第5話

 その後、日は過ぎていったが、盗み撮りのことについては松岡からいっさい何の動きもなかった。ひょっとしたら校長は、この件が公になれば校長としての自分の監督責任も問われるかもしれないと思って、このままもみ消すつもりではないのかとも思えた。力石はさすがに、松岡校長に対して不信感が出てきつつあった。

 修学旅行の当日になった。行き先は毎年、信州へのスキー旅行と決まっていた。

 駅の団体待合室には七時の集合時間の随分前から、スキーウエアの上着を着た生徒達が三々五々に集まって来ていた。それらの生徒一人一人に鋭い視線を投げ掛けているのは力石だった。哲弘のクラス担任の阿部が一人の男子生徒と楽しそうに立ち話しをしている。そこへ力石が掛け寄った。

「スキーウエアを着て来いと言ったのに、どうして着ないのだ?・・・それにパーマをかけて来たな」

 力石はいきなり平手打ちを食わせた。通りがかりの通勤客は振り向いて顔を曇らせながらも、何も言わずに歩いて行った。

「阿部先生、確認し合った約束事は守らせてください。今すぐ、親を呼んで修学旅行には参加させずに引き取ってもらってください」

 阿部は困惑している。

「確かにそういうことだが、しかし、あれは脅しであり、指導方法だろう。私のクラス以外にも違反者はたくさん居るじゃないか。それを全員帰宅させたら新聞沙汰の大問題になるよ。それでなくても君は教育委員会から指導を受けたところなのに・・・」

 阿部が口を歪めながら言い訳がましくしている時、スピーカーから集合時間が近づいた事を知らせる業者の放送が入った。

「あなたのような教員が居るからこの学校は良くならないのです」

 力石は駄々をこねる子供のように言い捨ててから、前方に走って行った。

 六時間余り電車に乗って,その後バスに乗り替えて宿舎のホテルに着いたのは夕方であった。雪の状態は良好で、また空は日没後も透き通るような青さを見せていた。

 第一日目の夜は最も忙しい。全体指導会、靴合わせ、部屋別ミーティング、夕食、入浴、室長会議等と、教師の方もゆっくりする暇はまったくない。トラブルも毎年必ずといっていいほどある。大抵は学校と業者とホテルとの連絡がうまくいっていない事から起こる。

 女子の入浴の整理係に当っていた浅野が浴場に行ってみると男女の場所が逆になっていなかった。一般客が利用する時には女子用が男子用よりも狭くなっている。これは女性客は各部屋の風呂を使って、あまり大浴場には来ないことからそうしている。ところが修学旅行では部屋の風呂は使えない。同じ時間に一度に全部屋の風呂が使えるほどの給湯能力はないのだ。それで男子の三倍くらい時間のかかる女子を広い男子用に替えることにしていた。事前に業者には念を押していたのだが、通じていなかった。

 浅野はホテルの従業員と共に慌ててのれんを入れ替えしたり、何台もの頭髪の乾燥機を移動させなければならなかった。

 それぞれの教員がやらねばならない事を一応終えた時は午前十二時を過ぎていた。

「どうも大変にごくろう様でした。とりあえず、ラウンジの方に集まってください。夜食を用意させていますから。警備は業者にやらせます」

 内田教頭が大様な素振りで言った。本来は校長が同行すべきだったが、風邪をこじらせたことによる体調不良を理由に代わりに教頭が参加していた。

 教員の食事も生徒と同じものをいっしょに食べるが、それよりも豪華なのが夜食である。教頭はいかにも自分が夜食を用意させたように言っているが、費用は全部、参加教員の手当ての中から天引きされている。修学旅行中は四六時中バタバタしている中で、せめて夜食の時くらい美味しいものを食べてゆっくりしたいという気持ちから結構な金額を出し合っているのである。それだけに気分が開放される唯一の時間でもあった。

 阿部が気が緩んだのも手伝って、今朝の力石のやり方を茶化し始めた。いかにも他の教員の笑いを得たい様子である。力石は食べかけていたフライドチキンを勢いよく皿に打ち付けて阿部を睨みつけた。

「あれほど今回の修学旅行では生活指導を徹底しょうと申し合わせたのに頭髪違反者が多く居る。こんなことは許してはいけません。違反者には明日の午前中のスキー講習は受けさせずに散髪屋に連れて行き、丸坊主にさせるべきだ。本来、参加させてはいけない生徒なのだから、そのくらい指導して当り前でしょう。特に阿部先生のクラスの今朝の生徒は茶髪のうえにスキーウエアも着ていない。彼を指導しない教師がおかしい」

 太い声で力石が怒鳴った。くつろいでいた雰囲気が急に緊張した。彼は時々、自分の思考過程が同時に他人も共有しているものと思い込んで、突飛な結論だけを口に出すことがあった。そしてそれが周囲の者に理解されないと癇癪を起こす癖もあった。

「しつこいのだ、君は。いいかげん、うちのクラスの哲弘をいじめただろうに。私も、そのとばっちりを受けて迷惑したのだ。はっきり言ってやろう。君は迷惑な人間なのだ。どこか皆の目の届かないところに行ってくれ。そうでないとまた、教委から処分されるぞ」

 日頃は気の弱い阿部だが、年下の者から皆の前で罵られたので急に顔色を変えて反発した。力石は阿部に掴みかかろうとして立ち上がった。その時、阿部の席の後ろのガラス窓を通して一人の男子生徒が走り去るのが見えた。

「アッ!生徒が抜け出している。捕まえねば・・・」

 掴みかかる代わりに力石は大急ぎでラウンジを飛び出して、逃

げた生徒の後を追い掛けた。必死になって走ったが生徒を見つけ

ることはできなかった。力石の後に続いて出て来た教師は誰もい

なかった。

「方向からすると、どうやら女子の棟から男子の方へ帰ったようだな。部屋からの外出はとっくに禁止の時間になっているのに」

 いつもの癖でぶつぶつとつぶやいた。女子と男子の部屋は棟で分けており、その通路には時間ごとに警備役を決めていた。午前○時までは教員が当っていたが、それ以降は疲れるので業者に頼むことにしていた。

 力石は女子の棟を見に行った。通路のところに行くと警備役の業者が椅子に腰掛けて居眠りをしていた。業者といっても正式な社員の付き添いは二名だけで、後は人材派遣業者からその都度、人を集めていた。彼等の仕事は過酷であった。ゆっくり寝る時間など無かった。

「これだったら、何の役にも立たない」

 吐き捨てるように力石は言って、警備役の肩をゆすって起こした。女子の棟の薄暗い廊下を見通すと生徒は誰も出ていないが、なにか風船のようなものが数個、ゆらゆらと動いている。近づいて拾い上げるとコンドーム風船だった。彼は全部拾い、パンクさせてごみ箱に捨てた。

「やはり誰か男子が来ていたな。捕まえてやる」

 低い声で唸った。

 彼がロビーに戻って捕まえる方法を考えていると、フロントの壁にある表示盤の二個所にランプが点灯したのが目に入った。そばに行ってみると、そこには三桁の数字が書き並べられていた。彼は目を輝かせた。

「誰かいる?」

 小声で呼ぶと奥の部屋から年取った夜警員が出て来た。

「あの表示盤は何ですか」

「はい、あれは内線電話の利用状態を表示しています」

「やはりそうか。携帯電話は持参禁止にしているから連絡を取ろうとすれば内線電話しかないだろう。すると今はあの二つのランプのついている部屋同士で話をしているという事ですな」

「はい、そういう事です。フロントに掛かってきた場合でもすぐにどの部屋からというのが分かるようになっています」

 夜警員は人が良さそうで、丁寧に答えた。

「それじゃ、ちょっとランプのついた部屋を見てきますのでマスターキーを貸してください。旅行業者には、いたずら電話をするので各部屋の電話回線は切ってもらうように言っておいたのですが、ホテル側に通じてなかったみたいですな。今のランプが消えたら全部の回線を切ってもらえますか」

 力石が話しているうちにランプが消えた。

「はいはい、そうですか、それはどうも申し訳ありませんでした。何も聞いていなかったものですから」

 マスターキーを力石に手渡すと夜警員は何ケ所かのスイッチを操作した。力石はランプのついていた番号の部屋には誰がいるのか書類を出して調べた。

「間違いない。こいつ等なら何かやる」

 男子の部屋には哲弘と通明がいた。女子の方にはいくら口紅をつけるな、と言っても塗りたくって登校する恭子がいた。力石は哲弘が恭子と連絡を取って彼女の部屋に行こうとしているに違いないと思った。哲弘はおそらく、恭子に部屋の鍵を開けさせておいて、警備役の居眠りしている所を捜して通り抜けて行くと思えた。

 力石は充分に時間を置いてから恭子の部屋の階へそっと上がって行った。廊下の端から見通すと恭子の部屋のドアの前に同室の二人の生徒が座り込んでいる。三人部屋だから中には恭子しかいない事になる。

 力石は拳を握り締めた。それからドアの所まで一気に走って行った。二人の生徒は驚き慌てふためいたが、それでもドアをドンドンと叩いた。これは中の者に教師が来たことを知らせる合図であった。しかし、力石はほとんど同時にマスターキーでドアを開けて中に入った。中には、哲弘ではなく、通明が居た。恭子の肩に手を掛けて二人で煙草を吸っている最中だった。

「コラッ!おまえら、何をしている」

 大声で怒鳴って近づくなり、彼は二人を殴りつけた。さすがに二人共、予想外のことに滑稽なほどうろたえて、神妙な顔つきになった。

「通明、お前は外出禁止の時間に部屋を出て、こともあろうに女子の部屋に入った。さらにその上に煙草を吸った。これは退学に近い処分ものだぞ」

 ひょうきん者の通明がめずらしく肩を落としてうなだれた。それを見て力石は続けた。

「しかし、この事を知っているのは今のところ、俺しかいない。通明、よく聞け。教員用のトイレを潰したのは哲弘だろう。また、オナニー事件を起こしているのもお前たちだろう。正直に言えば今夜の事は見なかったことにしてやるがどうだ?退学になってしまったら元も子もないぞ」

 力石はとっさに、盗撮テープが松岡に握りつぶされた時の為に言質をとっておくことを思いついた。通明の顔が引き吊った。今までの授業でも一度も見せたことがない、切羽詰まった表情だった。

「確かに最初の便器は俺が見ているところでバットで潰した。二回目は知らない。オナニー事件は全部、哲弘の命令でやっているだけだ。それに、今ここに俺が来たのも哲弘が、女子の部屋に見つからずにいけるかどうか試して来い、と言われて来ただけだ。タバコは吸ったが・・・」

 俯いたままで通明は低い声を出した。

「やはりそうか・・・」

 力石が大きくうなずいた時、入口から内田教頭が入って来た。

「力石先生、ここに居たのですか。ラウンジを出たまま帰って来ないので捜していたのですよ・・・オッ、お前達、煙草を吸っていたんだな」

 吸い殻を見つけて内田教頭が怒った。力石から見なかったことにしてやるからといわれて言ってしまったことが報われないことになった。通明の顔が青ざめた。

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