26.陽だまり亭の新しい日常

「レイラちゃん〜、今日のハンバーグも最高だったよ! ご馳走さま」


「今日もありがとうございます。食後の紅茶をいま、出しますね」


 陽だまり亭の中を、レイラは今日も走り回っていた。料理対決の前から行列のできる陽だまり亭であったが、さらに長蛇の列を作ることになった。


「餃子定食をお願いします」


「餃子単品を二つ!」


「レイラちゃん、こっちはハンバーグ定食、大盛り二つ」


「こっちも!」


「畏まりました」


 この店の看板娘であるレイラ・ホーエンハイムは今日も、光輝く黄金の髪を短くまとめ上げ、店内を忙しく駆け回っている。


「ふっ。餃子を頼む奴らは、まだまだ陽だまり亭をわかっていない初心者だな」

「あぁ。料理対決での評判を聞いて食べに来ただけのにわか客だぜ」

「真の常連は、ハンバーグ定食一択だぜ」

「だけどお前、この前餃子も食べていただろう?」

「帝都で話題だからな。レイラちゃんが“氷の魔女”から一転“祝福された手”の御令嬢だからな〜。俺たちのレイラちゃんが、いまじゃ、帝都で話題の令嬢だからなぁ」


 陽だまり亭の常連客たちは、食事を楽しみつつ、忙しそうに店内を駆け回るレイラを生暖かい目で見つめる。


「それによ。皇帝陛下の花嫁候補の賭けだが、レイラちゃんがダークホースとして今、人気らしいぞ」と、常連客の一人が今朝に入手した最新のオッズ票をテーブルの上に広げる。


『ホールマイヤー侯爵令嬢 十八歳 倍率:4.9倍』

『ミッターマイム伯爵令嬢 十九歳 倍率:13.9倍』

『レイラ・ホーエンハイム男爵令嬢 十八歳 倍率:21.3』


 逆に、先週まで最有力候補として一番人気あった『アリスター侯爵令嬢』、つまりテレジアは賭けの上では五番人気にまで落ちていた。

 テレジアの人気が急落した原因は、テレジアが王都の人気カフェ、タピオカ・デ・アトーレで、男性との逢瀬を楽しんでいたことが目撃されていたからだ。しかも、人目も憚らず、通りに面したテラスで堂々とデートを楽しんでいたというまことしやかな噂が流れたからだ。


 そしてその噂を信憑づけることが陽だまり亭で起こっていた。


「レイラ、ごきげんよう」

「テレジア様、ご機嫌麗しゅう」


 テレジアが、護衛として兄のロバートにエスコートされながら店内に入ってきた。


 毎日のようにテレジアが陽だまり亭に通うようになったのだ。


 表向きの理由は、料理対決で話題となり、貴族たちからも陽だまり亭は注目を集めている。帝都の流行に敏感な貴族たちは、“餃子”を食べようと陽だまり亭を訪れている。

 だが、陽だまり亭は貴族だけでなく庶民も通う店である。当然、プライドの高い貴族たちから不満が出たり、イザコザが起こることは予想されることである。


 そこで、テレジアが自ら牽制役を買って出たのだ。テレジア曰く、『侯爵家の私が文句も言わずに陽だまり亭で食事をしていたら、難癖をつけてくる貴族なんていないわ』ということだ。


 自分より上位の貴族、しかも帝国で一大勢力を誇るアリスター家の御令嬢が贔屓している店に文句を言う無謀な貴族は皆無である。


また、テレジアは陽だまり亭の、ひいては貴族街の混乱を回避するために、料理対決のあとに根回しをしたことも、巷に知れ渡っていた。

 

『料理対決の代表としてレイラ・ホーエンハイム嬢を指名されたご慧眼は、さすが我らの敬愛し、忠誠を誓う皇帝陛下です。しかし、陽だまり亭は庶民も多く通う店です。貴族が押し寄せれば無用な争いが起こるでしょう。そうならば、代表としてホーエンハイム嬢を代表として選ばれた陛下の威信をも傷つけることになりましょう。何か、手を打っておくべきです』


 そして、兼ねてから交流のあったテレジアが他の貴族のお目付役として陽だまり亭に毎日通うことという公務が与えられた。そして、その公務にあたって、皇帝からも護衛が派遣され運びとなったのである。それば、近衛兵ロバートである。レイラの兄でもあるし、護衛にもっとも適任として選ばれたのである。

必然的にロバートも、テレジアをエスコートして陽だまり亭に毎日通うことになった。


 その状況を知っているものは、マクドナルド皇帝も、直属の近衛兵を護衛に出すほど、レイラ・ホーエンハイム男爵令嬢を気にかけている、という事実が生まれる。


 そして、その事実が広まり、皇帝陛下の花嫁候補の賭けで、レイラの人気が急上昇しているのである。


 だが、それはあくまで表向きのことである。ことの真相を知っているレイラは思う。


 『こういう時って、やっぱりテレジアはぐいぐい行くのよね。その積極性が羨ましい』


 つまり、テレジアは、毎日、ロバートとランチ・デートをする権利を獲得したのである。


「今日も、ミニ・ハンバーグ定食を」

「俺はハンバーグ定食を頼む」

「かしこまりました。それにしても、テレジアはいいなぁ」


 陽だまり亭は連日満席で、レイラが休む暇などない。まして、休暇を取るなど現状では夢のまた夢である。

 

「あら、私は公務で来ているのよ。まぁ、役得というものだけど」とテレジアは言うが、陽だまり亭で食事したあと、靴屋や服屋、宝石屋、またカフェ、そして観劇などを、ロバートと行っているのをレイラは知っている。

 自分もできることなら、またマックと出かけたい。宝石屋や靴屋などに行く金銭的な余裕はないが、また屋台廻りなどをして、ベンチで座っていたい。


「それに比べて、お兄様は鼻の下伸ばしっぱなしですものね」


「俺も公務で来ているのだ。うん。これは公務だ。勅令だ。うん、そうなんだ」とロバートは自分に言い聞かせるように言った。

 レイラはその兄の姿を見て、きっとテレジアと結ばれたら、尻に敷かれる夫になるのね。って、もう尻に敷かれているようだけど。


 レイラは、テレジアが羨ましく思ってしまう。理性では理解できていても。


「テレジア、たまにはお兄様じゃなくて、マック様と一緒に来てほしいかな。私は、ずっとマック様に会えていないのよ」とレイラは愚痴をこぼす。


「あら? 私がマック様とデートをしてもいいってレイラは言うの?」


 レイラはマックがテレジアをエスコートしている姿を想像した。そして、


「それは嫌。やっぱりなし!」と自分の言葉を取り消した。


「ん? だが、マックも、料理対決のときにレイラの作った餃子を食べて美味しかったと言っていたぞ」と、ロバートがフォローをする。


「え? マック様も召し上がってくださったの? でも、会場にはいらっしゃらなかったわ。他の場所の警備をされていたと思っていたのだけど」


 マックはこの国では珍しい黒髪である。また、人の群れからマックを自分が無意識に探していたことを自覚している。


「あっ。」とロバートは自らの失言に気づいた。


「それはだな、その〜」


「私が審査員だったじゃない? 一個を残しておいたのよ。それを、ロバート様とマック様が半分ずつ食べたのよ」


「そうだったの。でも、やっぱり出来立てを食べて欲しかったかな」


その時、「すみません、食後の紅茶を!」と隅の席からお客の声が聞こえた。


「はい、ただいま。じゃあ、テレジア、ゆっくりしていってね」とレイラはまた店内を駆け回る。


 その様子を見ながら、「危なかった。テイジー、ナイス・フォロー」とロバートは言った。


「お互い、助け合っていくのは当然ですわ」とテレジアは優しく微笑みながら言う。そして、内心では、『いま、テレジアじゃなくて、テイジーって愛称で呼んでくださったわ、やっと!』と、喜び、そのロバートの失言は訂正しないことにした。貴族の間では、愛称で呼ぶのは婚約者となってからであるとされているにもかかわらずである。


 そして、怒涛のランチタイムが終わり、陽だまり亭は三時から五時まで閉店時間となる。夕食時間の営業に向けての準備時間である。

 

 突然の皇帝からの先触れがやってきた。


「あと30分後に、皇帝陛下の使者がきます。くれぐれも粗相のないようご準備のほどをお願いいたしたい」


 料理の仕込みに忙しいホーエンハイム家は騒然となったのは言うまでもない。

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