第5章 「アイドルはやめらんない」2
放課後。俺はあゆむに言われた通りに部室の扉を叩いた。が、そこにいたのは卯月だった。
「お前だけか?」
「おう。アタイだけだが、何かあったのか?」
「いや。ここであゆむと待ち合わせしててな。卯月こそ部室に何か用か? 今日は部活は休みだぞ」
「分かってるよ。ちょいと忘れ物をな」
そう言って、ボロボロになった鉢巻を見せてくる。
「こいつはさ、アタイが中学チャンピオンになった時にしていたものだ。練習中もこっそりポケットに入れていて勇気を貰っていたんだけど、明日の大会にもこいつを連れて行ってやろうと思ってさ……。実は明日、両親が見に来ることになっててさ。何だか緊張してな。まったく、なっちゃいないな……」
「そんなことはないさ。緊張をしない奴よりは信頼出来るよ。にしても、そうか……。親御さんが来てくれるのか。良かったな。頑張れよ」
「ああ。新しいアタイを見てもらうつもりだ。両親に、咲月にもな」
俺が黙ってうなずくと、卯月は、それじゃあもういくよと教室の扉を開く。
「っと、そう言えば、咲月の奴だけど、あゆむと一緒に放課後、どこかに買い物に行くとか言ってたような気がするけど、アタイの勘違いだったかな?」
ともかく、あまり遅くならないようになと告げると、卯月は部室を出て行った。
俺は卯月の言葉に首をかしげながら、もしかしたら、あゆむから何か連絡があったかもしれないとスマホを確認したが何も来ていなかった。
と言うものの、次の瞬間、あゆむがここにやってきたとして、俺は何と返事をしてやれば良いかと決めあぐねていた。お昼から、放課後までの長く短い時間で俺はあゆむについて考えた。初めて声をかけてきた猪突猛進な態度。いつも明るく、アイドル部のムードメーカーだった。どんなに逆境も笑って吹き飛ばす強さを持っていると思っていた。俺はあいつの笑顔に何度助けられただろうか……。あゆむの言うように、俺は本当のあいつが見えていなかったんだな……。そして、多分今も……。
そんなこんなで、あゆむに連絡すべきかと思案にくれていると、部室の扉が開いた。だが、予想を裏切り扉の前にいたのは涙歌だった。
涙歌は、軽く会釈をすると、部室内を見回し、俺以外の気配がないと分かると、
「あゆむと待ち合わせしてるんだけど……」
それで俺は全てを理解した。あゆむは、俺と涙歌を引き合わせるためにここに呼びつけたんだ。あゆむが言った、『最後のチャンス』とは、このことだったんだ。
「あゆむはここには来ないよ」
「それはどういうこと?」
「俺も、あゆむと待ち合わせをしているんだ。だけど、当の本人は咲月と買い物に行ったらしい……。どうやら、俺たちはあゆむに一杯食わされたみたいだ」
涙歌はハッとすると、怒っているような、悲しんでいるような複雑そうな表情をすると、部室の扉に手をかけた。
「どこに行くんだ?」
「帰る……」
当然の結論だろう。待ち人が来ないと分かれば誰だってそうする。俺だってそうする。
だが、俺はあゆむがくれた最後のチャンスをふいにしていいのか?
俺は鞄を握りしめた。その中に仕舞い込んだ、真新しい衣装も一緒に。これはみんなが仲間だと認めてくれた証なんだ。
もしここで涙歌と話すことが出来なければ、あの時と同じじゃないのか? アイドル部のみんなは自分と向き合い前へ進むことを決めたというのに、俺はあの頃と何も変わっていないのか?
みんなの顔が脳裏に浮かぶ。
――私が立ち止まったままだと、お姉ちゃんも先へ進めないんです。
咲月は卯月のために自分を変えようと勇気を出した。
――アタイは傷つきもせず、何を得ようとしていたんだろうな……。
その勇気に応えようと前へと踏み出した卯月。
このままじゃ、あいつらの仲間だなんて言う資格はない。明日、この衣装を着て応援なんてしてやれるはずがない。
「涙歌!」
思わず、その名を呼んだ。ビクッとした涙歌は、ゆっくりとこちらへ振り返る。
二人とも棒立ちで固まってしまう。
「あの……。その……」
何か言わなきゃと思えば思うほど、しどろもどろになってしまう。
目の前にはかつての俺が知らない顔をした涙歌が立っていた。その時、俺は初めて気付いた。あゆむの言うように、俺は、今ここにいる涙歌を見ていなかったことに。
逃げ出したい衝動に駆られる。だが、俺は何とか踏みとどまる。そんな時、俺はどうすればいいかをもう知っている。
俺は、一歩前に踏み出し、涙歌の手を掴む。
「待ってくれないか……。聞いてもらいたい話があるんだ……」
自分が何を言ったのかあまり記憶にないが、涙歌は黙ってうなずいてくれた。
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