言う、ふざけた客引きパンダの役割を引き受けさせられたが……。皇帝として、自国の観光名所をアピールして、緋衣国や帝国から観光客を招き、観光産業を盛り立てなければならいない立場であることは自覚していたが、自分を抑えられなかった。
「グローブの持ち主に関する報告書をまとめてまいりました」
「これで、レイラと……レイラ・ホーエンハイム男爵令嬢が花嫁だな。 それ以外貴族たちは、自分の物であると言い張っても、それは嘘偽りだから無視してよい」
これで、レイラを安全な場所で守れる。妃は狙われやすい。いつ、誘拐暗殺を企てる第二、第三のミッターマイムが現れるかわからない。
近衛兵のロバートを護衛につけている。他にも秘密裏に護衛をさせている。
テレジア・アリスター嬢に貴族に怪しげな動きがないか情報を集めさせている。
だが、安全であるとは言い切れない。一刻も早く、王城に迎えたい。
それが今日、実現する。
「それが……レイラ・ホーエンハイム男爵令嬢は、見覚えのないグローブである、と言ったとのことです」
「なぜだ!!!」
皇帝は、マホガニーの机を力いっぱい叩きつけた。だが、厚さ四十ミリを超えるマカボニーの一枚板はびくともしない。
歴代の皇帝が、王国に辛酸を舐めさせられ、机を握り拳で力いっぱい殴りつけてきた。
屈辱的な条約を結ばされたこともあったろう。
信頼していた貴族からの裏切りもあったろう。
愛する者との理不尽な別れもあったろう。
勝利を確信した戦いであったはずなのに、敗北の報告を受け取ったこともあったろう。
さまざまな皇帝の苦悩と、怒りと悲しみを受けてきた執務机は、まだ即位して1年にも満たないマクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝の怒りを受け入れる。
「私も何度も確認いたしましたが、見覚えがないと。また、他の二十三人は、グローブは絶対自分の物であると言い、残りの二十六人も、自分のものであるかもしれないと言っています」
「他の女のことなど報告要らんと言ったのが聞こえなかったのか!」
炎竜帝の怒りの炎が執務室を包む。
「くそ!」
皇帝はキツく握った右拳を再び執務机に叩きつけた。
「今後は、どういたしましょうか?」
すでにレイラ・ホーエンハイム男爵令嬢を花嫁とする布告は書かれ、玉璽も押てあった。花嫁を迎える場所もすでに待機させている。
あとは、花嫁を迎えにいくだけである。
「他の貴族たちから圧力を受けているという線は? 圧力をかけたとしたらどの貴族だ?」
冷静になったマクドナルドは尋ねる。
「調査ではそのような事実は浮かび上がっておりません」
「そうか……」
炎竜帝は少しだけ両肩を落とした。
料理対決のとき、レイラと面会をした。そのとき、レイラはいつも自分に微笑みかける優しい笑みではなく、ひどく怯えた兎のような目をしていた。いや、顔さえ合わせないようにしていた。
緊張していたと思っていたが、まさか避けられていたのか?
むしろ、緋衣国の料理人であったリー・チャンと親しげに話していた。餃子のレシピを色々聞いているのかと思っていたが……
炎竜帝が嫉妬の炎に包まれる。
「いや、予定通り出立するぞ。俺は、レイラが欲しい。なんとしても手に入れる!」
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