第4章 「再起の産声」3

 昼休み。俺は、購買でパンを調達すると、あゆむに教えてもらった場所へと向かった。

「よっ」

「木村……さん……」

 弱弱しく、か細い声。

「お昼、一緒にいいか?」

 控え目にうなずく咲月。

 朝のことが気になったのもあるが、俺はあゆむや涙歌に比べて咲月について何も知らないことに気付いた。そもそも咲月が何のためにアイドル部にいるのか俺は聞いたことがなかった。ちゃんとしたプロデュースをするためには、まずはメンバーのことを知る必要があると考え、俺は咲月と話をすることにした。

「いつも一人なのか?」

 校舎の屋上の隅。日当たりのよい屋上で唯一陰っている場所。そこが咲月の定位置のようだ。

「はい。大体は……。私、友達、少ないですから」

「そんなことないと思うけどな。まっ、かくいう俺も、高校時代は昼飯、一人だったな。俺、みんなから嫌われてたしな。学校に行ってても、何だか周りからいつも遠巻きに見られていたし、ひそひそ話されているような気がしてたよ」

 おどけて見せる俺に、咲月は軽くうなずいて見せる。

「それにしても、美味しそうなお弁当だな」

 咲月の膝の上に鎮座している可愛らしいお弁当箱には、緑、赤、黄と色とりどりのおかずが綺麗に詰められている。栄養バランスも良さそうだ。

「タコさんウィンナーの足もちゃんと八本あるし、作った人は女子力高いな。もしかして、これ?」

「はい」

「やっぱりそうか」

「ええ。お姉ちゃんが作ってくれたんです」

「え!?」

 予想外の答えにかなりびっくりした。俺はてっきり咲月が自分で作ったと思ったのだが、まさか、これを作ったのがあの卯月だとは。

「このタコさんウィンナーだけを作ったんじゃなくて?」

「はい。全部、お姉ちゃんの手作りです。いつも朝早く起きて私のお弁当を準備してくれるんです」

 あの、いかつい風貌でエプロンして、この小さな弁当箱におかずを詰めているのを想像してほっこりしてしまう。

「よかったらどうぞ」と差し出されたウサギさんリンゴは、ピンと耳が立ち鮮やかな色をしていた。きちんと塩水につけて変色をしないようにしてあった。頬張ってみると、シャクシャクと小気味のいい音がして耳に気持ちいい。

 十分すぎるほど、手間と暇がかけられている。それゆえ、このお弁当が、大切な人のために作られているのだとうかがい知ることが出来る。

「いいお姉さんだな」

「すごく私のこと大切にしてくれます」

 その穏やかな表情に、二人の間には自分なんかでは想像の出来ない絆のようなものがあるのだと思い知らされる。卯月の言うように、家族のことに赤の他人の俺なんかがしゃしゃり出る幕なんてないのかもしれない。

「私もお姉ちゃんのことは大好きです」

「なら、お姉さんの言うことを聞いた方が……」

「それは出来ないんです。大好きだからこそ、出来ない……」

 俺は首をかしげて見せる。

「お姉ちゃんは何でも出来て、私は何も出来ない……。それがお姉ちゃんにとっての私のイメージなんです」

「それはどういうことなんだ?」

「私の家は――月野の家は、空手の名門なんです。父も母も、大会では常に優勝。だから、長女のお姉ちゃんは並々ならぬ期待を両親にかけられ、その期待にこたえ続けたんです。私にも少なからずその期待というものをかけてもらっていたんだと思います。小さな時からそのためのトレーニングもしました。だけど、お姉ちゃんやお兄ちゃんのようについていけなかったんです。私は空手の試合には出場出来ませんでしたけど、中学にあがって、試合前の演武に参加しました。そこで、お姉ちゃんとの約束組手中、私がお姉ちゃんの正拳突きをさばき切れずに、怪我をしてしまったんです。それせいで私はしばらくふさぎ込んでしまい、お姉ちゃんは相手を攻撃することが出来なくなり、空手の世界を去ることなってしまったんです。それからお姉ちゃんは、いつも私を心配するようになったんです」

「だから彼女はあんな行動に出たのか」

「はい。私のことを心配して守ろうとしています。お姉ちゃんにとって私は弱いまま。ずっとその時のイメージのまま、今もいるんです」

「そいつは辛いな……」

 俺もずっと元SKBというイメージを周りの人たちに持たれて過ごしてきた。そして、それは何年経っても消えることはない。

「私が弱いから、お姉ちゃんはいつも私のことを優先して、自分を犠牲にして、やりたいことを我慢して……。でも私は、お姉ちゃんに自分の道を歩いて欲しいと思います。私が立ち止まったままだと、お姉ちゃんも先へ進めないんです。そのために私は変わらないといけないんです。強い自分になったんだと証明してみせるんです」

「そうか。咲月がそんなことを考えてアイドル部にいたなんてな。俺は元SKBだということで自分自身を縛り付けていたというのに、君は自分の力でそれを覆そうとしている……。君は、強いな……」

「いえ……。このお弁当もそうですけど、心のどこかでお姉ちゃんのことを頼りにしている自分がいるんです。私はお姉ちゃんが言う通り、今も弱いままなんだと思います」

「いや、それは違う。人は、自分を変えようと願った時から、変われたんだと思うよ。だから、君はきっと変われる。俺がその手伝いをするよ。なら、まずは、それをきちんとお姉さんに伝えないとな」

「はい!」

 それはいつも弱気な声の彼女が発した、今までで一番大きな返事だった。



 放課後、アイドル部の練習前に俺と咲月は卯月を校舎裏へと呼び出した。

 対峙した卯月は思いのほか冷静に見えるが、右の拳を強く握りしめているのが見て取れる。

「アタイに話ってのは一体なんだ?」

 咲月の視線がこちらに向くのを見て、俺はうなずいてみせる。と、キッとその顔が引き締まる。

「お姉ちゃん。私がこれからもアイドル部でいることを認めて欲しい」

「駄目だ」

 食い気味に否定される。

「咲月は体が強くない。だから、出来ない」

「そんなの、自分が一番よくよく分かってるよ。でも、続けていたいんです」

「駄目だ。お前はいつも無理をして体を壊す。その看病を誰がしていると思っているんだ」

「分かってるよ。私がいつも迷惑をかけているって」

「そうじゃない。アタイのことなんてどうでもいいんだ。アタイは一生をかけてあんたを守る。そう決めたんだ」

「うん。そう言うと思った。だから、なんだよ……。もう、私は一人で大丈夫だから。朝起こしてくれなくてもいい、お弁当もいらない。だから、私のこと、守らなくてもいい」

 卯月は大きく目を見開く。

「なにを……言っている……? どうして、そういうこと言うんだ……? アタイのことが嫌いになったのか? こいつに何か言われたのか?」

 微かに声が震えている。

「違うよ。そうじゃないよ。私が決めて、自分の意思で言っているんだよ。これからは、アイドル部のみんなと私は自分の夢を叶えていきたいんです」

「ゆめ?」

 卯月の瞳がさらに大きく開く。

「どうしてアイドルなんだ? 咲月は体が弱いだろ? そうだ、一緒に料理をやろう。料理研究会とかそんなのがあったろ? いや、それだと火を使って危ない。文芸部にしよう。咲月は本、好きだったろ? それでいいだろ?」

 その問いに咲月はかぶりを振る。

「『それで』いいじゃ駄目なんだよ。私はアイドル部『が』いいんだよ」

「なんで、だよ? なんでそんなに無理がしたいんだ? アイドルなんて激しいやつ。無理なものは無理なんだ。中学の時、それでどうなったのか忘れたの? また、無理をしてあんな想いをしたいの!?」

 思わず口走ったのか、卯月は驚いて口元を覆った。

「したく……ないよ……。お姉ちゃん、私ね、空手の最後の大会で、失敗してからずっと胸の中が空っぽのような気がしていたんだ。自分は駄目な人間だって、自分には何も出来ない。やれることは何一つないって、そんな風に考えた日もあった。でもね、そんな私を。お姉ちゃんは守って、励ましてくれた。すごく嬉しかったよ」

「ああ。そうだ。これからもアタイが守ってやる。だから――」

「だけど!」

 歩み寄る卯月を拒絶するように、咲月は両手でジャージのズボンを握りしめて力強く言葉を発した。

「私はずっと、あの日のことを忘れたことはないんだよ……」

「咲月……。あんた……」

「けどね、私はもうあの頃とは違うんだよ。あんな想いはもうしたくない……。今度は絶対に自分が納得した結果にしたいんです。週末は失敗してしまったけど、みんなは『大丈夫』だって、『また挑戦しよう』って言ってくれたんです。だから、みんなともう一度挑戦したいんです。私は、友達の数は少ないけど、同じ道をともに立って歩いてける本当の友達を見つけられたんです。だから、私は一人でも大丈夫だよ」

 咲月は、卯月へと踏み出すと、両手を取って微笑む。

「お姉ちゃん、今まで私の手を引いてくれてありがとう。一歩を踏み出す勇気をありがとう。これからは、自分の足で歩いて、転んでもこの手で立ち上がってみせるよ」

 見上げる咲月に、卯月は首を横に振り半歩尻込みをする。

「そんなの駄目だ。アタイはあんたを傷つけてしまった。だから、一生かけてそれを償っていかないといけないんだ」

「ううん、私は償いなんてして欲しくない。私が願うのはお姉ちゃんの幸せだけだよ」

「そんなこと言われても、“わたし”分からないよ。わたしのせいで、さつきちゃんがケガして、だから、わたしは守らなくちゃいけなくて……。だから、だから……」

 卯月はその場に膝をつき、すがるように咲月の両手を握りしめる。

「体に出来た怪我はすぐに癒えたよ。でも、心の出来た傷はどんなにうまく隠せても、そこに出来たカサブタは消えることはないんだ。私、いつも怪我ばかりしてるから、カサブタをはがす時が一番痛いって、知っているんだ。でもね。その痛みを乗り越えなければいけない日がいつか来るんだよ。それが、今なんだと思う」

 咲月も両膝をついて卯月に目線を合わせる。

「お姉ちゃんはあの日から、私のことばかりで、自分のこと、いつも後回しにしてきたよね。だから、これからは、お姉ちゃんはお姉ちゃんの夢をみて、どうか自分の時計の針を元に戻してあげてください」

 そう言うと、咲月は卯月を抱きしめた。

「アタイは、やり終えたのか? 守りきることが出来たのか?」

「うん……」

「これからは、ひとりでも……大丈夫……なんだな……」

 低い声をさらに押し殺して卯月は言った。

「うん……。長い間待たせちゃって、ごめんね。やっと、本当に大切なもの、見つけたよ」

 咲月の背中に回していた手にキュッと力がこもる。

「そうか……。咲月は、頑張ったんだな……」

 卯月は伏せていた顔を上げる。眉をキリリと10時10分の位置で固定させて立ち上がると、

「なら、アタイは必要ないな」

 咲月の手を引いて、俺の方へと導くとその手を取らせた。そして、俺の横を通り過ぎる瞬間、

「あとは、頼んだぞ」

 そう耳打ちをすると、振り返りもせず歩いて行った。

 咲月は、その背中を寂しげな顔で見つめると、深々と頭を下げた。


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