10.貴族の、初めてのお友達
「本題ですか?」
「えぇ。本題というのは、ロバート様のことよ。ロバート様は……将来をお約束された方はいらっしゃるのでしょうか……?」
テレジアが、突然、兄の名前を出したので、レイラの思考は一瞬止まってしまった。
先ほどとは打って変わり、テレジアは手をモジモジさせながら言った。頬も赤く染まっている。
「え? 兄ですか? それが本題? って、どういうことですか?」
どうしてここで、兄の話となるのだろうか? まったく話の展開にレイラはついていけなくなってしまった。
テレジアと、その父であるアリスター侯爵の見立てでは、皇帝はこれから貴族の権威主義から実力主義へと移行させようとしているということは、鵜呑みにはできないけれど、そういうこともあるのか、と思える。
そこまではなんとか話は飲み込めた。しかし、そこで本題が兄のロバート? そもそも侯爵家のご令嬢と、次期当主とはいえ、貧乏な男爵家の接点など思い付かない。
「実は、先日の舞踏会で、ロバート様とダンスを踊りましたの……」
あぁ……そういえば、とレイラは思い出す。
兄は警備兵として舞踏会に参加していた。そして、ダンスのサクラ役として貴族と踊ったりしていると聞いた。
『そういえば、侯爵令嬢と踊って緊張した』とか、そんなことを言っていたわね。それって、テレジア・アリスター侯爵様のことだったのね、とレイラの中で話が繋がる。
「そして……私は、ロバート様に心奪われてしまったのです……」
「えッ——!!!」
レイラは思わず声を上げてしまった。慌てて自分の両手で自分の口を塞ぐ。
「そんなに驚かないでください……。自分でもこんな気持ち初めてです……。まさか、一目惚れをしてしまうなんて……。これが、恋というものなのですね。なんて、胸が苦しく、でも幸せなのでしょうか」
テレジアは耳まで真っ赤になっていた。アリスター領は広大な領地を有し、海にも面している。良港を保有している。きっと、そのアリスター領の海で採れた蛸を茹でたら、テレジア嬢の今の顔のようになるのであろう。
「あの……お気持ちは妹としても嬉しいのですが、さすがに身分が違いすぎるのではないでしょうか」
侯爵家の男性に見初められた男爵家の娘が嫁ぐ、という貴族の間で良くある話だ。しかし、その逆は珍しいケースである。
身分違いの、適わない恋というものだのだろうとレイラは思った。
テレジア・アリスターは美人だ。パッチリとした二重の瞳。そして、睫毛がとても長い。
兄と結ばれる確率よりも、皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニア陛下に見初められて、皇帝の妃になるほうが可能性が高い気がする。
陽だまり亭で使う塩を仕入れるために王都の市場に行ったときに、妃賭博のオッズをレイラは見たことがある。テレジア・アリスター嬢は、最有力候補の一人であった。
「前皇帝の時代はそうであったでしょう。しかし、いまや、マクドナルド・ジョージ・ジュニア陛下の御治世。実力主義の時代が来たのです。爵位の違いが、違いではなくなるのです! 好きな殿方を振り向かせることを、侯爵家の娘という肩書きなしで成し遂げなければならないのです!」
……そこに話が繋がるのね、とレイラは思った。
「ロバート・ホーエンハイム様は、皇帝陛下と御年齢同じくして、十五歳の時にリップシュタット戦役に従軍され、見事に初陣にて成果を上げられています。それ以来、現皇帝陛下の指揮下にて、ティファラ会戦での奇襲作戦、ザール要塞陥落戦、ザンドシュタット包囲戦、そして第二次ティファラ会戦にての圧倒的勝利。すばらしい武勲を立てていらしゃいます。そして、最近では、ブラウミスート男爵令嬢の誘拐事件を解決され、皇帝陛下を暗殺者の手から守られた功績により、番兵から近衛兵へとご昇進なされたとか!」
「そ、そうなのですか」
レイラは、興奮しながら早口で語るテレジアに若干、引きながら話を聞いていた。妹のレイラすらしらない兄の経歴を良く調べ上げたな、と感心するほどであった。
兄は、家で仕事の話はしない。
非番の時や休暇があれば、ふらりと屋敷へと帰って来て、レイラお手製のハンバーグを食べたり、父や弟の手伝いをしている。
が、決して、”いつ”が非番なのか、休暇なのかを家族にも伝えないほどだ。皇帝の警護という仕事柄、警備兵の予定は、皇帝の予定に直結する。万が一にも、その予定が漏れたら、良からぬことを企む者が現れるかもしれない。
それに、兄はいま二十二歳、レイラは十八歳である。
兄が十五歳のときには、レイラは十一歳である。帝国と王都の戦争の情勢など、分かるはずも、憶えてもいなかった。
それに、兄は仕事の話を父には話しているかもしれないが、レイラやニコルが兄から聞く話は、戦争の悲惨な話ばかりだった。
黄金色に輝いていた小麦畑が一夜にして灰になった。
戦場となってしまった場所に住む人々は、畑が焼かれ、家畜は奪われ、家も焼かれ、明日への希望を失って絶望した目をしていたと語っていた。
今思うと、弟のニコルが文官志望となったのは、兄ロバートが語る戦争での実体験を聞いていたからかもしれない。
「そうなのです!」
ふと、レイラは思う。前例がないとは言え、侯爵家の娘が嫁ぐとなれば、それはそれは莫大な持参金となるだろう。侯爵家からの持参金があれば、遅々として進まない、先々代からの悲願を父は達成できるかもしれない。レイラの頭にそんな打算的な考えが思い浮かぶ。
「ホーエンハイム男爵に……というか父ですが、婚姻の申し入れを私が取り次ぎましょうか?」
テレジア・アリスターは、同性のレイラから見ても魅力的な女性だ。浮いた話を聞かない兄も、テレジアのことを好きになるかもしれない。
それに、父や母だって、侯爵家の多額の持参金は、喉から手が出るほど欲しがるだろう。弟のニコルだって、アリスター侯爵家との繋がりができれば、文官への道が広がるかもしれない。
”氷の魔女”である自分以外は、みんな幸せになれるかもしれない……。
「それではダメなのです! たしかに、現皇帝が、前皇帝同様であれば、ホーエンハイム家に持参金を持って降嫁すれば、すべてが解決したでしょう。
現実問題、もしアリスター侯爵家の私が嫁ぐことになれば、ホーエンハイム男爵もきっとお喜びになりますわ。だって、ドーリア川の治水工事を行い、ペンバル森林を開墾し、穀倉地帯にすることが、男爵家の悲願であると聞いています」
「どうしてそれを!」
レイラは驚く。
ドーリア川の治水とその横の大森林の開拓は、レイラの曾祖父、祖父、そして父へとホーエンハイム男爵が受け継いできた野望であり、世代を超えた大事業である。
構想は昔からあり、それができれば領地はもっと豊かになる。だが、構想が大きく、それを実現させるだけの金銭がなかった。細々と、少しずつ進めてきた。あと五代、ホーエンハイム家が続けば、やっと形になるだろう、という程度しかまだ進んでいない。
まとまった多額の金銭があれば、人員、資材とも揃えることができるであろう。
「情報は貴族の武器ですわ。ただ、そのような形は望ましくありません。侯爵という地位を利用し、多額の持参金をぶら下げてホーエンハイム家を釣るようなもの。これから始まる実力主義の時代にそぐいません。父であるアリスター侯爵も私と同じ意見です」
『兄も……父も……喜んで釣られると思いますが……』とレイラは心の中で思う。兄も、テレジアさんのような美人なら、鼻の下をすぐ伸ばしそうである。
「では、どうされるのでしょうか?」とレイラは尋ねる。
「そこで、今日の結論です。レイラ、私たち、お友達になりましょう!」
そう言って、テレジアはレイラへと右手を伸ばした。握手をしようということである。
「え?」
「私と友達になるのは嫌ですか?」
「いえ……嫌ではなく、嬉しいですが……どうしてそういう話の流れというか結論になるのかと……」
テレジアの話は色々と飛ぶところがあり、話についていくことがレイラにはやっとである。
「”将を射んと欲すれば先ず馬を射よ”です。ロバート様への恋を成し遂げるために、まずは外堀から攻めさせていただきます。最初の一手は、ロバート様の妹のあなたとお友達になることですわ」
やっとレイラにも納得が言った。それで私にお茶会の招待状を送っていたのね……。
テレジアは理屈っぽいところがあるようだけれど、悪い人には見えなかった。
「よろこんでテレジア様とお友達になります」
つまり、自分はテレジアの恋を陰ながら応援すればよいのだろう。
「”様”なんて付けなくてよいわ。テレジアでいいわ。レイラ!」
「よろしくお願いします……テレジア……」とレイラは、躊躇いながらもテレジアと握手をした。
テレジアはしっかりとレイラの手を握る。
貴族の社交会を避けていたレイラである。一応貴族の娘であり、実は、同性の友達が一人もいなかった。レイラにとって初めての友人、それがテレジアということになる。
そして、レイラは嬉しかった。
自分と握手をしたのに、テレジアは顔色をまったく変えなかった。きっとテレジアは自分が”氷の魔女”と呼ばれていることを知っている。だけど、動機はともかく、自分と友達になろうと言ってくれた。
レイラはそれが嬉しかった。
・
・
テレジア・アリスター侯爵令嬢が帰路についた。
陽だまり亭の部屋へと庭から戻ると、父、母、弟が勢揃いしていた。部屋の中から庭の様子を伺っていたのだろう。
「それで、どういう話だったのだい?」と父がレイラに尋ねる。
「テレジアさん、ロバートお兄様のことが好きになっちゃったらしくて……」
「えっええええっ——!」
ホーエンハイム一家は、驚きの叫びをあげるのであった。
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