第5章 「アイドルはやめらんない」1
卯月を加えた新生アイドル部は、来週末の大会に向けた練習を開始した。
陽子と涙歌、咲月と卯月でそれぞれペアを組むことで、メンバー一人あたりの負担はかなり軽減されたし、パフォーマンスのバリエーションを色々と考える余地が出来た。
また、卯月が加入することで嬉しい誤算もあった。
卯月はかなりの姉御肌と言うか、元来のリーダーシップを発揮し、メンバーみんなの世話を焼いてくれた。自分のことは、あれだけ物怖じしていたくせに、他人のことには一生懸命になる性質(たち)のようだ。歌やダンスで分からない所があれば、誰だろうと積極的に聞いて、素直に吸収していった。仏頂面の涙歌にも気さくにコミュニケーションをとりにいけるのは流石と言わざるをえない。
それに、パフォーマーとしての適性も高かった。歌は良くも悪くもないほぼ平均的なものだったが、ダンスに関しては、一度見た振り付けはほぼ完ぺきにコピーしてしまった。ただ模倣するだけでなく、回数を重ねるごとにその動きは洗練さを増し、実に躍動感に溢れるものとなっていった。涙歌が美しく魅せるダンスならば、卯月の方は力強い剛のダンスと言えるだろう。
当初の予定では、ペア同士でシンクロした踊りをと考えていたのだが、涙歌と卯月の動きを見て、彼女たち二人をペアのメインとして目立たせ、ペアを組んでいるあゆむと咲月がサブとしてバランスを取っていく構成に決めた。
そのためには、既存のダンスをそれ用にアレンジする必要があった。俺は監督役としてサポートに徹することにした。
メンバー一人一人の個性と適性を考えて振り付けを考えた。無理のない動き、可愛く見えるポーズ、見て欲しいポイントに視線誘導していくのか? 卯月の提案で、空手の演武を参考にもしてみた。
とにかく彼女たちを輝かせるためにと。どうすれば彼女たちの魅力を一人でも多く伝えられるのか? 見た者の心に残る何かを届けたい。ステージを通して誰かの人生を変えたい。メンバーへの憧れを――夢の種を植え付けたい。
彼女の明るさを、彼女の強さを、彼女の真っ直ぐさを、彼女の高潔さを。それを余すところなく表現したい。
とはいえ俺一人の視点だけではただの自己満足になってしまいかねない。時に、陽子やクラスメイトに練習を見てもらい、俺を担当している指導教官の意見を聞いた。そうやって、みんながイメージする憧れや夢を詰め込めるだけ詰め込んだ。
それから俺は無駄なものをそぎ落とす作業に入った。
大会に向けて、多くのアイドル、歌手、ダンサーのパフォーマンスを見ていて分かったのだが、名曲や名作というものの多くは難解な表現や意味のない歌詞はほとんど使われていなかったのだ。子供から大人まで理解出来る。見ていて、聴いていて、スッと自分の中に入って来るもの、よりシンプルにまとめられている方が心に残りやすいようだ。
作っては直し、また作っては直し、出来たらすぐにアイドル部のみんなに歌い、踊って貰って、悪い箇所がないかメンバー同士で話し合った。
そして、大会前日の朝、それは何とか完成することが出来た。
最終チェックのリハーサル中、俺は祈るような想いで見つめていた。
前奏の間中、失敗はしないだろうか? 彼女たちの魅力を引き出せただろうか? 曲のベース音と鼓動がシンクロし、早鐘を打つ。
だが、そんなものは杞憂だった。歌い出し、目の前で歌い踊っている彼女たちを、俺は瞬きをすることも忘れて見つめていた。気が付いたら、俺の心も踊っていた。目が離せなかった。夢中でステージ上で踊るみんなを追いかけていた。そして、俺は気付いた。彼女たちに魅かれていることに、心奪われていることに……。
「やった。出来た」
曲が終わり、各々、その完成度に満足しているようだった。
と、いち早くあゆむがこちらへかけてくる。
「どうでした? ちゃんと出来てました?」
「ああ……」
「木村先輩の目から見てどうでした? 何か言うことありますか?」
この想いをどう伝えればいいか分からず黙っていると、あゆむは、「何なら態度で示してくれてもいいですよ 」と、両手を広げて見せる。
「良かったよ……。いや、本当に良かった……。今のを見たら、きっとみんな元気になれる……。みんなのことを好きになってくれる……。100人いたら、101人、そう思ってくれるよ」
「ん? 一人多くないですか?」
「それで合ってるよ……。だって、俺がお前たちの初めてのファンだからな……。だから、自信を持っていい」
普通の状態ならそんなことは絶対に口に出来ない台詞だったけど、今自分の感じている想いを素直に伝えたかった。頭ではなく、心が俺を支配していた。
あゆむは、「くぅぅぅぅ~」と全身を縮め、
「やったー!」
バネが弾む要領で、思い切りジャンプして抱きついてきた。それを、ひらりとかわす。
「何で逃げるんですか~」
「さあ、何となく? 体が勝手に反応したんだ」
「ったく、馬鹿やってんじゃないよ。ホント、お前ら、兄妹みたいに仲良いな」
いつものように、卯月が突っ込みを入れてくる。
「衣装もバッチリ出来てるぜ」と紙バッグから大会で着る衣装を取り出して見せる。
「あっ、出来たんですね!」
パァァァァと、更に表情を明るくするあゆむ。
「すまなかったな。衣装の準備まで手が回らなくてさ」
「なんのなんの。アタイは刺繍が得意だからな。特攻服の金の刺繍はアタイ自らが繕ったものだし、これくらいお手の物よ!」
「咲月も、この衣装のデザインを徹夜で考えてくれたとか。本当に、力を貸してもらってばかりで、すまない」
「そんなことはありませんよ。それに、力は借りたり貸したりするものじゃありませんよ。力は合わせるものです。メンバーのそれぞれ得意なことをやっただけの話です。それに、一番頑張ってくれたのは、木村さんじゃないですか」
そう言うと咲月は、後ろ手に持っていた包みを差し出した。
「これ、みんなから、木村さんにです」
あゆむがうなずいて、早く開けろと急かす。
それは、みんなとお揃いのデザインの衣装だった。
「ズボン版だけどな。アタイもそっちを着たいって言ったのにさ」
フフフと、咲月が笑う。
「明日はぜひその衣装を着て応援してくださいね。木村さんもアイドル部の一員なんですからね」
「ああ。そうさせてもらうよ……。ありがとう……」
アイドル部のみんなが各自に渡された衣装を手にしているのを見ていると、本当にみんなの仲間になれたのだと実感させられる。
「これで衣装は大丈夫そうですね。不安要素は、アタシの歌と踊りだけですね」
「って、ない胸を張って言うことじゃないだろ?」
おどけてみせるあゆむに、俺はすかさず突っ込みを入れる。そんな見慣れたやり取りに、ドッと笑いが起きる。
そして、これもいつものことなのだが、涙歌だけはただ一人、笑うでもなく怒るでもなく寂しげに遠くを見つめていた。それは、彼女の元来の真面目さに起因するものなのか、アイドル活動に対する真摯な想いなのかなんなのか。涙歌の本当の気持ちを、いまだに掴めずにいた。
お昼休み、あゆむが最後の確認をしたいと言ったので、俺はそれに付き合った。
今日に限らず、あゆむはいつも俺を練習に付き合わせる。大会までは短い時間しかなかったので、たしかに振りを覚えるのは大変だっただろうと思う。だが、これで最後の練習になる。そんな意識があったのか、あゆむは歌も踊りもほとんど完璧にこなしてみせた。
「明日もこの調子でいけば大丈夫だな。でもさ~。いつも思ってたんだけど、何で俺が付き合わされるんだ? パートナーの涙歌と一緒にやった方がいいんじゃないか? それに、どうして俺が涙歌じゃなくて、お前のパートを踊ってんだよ?」
自分のための練習なら、自分の振り付けを踊ればいいのに、何やかんやといつも誤魔化されて、俺があゆむの振りを踊らされた。まあ、俺も練習に付き合うことで、抱えている課題を明確にすることが出来たので、意味なくはないのだが……。
「それは……。自分のパートを客観的に見たいと言うか、涙歌先輩の気持ちになって踊ってみたいと言うか?」
「なんだよそれ? わけが分からん」
「そうですよね……。アタシも、自分が何をしたいのか分からないんです」
「ん? 何か言ったか?」
「いえいえ。それで、木村さんは、これからどうするんですか? 月曜日にはまた大学へ帰ってしまうんですよね?」
選択肢の一つとして来た教育実習。もう目の前にあるはずの、自分の職業がはっきりと見えてはいない。
「まあな……。俺はここで沢山のことを教えてもらった。そして、人に何かを教える楽しみも知った。今さらだけど、もう一度自分の将来について真剣に考えてみるよ。俺は、ここで体験したことをずっと忘れない」
「それだけ……ですか……。忘れない……だけ、ですか?」
あゆむにしては、いやに声のトーンが低い。
「涙歌先輩とはちゃんと話せましたか?」
「え?」
「木村さん、実習の初日に言っていましたよね。『俺が彼女を傷つけてしまった』って。その仲直りは出来ましたか?」
「いや、それは……」
曖昧に返事をすると、あゆむは落胆した様子で肩を落とす。
「二人の間に何があったかは、アタシには分かりません。でも、涙歌先輩が笑わなくなったのは、木村先輩が原因なんですよね?」
言葉に疑問符はついていても、あゆむの目には確信めいたものがあった。
「ただの知り合いに傷つけられたとしても、三日も経てば忘れるはずです。涙歌先輩が今も深く傷ついているのは、それはお二人が特別な関係だからじゃないんですか?」
その言葉が俺の心にグサリと突き刺さる。
「それは涙歌にしか分からないことだよ……」
「分かりますよ……。だって、アタシが誰よりお二人を見ていたんですから……。二人はずっとぎこちなかった。いつだって目の合わせない癖に、きちんと相手の会話には耳を傾けていて。つかず離れず、微妙な距離感を彷徨っていました」
ぐうの音も出ないほど的確な指摘だ。確かによく見ている。
「アタシ、思い出したんです。新入生の頃、みんながアイドル部を去っていく中、アタシも正直辞めてしまいたいと思ったことはありました。そんな時、いつだったか部の練習中、涙歌先輩に毎日練習きつくないか訊いたことがあるんです。そしたら、『私もきついよ』って。『でも、頑張れる』って、『大切な人が待ってるから。約束している人がいるから』って。そう言ってくれた涙歌先輩の横顔が凄く綺麗で、ほとんど一目惚れなんだったと思います。綺麗だけど、とても寂しそうに見えました。どうしてそんな顔が出来るのか。どうしてそんな顔をしたのか。その時は、何のことか分かりませんでしたけど……。その大切な人って、木村さんのことですよね?」
それは、俺であって俺じゃない。
「昔の話さ……。でも、俺はその約束を破ってしまった……。もう果たすことが出来ない約束。それが原因で彼女が笑わなくなったと言うなら、その通りだろう。けど、涙歌ならきっと大丈夫だ。彼女は強い子だから……。今、笑えなくても、アイドル活動を続けていれば、きっと心から笑えるようになる。あいつは誰かを笑顔にする才能がある。そうやって誰かを笑わせ続けていれば、笑顔は回りまわって、自分の所に帰って来るんだ……」
たとえ、俺がいなくなっても……。
「そう……。涙歌が笑顔になれる日はきっと来る。そのための種は残したつもりだ。それに今はお前だっている。一人じゃない。それが分かっただけでも俺がここに来た意味はあったよ。俺はその瞬間は見れないかもしれないけど、花は咲く……。その瞬間に立ち会う役目は、あゆむなのかもな? お前にだったら安心してバトンを託せるよ……」
と、みるみるあゆむの表情が怒りに満ちていく。
「どうしてそんなこと言うんですか! それじゃ、分かりませんよ! 分かるけど、分かりません! 木村さんが明日の大会のために一生懸命になってくれたこと。それは、涙歌先輩に笑顔を取り戻してもらうためなんだって分かります。でも、それであとは残された人たちに任せるなんて、そんなの無責任じゃないですか!」
いつも明るく誰に対しても気安いあゆむがこんな風に激しい感情を露わにするのに、驚かされる。
「それで、木村さんはどうするんですか? 種を残した? その瞬間は見れないかもしれないけど花は咲く? 安心してバトンを託せる? それで、木村さんは心から笑顔になれるんですか?」
「何を言っている? 俺は笑っているじゃないか?」
俺は無理やり笑顔を作って見せる。
あゆむは、それを拒絶するように目を伏せた。
「木村先輩が不意に見せる寂しそうな笑顔。アタシは、それを温かいものに変えてあげたかった……。でも、それはどうやら最後まで無理だったみたいです」
「え……?」
「アタシは、涙歌先輩が好き! それと同じくらい木村さんのことが好き……なんです……」
そう言うと、あゆむは俺の胸に飛び込んで来る。
「だけど、木村さんにアタシは見えていなかった。木村さんはずっと木村さんの中にいる約束の少女を見ているんですね……。そして、涙歌先輩も多分そうなんです。お二人の時間は止まったまま。アタシのことなんて見えてはいないんです……」
額を押し付けられた胸が早鐘を打つ。
「これからは、目の前の女の子をちゃんと見てくださいね」
顔を上げ、あゆむは笑顔を見せると、
「でも、そんなこと最初から分かっていたんです。そんな人間がお二人を笑顔にしたいだなんて、過ぎた願いですよね」
笑いながら涙を流した。
「そのアタシに、涙歌先輩が笑う所を見ろなんて、残酷過ぎますよ……。涙歌先輩を笑顔にするのはアタシじゃありません。結局アタシは、ただの傍観者――ファンでしかないんです」
「そんなこと……。俺はお前を特別な存在だと思っている。あゆむがいなければ俺のここでの毎日はとてもつまらないものになっていただろう。だから、俺は……」
拳が震える。優しい嘘をついて、あゆむを抱き締められたらどんなに楽だろうか? だけど、それは違う気がした。こいつが求めているものはそんな繋がりではない。
「それじゃあ、もしもアタシが本気で木村さんに付き合って欲しいって言ったら、ちゃんと考えてくれますか? アタシの恋人になってくれますか?」
「それは……。分からない……。今まで、あゆむをそういう風にはみたことがなかった。すまない……」
「ですよね……」
顔を伏せてあゆむが何かを呟くと、クルリとその場で一回転して見せる。
「それじゃあ、放課後までに考えておいてくれませんか? アタシに、最後のチャンスをください。その時に、木村先輩の本当の気持ちを言ってください」
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