17.餃子の調査デート ②
平民街、と貴族たちからは呼ばれているが、城壁に囲まれた帝都の面積比で言えば、帝都の面積の六割を平民街が占めている。比率で言えば、王城が二割、貴族街が二割、そして、平民の住む区画が六割である。
また、平民街と言っても、商業地区、住宅地区と分かれ、狭い裏路地の奥には、いつのまにか人が住み着いて生まれたスラム街なども存在している。
「噴水に付きましたわ」
「近くで見ると、大きな風車ですね」
レイラたちは、平民街の噴水広場に訪れていた。大通りの真ん中に作られた噴水がある。その噴水の真ん中の台座には、初代皇帝の大きな彫刻が鎮座していた……。
そして、噴水は、皇帝の足下から噴き出ているのである。
貴族達のように、屋敷と庭を所有することができる身分層は、自分の井戸を所有しているが、平民達には井戸を持つような土地はない。
井戸、つまり、水という人間の生命上、また、生活上において欠かせない物質を、平民たちに絶えず供給する責任を負ったのは、ユニレグニカ帝国では、帝国市民の
皇帝は井戸を建造し、絶えず水を市民たちに供給する責任とその任を果たす。その見返りが、ユニレグニカ帝国において唯一市民に対して人頭税を課すことのできる法的根拠である。また、護民官として、平民の生命と財産を守るという責任に付随して、徴兵権を持ち、自らがユニレグニカ帝国の軍事最高司令官としての地位を得ているのである。
噴水の真ん中に、皇帝の彫刻が設置されているのは、平民に絶えず水を供給しているのは誰か、ということを忘れないようにし、また、噴水を破壊する行為などを行う者は、皇帝の彫刻に対して、つまり皇帝に対して不敬を働いたとして極刑に処せられる。
風車を動力としてくみ上げられる水、そしてその噴水へと水を求めてくる人々。それが、帝国の安定と繁栄を示すものである。
一方、貴族は自らの土地に井戸を持つゆえに、人頭税などの徴税を免れる法的基盤となっている。また、領地の財産、領民を皇帝の庇護を受けず自ら防衛するがゆえに、私兵を持つことがゆるされているのである。
……と、ロバートが誇らしく長々と解説を始めていた。
「あの……お兄様、そろそろ、目的の
レイラは、まだまだ続きそうなロバートの解説を遮った。テレジアは楽しそうに、時々相づちを打ちながらニコニコしている。だが、レイラはテレジアはロバートが解説したようなことは、貴族のいろはの「い」として、知っているはずだ。そして、テレジアからしてみれば、これは千載一遇のロバートとのデートである。できれば、兄には退屈な話ではなく、気の利いた話題をしてほしい。できれば、花売りが売っている花の一輪でも、テレジアに贈ってほしい…………。
……いや、レイラは思い直した。
テレジアに、兄であるロバートが花を贈って欲しいのではない。それは自分の願望の反映なのだと。
花売りの少女が、大通りの街角でアネモネの花を売っていた。それにふと目が留まったのはレイラ自身だった。
自分は、マックから花を贈って欲しい。
そう願っているのだ。
レイラは思わず、自分の両手を首に添える。暖かい血が流れる首筋に、両手の冷たさが伝わる。噴水から湧き出た清水よりも冷たい、氷の魔女の手の冷たさだ。
「レイラ嬢の言う通りだ。少し、小腹が空いてきたな。空腹は最高のスパイスだという。早く、餃子を食べに行こう」
ワインをテースティングするかのように、噴水から湧き出た水を手ですくいって丹念に匂いを嗅ぎ、飲んでいたマックが口を開いた。
「それもそうですね」とロバートも同意した。
「レイラ嬢はどうだ?」
マックが訪ねたので、「そういたしましょう。私も、緋衣国との料理対決の手前、やはり餃子が気になります」
レイラ自身、テレジアが早く来訪したせいで朝食を逃してしまっていた。空腹で気を抜くとお腹が鳴ってしまいそうだった。緋衣国とのことは、建前で、本当は、噴水一体に並んでいる屋台から漂う匂いが、食欲をかきたてていたからである。
「では、まずは餃子の調査といたしましょうか。人気の屋台へとご案内します、お手を。ここは人が多い。はぐれてしまっては危ない」
マックがそっとレイラへと手を差し出す。レイラは一瞬迷ったが、差し出された手を取る。
「では、テレジア嬢。私もご案内いたします」
ロバートがテレジア嬢へと手を差し出したとき、テレジアは意外なことを言った。
「あら? 私は餃子なんて食べませんわよ。それよりも、我が家に仕えるメイド達から聞いた、人気のカフェがございますの。タピオカのティーを出すところらしいですわ。私は、そちらに行きますわ」
「え? でも、テレジア」
突然のテレジアの言葉に、レイラは続く言葉が見つからなかった。
「しかし、テレジア嬢、今日は餃子について調べるということであったはずでしょう?」
ロバートが説得にかかったが、それがテレジアは気に食わなかったらしい。
「あら? そうでしたっけ。それなら私は一人で行きますわ。三人でその、餃子を食べに行かれたらよいでしょう? 私は、ニラを好みませんの」
ツンとして、テレジアはそのまま歩き始めてしまった。その態度は、ユニレグニカ帝国の三代侯爵家の令嬢として堂に入っていた。身分の低い貴族からのダンスの申込を鼻であしらう大貴族の令嬢そのものである。
「テレジア、待って!」
レイラは呼び止めようとするが、振り返りもせずにテレジアは噴水の反対側へと歩いていってしまった。
突然、どうしたのかしら? テレジア……。レイラ自身、突然のテレジアの行動に驚きを隠せなかった。突然、優しく気遣いの出来る友人が、傲慢で自分勝手な貴族令嬢になってしまったかのようだ。
レイラ、ロバートは、ただテレジアの背中を見送ることしかできない。
「一人にさせておくわけにもいかないですよね……もしもの事があったら」
レイラは、とりあえず餃子の調査は後回しにするしかないと思った。
「仕方あるまい。ロバートは、テレジア嬢の護衛を。レイラ嬢と私で餃子の調査をしよう」
「しかし、それでは!」
マックの判断にロバートは不満であるようだった。
「不満は、私にではなく、皇帝に言えよ、ロバート。皇帝の勅令を思い出してみろ」
その言葉で、レイラも、今回、四人で平民街に来ることができた皇帝の勅令を思い出す。
『緋衣国との催しが終わるまでの期間、ロバート・ホーエンハイム近衛兵を、テレジア・アリスターの護衛として任命する。マック近衛兵を、レイラ・ホーエンハイムの護衛として任命する』
あっ! レイラは気付いた。
この勅令は、ロバートが、テレジアを護衛すること。そして、マックがレイラを護衛すること。
それ以上は何も言われていない。
いや、むしろ、ロバートは、テレジアの護衛と任じられている。つまり、ロバートは、テレジアから離れてはいけないのである。
「確かに……ですが……」
ロバートも、勅令のそのままの意味に気付いたのであろう。
「テレジア嬢を一人のままにするのは、皇帝の勅令に背いているな」
「そうですね。テレジア嬢を追っかけます。合流出来たら一旦ここに戻りますので、少しお待ちいただけますか?」
「分かった。だが、きっと噴水の裏側で待っていると思うぞ。ロバート、レディーを待たせるものではない」
マックの言う通り、実際に、テレジアは噴水の反対側のベンチに座っており、すぐに合流することができたのだった。
「では、私たちはタピオカティーを飲みに行ってきますわ」
「あぁ、ではレイラ。私たちは、予定通り餃子の調査をしにいこう」
戻って来たテレジアは、とてもニコニコと嬉しそうであった。それに、レイラに対して目配せをして、『驚かせてごめんね』というようなことを伝えてきた。
レイラは、これも外堀を埋める作戦だったの! もう、事前に一言教えてよ! と思った。
それに…………もともと、テレジアと自分が下町にお忍びで遊びに行って餃子を食べるというのが元々の計画である。そして、護衛として、近衛兵であるロバートとマックが着いてくるという話であった。
しかも、この案を提案したのは、テレジア本人である。言い出した張本人が、いきなりその計画をご破算にしてしまった。
「では、お昼にまたここで落ち合いましょう」
テレジアとロバート、いや、この場合は、テレジアと護衛の者は、そのまま大通りを歩いていってしまった。
「レイラ。じゃあ、私たちも行こう。人気店だ。餃子が売り切れてしまってはいけない」
マックはレイラに手を差し出し、エスコートを始める。マックの黒曜石のような黒髪が風に揺れていた。
『これじゃあ……まるで……デートみたいだわ。嬉しいけれど……どうしてこうなったのかしら?』
テレジアの作戦勝ちということであろうか。皇帝陛下の勅令の穴を上手に突いた、ということだ。きっとテレジアはロバートとのデートを満喫するだろう。
マックとの二人でのデート、という形となった餃子の調査。マックは、自分の冷たい手“氷の魔女”の手を、優しい手と言ってくれた。
レイラは、噴水の水を触り、より冷たくなった自分の手が、マックに握られる、温まるのを感じる。それにもまして、心が温まる。
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