第4話

 哲弘の父親が学校にやってきて、力石に土下座をさせて誤らせた、というようなうわさが学校全体に直ぐに広まった。哲弘が通明を使って尾鰭をつけて広まらせている話だった。これによって哲弘の悪グループ内での立場が非常に強いものになった。

「この学校の悪の元凶は、すべて哲弘につながっている。悪事を起こす生徒を裏で操っているのは哲弘だ。必ず尻尾を掴んでやる」

 力石は惨めな思いをさせられた腹いせの気持ちも手伝って、哲弘の居るクラスを重点的に監視するようになった。

 もともと学校の公務分掌の中では、生活指導係りというのは最も教員が嫌う分掌である。だから、希望者だけでは係の人数が足りないので、不足分は順番で強制的に役割につくようになっている。そんな中で、力石のような教員は生活指導係りとして貴重な存在のように思えた。ところが実際には皆から生活指導の係には入らないようにされていた。

 その原因は、彼が生活指導をやると偏執狂のようにのめり込んでしまい、次から次へと事件を起こしてくるからであった。それは確かに、正義からではあったが、そこまでほじくり出すと対応するのに日常の教育活動に支障をきたすほどになった。だから周囲の教員は、彼にできるだけ生活指導に関わらせないようにしていた。しかし、力石には目の前に転がっている問題に適当に目をつぶることができなかった。それは、数学を専門的に勉強してきたために、明確に答えが出ないことが許されない性分になっていたことにも関連するのかもしれなかった。

 力石が授業のない空き時間に教室を見回っている時だった。哲弘のDクラスに行ってみると、体育の授業で、教室にはカバンなどが置いてあるだけで誰もいなかった。彼は教室の中に入ってあちこちと見ていると、机の中に携帯電話を忘れている者がいた。携帯電話は学校への持ち込みを禁止はしていない。修学旅行には持参することを禁止している。授業中の使用はもちろん厳禁である。ところが、机の中に隠しながら授業中でもよく使っていた。おそらく、そのまま忘れて体育の授業へ出たのだろう、画像が映ったままになっていた。

 力石はそれを机の中から取り出した。色合いやストラップを見ると女子のもののようだ。覗き見するようで気が進まなかったが、写っている画像を見た。どうやら書き込みサイトのようだった。

《学校の事件簿『連続オナニー事件』が昨日またまたおこったよ》

この見出しを力石は見たがまったく何のことか想像もつかない。

《昨日の放課後の教室でのことよ。例のテー君やミー君たちがカー君を取り囲んで、いやらしい写真を見せて、無理矢理にオナニーをさせちゃった。例の液を自分で放出してしまったカー君は終わった後、青白い顔をして机にうつぶして泣いていた。これでクラスの四人がテー、ミーたちの犠牲になってしまった。一度、餌食になると、何度でもやられている。特にカー君はいつもやらされて、かわいそう。神様、助けてあげて・・・》

 携帯電話の書き込みサイトでの中傷批判や人権侵害については、これまでに何回も問題になって、学校全体としてもしつこいほど注意を繰り返してきていた。この書き込みはそのような悪質なものではなかったが、力石は妙に気になって、発信元や日付を調べた。そうすると発信したのは手に持っている携帯電話であった。また、発信日は今日であった。力石の目が輝いた。

「これは見捨てておけないことだ。事実だとすれば、大変ないじめによる人権問題だ。事実を調べなければいけない。間違いなくあいつらが関わっているに違いない」

 彼はうなるように言いながら、携帯電話を元の位置に戻した。

 職員室に帰ってからD組の座席表を出して、携帯電話が置いてあった席の生徒の名前を調べた。亜矢という女子の生徒であった。この生徒は、まったく問題のない普通の生徒だった。

「・・・ということは、書き込まれていた内容はいいかげんなものではなく、ますます事実であることが濃厚だということだ。・・・それにしても、陰湿ないじめ方をする連中だ。絶対に許せない」

 力石は握り拳で空を殴った。

 放課後、携帯電話の持ち主と思えた亜矢を生活指導部室に呼び出した。力石はこれで簡単に事実がはっきりして、コーやモーと言われた生徒を厳しく処分できると思った。コーやモーは間違いなく哲弘の連中であると思えたので、便器破損の仕打ちができると思った。ところが亜矢はかたくなに事実を否定した。

「携帯電話は間違いなく私のものですけど、そんな書き込みなど絶対にしていません。それに、そんなことなど見てもいません。だいいち、テー君、ミー君やカー君なんて、だれのことか全然わかりません」

 何度聞いても同じ答えを繰り返すだけだった。

「それでは、携帯を出せ。確認をするから」

と力石が厳しく言うと、大声で泣き出した。泣いている姿は事実を認めているに他ならなかったが、あまりにも大げさに泣くので、とりあえず帰宅させた。

 職員室でD組の担任の阿部に事情を説明してから事実をはっきりさせる事に協力するように頼んだ。阿部は社会科の教師で力石よりも一回り年上だった。

「そんな現実にはあり得ないようなことを信じ込むなんて最低だな。まして、その根拠は無責任な書き込みサイトなのだから、あきれるよ。だけど、疑っているようだから、一応、クラスの全員にはそのようないじめがなかったかどうか調査はするがね。君の妄想癖には迷惑するよ」

 阿部は憎々しげな表情で声を荒らげた。職員室で二人が言い争っているような雰囲気になっていたので、周囲の教員たちも初めは注目していたが、やがて、力石のいつもの性分から来ているとわかると、しらけて無関心な雰囲気になった。

 就業時間が終わりに近づくと職員室から次々と教員が帰って行く。まばらになった時を見計らうようにして、英語科の女子教員の浅野が力石のところへ周囲をうかがうようにしてやってきた。彼女は二年D組の英語を担当していた。

「力石先生、先ほど職員室で阿部先生と言い合っていた件ですけどね。私は力石先生の言っていることが事実だと思います。どうしてかといいますとね、二年D組の私の授業は一時間目が多いのです。それで、今までに何度か教室に入ると、あの・・・精液のにおいがかすかにしたことがあったのです。私は、どうしてこんな教室で一時間目からこんなにおいがするのか、不思議でならなかったのです。その謎が先ほどの力石先生の話を聞いて解けました。おそらく前日の放課後にいじめがあったに違いありません。なんとかしないと、被害者の子の人権はズタズタに引き裂かれていると思います」

 周囲に聞こえないように小声で言うと浅野はそそくさと職員室を出て行った。

――やはりそうか。絶対に許さないぞ

 力石はまた両拳に力を入れた。

 翌日の授業が終わってからの終礼の時、阿部が嫌がるのを無視して力石もD組の教室について行った。力石が教室に入るなり哲弘や通明が大声で冷やかし始めた。それにつられてクラス全体がざわついていた。阿部はなんとか静かにさせてから話をした。

「最近、このクラスの中でいじめが行われているという報告があった。それで、事実かどうか、調査をしてくれと言われているので、今から正直に手を挙げてくれ。これまでにいじめについて見たり聞いたりしたことのあるものは手を挙げてくれ」

 教室の空気が一瞬、緊張したものになった。何人かの生徒の目がおどおどと周囲を見回していた。哲弘や通明、またその仲間と思える数人の男子生徒が教室内を威圧的に見回している。この様子を見て力石はますます事実であるという確信を持った。

 しかし、いつまでたっても誰も手を挙げなかった。犠牲者が四人は居ると思えたが、まったく誰も反応を示さなかった。力石は亜矢の方を見たが、俯いてじっとしているだけだった。

「ないとは思っていたが、やはりなかったなぁ。これでいいね」

 阿部は力石の方を見て、フンというような仕種をした。

「民主主義というのは、愚かな者が集まったら、最悪の状態になるのがよくわかったぞ!」

 力石は大声で怒鳴った。すぐに、哲弘と通明が「帰れ」コールを始めた。するとクラス全体がそれに乗ってきて机をたたいたり足を踏ん張ったりして大騒ぎになった。力石は唾でも吐きかけたいような気持ちになって教室を出た。

 次の日から力石は悶々とした日を過ごした。D組の生徒の中には勇気と正義感を持って事実を言える者はいない。また、担任もいいかげんな人間である。人権侵害の事実を表に出すためには、自分で事実をつかむしかないと思えた。しかし、簡単に事実を明らかにする方法は思い付かなかった。

 彼は四六時中、いい方法はないかと考えた。普通に見回りに行ったのでは、当然、見張り番をつけているだろうから現場を押さえることはできない。教室の後ろには掃除用具を入れるスチールのロッカーが置いている。その中に隠れていようかとも考える。だが実際に入ってみると、力石の大きめの体では窮屈で到底長時間、隠れていることには耐えられそうになかった。それにもし見つかったとしたら、トイレの中に隠れていたのと違って、力石の立場は厳しくなることは間違いなかった。

 彼はあれこれと考えて、結論的には、教員としての立場が危うくなるかも知れないような方法しかないと思えた。

 D組の教室は担任が掃除を積極的に指導しないので、雑然としている。個人の持ち物やクラブ活動の道具などもあちこちに置いてある。掃除用具用のロッカーの上にも、今にもくずれ落ちてきそうなほど荷物が積み上げられていた。力石はそれに目をつけた。小型ビデオカメラならばその荷物の間に挟むようにして隠せば見つかることはないと思えた。教室内をビデオカメラで教員が隠し撮りをしたことが発覚すれば、悪質な内容であれば懲戒免職にもなりかねない。こういう事件は何度か起こり新聞ざたになっている。

 彼がやろうとしていることは悪質とまでは言えないが発覚すればマスコミが喜びそうなことであった。しかし、いじめの事実をはっきりさせるためには、ビデオカメラで隠し撮りするしかないと思った。

 D組の時間割を調べると、一週間のうちの一日だけ六時間目の最後の授業に体育が入っている日があった。彼はその時間にこっそりとビデオカメラを設置して、体育が終わって教室に帰ってきてから、終礼をやり、その後一時間くらいの放課後の様子を撮影できるようにした。

 何回も、見つからないように、緊張でからだが震えながらビデオカメラを設置したり、回収したりした。しかし、それらしい映像はいっこうに撮影されていなかった。それでもあきらめずに彼は繰り返し、隠し撮りを続けた。

 十回を超えた時だった。映像の中に、書き込みサイトにあった内容とほとんど同じ情景が写し出された。

「やはり、事実だったのだ!」

 彼は小躍りして喜んだ。やらされていたのは色白の一見女の子のように見える和彦であった。周囲を取り囲んでいるのは哲弘や通明のグループであった。

「・・・なるほどな。和彦だからカー君、通明だからミー君、哲弘だからテー君。単純なことだったのだ」

 書き込みに書かれた名前を思いだして彼は納得した。

 力石は意気込んでビデオカメラを持って校長室に行った。そして松岡校長に映像を再生してみせた。

「これで哲弘を処分しましょう。できたら退学まで追い込みたいのですが、少なくとも、間もなく始まる修学旅行期間中だけでも停学処分にしておきましょう。こんな生徒を連れていったら、大事な行事全体がつぶされますよ。通明は悪いやつではありません。ただ哲弘にうまく利用されているだけの調子のりですから、そんなに厳しくする必要はありません」

 力石は松岡に意気込んで言った。

「ウーン・・・」

 力石は松岡も喜んでくれると思ったが、腕を組んでうなるだけだった。

「本校が荒れている元凶は、この哲弘です。こいつさえ学校から追い出せば、いつも校長先生がおっしゃっているような落ち着いて勉強をする雰囲気の学校になりますよ。いいチャンスです」

 力石はさらに力を入れて言うが、松岡は逆に白けていくようだった。

「力石君、君の気持ちも分かるが、このことについては、すべて私に任せてくれないかね。いろいろ難しい問題が含まれている。君のためにも学校のためにも、どちらにも良いようにするので、このことは今のところ無かったことにしておいておくれ。頼みますよ。この学校を本当によくしてくれるのは君しかいないことは重々知っています。将来、悪いようにはしないから」

 松岡は優しく諭すように言った。

「わかりました。もちろん、校長先生がすべての責任者ですから、その校長先生がおっしゃるのなら、僕は構いません」

 いつものことだったが人情に弱い力石は素直に承服をした。

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