第6話
スキー修学旅行では昼間の教員の仕事はほとんどない。十人に一人ずつ付き添うインストラクターがこまめに生徒の面倒をみる。教師が楽なのもスキー講習形式の修学旅行が多いひとつの理由である。
力石は深夜の指導で疲れ、自分の部屋で起床時間になっても起きずに眠っていた。昨夜は結局、喫煙が公になってしまって通明と恭子をロビーに連れ出して説教をしなければならなかった。終わった時は空が白みかけていた。二人については講習を受けさせずに部屋で謹慎させていた。
夕暮れ前に一日の講習を終えた生徒達がどやどやとホテルに帰って来た。それから着替えてから夕食の席についた。入浴は時間がかかるので食事の後にすることにしている。食事の席での生徒の話題はもっぱら通明と恭子の事だった。どこから漏れるのか、すでに全体に尾鰭が付いて知れ渡っていた。学校に帰れば通明は退学処分、恭子は無期停学だということまでささやかれていた。当の二人は、講習の間は部屋で謹慎させていたが、皆が戻れば自由にさせているのに、さすがに落胆している様子である。
満足そうな顔で力石は生徒を見回しながら飯をうまそうに食っていた。素晴らしい景色を眺めながら食事するのと同じようだった。
「これで全体が少しはビシッと引き締まる。修学旅行は遊びではないのだから」
力石は得意げに周囲の教員に吹聴していた。
入浴の時間になった。三十分ほど過ぎた時、女子の整理に当っていた浅野が顔色を変えて本部にしている部屋に飛び込んで来た。
「たいへんよ!誰かが女子の更衣室の写真を写したわ。すぐに来てください」
甲高い声で叫ぶ。そこに居合わせた力石と数人の教師が急いで女子の風呂場に行ってみた。風呂場に居た生徒は全員着替えて憮然として集まっている。そのなかで一人、顔を両手で被い、うずくまって泣いている生徒がいる。周囲の者が取り囲むようにして慰めていた。
「美和さんがはっきりと写っているに違いないのよ。なんてひどい事をするのかしら」
浅野が男子教員に抗議するように言う。力石は美和のそばに行って正座した。彼は教科の授業で美和のクラスを教えており、成績が優秀なのと古典的な顔立ちでおしとやかであったので好感を持っていた。
「美和、どうした?泣いていたら分からん。どこから写されたんだ」
ゆっくりと顔をあげた美和は感情的に悲しむ状態を越えて、ショックのあまりむしろ茫然とした表情になっている。
「あそこから誰かが覗いたとおもったらカメラのレンズが見えてシャッターを切る音がしました」
指差してから、また顔を伏せた。
「心配しなくてもいい、俺が必ずカメラを取り返してやるから」
立ち上がりながら力石は美和が指差した所を見た。そこは天井近くが目の荒い格子窓になっている。外側には人が横になれば入れる程度の空間があって、ちょっとした踏み台でも置けば覗ける高さである。一般客の場合は男子用であるので不具合は無いのかも知れない。修学旅行で女子用に使う場合はホテル側も心得ていて、普通は見えないように板を打ち付けるらしい。ところが今回は業者かホテル側の手違いで直前になって男女を入れ換えたので、目隠しをするのを忘れていた。
「こんな事、絶対に許せんわ」
「信じられんわ。ミワがかわいそうよ。もう、お風呂には絶対入らない」
「この学校の先生は男子ビシッと指導しないから、こんな事になるのよ。帰ってお父さんに言ってやる」
「もう、スキーどころではないわ。みんなで明日は学校に帰ろうよ」
次々に女子生徒が集まって来て、口々に抗議する。集団の興奮した雰囲気になりつつあった。
「とりあえず、生徒を部屋に帰して、部屋から出ないようにさせましょう」
力石が怒鳴りながら生徒を押し返し始めると他の教員も必死になって寄せて来る生徒を止めた。どうにか生徒が落ち着いたのは深夜になってからだった。それまでは教頭も含めて教師全員が廊下に立って、生徒が集まって暴走しないように指導しなければならなかった。何かあれば騒いでやろうという生徒がたくさん居るのだ。
美和は精神的にまいってしまっていたので大事を取って保険用の部屋に看護士付き添いで寝かせた。
善後策を検討する為に教員全員が本部に集まった時にはすでに午前一時を過ぎていた。誰もが疲れ果てた様子である。特に力石は夕食の時とは打って変わって苦悩の表情になっている。
「さて、たいへん複雑な要素をもった事件だとは思いますが、時期を失わずに対処しなければ取り替えしのつかない事にもなりかねませんので、深夜になって申し訳ありませんが、忌憚のないご意見をおっしゃっていただきたいと思います」
内田教頭が無理に力強い声を出した。重苦しく苛立った空気で、すぐには誰も口を開かなかったが、しばらくしてから浅野が口火を切った。
「この問題は軽く簡単に考えてはいけないと思います。また、めんどうくさく思う事も許される事ではないと思います。ひょっとすると一人の人間の人生が大きく狂うかもしれない大事件です。もしもその写真がばらまかれたり、インターネットで流れたらどうなるでしょう。たいへんな人権問題です。ふざけや冗談で済まされるような事柄ではありません。社会の風潮が人権軽視か、単なる軽薄かの区別がつかない状況だからといって、教育現場にまでその浸透を許してはいけません。むしろ時代に抗してでも人権を復権させるのが教育でしょう。その意味で今回の事は徹底した対処をすべきだと思います。そうしなかったら、生徒の信頼を失います」
学年で三分の二を占める男子教員を見回しながら厳しい口調で言った。一様に男子教員は複雑な表情になったが、力石だけは目を見開いた。
「その通りです。僕は日頃からいつも言ってるじゃないですか。徹底した生徒指導をするなかに教育はあると。中途半端は善良な生徒を犠牲にするのです。今回の事件の底流には本校の教師のいいかげんさが原因していると思います。はっきり言って僕は学年主任でもなければ、生活指導の責任者でもありませんよ。そしたら、目の前で何が起ころうと他の公務員のように自分の係の仕事だけをしていればいいのですか。僕はでしゃばりだと陰口をたたかれているのは知っていますが、教師としての良心がそれを許さないのです。だから昨夜も喫煙と不純異性交遊になりかねない現場を押さえたのです。修学旅行妊娠というのは表に出てこない社会問題です。人権問題です。表沙汰にならない事は見て見ぬ振りをするのが教育なのですか。今回は徹底した指導をすべきです」
ここで少し間を置いてから力石はまだ続けた。
「正直なところ、僕は恐れているのです。トイレの破壊から始まって陰湿な事がいくらでも起こっています。このまま放って置くとどういう事になるのか。また、そういう状況の中で果たして教師として自分は恥ずかしくなく生きているのだろうか、と考えると時々、激しい自責の念に襲われる事があるのです」
大抵の場合、力石の意見は過半数にそっぽを向かれることが多かった。しかし今回は女子教員の賛同を得た。男子教員は俯いているだけで意志表示しない。特に阿部などはあからさまに白けている。
その後、女子職員を中心に様々な意見が出たが、基本的な方向は力石と浅野の言った内容で一致した。男子職員が反対する余地はなかった。さらに具体的にどうするかで、明け方まで話し合った。
翌朝も素晴らしく晴れた。この季節に三日間も好天気が続くのは珍しかった。
朝食は予定通り済ませた。その後、講習には行かせずに男女を別々の大広間に集めた。不満を言う者もいたが、生徒は何かあるだろうと予想していたので大きな混乱はなかった。
女子の方は抗議集会ということにした。問題は男子の方である。とにかくカメラを回収する事を最優先にした。その為にはまず自主的に申し出させる事を考えた。
浅野が壇上に上がった。そして、今回の件について女性の立場からの訴えを始めた。がさつい男子生徒がふざける事もなく静まりかえっているのは不思議なほどであった。力石は最後列で鋭く目を光らせていた。彼は様々な状況から犯人の目星をつけていた。
・・・こんな事をするのはあいつしかいない。今度こそ化けの皮をはがしてやる
一睡もせずに考えた結論であった。はじめに着替えの場所を覗いて、誰が居るのか確認してから写している。そして美和がもっともはっきり写る状態の時にシャッターを切っている。このことは単なる面白半分の盗撮ではないと思える。美和を狙って写したに違いない。そう考えると、以前に額に唾を落とされて追い掛けて行った教室での落書きが思い出された。そこには傘の中にはっきりと「テツ」「ミワ」と書いてあった。おそらく、哲弘が、思いが募って自分で書いたものだろう。
彼は中程に座っている哲弘の後ろ姿を凝視していた。横には肩を落とした通明が居る。浅野の話は三十分弱続いた。心情のこもった話ぶりであり、内容であった。
「・・・もし、わたしだったら、自殺するかも知れません」
最後にこう言って浅野は壇上を下りた。次に内田教頭が立った。
「こういう事だから、写真を撮った者はすぐにカメラを自主的に出せ。これから各部屋を先生方に回ってもらってすべてのカメラを調べる。フィルムカメラはその場でフィルムを抜いて感光させてしまう。もちろん使いかけの物も全部抜く。どうしても写真が必要だというものは、そのカメラを教員が預かって学校に持ち帰り現像する。そうすればすべてが明かになるだろう。ただ、そこまで全員に迷惑をかけたくないだろう。またそうなれば学校としても厳しい処分をせざるを得ない。もう一度言う。できるだけ早く申し出よ。その時点でカメラを調べるのも止めるし、スキー講習を始める。それまではこの部屋から一歩も出てはいけない」
教頭は話し合った通りの内容を言った。場内が一度に騒がしくなった。教頭と力石と腕っぷしの強い数人の教師が生徒を押さえるために残り、他の者は分担して各部屋へ行った。始めのうちは単なる騒ぎであったが、一時間近くたつと徐々に全体的に憤怒の様相を表してくる。いたるところで写真を写した者への激しい罵りと教師のやり方にたいする不満が飛び出してくる。中には教師にくってかかる者も出始める。
力石は会場の様子を高鳴る心を押さえながら観察していた。時間が過ぎるにつれて急激に水嵩が増すように広間の中は危うい状態になってきた。日頃おとなしい生徒までが荒っぽくなっていた。一触即発の雰囲気があった。力石は、哲弘がいくら悪党でもこの雰囲気には耐えられないだろう、動くなら今だと思って目を凝らせた。
その時、哲弘が横に居る通明の方を向いて何か耳打ちした。チラリと見えた哲弘の横顔は別人のように引き吊っていた。今まで見せたことの無い緊迫した表情だった。やがて通明がゆっくりと立ち上がった。それから教頭の所まで歩いて行って頭を下げた。広間が急に静まった。全員が通明に注目していた。通明は涙をぽろぽろこぼしながら走って出て行った。
「それじゃ、これから二日目のスキー講習を開始するから全員、ゲレンデに行け。急いで出よ」
教頭がマイクを持って追い出すように手を振り上げた。
全員の生徒を講習に行かせてから、教員はロビーに集まって来た。日頃、やりたくてもできなかった徹底した指導ができ、しかも予想通りの成果が上げられた事を口々に喜び合った。通明が差し出してきたインスタントカメラを持って、内田教頭と力石と浅野が保険室に行った。美和は食事もせずに寝ていた。教頭が美和の目の前でフィルムだけを引っ張り出して感光させ、ごみ箱に捨てた。美和が笑って泣いた。力石は美和の美しさに身体が金縛りに合うように感じた。
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