9.新皇帝の真意
陽だまり亭に、妙なお客が来るようになった。
年齢は、レイラよりも少し年上、というような妙齢の女性である。
来る時間帯は、陽だまり亭の開店と同時に来たり、お昼時に来たり、お昼の営業時間の修了間際に来たりする。
そのお客が妙なのは、いつも紅茶だけを一杯頼むのである。
「今日も紅茶だけだって。うちは、定食屋で、カフェテリアじゃないんだけどね」
注文を取りに行った母のアンナは台所で苦笑いをしている。
その女性の服装は、王都で一般的な町娘の洋服に、麦わら帽子を深く被っている。いつも陽だまり亭の庭のテーブルに座り、日差しの強い日には、持参した日傘を差しながら紅茶をゆっくりと飲んで帰るのである。
明らかに、町娘に扮した貴族であった。
お忍びで街にやって来た貴族、というのはバレバレである。レイラやアンナ、ニコルだけでなく、食事にやって来るお客すら、『あっ、きっとこの人、貴族だ』と分かる。
「レイラちゃん、あの人、アリスター侯爵のご令嬢なんじゃない?」
そう、レイラに小声で聴いてくるお客が絶えない。
「さぁ? どうなのでしょうね」としかレイラに答えられない。
「ねぇねぇ、あの方、テレジア・アリスター様じゃないの? 帽子を深く被ってるけど、口元の黒子ほくろとか、街で出回っている肖像画とまったく同じなんだけど……」
身元まで完全にバレていた。王都の街角では、盛んに次のお妃が誰になるかの賭博が行われている。街のあちらこちらに設置されている賭博場では、アリスター侯爵令嬢は肖像画付きで紹介されている本命候補である。
繰り返しになるが、「さぁ? どうなのでしょうね」としかレイラに答えられない。
貴族の娘が街にお忍びで出かける。
あまり誉められた行為ではないが、貴族のお忍びは、珍しい話でもない。
まして、一応陽だまり亭は、貴族街にあるので、貴族が出歩いても問題はない。
だが、お客様の素性を勝手に言い触らすのには気が引ける。また、先日のお茶会への招待の件があるので、気づかないフリをすることに徹していた。
「そこのあなた。勘定を。それにしても、まぁまぁの紅茶ね。また来るわ」
テレジア・アリスター令嬢(仮)が、勘定を済ませる。紅茶は単品価格で銅貨一枚である。ちなみに定食であれば、食後の紅茶はサービスである。
『また……金貨でのお支払いなのね……。それに、また来るのね……』とレイラは心の中でため息を吐く。
「お釣りを持ってまいりますので少々お待ちください」と、レイラは店内へと走る。
金貨一枚で、銅貨一枚の紅茶を飲む……。
「お待たせしました。銀貨九枚と、銅貨九十九枚です」
テレジア・アリスター令嬢(仮)が来ると、お釣りの準備が大変であるのだ。最初に金貨を出されたときは、店にお釣りが足りず、慌てて弟のニコルが両替商のところへ走るのが日課となっている。
ちなみに、銅貨百枚を銀貨一枚に両替する際には、手数料として銅貨一枚が取られる。
一ヶ月の儲けが銅貨二十枚あればよいホーエンハイム家にとって、財政的に痛い手数料である。それに、金貨一枚分をお釣りとして店にストックしておく余裕もない。
テレジア・アリスター令嬢(仮)が陽だまり亭に顔を出し始めて一ヶ月。折れたのはホーエンハイム家であった。
「テレジア・アリスター令嬢(仮)が、お姉様に悪意があるとは思えないよ。両替の手数料分、迷惑だけど……」
弟のニコルが困り顔で言って、レイラをチラッと見る。
「私もそう思うわ。ただ、紅茶一杯でずっと居座り続けられて、お客様の回転率が悪くて迷惑だけど……」
母のアンナが困り顔で言って、レイラをチラッと見た。
「お茶会の誘いを断った報復としては、かなり手ぬるい気もするな……」
父のヨエルも困惑顔で言って、レイラの顔をマジマジと見つめている。
アリスター嬢が一人で陽だまり亭に来ていることも、悪意がないという証明に思える。貴族が貴族を誹る場合は、取り巻きを準備するのが基本であるからだ。
「……分かりました。今度、閉店時間近くに来たら、お話を聞いてみます……」とレイラはしぶしぶ答える。
レイラも、テレジア・アリスター令嬢(仮)が悪意や敵意で、毎日のように陽だまり亭に来ているわけではないことぐらい分かっていた。が、毎日来る意図がまったく分からない。
そして、昼営業時間間際まで今日も紅茶一杯で粘っているテレジア・アリスター令嬢(仮)に、レイラは話しかける。ティーポットとマイカップを持って……。
「あの……テレジア・アリスター様、良かったら紅茶のお代わりなど如何でしょう?」
「ん? さすがはレイラ・ホーエンハイム嬢。私が、テレジア・アリスターであると見抜くなんて慧眼ね。何を隠そう、私はテレジア・アリスターよ」とテレジア・アリスター令嬢(仮)は、隠すこともなくあっさり自分の正体を明かし、「私をお茶に誘ってくれているの?」と言った。
「え……えぇ。まぁ……」
「せっかくのお誘いですし、よろこんでお受けしますわ」とテレジア・アリスター嬢は嬉しそうに言った。満面の笑みである。
「はぁ……」と、レイラは作り笑いで頬の筋肉が吊りそうになりながら同じテーブルに座り、紅茶のお代わりをテレジアに注いだ。
「さて、お茶会が始まったところで早速の情報交換といきましょう。レイラは、今回の皇帝の妃探しについて、どのように考えているの?」
突然の質問であった。しかも、いきなりレイラと呼び捨て……。
「どう……と言われても?」
その様子に、テレジアは目を細め、「なるほどね。まずはこちらの胸筋を開け、ということね。ならばまずはこの資料をご覧になって」
テレジアは、テーブルの上に羊皮紙の束をドサッと置き、話を始める。
「これが、舞踏会初日から舞踏会が終わった第五十七回目までの舞踏会に参加した貴族の娘達のリストと、そして皇帝がダンスを誘った順番を纏めた資料よ」
羊皮紙には、細かい文字でびっしりと記載されていた。それもそのはずである。舞踏会に参加した貴族令嬢の名前と爵位が記載されている。その数、二千八百名を超えている。
そしてさらに、皇帝がダンスを踊った順番が、毎夜の舞踏会ごとに記されている。
レイラは、よくこんなことを記録するために、高い羊皮紙を使えるものだと感心をする。羊皮紙は、一枚銀貨三枚はくだらない。それが、五十枚以上も積み上げられている。
「このリストを見て、気付くことがあるでしょう?」とテレジアは不敵大胆に笑っている。
「皇帝陛下は、五十人の貴族を招待して、舞踏会で全員と踊ったのですね。それも、五十日連続で。ご健康でなによりです」とレイラは当たり障りのないように答える。
「そういうことではなくってよ。たとえば、第一日目に招待された貴族の身分構成は、侯爵家一名、伯爵家五名、子爵家十八名、男爵家二十六名でしょ?」
「そのようですね……」とレイラはリストを指で数えながらそれに肯く。
「これは、帝国の貴族構成割合とほぼ合致しているのよ」と、紅茶を啜りながらテレジアは静かに言う。
貴族社会も人口構成をみれば、ピラミッドの形となる。爵位の高い貴族ほど少なく、男爵の爵位を持つものは多い。
「偶然では?」
「私も最初はそう思ったわ。だけど、残りの招待リストもお調べになって。結果は同じですわ」
テレジアはそう言って羊皮紙の束をレイラの前に差し出す。が、レイラとしては、そんなことにあまり興味がない。
二日目は、侯爵家は何名、男爵家は何名と、五十日以上続いた舞踏会のリストを数えるのが億劫であった。
「テレジア様がお調べになったなら、そうなのでしょうね」と適当に二、三枚だけみて、資料を返した。
「たしかに無作為に選べば、多少のブレはあっても、自然と貴族の構成割合に収まるのと同じね。六面サイコロとまったく同じ。サイコロを百回振ったら、イカサマサイコロではない限り、大体、数字の一は、十三〜二十回出るということに収束するでしょ? 千回、一万回と振れば、”一”が出る確率は、約十七パーセント程度になるように……」
『貴族のお茶会って、いつもこんな感じなのかしら? 凄くどうでもよいことのような気がするけれど……』
レイラは、話を聞きながら、いままで自分がお茶会にでなかったのは、幸せなことであるように思えてくるのであった。
「さらに、皇帝がダンスを踊った順番を記したのがこのリストよ」とレイラの前にドンと別の羊皮紙の束を置いた。
「良くお調べになりましたね」としかレイラは言えなかった。誰が何番目に踊ったかなど、レイラは気にもならなかった。
「情報は貴族の”武器”ですからね。それで、なにかお気づきにならない?」
レイラは、自分が参加した舞踏会のことを思い出す。
舞踏会が始まると、皇帝と貴族令嬢たちが我先に踊ろうと、皇帝の周りに群がっていた。自分は逃げ回って、壁の花となっていたので最後に踊るハメになった。
そして、皇帝から”手が冷たい”と言われた。
レイラにとって、もう思い出したくない出来事である。
「早い者勝ち、ということですか?」
「当たらずとも遠からず、ですわね。招待リストと、ダンスを踊った順番、これらを統合すると、答えは、”皇帝は意図的に爵位を無視している”ということですわ」
「それってどういうことですか?」とテレジアの言いたいことがいまいちレイラには理解出来なかった。
「いままでの帝国の慣習からすれば、無作為に招待する、ということが異例でしょう? 連日舞踏会を開催するとしたら、初日にまず、身分の高い侯爵家を招待する。侯爵家を招待し終わったら、次は伯爵家を招待といった具合ね。踊る順番だって、帝国への貢献度が高い順に踊るというように、綿密に計算されているものなのよ。従来はね……」
「そういうものなのですか」としかレイラは答えられない。社交会の貴族の慣習などそもそも知らないからだ。
「そういうものよ。そして、その慣習を破った皇帝の意図は、これからの治世は、爵位ではなく、実力を重んじて人材を登用するという宣言よ。皇帝陛下の最初の勅令、『朕、妃を欲す。未婚の貴族子女は須く王城での舞踏会に参加すべし』は、王妃を募集すると同時に、これからは実力主義の時代であると、皇帝が宣言したに等しいわ」とテレジアは言い切る。
「……あの……考えすぎでは?」とレイラは言いながら、『爵位の高い貴族って、暇なのかしら?』と思わずにはいられなかった。
「いえ、私の父も、私と同じ考えです。爵位に胡座を掻くことが許されない時代が来るとね……」
アリスター侯爵様も、暇なのかしら? としかレイラは思えない。
「そうですか……」
「そうよ。そしてこの事実に気付いた貴族は少ないわ」
『事実と言うより妄想……?』とレイラは心の中で思う。
「さてと、レイラ」とテレジアは紅茶のカップを置いて改まる。
「な、なんでしょう」
「私たちの友情の証として、私からの手土産に提供出来る情報はこれくらいよ。それに、日が傾き始めたから、そろそろ本題にはいりましょうか?」
『これから本題——!? いままでのは何だったの!?』と、レイラは心の中で叫んだ。晩ご飯の営業時間までに仕込みをしなければならない。野菜もまだ洗っていない。
だが、テレジア・アリスター侯爵令嬢は、どうやらレイラを逃がすつもりはなさそうであった。
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